熊本聖書教会の20分

語り手は長澤牧人。米国ニューヨークのユニオン神学大学院(Union Theological Seminary in the City of New York)で博士号(Ph. D)を取得。牧師であり神学校でも教鞭を取っている。

ふさわしい助け手

創世記2章18節から。なんかの形でつながっていれば、私たちは試練の時でも倒れにくくなります。つながり合うこと自体がキリスト者の奉仕です。つながると教会全体が強くなります。自分も他の人も倒れにくくなります。ただたんに生きていくだけなら一人でもいいわけです。でも神はふさわしい助け手を造りました。

05-09
12:51

資格はない

マルコによる福音書10章35節~45節から。アメリカでは1970年代に劣等感こそ諸悪の根源だと考えで教育改革が断行されました。ところが奇妙なことに、犯罪者は一般人より自己肯定感が高く、いじめっ子はいじめられっ子より自己肯定感が高く、モラハラ夫は普通の夫より自己評価が高いのです。イエスさまの言葉から自己評価について学びます。

04-20
17:03

ああ、わかった、こうしよう

ルカによる福音書16章1節~8節から。感情は心を動かします。心が動かないと選べません。選べないと行動できません。神は私たちになぜ感情を与えたのか?行動するためです。感情の役目は私たちを動かすことです。感情が私たちにとってマイナスになるのは、よく考えないで感情だけで動く時か、感情に飲み込まれて動けない時です。今日は感情との上手な付き合い方をイエスさまのたとえ話から学んでいきましょう。

04-02
14:34

下がれ

マルコによる福音書8章27節~35節から。人のことを思っても人の為になりません。むしろ神のことを思った方が人の為になります。人は自分のことを思った方が自分のためになると思っています。でも自分のことを思うより、神のことを思った方が自分のためになります。だから「下がれ!」です。

03-08
17:01

忘れる者を忘れない

イザヤ書49章14節~15節から。私たちがクリスチャンなのは、私たちが神を忘れないからじゃありません。神が私たちを忘れないから私たちはクリスチャンです。救いの保証は私たちの中にあるんじゃありません。救いの保証は、神が私たちを忘れない中にあります。

02-21
11:21

真理は方向

ヨハネによる福音書14章6節から。生き方の正しさというのは方向の正しさです。人生山あり谷あり。調子のいい時もあれば悪い時もあります。幸運な時もあれば試練の時もあります。だから人生の一場面だけ切り取ってみても、正しい人生か誤った人生かは分かりません。人生は向かっている方向、進んでいる方向が正しければ正しいのです。

02-08
14:34

着替える眼鏡

使徒の働き26章24節~29節から。自分が失敗した時、自分を笑える、あるいは自分が抱える問題を笑えるのが祝福です。問題を問題としか見ないでキリキリする人もいれば、パウロのように手錠を笑いに変える人もいます。手錠を手錠として見ては笑えません。眼鏡を着替えて、角度を変えて、違う風に見てこそ、手錠は笑いのネタになります。眼鏡を着替えて手錠を笑いのネタにしたパウロ。これがパウロが強かった秘密です。

01-24
13:28

愛はお年玉

ルカによる福音書14章12節~14節から。年賀状もお歳暮もお中元ももらったら返します。親切にしてもらったら、いつかその人に親切で返します。これは常識だし、人間ならやらなきゃいけないことです。でも人と人の関係はキャッチボールだけではありません。リレーという形もあります。愛はお年玉です。人生の中で価値のあるもの、大事なものは実はリレーの形もとります。

01-08
11:42

着替える眼鏡

使徒の働き26章24節~29節から。私たちはいろんなタイプの方々と関係を持っていきます。人生もいろいろ変化していきます。1つのものの見方や考え方にハマらない場面に遭遇します。対処法は二通りしかありません。現実を自分の考えに合わせて変えるか、自分の考えを現実に合わせるかです。自分の方を変えれる人はいろんな角度で物事が見れます。状況に合わせて、右から見たり、左から見たり、前から見たり、後ろから見たり。眼鏡を何種類も持っているようなものです。眼鏡は着替える時代です。いろんな見方、考え方ができることが私たちを救います。

04-21
19:02

お互いにとってのヨセフ

マタイによる福音書1章18節~25節から。マリヤはヨセフによって支えられました。ヨセフの支えがあったからこそイエス・キリストが生まれました。さて、もうすぐクリスマス。みなさんは誰と一緒にクリスマスを過ごしますか?みなさんにとってヨセフになってくれる人と過ごせたらいいですね。

