Discover偉人の名言366命日編〜人生が豊かになる一日一言〜
偉人の名言366命日編〜人生が豊かになる一日一言〜
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偉人の名言366命日編〜人生が豊かになる一日一言〜

Author: 久恒啓一

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2005年から本格的に始めた全国を巡る私の「人物記念館の旅」は800館を越えるところまでになってきました。

この「聖人巡礼」では、主に近代現代日本を創った偉人たちの崇高な人生を観察し、そこから絞り出された珠玉の名言を蒐集してきました。

「偉人の名言366 命日編」では、その日に亡くなった偉人の名言を音声で紹介し、私の感想などを簡単に記した文章も配信いたします。

偉人の名言は人生百年時代の人生観を磨き上げるためのソフトインフラです。

一日一言を深く味わうことによって、充実した日々と、その集積である素晴らしい生涯を実現される一助になれば幸いです。

【久恒啓一】

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臆病になるな、他人の目や陰口にとらわれず、自分のやりたいことに忠実になろう 常盤 新平(ときわ しんぺい、1931年(昭和6年)3月1日 - 2013年(平成25年)1月22日)は、日本の作家、翻訳家であり、アメリカ文化研究者である。 常盤新平の師匠は5歳年上の直木賞作家・山口瞳であった。サラリーマンの生態や心理をよく知った山口瞳の31年1614回続いた「週刊新潮」の連載『男性自身』を、たまたま読んだのがきっかけで出入りするようになった。山口瞳の13回忌を迎える頃書いた『国立の先生 山口瞳を読もう』には、国立に住む師匠の山口瞳への思いがつまっている。文庫本や全集に書いた解説をまとめたものである。 他人の目、他人の口、つまり世間を気にしずぎることをやめて、自分自身の為すべきことを為そう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
仕事の面白さというのは、ジョブデザインだ 村木 良彦(むらき よしひこ、1935年11月15日 - 2008年1月21日)は、日本のメディアプロデューサー。 村木良彦のインタビューで強く印象に残ったのは「ジョブデザイン」という言葉だった。ジョブデザインを自分でやれるか、仕事の面白さはジョブデザインにある、そしてTBSから独立して以降は、自分でジョブデザインをやれるから精神的に違うと語っていた。自分でデザインの権利を獲得していく。自分の仕事のデザイナーになる、そして自分の人生のデザイナーになる、私がそれを強く意識したのはその頃からだった。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
人にやさしくする。そして、やさしくしてもらったら忘れない。これが百年の人生で学んだことです 柴田 トヨ(しばた トヨ、1911年(明治44年)6月26日 - 2013年(平成25年)1月20日)は、日本の詩人。 「あふれるような気持ちを詩にして、人生の終わりに花を咲かせることができました」。人生の最後に大きな花を咲かせた柴田トヨは、百年の人生で培ったやさしい心を、やさしい言葉で語り多くの人を励ました。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
横綱が物言いのつく相撲を取ったのが悪い 大鵬 幸喜(たいほう こうき、1940年(昭和15年)5月29日 - 2013年(平成25年)1月19日)は、北海道川上郡弟子屈町川湯温泉(出生地は樺太敷香郡敷香町)出身の大相撲力士。第48代横綱。 46連勝で物言いがついて戸田に負けたビデオをみると明らかに戸田の足が先に出ていて、当時は世紀の大誤審といわれた。しかし大鵬はあれでいいとし、「横綱が物言いのつく相撲を取ったのが悪い」とコメントしている。相撲道を信じて歩き、それを具現した横綱であった。相撲は豊作を願って神前で行う祭祀であり、相撲社会の伝統は守らなければならない。現在の揺れる角界も大鵬の相撲道の精神を絶やさずに繁栄を続けることを願う。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
