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吉本隆明の183講演
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吉本隆明の183講演

Author: 吉本隆明の183講演

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「吉本隆明の183講演」は、
1960年代から2008年の「芸術言語論」に至るまでの
思想家の吉本隆明さんの講演をできるかぎり集めて
デジタルアーカイブ化したものです。

吉本隆明さんの講演は、書籍化されたものも多く、
その数から見ても、仕事の大きな部分を占めていました。
ひとつの講演に論文を書くような
労力をかけることもあったといわれ、
「名講演」と呼ばれるものもあります。
最初はとっつきにくいかもしれませんが、
書籍では味わえない吉本さんの生の声を
少しでも聞いていってください。
音声を文字に起こした講演もありますので、
はじめのうちは、文字を追いながら
講演を聞くのもおすすめです。
吉本隆明さんの講演音声とテキストの公開にあたり、
「父がいちばん、多くの人に、
たいらに聞いてほしいと思っていただろうから」
と、無料化を希望された
著作権継承者であるハルノ宵子さん、
『吉本隆明の声と言葉。』
『吉本隆明 五十度の講演』を
お買い上げいただき、
公開のための準備資金を投じてくださったみなさま、
投げ銭をしてくださったみなさまに御礼申し上げます。
183 Episodes
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【A024】政治と文学について 時間:45分 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1971年5月8日 主催:三田文学 場所:慶應義塾大学 三田校舎 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 音源について 文芸誌「三田文学」の主催。 録音者の話し声や 周辺のノイズが入り、 音質はあまりよくない。 講演より 去年の暮れ、三島由紀夫さんが、政治と文学について、 非常にショッキングなあり方を提供してくれました。 「芸術家が実行家に拮抗しうるとすれば、 死を描写するだけでなくて 自分が死んで見せなくちゃだめじゃないか」 というのが三島由紀夫さんの考え方のように思われます。 三島さんは自らその考えを実行されたわけですから、 そこのところで何もいいたくない気持ちですが、 考え方としては たいへん古い考え方というほかないと思います。 そして三島さんは、文学芸術の創造ということと、 それが書物として流布される過程とを、 うまく区別できていなかったのではないでしょうか。 創造の行為と、それが書物となって流布されることとは、 違うということを、本当の意味ではあまり 考えられなかったと思われるのです。 そのことは、ただ実感的に知っているだけでなく、 想像力を突き詰めていかなければならないことが あるように思うんです。
【A147】新・書物の解体学 時間:136分(うち質疑応答16分) 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1992年11月24日 主催:前橋市・煥乎堂 場所:前橋テルサ 8F けやきの間 収載書誌:未発表 音源について 「マリ・クレール」に連載された 書評集成である 『新・書物の解体学』が 同年8月に刊行されたことに際して 行われた講演。 テープ交換以降は 声が曇り聞きとりづらい。 講演より 〈健康な文学〉と〈健康でない文学〉ということで いまの文学を分けてしまったら、 いったいどういうことになるかというと、 本当の健康な文学というのも、 本当に病的な文学というのも、 両方とも描かれていないというのが 現状ではないかと思います。 やかましい書評をしてみれば、 そういうことになってしまうのではないかと思います。 「本を読むこと」は、必ずしも すぐれた作品にぶつかることであるとも限らないのです。 しかし、そのなかから何か搾り取ることが、 本の読み方で、さしあたっていちばんいい 読み方なのだとすれば、 見かけ上の健康さと不健康さの後ろに真実らしさとか、 真実の甘美さというものを見つけることが、 読むほうとしても大切なことなのではないかと 思えてなりません。 そこらへんのところまで行けたら、 さしあたって本の読み方としては いい読み方ということができるのではないかと思います。
【A015】実朝論