12-23
12:40

あなたの信仰が治した

マルコによる福音書5章25節~34節から。福音書にチョクチョク出てくるフレーズがあります。それが「あなたの信仰があなたを直したのです」。ボクは以前から不思議でしょうがなかった。なんでイエスさまはわざわざこんな言葉を言うのか?今日はこの謎に挑戦します。

12-13
15:29

天の最高裁

テモテへの手紙第二4章1節から。みなさんの奥さん、ご主人、お父さん、お母さん、子供さん、上司、部下、お客さんにガミガミ裁かれても地裁の判決です。言っていることは正しいかもしれない、正しくないかもしれない。自分だってああだこうだ人について裁きます。でもお互いしょせん地裁の判決です。自分が裁くことも、相手が裁くことも、あまり深刻に取りすぎなくてもいいんです。真実は天の最高裁判所の判決だけです。

12-04
13:14

難しくなった恵み

士師記7章1節~7節から。「なんで自分だけこんなに苦労しなきゃいけないんだろう?」、「子育てするのに、仕事するのに、人がやらないような余計な苦労までしてやらなきゃいけない」。「神さま不公平じゃないですか?」。そう思うことがあるかもしれません。でも、みなさん、難しくなるから良くできる、難しくなるからちゃんとできるということもあるのです。

11-25
20:31

想像じゃなくて相談

箴言15章22節から。今日覚えたいのは、第1に人間は今の自分の感情で先を予想してしまうこと。第2に実際以上に悪く想像すること。第3に想像しなきゃいけないことが想像できないことです。恐れがある時は自分の想像を信じないで下さい。想像に勝つのは相談です。

11-15
16:07

鏡に映った自分の顔

イザヤ書43章3節~4節から。私たちはどういう人間でしょうか?4つあります。①自分が思う自分。②他人は自分のことをこう見ているだろうと自分が想像した自分。③他人が見ている自分。④神さまが見ている自分。ということは、自分といっても4つの自分がいるわけです。

11-08
15:52

神の流れに身をまかせ

エレミヤ書38章14節~20節から。自分の思い通りにならない状況になったら3つの選択肢があります。1つ目は流れに逆らってあくまでももがき続ける。2つ目は自分の意に反して流される。3つ目は流れに自分から身をまかせる。つまり自分の選択として流れに身をまかせるわけです。

10-29
14:32

隣人を愛するようにあなた自身を愛せよ

マタイによる福音書22章36節~39節から。神を愛するということの中には、神が気にかけておられる自分自身を大事にするということが含まれます。そして私たちが元気なら、他の人たち、つまり隣人に対して何か奉仕ができます。身体を壊したら人に何かしてあげれません。私たちを愛する神のために、そして隣人を愛するために自分自身を愛するのです。

10-08
12:22

自分なりのクリスチャン

使徒の働き11章19節~26節から。クリスチャンには決まった型がありません。だから誰一人同じクリスチャンがいません。クリスチャンになっても個性は消えません。私たちは自分なりのクリスチャンになっていい。自分なりのクリスチャンを目指せばいいんです。

09-25
16:24

唯一無二

自分が唯一無二であることに感謝しましょう。自分と同じ人間はだれ一人いません。そこに価値があります。自分がいなくなったら、もう宇宙に歴史に2度と同じ人は現れません。そうなるとやることはただ一つ。唯一無二の自分を生きることです。誰かのようになろうとせず、誰かのようでないことにガッカリしない。人生の使命は宇宙の歴史にただ1回、ただ一人だけ存在する自分を生きる。私たちが「こういう人になりたい」と思い描くのは、だいたい誰かのコピー。でも無理です。その人も唯一無二だから。コピーになるのでなく、唯一無二を生きましょう。

09-18
15:08

塩味の効いた返事

嫌なことの方が頭に残りやすいと言われています。嫌なことなら全部同じだけ頭に残るかというとそうじゃないんです。残りやすい順番があるそうです。人間関係で一番残るのは何だと思いますか?例えば夫婦の間で、上司との間で、友達の間で。さあ、何でしょう?答えは口喧嘩です。言い争ったことが一番残りやすい。聖書が勧めるのは言葉に塩味を利かすこと。どういう意味でしょうか?

09-11
15:59

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