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Voice of Seele
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Author: VoiceofSeele
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Description
ドイツの「非常にスピリチュアルなひと」の定義をベースにその時々の等身大の私がありのままに体験談をお話ししています。
1回目はこのドイツで「非常にスピリチュアルなひと」の定義についてなるべくわかりやすいお伝えしたいと思っています。
2回目は尊厳について
3回目以降は「霊性(スピリチュアル=精神性=心)の善悪を愛へと育てるための企画」ホワイトホールの法則を使い、精進や努力では無く"恵み"による方法について順次配信していきます。
愛とは創造主と同じ慈悲深い愛への聖化を起こしてもらうこと。
それは精進や努力や行いではなく"恵み"として与えてもらえることが大切なのです。
なぜなら人間が誰も誇らないためです。
Voice of SeeleのHP ぜひ参考にして個々の魂で実践をしてみてください(^^)
https://site-3807662-4851-3213.mystrikingly.com
人間の自立について(ブログ記事)
https://site-3807662-4851-3213.mystrikingly.com/blog/314e5fce65f
偉大なる存在に養ってもらう(ブログ記事)
https://site-3807662-4851-3213.mystrikingly.com/blog/3a37e111ac6
1回目はこのドイツで「非常にスピリチュアルなひと」の定義についてなるべくわかりやすいお伝えしたいと思っています。
2回目は尊厳について
3回目以降は「霊性(スピリチュアル=精神性=心)の善悪を愛へと育てるための企画」ホワイトホールの法則を使い、精進や努力では無く"恵み"による方法について順次配信していきます。
愛とは創造主と同じ慈悲深い愛への聖化を起こしてもらうこと。
それは精進や努力や行いではなく"恵み"として与えてもらえることが大切なのです。
なぜなら人間が誰も誇らないためです。
Voice of SeeleのHP ぜひ参考にして個々の魂で実践をしてみてください(^^)
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人間の自立について(ブログ記事)
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52 Episodes
Reverse
おまけ録音を追録でしました。オズワルドのデポーショナルの代読The Changed Lifeです。
訂正: 2月15日と言っていますが12月15日(2022年)の言い間違えです。
(Podcsatでは触れられませんでしたが『悔い改め』自体も実際には自力では無いと私も感じていましたらオズワルドもそのように言っていました。)
====<サタンの技について>====
'すると、ペテロはイエスをわきへ引き寄せて、いさめはじめ、「主よ、とんでもないことです。そんなことがあるはずはございません」と言った。
イエスは振り向いて、ペテロに言われた、「サタンよ、引きさがれ。わたしの邪魔をする者だ。
あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」。 '
マタイによる福音書 16:22-23口語訳
'世と世にあるものとを、愛してはいけない。
もし、世を愛する者があれば、父の愛は彼のうちにない。
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、持ち物の誇は、
父から出たものではなく、世から出たものである。 '
ヨハネの第一の手紙 2:15-16口語訳
<救いにあずかる>
'あなたがたの救われたのは、実に、恵みにより、信仰によるのである。
それは、あなたがた自身から出たものではなく、神の賜物である。
決して行いによるのではない。それは、だれも誇ることがないためなのである。 '
エペソ人への手紙 2:8-9口語訳
<信仰とは>
'さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。
信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、
したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。 '
ヘブル人への手紙 11:1-3口語訳
<魂の休み>
'すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。
あなたがたを休ませてあげよう。
わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。
そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。
わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」。'
マタイによる福音書 11:28-30口語訳
<砕けた魂について>
'神の受けられるいけにえは砕けた魂です。
神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません。'
詩篇 51:17 JA1955
'だから、神の御旨に従って苦しみを受ける人々は、善をおこない、
そして、真実であられる創造者に、自分のたましいをゆだねるがよい。'
ペテロの第一の手紙 4:19口語訳
'その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、
なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。 '
ヘブル人への手紙 12:9
<陰府について>
わたしの魂は悩みに満ち、わたしのいのちは陰府に近づきます。
詩篇 88:3 JA1955
陰府と滅びとは主の目の前にあり、人の心はなおさらである。
箴言 15:11 JA1955
主よ、あなたはわたしの魂を陰府からひきあげ、
墓に下る者のうちから、わたしを生き返らせてくださいました。
詩篇 30:3 JA1955
<<神の言について>>
'初めに言があった。
言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。 すべてのものは、これによってできた。
できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。 '
ヨハネによる福音書 1:1-4
'聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、
人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。
それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、
完全にととのえられた者になるのである。'
テモテヘの第二の手紙 3:16-17
(「神の前で格闘すること」このデボーショナルを日本語訳をしBlogに転載していますのでご参考までにどうぞ)