【A015】実朝論

2015-08-1504:59:05

【A015】実朝論 時間:299分 音質:5 ジャンル:文学 講演日:1969年6月5日/12日 主催:筑摩書房 場所:新宿・紀伊國屋ホール 収載書誌:中公文庫『語りの海2 古典とはなにか』(1995年)、弓立社『敗北の構造』(1972年) 音源について 2日間に分けて開催されたため、 途中で音質が異なっている。 音源は主催者提供。 吉本隆明はこの講演の2年後に 『源実朝』を刊行している。 講演より 文学にとって重要なことは、 どういう死に方をするかということだと思います。 なぜ文学にとって死に方が重要かといいますと、 死に方は、偶然には依存しないわけです。 ほとんど全面的に、作家あるいは詩人の思想、 資質そのものに依存するからです。 死に方が本質的でないと、 文学としてよみがえることができない、ということが いえると思います。 実朝という詩人は、中世では誰もが 西行と実朝というふうに数えざるをえない、 最大の詩人のひとりです。 実朝は鎌倉幕府の創始者であった源頼朝の次男で、 12世紀末から13世紀の初めにかけて生きた人ですが、 28歳で暗殺されています。 実朝が、本質的に生きたかどうかは、 そう簡単には決められませんが、 本質的に死にえた詩人だということは確かです。
【A155】中上健次私論 時間:60分 音質:3 ジャンル:文学 講演日時:1993年6月5日 主催:昭和文学会 場所:国学院大学常磐松2号館2階中講堂 収載書誌:未発表 音源について 昭和文学会の春季大会として 行なわれた講演。 当日は吉本隆明のほか 日高昭二氏らによる講演があった。 客席録音のためノイズが入るが 比較的クリアに収録されている。 講演より 〈都会に出た熊野人〉、 〈熊野という場所で育った熊野の子どもたち〉 というふたつの問題が、 中上さんの文学のふたつの足だと思います。 都会に出てきたアジア的田舎の人といえば、 ごくふつうになってしまいますが、 中上さんの作品のおもしろいところは、 都会に出てきたアジア以前の人、 つまりアフリカ的段階の人ということです。 それが中上さんの文学のひとつの特色です。 もうひとつの特色は、アフリカ的段階の自然、 つまり自然にまみれている自然人の子どもたちの特色を、 中上さんが非常によく描写していることです。 これが中上文学のふたつの足である、と思います。 この講演のテキストを読む
【A064】文学の新しさ 時間:120分(うち質疑応答25分) 音質:5 ジャンル:文学 講演日時:1982年1月21日 主催:京都精華大学 学生部 場所:京都精華大学 収載書誌:未発表 音源について 京都精華大学大教室で行われた。 一般の人にも開放され、 他大学の学生の参加も多かった。 音源は主催者提供。 講演最後が欠けているため、 客席から録音したもので補っており、 この部分は聞き取りづらい。 質疑応答は冒頭と最後が欠けている。 講演より 現在の文学や芸術、芸能では、 実際の現実的な価値、物質的な価値に対して、 イメージの価値が大なり小なり付加されていて、 その全体を指してある価値様式を考えているというのが、 われわれがおかれている環境です。 このイメージの世界が大規模になると考えると、 誰にとっても管理されている時間帯は 増えていくだろうということが、 現在の「新しさ」の根底にある問題だと思います。 その問題をどう考えるかが、 現在の文学の根底にある問題だと思います。 この講演のテキストを読む
【A142】現代文学のゆくえ 時間:88分 音質:3 ジャンル:文学 講演日時:1992年10月5日 主催:東急文化村/ドゥマゴ文学賞事務局 場所:渋谷・シアターコクーン 収載書誌:未発表 音源について 吉本隆明が選者をつとめた 「Bunkamuraドゥマゴ文学賞」 の記念講演。 この年受賞作に選んだのは 三田英彬氏による 『芸術とは無慚なもの― 評伝・鶴岡政男』 で、吉本の講演の後には 三田氏による講演があった。 音源は主催者提供。 講演より 現在、高度な先進的社会で流行っている イメージのつくり方が文学のなかにあります。 「自分の姿が自分で客観的に見えてしまって、 やっている行為自体がぜんぶしらけてしまう」 という描かれ方です。この問題は、引き延ばしてみると 現在の先進的な社会が当面している問題の大きな部分と 共通のところを占めていると思います。 先進的な社会のひとつである日本でアンケートをとると、 89%の人は「自分は中流の生活をしている」という 結果が出てきます。 これはある意味で不気味な数字だし、 たいへんなものだと思います。 世界の先進的な社会で、9割9分の人が 「自分は中流の生活をしている」 という社会がやってくることは、 わりあいに近未来だといったほうがいいような気がします。 それはたいへんな社会です。 どこかでカタストロフィ、破局をつくらないと 文学にはならないでしょう。 「しらけ方」も、破局をもたらすような 描き方を必要とすることになりそうな感じがします。 この講演のテキストを読む
【A039】枕詞の空間