晩年は、毎春、サクラ前線に合わせて、主として徒歩で日本列島を北上、ついで夏祭りをたどりながら南下、各地の銘酒を訪ね歩いた 岩見 隆夫(いわみ たかお、1935年10月6日 - 2014年1月18日)は、日本のジャーナリスト、政治評論家。 テレビ「みのもんたのサタデーずばッと」では毎週出演して政治評論を行う姿はよく見かけたのだが、サクラ前線を徒歩で追いかけながら、各地の銘酒を訪ね歩くという岩見隆夫の理想の旅は私の年来の希望と似ているので親しみを覚感じる。「沖縄八重岳は1月18日に桜祭り。北海道・宗谷岬公園の桜は5月中旬が見頃。ソメイヨシノは九州から北海道まで4月1日から5月中旬過ぎの二か月足らず。紅葉前線を追って北海道から南下する旅はどうか。私なら、温泉、人物記念館、知研、車、SNSとなるだろうか」と私は2014年のブログで記していた。生前に「私の死亡記事」を書いておくのも悪くない。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするな 小林 繁(こばやし しげる、1952年11月14日 - 2010年1月17日)は、プロ野球選手(投手)、プロ野球コーチ。ノンプロを経て、1972年に巨人に入団。1976年、1977年に連続18勝をあげ最優秀投手となり長島巨人の優勝に貢献。 長い人生では勝負する時が何度かある。それはチャンスと危機が同時にみえる時だ。恐怖に負けて見送るか、乾坤一擲の勇気を出して飛び出すか。天に向かうか、谷底に落ちるかは分からない。それが運命の分かれ目になる。 小林繁から学ぶことは、好球を見送って三振を宣言されるようなことはしないで、「思い切りバットを振れ」である。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
職業は紛れもなく写真家。趣味もまた写真。道楽なんだから始末におえない 秋山 庄太郎(あきやま しょうたろう、1920年(大正9年)6月8日 - 2003年(平成15年)1月16日)は、日本の写真家。 何かにはまる人にもランクがあると梅棹忠夫が言っている。最初は「通」、次は「好き者」、そして「道楽者」と順番にはまり具合が深くなるという見立てである。「花と女」という美しいものの写真にのめり込んだ秋山庄太郎は、自分でも「始末におえない」といっており、「極道」という地点にまで行き着いたのではないか。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
情報もいいでしょう。でも、生の体験は強い 大島 渚(おおしま なぎさ、1932年3月31日 - 2013年1月15日)は、日本の映画監督、タレント、俳優。京大法学部時代には著名な政治学者猪木正道に師事した。京都府学連副委員長として活躍。京大助手試験で不合格となった時、猪木正道からは「君に学者は向きませんよ」と諭された。 「人生というのは、どのくらい無我夢中の時間を過ごせるか、で決まると思う」 「きっぱりノーと言うことは、人生を楽にしてくれる方法なんです」 「今やれることを、今やらなかったら、一生やれないということなんだ」。 冒頭に掲げた「情報と体験」もそうだが、大島渚は意外に人生訓がいい。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
同じ役者とはほとんど二度と仕事をしない主義 和田 勉(わだ べん、1930年(昭和5年)6月3日 - 2011年(平成23年)1月14日)は、日本の演出家・映画監督。 ドラマのキャスティングでは一緒に仕事をするのは一回のみというルールを自分に課していた。そのため夏目雅子から抗議を受けている。思うに、狎れることを恐れたのではないか。一作一作、新鮮な気持ちで作品を創っていく真摯な態度がNHKだけでなく、テレビを代表する名演出家を形づくったのだろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
むしろ素人の方がよい 坂田 道太(さかた みちた、1916年7月18日 - 2004年1月13日)は、日本の政治家。 1960年代末の大学紛争の渦中に文部大臣となり、前代未聞の1969年の東大入試中止の決断を下した人物である。 混乱した現場の立直しのために、難しい役職、不案内な仕事をすることになったとき、大事なことは公平率直な目で、偏見を持たずに複雑骨折した問題にあたることである。それを坂田は「むしろ素人の方がよい」と表現したのであろう。専門家集団が苦しんでいるとき、細部からではなく、大づかみで実状を把握し、問題解決にあたっていくことも一つの道である。この坂田道太の考えに共感する。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