<御霊(聖霊)の実>
'しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、
寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、
これらを否定する律法はない。 '
(ちなみにドイツ語聖書では「忠実」は"誠実"という意味が含まれているところがありました。)
ガラテヤ人への手紙 5:17,22-23
'わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。
そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、
また御霊の欲するところは肉に反するからである。
こうして、二つのものは互に相さからい、
その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。
もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。 '
ガラテヤ人への手紙 5:16-18 口語訳
<光と闇>
'神と交わりをしていると言いながら、もし、やみの中を歩いているなら、
わたしたちは偽っているのであって、真理を行っているのではない。 '
ヨハネの第一の手紙 1:6口語訳
人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。
わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。
ヨハネによる福音書 6:63 JA1955
<イエスがこの世に来たこと>
'あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。
あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。 '
ルカによる福音書 12:51口語訳
<水のバプテスマ>
'イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。
だれでも新しく生れなければ、神の国を見ることはできない」。 '
ヨハネによる福音書 3:3口語訳
<自由について>
'だから、もし子があなたがたに自由を得させるならば、
あなたがたは、ほんとうに自由な者となるのである。 '
ヨハネによる福音書 8:36口語訳
<喜びについて>
わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、
また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
ヨハネによる福音書 15:11 JA1955
<神と富について>
'どの僕でも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。
一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。
あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない」。'
ルカによる福音書 16:13口語訳
(ちなみにこの「富」についてドイツ語ルター版聖書は「富」がアムル語の'マモン'でした。
そこでKJV(キング・ジェームスバージョン)を確認するとやはりアムル語のマモンと表記されていました。
しかしNKJは富や財の英語表記になっていました。
その他の翻訳では、オズワルドの引用先になっているNIVも英語の富や財でした。
他にもノルウェー語聖書(NB)やイタリア語聖書(1885)はアムル語表記はされず、日本語口語訳(JA1955共に)などと同じ翻訳でした。)
'だから、あすのことを思いわずらうな。
あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。
一日の苦労は、その日一日だけで十分である。'
マタイによる福音書 6:34口語訳
'あすのことを誇ってはならない、
一日のうちに何がおこるかを 知ることができないからだ。 '
箴言 27:1口語訳
<<神が喜ぶこと>>
神のみこころは、あなたがたが清くなることである。
すなわち、不品行を慎み、
テサロニケ人への第一の手紙 4:3 口語訳
https://my.bible.com/ja/bible/1820/1TH.4.3.口語訳
'もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、
彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、
すべての良いわざに間に合うようになる。 '
テモテヘの第二の手紙 2:21
肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、
たましいの父は、わたしたちの益のため、
そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。
ヘブル人への手紙 12:10
すべての人と相和し、また、自らきよくなるように努めなさい。
きよくならなければ、だれも主を見ることはできない。
ヘブル人への手紙 12:14
'わたしは神の熱情をもって、あなたがたを熱愛している。
あなたがたを、きよいおとめとして、
ただひとり男子キリストにささげるために、婚約させたのである。 '
コリント人への第二の手紙 11:2 口語訳
'悲しみは笑いにまさる。
顔に憂いをもつことによって、 心は良くなるからである。 '
伝道の書 7:3
'むなしい物に迷って行ってはならない。
それは、あなたがたを助けることも救うこともできないむなしいものだからである。 '
サムエル記上 12:21 口語訳
'十字架の言は、滅び行く者には愚かであるが、救にあずかるわたしたちには、神の力である。
すなわち、聖書に、 「わたしは知者の知恵を滅ぼし、 賢い者の賢さをむなしいものにする」 と書いてある。
知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。
この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。
この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。
それは、神の知恵にかなっている。
そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。 '
コリント人への第一の手紙 1:18-21
追録は聖書の通りになった不思議話です。黙示録は今回が最後です。
本編より追録のほうが余談も入って長くなってしまいましたが、よろしければどうぞ最後までお付き合いください。(「敵を愛するとはどういうこと?」と問いかけましょう。)
ヨハネの黙示録7,8,9,10,11章まで代読しました。
追録は気が狂っている件についてです(^_^;)
追録にて、不思議体験には2種類あるのではないかという話をしました。
インナーチャイルドがいない方にも解決策がありますのでぜひお聴きください。
「今生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。
それによっておい育ち、救に入るようになるためである。」
ペテロの第一の手紙 2:2 口語訳
追録もぜひお聴きください。(だから私のインナーチャイルドは終わりの時を