【A039】枕詞の空間

2015-08-1501:54:45

【A039】枕詞の空間 時間:114分 音質:4 ジャンル:文学 講演日時:1977年7月6日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:中公文庫『語りの海3 新版・言葉という思想』(1995年) 音源について 詩誌「無限」を発行していた 株式会社無限主催 「無限アカデミー・現代詩講座」 での講演。 ライン録音されたものではないが クリアに収録されている。 講演より 宮沢賢治に「林と思想」という詩があります。 この詩の根源的情緒は、昔の人のいい方でいえば、 霧をいう場合に「ほのゆける霧」、あるいは 「いさらなみ霧」と表現されたものだと思います。 大昔においては、現在では意味がつかめない言葉を、 枕詞として上につける習慣が詩に限ってあったのです。 この「いさらなみ霧」の情緒と、 宮沢賢治の詩の情緒というのはまったく同じです。 ただ古代人たちが自明の理として考えた 眼に見えないポエジーの空間──ふたつの言葉を 並べることによってそのあいだに 想定したポエジーの空間──だけを再現し、 再現の結果としての「ほのゆける霧」あるいは 「いさらなみ霧」という表現を拒否しているのが 現代の詩だとみなしますと、 現代詩に対するひとつの一貫した考えに なるのではないかと思います。
【A069】共同幻想とジェンダー 時間:163分 音質:★★ ジャンル:思想 講演日時:1983年2月12日 主催:フォーラム・人類の希望/新評論 場所:四谷公会堂 収載書誌:弓立社『超西欧的まで』(1987年) 音源について 「いま、性と労働を問う」 のシンポジウムでの講演。 山本哲士氏の講演を受けはじまる。 講演後には吉本隆明、 山本哲士氏、河野信子氏による パネルディスカッションを収録。 テープチェンジのため音が欠ける。 音質はあまりよくない。 講演より 19世紀以降、資本主義社会の興隆期に入ってから、 なぜ男女の特性が生産労働過程で無視できると 考えられたのでしょうか。 マルクスの考え方は、労働時間の問題が重要なので、 どういう生産物をつくったか、 どういう質の労働を加えたかという差異は、 あったとしても大したことではないというものです。 イリイチの考え方からいうと、 こんな状態を許しておいたからこそ、 男女の賃金格差は拡がり、 女性は影の仕事に追い込まれるという事態が 生じてしまったことになります。 資本主義の一種の停滞成長期である現在、 どうして改めて生産労働過程における性という問題が とりあげられなければならないのか──それが イバン・イリイチという思想家の 根本的な問題意識だと思います。
【A068】〈若い現代詩〉について 時間:130分 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1982年12月8日 主催:詩誌「無限」事業部 場所:明治神宮外苑絵画館文化教室 収載書誌:未発表 音源について 詩誌「無限」を発行していた 株式会社無限が主催。 本講演の3か月ほど前に行われた 講演「若い現代詩」を 引き継ぐものとなっている。 録音者の手元でのノイズが入る。 講演より 街頭で瞬間的に飛び交っていく言葉には、 話し言葉という意味あいと、もうひとつ 「発声状態の言葉」という意味あいがあるような 気がします。 取り交わされた瞬間にとらえられた 「発声状態の言葉」という意味あいで、 街頭で飛び交う言葉を瞬間的にとらえることができれば、 それはそうとうラディカルな言葉になるのではないかと 思います。 このラディカルな状態の言葉をとらえるということは、 現在の詩が当面している とても大きな問題のように思えます。 そのことは、街頭で取り交わされている言葉を、 高度な詩にまで適用できる通路ができてきたということの 証拠なのではないかという気がします。 この講演のテキストを読む
【A165】顔の文学

