偉人の名言366命日編〜人生が豊かになる一日一言〜

2005年から本格的に始めた全国を巡る私の「人物記念館の旅」は800館を越えるところまでになってきました。<br /> この「聖人巡礼」では、主に近代現代日本を創った偉人たちの崇高な人生を観察し、そこから絞り出された珠玉の名言を蒐集してきました。<br /> 「偉人の名言366 命日編」では、その日に亡くなった偉人の名言を音声で紹介し、私の感想などを簡単に記した文章も配信いたします。<br /> 偉人の名言は人生百年時代の人生観を磨き上げるためのソフトインフラです。<br /> 一日一言を深く味わうことによって、充実した日々と、その集積である素晴らしい生涯を実現される一助になれば幸いです。<br /> 【久恒啓一】<br /> 図解Web:http://www.hisatune.net/<br /> プログ:http://k-hisatune.hatenablog.com/<br /> Facebook:https://www.facebook.com/keiichi.hisatune<br /> note:https://note.mu/hisatune<br /> メルマガ:http://www.mag2.com/m/0000272218.html<br /> <br /> ■Produced by KOELAB https://koelab.co.jp/

6月30日 高宮行男(実業家、予備校経営者)

予備校教師は5者を兼ねなければならない。学者、医者、役者、芸者、そして易者だ 高宮 行男(たかみや ゆきお、1917年1月26日 - 2009年6月30日)は北海道出身の実業家で予備校経営者。学校法人高宮学園代々木ゼミナール理事長を務めた。 高宮の言う5者とは、学問を教える立場の「学者」。鬱屈した浪人生の心を支え、癒す「医者」。教室を舞台に見立て、教師役を演じる「役者」。艶やかな衣装や芸で魅せ、生徒の羨望の的となる「芸者」。そして志望校に導くアドバイスや“読み“ができる「易者」である。教育者に求められる理想の資質を見事に言い当てている。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-29
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6月29日 地井武男(俳優)

ただ、スターは無理でも、味のある脇役ならなれると思ってたんです 地井 武男(ちい たけお、1942年5月5日 - 2012年6月29日)は、日本の俳優。 1963年に俳優座養成所へ第15期生として入所。 高校のころには「俳優になろう」と決めていたのだが、そのころからスターにはなれないと悟っていた。スターではなく、最初から脇役を目指したのだ。「アメーバみたいに、食べるものによって色が変わっていくような俳優になりたいんです」とも語っていた。昨日眺めた女優沢・村貞子『わたしの脇役人生』(ちくま文庫)では、沢村も「脇役」を語っていたが、男優・地井武男とも通じるところがある。二人とも日々の生活の楽しみを知っおり、味のある人物だ。その地井武男はテレビの『ちい散歩』に巡り会い、自分を総合するライフワークを残したのである。この幸運を引き寄せたのも実力だろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-28
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6月28日 宮澤喜一(大蔵官僚、政治家)

一億一心の対極、それがリベラル 宮澤 喜一(みやざわ きいち、1919年(大正8年)10月8日 - 2007年(平成19年)6月28日)は、日本の大蔵官僚、政治家。 現在では影の薄くなった保守本流、ハト派の宏池会の流れの中にあった宮澤喜一は、リベラルとは「一億一心の対極」にあると述べている。一億火の玉、一億総保守、、など時代の空気に同調しない。主義主張を声高に論じるのではなく、全体の制約から距離を置いて、独立した個人とした自由な生き方、自分で考えることを放棄しない、自立自尊、それがリベラルであるということだろう。心に留めておきたい言葉である。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-27
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6月27日 アルビン・トフラー(評論家、作家、未来学者)

将来の文盲とは、読み書きのできない人ではなく、学ぶことも、学んだことを捨てることも、また学び直すこともできない人のことである アルビン・トフラー(Alvin Toffler、1928年10月4日 - 2016年6月27日)は、アメリカの評論家、作家、未来学者。 さて、トフラーは「学び、学んだことを捨て、学び直す」人でなければ、新しい時代を生きぬくことはできないという。情報産業の時代には、生命科学を含めてあらゆる分野の知識がものすごい速度で変化し、視界が大きく変わっていく。昨日学んだことを、今日は捨て去る。そして明日は新しい知識を学び直す。こういうサイクルに参加する気概がなければ、企業も個人も時代に置いていかれる。私たちは、自己革新の連続で生きていかなければならない。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-26
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6月26日 辰巳渚(文筆家、考現学者)

