高速のサービスエリア等で若い女性に近付き、さり気なく「これ何cc?え?250?小さいんだね!俺なんか1000ccだから速いよ!やっぱりエンジンは大きくてナンボだよ!」と頼んでもいない排気量談義を披露し、マウントをとろうとするおじさんたちのことを「ナンシーおじさん」などとSNS上で叩かれていた。これについて思うところを・・・
先日、「キミたちはミーハーだ」という内容のコメントを受けたので、真摯に受け止めようと批判の内容をよくよく見てみると、そこには批判という皮を被った本心が見事に隠れていました。
他人よりも劣っていると感じることであっても、たいていのことは努力である程度は克服できると思う。でもなかには「克服できる気がしない」「どう努力して良いのかわからない」というものも存在します。そういうことはもう、諦めても良いんじゃないかな・・・と努力を放棄して楽になった話。
nostalgicbikeの出演者が撮影後すぐにドバイに飛んで起業しました。大学生時代にも起業したり、学生であることを隠して青山のバーで店長をしたりと、エネルギーの塊のような彼から学ぶことも本当に多かった。 そんな彼がしきりに言っていたのは「仕掛けられる側ではなく、仕掛ける側へ」ということ。前回「果てしなく怪しいビジネスの話」をした直後であることと、更に今回のアイコン・・・もしかするとこの話自体が怪しく聞こえるかもしれないけど、彼は決して怪しい人ではありません。たぶんww
これまでに「果てしなく怪しいビジネス」に遭遇し、危うく大金を払いかけたノスバイ運営者ww それは恐怖体験でもあったけど「絶対に関わってはいけないビジネス」を見分ける方法が分かるようになったという最大のプレゼントがありました。 「果てしなく怪しいビジネス」が厄介なのは、明らかな嘘があるわけでもなく違法であるわけでもなく恫喝されるわけでもないところ。「こんな怪しいことに大金を払わせるなんて詐欺だ!」と言ったところでそれを証明する方法はないけど、一点だけ「果てしなく怪しいビジネスの共通点」があることに気が付いた。
自分で色々なモノを創る活動を続ける中で、知らないあいだに「限りなく怪しい人」に会ったりもしました。そこで紹介された「果てしなく怪しいビジネス」は身も凍る恐怖体験でもあったけど、今となってはノスバイラジオの糧になってます
高校生1年生の頃、「地図も荷物も何も持たずにママチャリで知らない土地へ向かって、日が暮れても夜が明けてもひたすら走る」という旅が仲間内で大流行。観光地は目指さず、ひたすら「滅んだ土地(人のいない辺鄙な土地)」を目指す。高校3年生、大学生になってバイトが出来るようになったり、車やバイクの免許を取っても、荷物にテントが加わったことと乗り物が電車やバイク、車に変わったことだけで「ひたすら滅んだ土地を目指す旅」は変わらず。そんな「滅び旅」のなかで見つけた人生の教訓は特にありません。
海外からも視聴者が増えてきて、世界各国の方からコメントを頂けるのは非常に喜ばしいことです。ただ、日本人はコメントに「文句」を残す人の割合が多く、その文句の内容は日本独特のものであることが多い。そして、書き込まれる内容から海外には見られない日本人の特性が浮かび上がってくるのは興味深い一方で、「日本が世界から取り残されている」こととも決して無関係ではない気がする・・・
”リア充””インスタ映え”という言葉は「見た目だけ華やかに着飾っても仕方がない」というもっともらしい意味合いだけでなく、「本当は少しだけ羨ましい」というちょっとイジけた気持ちも見え隠れしていることもしばしば。言葉自体はSNSが世に出て来てからの比較的新しいものだけど、1990年代のギャル、ギャル男が若者カルチャーを席巻していた時も似たような感情は渦巻いていたような気がする。華やかな世界に興味を抱いたボクらは「あんなチャラい世界には興味がない」と強がらず、素直に飛び込んでみることにした。その結果・・・