【A165】顔の文学

2015-08-1501:56:581

【A165】顔の文学 時間:117分 音質:3 講演日時:1994年11月24日 主催:本郷青色申告会 場所:本郷青色申告会館 収載書誌:未発表 音源について 音源は主催者から提供。 講演冒頭が欠けており、 客席録音だが比較的クリア。 講演より 人間の声というのは、 音で識別する顔の表情だということができます。 本当の顔の表情は目で見て識別するわけですけれど、 人間の声というのもやはりひとつの顔の表情なのです。 その場合の顔というのは比喩ですが、 声というのは音で識別する顔の表情だと いうこともできるわけです。 顔という言葉をそういう使い方をすると、 もっと極端な使い方ができます。 たとえば「おれの顔を立ててくれ」というでしょう。 文学と関係が深いのは、主として比喩としての顔、 あるいは顔の表情です。 日本の古典文学というのは、 「もののあはれ」を主題にした物語か、 そうでなければ「顔を立てる」物語かの ふたつに大別することができます。 いかに顔を立てるか、立てないかという問題、 つまり「顔の文学」というものは、 「もののあはれ」の文学と同じように民族の深層、 無意識の奥深くまで届いている問題なのです。 この講演のテキストを読む
【A037】情況の根源から 時間:88分 音質:5 ジャンル:情況 講演日時:1976年6月18日 主催:三上治 場所:品川公会堂 収載書誌:三上治「乾坤」創刊号(1976年) 音源について 三上治氏が主催した集会での講演。 クリアに収録されているが テープ欠落のため途中まで収録。 講演より 私たちが当面している情況を考えてみますと、 ひとりの人間としても、職場の組織のなかにおいても、 政治運動のなかにおいても、 当事者にとっては重要で切実な事柄が、 当事者以外の者にとっては切実でもないし 何でもないと思えるという分裂が とても極端だということが、あげられると思います。 この問題は夫婦的な規模で申し上げることも、 国家的な規模で申しあげることもできます。 なぜこういう問題に当面しているのかというと、 古典的な政治・国家像、社会像が崩壊しつつあることが 考えられます。経済的・社会的権力が国家的に組織され、 政治的国家権力自体に対しても、大衆に対しても、 大きな力を及ぼすように変貌しつつあるということは 情況的でもあり、かつ本質的な問題ではないかと 僕には思われます。 この講演のテキストを読む
【A173】文学の戦後と現在──三島由紀夫から村上春樹、村上龍まで 時間:198分 音質:5 ジャンル:文学 講演日:1995年7月24日 主催:日本近代文学館 後援・読売新聞社 場所:有楽町・よみうりホール 収載書誌:朝日出版社『埴谷雄高・吉本隆明の世界』(1996年) 音源について 恒例で参加していた 「近代文学館・夏の文学教室」 での講演。この年のテーマは 「戦後50年の文学」。客席は満席。 音源は主催者提供。聞き取りやすい。 講演より 文学作品はいつもある時代の作品です。 『源氏物語』は別な面から見ると ものすごいジャーナリズム小説なんです。 当時の誰それが失恋して失踪したとか、 そういう風俗的な事件がとてもよく入っているんです。 いま読むとその面が沈んで 僕らもよくわからなくなっているけど、 よくよく見れば当時あった人が騒いだ事件は ことごとく作品のなかにおさめられています。 そのように、ある作品が長生きするかどうかということは 偶然性にもよりますが、いずれにせよ時代の風俗性と、 永続性みたいなものが両方ないと、 長生きはしないということがいえそうな気がします。
【A067】個の想像力と世界への架橋 時間:83分 音質:2 ジャンル:文学 講演日時:1982年11月13日 主催:現代短歌シンポジウム実行委員会 場所:千代田区一ツ橋・一橋講堂 収載書誌:雁書館『’82現代短歌シンポジウムin東京・全記録』(1983年) 音源について 「’82現代短歌シンポジウムin東京」 として2日間にわたり開催された シンポジウム幕開けの講演。 冒頭、佐々木幸綱氏による 開会の挨拶が収録されている。 録音者の手元ノイズが入っている。 講演より 高橋源一郎さんの『さようなら、ギャングたち』という 作品が問題にしていることは、 現在の詩歌が当面している問題そのものであるといえます。 この作品では、ラディカルな詩の概念というものが、 伝統的な言葉の様式からは出てこないで、 何もかもむなしくされてしまい、 現在の原初的な刺激を 無意識の底から受け入れたときに生まれる言葉から 出てくるかもしれないという考え方が 成り立っているのです。 現在、詩的な表出のすべてが 直面している物語性の解体というところで、 短歌の領域でも同じような問題が 本格的に出てきているんじゃないかと 思われてならないのです。 この講演のテキストを読む