『捨てる!』技術 辰巳 渚 ( 1965年11月27日 ー2018年6月26日)は、文筆家、考現学者 。 東京都立立川高等学校、お茶の水女子大学文教育学部地理学科を卒業後、パルコに入社。マーケティング雑誌『月刊アクロス』の編集者および記者となる、その後筑摩書房の編集者を経て1993年にフリーとなる。 辰巳は「捨てる」ことにも技術が必要だということを教えた。技術とは、誰もが一定の訓練をすることで一定のレベルに達するものをいう。「捨てる」と「技術」という無関係のようにみえるものを組み合わせたところが非凡な発想だった。半年で100万部を突破するベストセラーとなった『「捨てる!」技術』は、その後、この路線の延長線上に「断捨離」などのブームを起こし、世の中を変えた。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-25
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6月25日 二代目 尾上松緑(歌舞伎役者)

舞台が好きになるか、ならないか 二代目 尾上松緑(にだいめ おのえ しょうろく、1913年(大正2年)3月28日 - 1989年(平成元年)6月25日)は、日本の歌舞伎役者。屋号は音羽屋。重要無形文化財保持者(人間国宝)。日本芸術院会員。文化勲章。 器用な人はいい歌舞伎役者になることができるが、不器用な人も徹底してそうならそれはそれで味が出てくる、それが芸事の難しいところだと松緑は述べている。父は自分が不器用だと知っていた。上の兄・十一世団十郎は不器用さと役者っぷりのよさを合致させ成功した。そして松緑には不器用な自分の芸を移すことをせずに、六代目へ修行に出したのだ。偉大なる凡人の父は、後のことをよく考えていたのである。松緑は舞台は苦しいが、器用・不器用に関係なく、その「舞台が好きになるか、ならないか」が勝負であり、好きなればどこまでも行けるという。何事もそうだろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-24
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6月24日 別所毅彦(プロ野球選手(投手、監督、解説者)

やろう、やれる、やるぞ 別所 毅彦(べっしょ たけひこ、1922年10月1日 - 1999年6月24日)は、兵庫県淡路市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。 別所毅彦は「やろう、やれる、やるぞ」の単純な反復で、目標を一つ一つ乗り越えてきた。管理者の立場では、部下を伸ばすために「壁」を設定してやることが仕事だと知る。目標という大きな壁を設定し、苦労で自信をつけさせ、その自負で高い目標に挑戦させるのである。野球の世界で得た哲学は、経済、経営、そして職業、人生でも同じである。一芸を極めるとはこういうことだろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-23
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6月23日 吉永祐介(検察官)

巨悪は眠らせない 吉永 祐介(よしなが ゆうすけ、1932年(昭和7年)2月14日 - 2013年(平成25年)6月23日)は、岡山市生まれの検察官(第18代検事総長)。 吉永祐介は特捜部の絶頂期を形づくり、「巨悪は眠らせない」という名言を吐くなど大事件を手がけた「ミスター検察」と呼ばれた仕事師だった。 「われわれは汚れたところをきれいにするどぶさらい」だと言い、同じく池波正太郎『鬼平犯科帳』の主役である長谷川平蔵を好んだという。検事も裁判官も、その理想は「長谷川平蔵」だったのだ。現代の司法はその伝統を継いでいるだろうか? 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-22
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6月22日 滝沢修(俳優、演出家)