いや、オレは過去を振り返るんではなく、若いヤツとやりたいんだ 深作 欣二 (ふかさく きんじ、1930年〈昭和5年〉7月3日 - 2003年〈平成15年〉1月12日) は、日本の映画監督・脚本家。 最後の作品『バトル・ロワイアルⅡ 鎮魂歌』の企画発表会では「最後の映画としてガンに犯された体の満身創痍で臨む。今回は戦争がテーマ。戦争撮ったことがないので、最後に撮りたい」と覚悟を淡々と語った。「たとえこの闘いで生涯を終えようとも、私には一片の悔いもない」と会場で配った「深作欣二、死後の闘い」というタイトルで、このメッセージがつづられている。その深作が今まで一緒に映画をつくってきた大物俳優たちとやるべきだという息子の監督・健太に言った言葉が冒頭の言葉である。過去の集大成の作品を作るのではなく、未来に向けて新しいテーマで作品を撮ろうという気迫あふれた言葉であり、感銘を受ける。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
体から心まで、とにかく自分のことは自分で管理していないと、女優はつとまらないわよね 淡路 恵子(あわじ けいこ、1933年(昭和8年)7月17日 - 2014年(平成26年)1月11日)は、日本の女優。 淡路恵子は自己管理の人だった。自己管理をしっかりすることが大事だ。人に迷惑をかけないこと。舞台中は規則正しい生活を心がけること。出演中は声を使いすぎないように酒を飲みにいかないこと。睡眠は8時間以上とること。役柄からはなかなか想像できないが、実はそういうことを自らに課していた。淡路恵子は仕事師であったのだ。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
日米関係は日中関係である 松本 重治(まつもと しげはる、1899年(明治32年)10月2日 - 1989年(平成元年)1月10日)は、日本のジャーナリスト。財団法人「国際文化会館」理事長。アメリカ学会の会長。 松本重治が館長を務めていた六本木の国際文化会館。日航時代はこの会館には縁があってよく訪れていたが、ここを舞台に日中・日米関係を中心に国際関係の歴史がつくられていったのだと改めて松本重治らの仕事に敬意を抱いた。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
自分のやりたい学問と距離のある学問であればあるほど、後になって創造的な仕事をする上で重要な意味をもってくる 福井 謙一(ふくい けんいち、1918年10月4日 - 1998年1月9日)は、日本の化学者。京都大学・京都工芸繊維大学名誉教授。日本学士院会員、ローマ教皇庁科学アカデミー会員、全米科学アカデミー外国人客員会員。 福井謙一には広い分野に関する旺盛な好奇心があった。学生時代は文学部での田辺元の哲学の講義を聴いた。11歳年長で日本人初のノーベル賞(物理学賞)を得た湯川秀樹が西田幾多郎の哲学講義を聴いたのと同じだ。福井は他分野にも好奇心を持つことが創造に繋がると言っている。そして疲れるということがわからないというほどの体力をもって、29年にわたり長い間執念深く自分のテーマを追い続けたのだ。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
(発想のもとになっているのは)少数派ですよ。絶対多数派にいつかない 横澤 彪(よこざわ たけし、1937年12月15日 - 2011年1月8日)は、日本の元テレビプロデューサー。フジテレビプロデューサーとして活躍。退社後は吉本興業東京本社代表、専務取締役東京本部本部長などを歴任した。 横澤彪という異能の人は、「笑いを通して社会に貢献」しようと考え、テレビ、吉本興業と一貫して「お笑い」に賭けた職業人生を全うしている。この革命児は、常に「少数」の側に立って、新しいスタイルを追求していった。多数の側によるな。横並びを排せ。先人のマネをするな。そして先人の目指したものを目指して革命を起こせ。冒頭の言葉は、新しいことを始めようとする人にとって大いなる激励である。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