【A029】親鸞について 時間:97分 音質:2 ジャンル:宗教 講演日時:1972年11月12日 主催:大谷大学 学園祭実行委員会 場所:大谷大学 収載書誌:春秋社『〈信〉の構造 PART1』(2004年) 音源について 冒頭部分が欠けており、 前半はテープノイズがひどく、 たいへん聞き取りづらい。 質疑応答は、途中 二度欠落している個所がある。 講演より 親鸞は、「絶対他力」の思想を根底におく、 日本ではたいへん珍しいタイプの思想家だと思います。 僕は、家が浄土真宗だということを除いては、 宗教もイデオロギーも信じていないし、 「自立」ということばかりいうまことに不肖の者ですが、 若いときから親鸞は好きで、 まったく反対なことをいっているとは ちっとも感じられないところがあります。 それはおそらく、親鸞の自己解体の過程が、 「絶対他力が同時に絶対自力というものを包括する」 というところを指し示しているからではないかと 考えられるんです。
【A017】言葉の根源について 時間:89分 音質:3 ジャンル:思想 講演日時:1970年5月 主催:桐朋学園 場所:桐朋学園 収載書誌:中公文庫『語りの海3』(1995年) 音源について 桐朋学園土曜講座での講演。 客席から録音されたものだが クリアに収録されている。 途中で声が遠くなるのは 吉本隆明が黒板を使用するため。 講演より 沈黙というと「ぼんやりしている状態」と 思われがちですが、沈黙も言語表現なのです。 ある人が何もしゃべっていなくても、 その人の意識の内部には何かがある、ということです。 黙っていても、その人の 主観的あるいは意識的な状態がわかるとか、 表現されているとか、感じる場合があるでしょう。 それは、沈黙の言語が、内的意識の時間性、空間性に 解体して存在しているからなのです。 外からは憶測するよりしかたがないのですが、 まったく無意味なのではなく、 その人の主観や意識の内部はたいへん満たされていて、 何かしゃべられているのかもしれない、 というようなしゃべり方がありうるわけです。
【A111】荒地派について 時間:73分 音質:4 ジャンル:文学 講演日時:1988年8月3日 主催:関東学院大学文学部/関東ポエトリ・センター 場所:関東学院大学葉山セミナーハウス 収載書誌:未発表 音源について 主催者から提供を受けた VHSテープから 音声データを抜き出した。 クリアに収録されているが、 冒頭の司会と前半部に ノイズと残響音がある。 講演より 三好達治の詩でも立原道造の詩でも、中原中也の詩でも、 半ば無意識的に最初の言葉さえぶつけられれば、 そこから意識の持続がある限り詩は成り立って、 持続が終わったときは詩が終わる。 そういうものが一般的に詩と考えられるとすれば、 荒地派の詩人たちが日本の詩のなかにもたらした 方法というのは、 「推敲可能な詩が書ける」ということです。 流れを止めて考え込む、 立ち止まって自分が書いた詩の一行を 自分でじっと検討してみる──そういう詩の書き方が 可能だということをはじめて教えてくれたのが、 荒地派の詩だと思います。 この講演のテキストを読む
【A051】〈アジア的〉ということ 時間:133分 音質:5 ジャンル:思想 講演日:1979年7月15日 主催:北九州市小倉・金榮堂 場所:北九州市小倉・毎日会館ホール 収載書誌:弓立社『document 吉本隆明 1号』(2002年) 音源について 北九州小倉にある書店、金榮堂の 創立65周年記念として行われた。 暑いなか450名がかけつけた。 音源は主催者提供。かなりクリア。 講演より アジア的地域では、極端にいいますと、 村落共同体が世界の広さであり、 地球が世界の広さではないのです。 自分の利害の関係のないところで どんなことが行われようと、 自分のところに響いてこなければ関係ないよという 考え方は、みなさんのなかにもあるでしょう。 アジア人はぜんぶ思い当たるはずです。 それは一見すると、超近代的なかたちで 若い人たちのあいだでも 出てくるかもしれませんけれども、 それには二重性がある、 それは〈アジア的〉心性かもしれないと 疑ったほうがいいと思います。 個々の人間の意識の働かせ方のなかに、 やはり〈アジア的〉な村落共同体的な要素は残っています。 それはどのようにしたらいいほうに働くのか、 どうしたらよくないように働くのか、 どうしたら自然に亡びてしまうものなのか。 それを考えることが僕らに課せられているのです。