俳優の仕事とは、結局は自分がどんなに豊かであるかに尽きる 滝沢 修(たきざわ おさむ、1906年11月13日 - 2000年6月22日)は、日本の俳優、演出家。 滝沢修は戦前に治安維持法で捕らえられた1年4ヶ月の獄中生活の中で、小学校時から好きだったゴッホの伝記を読み、舞台化の夢を描き実現させる。『炎の人』は滝沢の当たり役となり、369回の公演回数を数えた。滝沢のストイックな演技は、自分を磨きあげたその豊かさから出ているのだ。ゴッホは自分の目が本当に見たものを描く。いらないものは捨ててしまう。大事なものだけ強調して描く。その画法は滝沢自身の演技法と通じるものがあると回想している。滝沢はゴッホに自分自身を見ていたのだ。自分以上の演技はできない。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-21
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6月21日 増田通二(経営者、パルコ社長、会長)

本だけじゃダメだ。本物を見なければいけない 増田 通二(ますだ つうじ、1926年4月27日 - 2007年6月21日)は、日本の経営者。パルコ社長、会長。 増田通二は渋谷パルコのオープンの前年にスペインのバルセロナでガウディのサグラダ・ファミリア聖堂に出会い、頭を「ガーン」と殴りつけられる。47歳だった。建築という「定職」に導かれたという思いだった。自分もガウディのように自分の夢を見ようと考え、全国にパルコを建てていき、パルコがないのは新宿と横浜だけだというまでになる。増田のソフトとハードを動的に捉える力量は希有のものであった。本物との出会いが心に火をつけ、人生を変える。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-20
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6月20日 早坂茂三(政治評論家)

世間に媚びを売らず、背伸びせず、自分を深く耕して一芸を身につけ、淡々とわが道を進む 早坂 茂三(はやさか しげぞう、1930年6月25日 - 2004年6月20日)は、日本の政治評論家。 早坂茂三の人生の軌跡を眺めると、「背伸びせず、自分を深く耕して一芸を身につけ」ることに邁進した人だったと思う。それは、自分をよく知り、わきまえて、自分をよく知る人とともに歩んだ早坂という男の人生観と処世術である。深い共感を覚える。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-19
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6月19日 美川英二(ラグビー選手)

交際費をたくさん使って一流の人達と一流の場所でたくさん会いなさい。そうすれば人を見極める力が養えるはずだ 美川 英二(みかわ えいじ、1933年8月17日 - 1999年6月19日)は、日本のラグビー選手、実業家。横河電機社長。 美川の言うように、組織のトップになると一流の人との接触による鮮度の高い情報入手と人物の見極め、そしてトップのあり方への示唆が、直接・間接に業績に直結するようになる。美川英二の葬儀時の奥様は「英二は戦士の如く働いたと思います。最後だけは私の我侭をお願いして家族だけで過ごすことが許されました」とお礼の言葉を述べた。何か切ない気もする。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-18
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6月18日 山本直純(作曲家、指揮者)

直純死すとも音楽死せず 山本 直純(やまもと なおずみ、1932年12月16日 - 2002年6月18日)は、日本の作曲家、指揮者。 山本直純はクラシック音楽の大衆化による人々の民度をあげ、幸福度をあげる仕事をライフワークにして、その道を迷うことなく歩んだようだ。確かに「直純死すとも音楽死せず」だ。山本直純は大衆の中に生きている。大衆に音楽に親しむきっかけを与えた影響力の大きい偉い人である。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-17
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6月17日 宿沢広朗(ラグビー選手)

銀行が必要ないと言えば、ラグビーに賭ける覚悟はある。ただ、両方やっていないと、価値がないんじゃないかと思う 宿沢 広朗(しゅくざわ ひろあき、1950年9月1日 - 2006年6月17日)は、埼玉県出身の元ラグビー選手、ラグビー日本代表監督。 日本の代表的銀行で出世を果たしながら、ラグビー監督としても大活躍するという二足の草鞋、いや現代流にいえば正真正銘の「二刀流」を見事に成功させた。宿沢は両方をギリギリまでやることに価値があると考えたのだ。この心構えとそれをやり遂げたのは見事だ。スポーツ関係者の不祥事が続く中、登山中に心筋梗塞を発症し55歳で急逝した宿沢がそのまま突き進んでいたら、どのような生涯を送っただろうかと同世代の英雄の姿を想像する。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-16
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6月16日 住井すゑ(小説家)