釣りに国境なし 小西 和人(こにし かずひと、1927年1月11日 - 2009年1月7日)は日本の新聞記者、編集者。週刊釣りサンデーを創刊して会長。全日本サーフキャスティング連盟第2代会長。 1926年(昭和2年)生まれの釣り界の風雲児、革命児の小西和人は、自宅のソファで眠るように逝去した。享年81。この小西和人の釣り一筋の人生行路とその記録を読むと、歴史を書いた人が歴史をつくるのだ、そういう感慨がある。どのような分野においても歴史を残さねばならない。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
ちょっとだけ一生懸命という余裕があると、物の本質や形がわりと見えてくるものだ 加藤 芳郎(かとう よしろう、1925年6月25日 - 2006年1月6日)は、日本の漫画家、放送タレント。 一つのことを長く続ければチャンスに巡り会える。加藤芳郎が漫画家になったのも、タレントとして親しまれたのも、長く続けたからだ。運もツキも長もちの結果として手に入る。人生は何もしないと長すぎるし、しかし何かをしようとすると短すぎるのだが、加藤芳郎は漫画という本職と、それが引き寄せたテレビタレントの二足を履き、心の余裕を持ち続けることができた。「ちょっとだけ一生懸命」の精神で、バランスのとれた80年の人生を送たのだろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
商業誌なのにもうける気はなく、原稿料さえろくに払えない。それでも根っからの漫画好きが集まって、ここまで来た。やめたくてもやめさせてもらえなくてね 長井 勝一(ながい かついち、1921年4月14日 - 1996年1月5日)は、日本の編集者、実業家である。青林堂の創業者であり、漫画雑誌 『月刊漫画ガロ』の初代編集長。 長井勝一が創刊した漫画雑誌『ガロ』は漫画人たちを生んだ優れたインフラだったと思う。後に大家になっていく漫画家たちはそのインフラで思う存分に才能を開花させた。一番偉かったのはそういう漫画雑誌『ガロ』を創刊し維持し続けた長井勝一だったのではないだろうか。やめたくてもやめられなくなってしまったと本人が述懐しているように、インフラによってコンテンツが花開き、コンテンツの隆盛によってインフラの価値がさらに高まっていくという好循環。この構図はいつの時代も変わらない。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
なぜ、『昭和二十年』書こうと考えたのか。多くの人々が命を奪われ、多くの人々が自らの命を断った年である。親は子に先立たれ、妻は夫を奪われ、子は親を失い、親と子が死んだ年である。そのような年は他にはない。その年はどういう年だったかを探ろうとした 鳥居 民(とりい たみ、男性、1929年(昭和4年) - 2013年(平成25年)1月4日)は、日本の歴史作家・評論家。 鳥居民は昭和20年の1月1日から7月2日までを書いた。1985年の56歳から、2012年の83歳までという長い時間をかけて「昭和二十年」を執念深く追い続けた。そして2013年1月4日に心筋梗塞で84歳で死去し、この大著はついに未完に終わった。鳥居の戦死ともいうべき人生を眺めると、ライフワークと寿命との関係を考えさせられる。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
ぼくの人生はおおかたのぞきに費やされてきました 河原 淳(かわはら じゅん 1929年11月28日- 2006年1月3日)は、日本のイラストレーター、デザイナー。 河原淳は『雑学人生のすすめ』の「あとがき=執筆顛末記」で、自身をピーピング・トム氏と呼びながら、本、雑誌、新聞、ちらし、DM、テレビ、映画、音楽会、美術展、陳列棚、ウインドー、公衆便所、ときにスカート、他家の窓や洗濯物、、などをのぞきの対象としてきたと述懐している。その習性で雑学が身につき、世の中を渡る武器となり、「中産階級の松クラス」に属すことになったと述べている。好奇心と面白がる精神で、好きなこと、面白そうなことだけに取り組んだ生涯を送った。こういう人生もある。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB
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