【A168】「知」の流通──「試行」刊行から34年……現在 時間:121分(うち質疑応答26分) 音質:3 講演日時:1995年2月10日 主催:地方・小出版流通センター 場所:幕張プリンスホテル 収載書誌:未発表 音源について 地方・小出版流通センター 20周年記念イベントの講演。 やや音声が曇っているが 比較的クリアに収録されている。 講演より 流通のやり方を決めていく決め手というのはもちろん 上のほうから決まっていくのが常道ですが、 消費資本主義、現在の高度な資本主義が突入した段階から いいますと、逆が成り立つということです。 つまり「価格破壊」が成り立つのであって、 それは別の言葉でいえば、 「消費者第一主義」ということを意味します。 消費資本主義の段階で誰が価格を決めるのかというと、 消費者が決めるわけです。 それにいちばん近いかたち、いちばん便利で安いかたちで 提供を受ける権力というのはどこなんだとか、 やり方はあるのかというのは、 僕が「試行」という雑誌をはじめてから 一生懸命考えてきたことです。 その原則、原理だけはいまでも通用すると思いますし、 いまのほうがある意味ではかえって 通用する段階になっているのかもしれません。 この講演のテキストを読む
【A026】自己とは何か──キルケゴールに関連して 時間:113分 音質:2 ジャンル:思想 講演日時:1971年5月30日 主催:大学セミナーハウス 場所:新宿・紀伊国屋ホール 収載書誌:弓立社『敗北の構造』(1972年) 音源について 第38回大学共同セミナーで講演。 テープ劣化のためノイズが多く、 音質はよくない。 講演より 結婚して子どもを生み、そして子どもに背かれ、 老いてくたばって死ぬ、そういう生活者を もしも想定できるならば、 そういう生活のしかたをして生涯を終える者が、 いちばん価値がある存在なんだ──人間存在の 価値観の規準はそこにおくことができると、 僕は考えました。 だから、もっとも価値ある生き方とは何かと問われたとき、 日々繰り返される生活の問題以外には あまり関心を持たないで、生まれて老いて死ぬという 生き方がもっとも価値ある生き方だ、 というほかはありません。 どんな人間でも、大なり小なりその規準からの逸脱として、 食い違いとして、生きていくわけですが、 キルケゴールなんかには ぜんぜん関心がないという生き方は、 もっとも価値ある生き方だということができます。
【A063】物語の現象論 時間:99分 音質:4 ジャンル:文学 講演日時:1981年11月21日 主催:早稲田大学文学部 文芸専攻 場所:早稲田大学文学部 453教室 収載書誌:未発表 音源について 早稲田大学文学部・文芸専攻によって 課外講演会として行われた講演。 たいへんクリアに収録されているが、 質疑応答の途中でテープが切れる。 講演より 現在、イメージの生活世界が膨大になってきています。 私たちは、実質的な生活世界からイメージの世界へ行き、 またそこから降りてきて眠るということを 絶えずやらなくてはいけなくなっています。 どうしてもそこを通過していかなくてはいけない 必然の通路みたいに、イメージの世界は存在しています。 そういう世界を膨らませているのが、 物質的な価値にイメージの価値をつけ加えたい、 イメージの価値で競争したいという衝動であることは 非常に明瞭です。 文学作品が、価値のある世界を実現したいと考えるならば、 「イメージの世界の厚みをくぐり抜けてその果てに出る」 ということがどうしても必須条件になります。 それが、文学にとっての本質的な衝動です。 どうやってそれが実現可能なのかということが、 批評にとっても創造にとっても 最後に出てくる問題だと思います。
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Comments (1)

Fouali Mouad

何も聞こえないのです

Apr 16th
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