生きるとは創造すること 住井 すゑ(すみい すえ、1902年1月7日 - 1997年6月16日)は、奈良県出身の小説家。享年95。 56歳からライフワークに本格的に取り組んだ住井すゑは、書くのが面白くて朝は寝ていられずに書きまくった。その時間が青春のときであった。長い準備期期間を過ごした後に、創造の喜びを手にし、古事記にかわる歴史を完成させたのだ。その勇気と気概に敬服する。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-15
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6月15日 十四代目 酒井田柿右衛門(陶芸家)

職人は不器用な人がいい 14代目 酒井田 柿右衛門(14だいめ さかいだ かきえもん、1934年8月26日 - 2013年6月15日)は、有田焼を代表する陶芸家で、“酒井田柿右衛門”の14代襲名者。 小さな湯呑み茶碗でも数十人の職人が要る。技術の連鎖、職人の連鎖が連なって小さな湯呑み茶碗を完成させる。一人前の職人になるには20歳からはじめて50歳になるくらいまで努力が必要であり、ロクロが一人前にひけるには少なくとも20-30年はかかるのだ。作家は自分自身の世界を築くことが目的であり、職人の修行とは違う。職人は不器用な人がいい。「作家先生になるのか、窯のオヤジになるのか」、は名窯に生まれた者への宿命の問いだ。器用な人はなかなか根気が続かない。不器用な人は修行という態度で一心に時間と労力を注ぐ。落語など伝統芸能の世界でも同じ言葉を聞く。不器用は一種の才能だ。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-14
03:01

6月14日 谷岡ヤスジ(漫画家)

『鼻血ブー』『アサー!』『オラオラオラ』 谷岡 ヤスジ(たにおか ヤスジ、男性、1942年8月29日 - 1999年6月14日)は、日本の漫画家。 登場キャラクターは殺されてもすぐに復活するし、作風はエログロナンセンスであっても、谷岡の作品の底流に流れているのは、どうしようもない人間という存在にに対する深い愛情のように思える。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-13
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6月13日 村田英雄(演歌歌手、俳優)

足がなくても歌は歌える 村田 英雄(むらた ひでお、1929年(昭和4年)1月17日 - 2002年(平成14年)6月13日)は、日本の演歌歌手、俳優。 NHK紅白歌合戦には1961年に初出場、1989年までに通算27回の出場を果たした。村田は野菜嫌いで肉食であったこともあり、その人生は「糖尿病との闘い」でもあった。35歳で糖尿病を発症。1996年には右膝下12センチで切断。2000年1月には左足も同様に切断し、車椅子生活となる。「足がなくても歌は歌える」は自ら鼓舞をした言葉である。生涯現役のまま、村田英雄の豪快な「人生劇場」は73年の幕を下ろした。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-12
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6月12日 木村次郎右衛門(長寿の男性)

責任の重さみたいなのを痛感している。1日でも長く元気でありたい 木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん、1897年(明治30年)4月19日 - 2013年(平成25年)6月12日)は、京都府京丹後市に在住していた長寿の男性である。 以上を総合すると、この人の長生きの秘訣は、体を使う農業、規則正しい生活、旺盛な好奇心、細い食の習慣、感謝の精神、、、などか。この人の肩書きに「長寿者」という肩書きがついているにのはびっくりした。生まれたのは19世紀の明治、15歳で明治が終わり、大正、昭和、そして終戦が48歳。それから戦後、平成、21世紀と生きぬく。存命人物のうち日本最高齢の男性になったとき、冒頭に掲げた言葉を語っている。記録保持をしている長寿者には長生きせねばならないという責任が生ずるのであろう。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-11
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6月11日 原田利勝(明和地所創業者)

掃き溜めに一輪の花のような存在だった 原田利勝(1938年2月10日-2007年6月11日)は、明和地所創業者。 このような事実をみると、この企業には一論の花といわれた創業者・原田利勝という人物の創業の精神が生きている感じがする。 【久恒啓一】 図解Web、プログ、Facebook、note、メルマガ ■Produced by KOELAB

06-10
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