nostalgicbikeでは旧いバイクに乗る個性的な人たちのドキュメンタリー映像を撮る活動をしているけど、バイク乗り以外の人も撮っています。そのなかでも強く印象に残っているのが、クラブではなくストリートでDJをすることに徹しているILEFFECTSのVULGARというアーティスト。ストリートにこだわる背景が見えた時、より一層ファンになってしまった。
nostalgicbikeでは旧いバイクに乗る人たちのドキュメンタリー映像を制作する活動をしているけど、国産の旧車を「カフェレーサー」と呼ぶと「カフェレーサーはUK発祥であり、日本の暴走族と一緒にされちゃ困る」と批判されることもしばしば。でもこういう文句を言ってくるのは決まって日本人だけ。本場UKの人たちは日本のカフェレーサーをどう見てるのかな?と素朴に思っていたら、別チャンネルで日本のカフェレーサーが海外の人たちから批判を受けている動画があったので、色々と考えてみました。
旧いものは味があるしカッコいい!というのは本当なのか・・?確かにデザインが個性的であったり独特の雰囲気があったりして、最先端のものには無い良さがあるのは事実だけど、「旧ければ良い」というのもナンセンス。ビンテージの良さについて色々と考えてみました。
「時代遅れだし頭ワリィしダッセー!」こう言われていたのは日本の暴走族であって、UKカフェレーサーは洗練されたオシャレなカルチャーだと思われているフシも日本ではあるけど、実際は当時のUKカフェレーサーも同じように言われていた。 そんな両者を深堀してみると面白いことが浮かび上がってきたという・・・
4年ほど前に「カフェレーサーと暴走族を一緒にするなという批判について」と題したYoutube動画を出したら大炎上したことがありました。「UKのカフェレーサーだろうが日本の暴走族だろうが本質は同じ」という自分の考えを話したら、色々な方に大説教(というか大罵倒)されたのです。その時のことを振り返り、4年が経過して変化した今の自分の考えをダラダラと・・・
ホント久々の更新です!待って頂いた方々ホントスミマセン 今回は「日本の昭和カルチャーとUKロッカーズカルチャーを混ぜ合わせて楽しんでいたら、「それは邪道だ!」と指摘され人間関係のトラブルに発展してしまった」という20代の若い男性からの悩めるお便りをもとに、「王道カルチャーとは何なのか?」についてダラダラ話してみました。
「乗り方がなってない」「この程度の整備ができない奴はバイクに乗る資格は無い」ネット上でも色々と上から目線でDisるバイク乗りの輩が後を絶たないわけだけど、こういう人って「自分の方が上の立場であることをアピールしたい」という主張をしたいだけで、それって結局は「モテたい」という心理が歪んだ形で表れているんだろうと思いつつ、ノスバイのタケゾウもオワイナイトのタクヤ君も「モテたい」という心は同じ・・
思春期を90年代に過ごした自分にとって、90年代のバイク、音楽、映画、ファッションはどれも熱くて特別なものがあると同時に、既に遠い過去のもの。 でも近年の10代、20代の若者にとってはちょっとだけ新鮮な匂いを放つ時代でもある90年代。 バブル崩壊、IT革命、コギャルなどなど、この時代の大きなうねりの中で生きたリアルな体験を話してみようという発想がオッサンだなぁ・・
ノスバイがこれまでに取材してきた「旧車に乗る人たち」は、旧車のどんなところに価値を見出していたのか?そもそも旧いものの価値や魅力って何なのか? 自分の経験を交えながら”旧いものの価値の本質”を考えてみたら、色々なことがわかってきました。
2022年もよろしくお願いします!などと言いつつ、リスナーの方から「おすすめの映画を教えて下さい。是非ラジオのテーマにしてください」とリクエストして頂いたのが3ヶ月ほど前。やっと配信します。こんな怠惰な自分ですが2022年もよろしくお願いします。 映像を撮る活動をしている自分は、幼少期から映画が大好き。そんな自分がおススメする映画はきっと忘れられないものになる・・・かもしれません。