楽しみにしているんです。
それは旧約聖書の
ダニエル書8章の14にある
「彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。
そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。」
ダニエル書 8:14 口語訳
https://bible.com/bible/1820/dan.8.14.口語訳
ダニエル書 8:15-19 口語訳
「われダニエルはこの幻を見て、その意味を知ろうと求めていた時、見よ、人のように見える者が、わたしの前に立った。
わたしはウライ川の両岸の間から人の声が出て、呼ばわるのを聞いた、「ガブリエルよ、この幻をその人に悟らせよ」。
すると彼はわたしの立っている所にきた。
彼がきたとき、わたしは恐れて、ひれ伏した。
しかし、彼はわたしに言った、「人の子よ、悟りなさい。この幻は終りの時にかかわるものです」。
彼がわたしに語っていた時、わたしは地にひれ伏して、深い眠りに陥ったが、彼はわたしに手を触れ、わたしを立たせて、 言った、「見よ、わたしは憤りの終りの時に起るべきことを、あなたに知らせよう。それは定められた終りの時にかかわるものであるから。」
ダニエル書 8:15-19 口語訳
https://bible.com/bible/1820/dan.8.15-19.口語訳
ダニエル書 8:26-27 口語訳です。
「先に示された朝夕の幻は真実です。
しかし、あなたはその幻を秘密にしておかなければならない。
これは多くの日の後にかかわる事だから」。
われダニエルは疲れはてて、数日の間病みわずらったが、後起きて、王の事務を執った。しかし、わたしはこの幻の事を思って驚いた。またこれを悟ることができなかった。」
ダニエル書 8:26-27 口語訳
https://bible.com/bible/1820/dan.8.26-27.口語訳
マタイによる福音書 24:4-22 口語訳です。
「そこでイエスは答えて言われた、「人に惑わされないように気をつけなさい。 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。
また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。
注意していなさい、あわててはいけない。
それは起らねばならないが、まだ終りではない。
民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。
またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。
しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである。
そのとき人々は、あなたがたを苦しみにあわせ、また殺すであろう。
またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての民に憎まれるであろう。
そのとき、多くの人がつまずき、また互に裏切り、憎み合うであろう。
また多くのにせ預言者が起って、多くの人を惑わすであろう。
また不法がはびこるので、多くの人の愛が冷えるであろう。
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。
そしてこの御国の福音は、すべての民に対してあかしをするために、全世界に宣べ伝えられるであろう。
そしてそれから最後が来るのである。
預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、 そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。
畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。
その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
(「もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。」
マタイによる福音書 24:22 口語訳
https://bible.com/bible/1820/mat.24.22.口語訳 )
もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。」
マタイによる福音書 24:4-22 口語訳
https://bible.com/bible/1820/mat.24.4-22.口語訳
なのでイエスは
「わたしが父におり、父がわたしにおられることを信じなさい。
もしそれが信じられないならば、わざそのものによって信じなさい。」
ヨハネによる福音書 14:11 口語訳
https://bible.com/bible/1820/jhn.14.11.口語訳
とイエスさまも言っていますね。 追録: ヘブル人への手紙 11:1-40 口語訳
https://bible.com/bible/1820/heb.11.1-40.口語訳
御霊の実についてガラテヤ5:19〜25
「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」
ガラテヤ人への手紙 5:22-23 口語訳
https://bible.com/bible/1820/gal.5.22-23.口語訳
ヨハネ第二の手紙1:9〜11です。
「すべてキリストの教をとおり過ごして、それにとどまらない者は、神を持っていないのである。
その教にとどまっている者は、父を持ち、また御子をも持つ。
この教を持たずにあなたがたのところに来る者があれば、その人を家に入れることも、あいさつすることもしてはいけない。
そのような人にあいさつする者は、その悪い行いにあずかることになるからである。」
ヨハネの第二の手紙 1:9-11 口語訳
ヨハネによる福音書 5:30です。
「わたしは、自分からは何事もすることができない。ただ聞くままにさばくのである。そして、わたしのこのさばきは正しい。それは、わたし自身の考えでするのではなく、わたしをつかわされたかたの、み旨を求めているからである。」
ヨハネによる福音書 5:30 口語訳
ヨハネの福音書の15:1〜7です。
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。
あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。 わたしにつながっていなさい。
そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。
枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。
人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。
人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。
あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。」
ヨハネによる福音書 15:1-7 口語訳
ヤコブの手紙4章ではなく次の5章でした。5:13より
「あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は、祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人は、さんびするがよい。」
ヤコブの手紙 5:13 口語訳
https://bible.com/bible/1820/jas.5.13.口語訳
箴言16:4〜5です。
「主はすべての物をおのおのその用のために造り、
悪しき人をも災の日のために造られた。
すべて心に高ぶる者は主に憎まれる、 確かに、彼は罰を免れない。」
箴言 16:4-5 口語訳
ヨハネの福音書5章14です。
「そののち、イエスは宮でその人に出会ったので、彼に言われた、「ごらん、あなたはよくなった。もう罪を犯してはいけない。何かもっと悪いことが、あなたの身に起るかも知れないから」。」
ヨハネによる福音書 5:14 口語訳
(このひとは38年もの間病を患っていた方でしたね。)
ヨハネによる福音書3章36です。
「御子を信じる者は永遠の命をもつ。
御子に従わない者は、命にあずかることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまるのである」。」
ヨハネによる福音書 3:36 口語訳
(「不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。」
ヤコブの手紙 4:4 口語訳 )
テモテへの第二の手紙 4章3〜8
「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう。
しかし、あなたは、何事にも慎み、苦難を忍び、伝道者のわざをなし、自分の務を全うしなさい。
わたしは、すでに自身を犠牲としてささげている。
わたしが世を去るべき時はきた。
わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。
今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。
わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう。」
テモテへの第二の手紙 4:3-8 口語訳
補足ですが
信仰とは以前にも配信した通りヘブルびと11:1にある
「さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。」
ヘブル人への手紙 11:1-2 口語訳
「主が、あなたの霊と共にいますように。恵みが、あなたがたと共にあるように。」
テモテへの第二の手紙 4:22 口語訳
https://bible.com/bible/1820/2ti.4.22.口語訳
今回は前回配信したたった1週間で私にとってはかなり劇的変化が起こったのでその体験談を聖句と共にお話しました。相変わらずうまく話せていません。例えば部屋の移動の場所の(実際は南西から東へ)説明などまだ脳に障害が残っているようで自分では話しているつもりになっているのです。
これらのことは福音の「聖化」に重要なことでは無いため再録音せずに配信しています。どうぞご理解のほどよろしくお願いいたします。
福音の醍醐味である「聖化」による作り替えは個人の努力でも精進でもない人間の霊性(スピリット/心の善悪)をキリストを通して神と同じ愛へと直してくれる教訓は本当に素晴らしいと日々感じているところです。
聖書の自分を愛するとは「自分の魂を愛する」と言う意味ですから「隣びと」も同様の意味となります。
ぜひヘブル語(ヘブライ語)解釈で整合性のある理解を互いに進めて励ましあいを深めましょう。
(魂で聖書(新旧)を読むとヘブル語解釈になっていることに気づかされました。スピリット(心)で読むと反発がブロックが必ずかかりますし
トラウマがあると読む進めることが困難になってしまいます。聖書の価値観はこの地とは真逆だと言うことは昨年お話しした通りですが
神学者で牧師でもあったオズワルド・チェンバーズも同じことを言っています。オズワルドの過去の著書7冊は英語でフリーで読むことができます。
私は聖書心理学がとても興味深いと思っています。日本語ですと無料の聖書アプリ(Youバージョンの短いデボーションが2種類だけあります、私も繰り返し読み続けるようにしています。)
今回配信の中で代読し聖句を体験談と共に説明しながら読んだヤコブの手紙4章
'あなたがたの中の戦いや争いは、いったい、どこから起るのか。それはほかではない。
あなたがたの肢体の中で相戦う欲情からではないか。 あなたがたは、むさぼるが得られない。そこで人殺しをする。
熱望するが手に入れることができない。そこで争い戦う。
あなたがたは、求めないから得られないのだ。 求めても与えられないのは、快楽のために使おうとして、悪い求め方をするからだ。
不貞のやからよ。世を友とするのは、神への敵対であることを、知らないか。
おおよそ世の友となろうと思う者は、自らを神の敵とするのである。
それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。
しかし神は、いや増しに恵みを賜う。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う」とある。
そういうわけだから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。
神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいて下さるであろう。
罪人どもよ、手をきよめよ。二心の者どもよ、心を清くせよ。
苦しめ、悲しめ、泣け。あなたがたの笑いを悲しみに、喜びを憂いに変えよ。
主のみまえにへりくだれ。そうすれば、主は、あなたがたを高くして下さるであろう。
兄弟たちよ。互に悪口を言い合ってはならない。
兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟をさばいたりする者は、律法をそしり、律法をさばくやからである。
もしあなたが律法をさばくなら、律法の実行者ではなくて、その審判者なのである。
しかし、立法者であり審判者であるかたは、ただひとりであって、救うことも滅ぼすこともできるのである。
しかるに、隣り人をさばくあなたは、いったい、何者であるか。 '
ヤコブの手紙 4:1-12 https://my.bible.com/bible/1820/JAS.4.1-12
ヘブル人への手紙 11:1
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。
https://my.bible.com/ja/bible/1820/HEB.11.1.口語訳
ガラテヤ人への手紙 5章
'自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。
だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。
見よ、このパウロがあなたがたに言う。
もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。 割礼を受けようとするすべての人たちに、もう一度言っておく。
そういう人たちは、律法の全部を行う義務がある。
律法によって義とされようとするあなたがたは、キリストから離れてしまっている。恵みから落ちている。
わたしたちは、御霊の助けにより、信仰によって義とされる望みを強くいだいている。
キリスト・イエスにあっては、割礼があってもなくても、問題ではない。尊いのは、愛によって働く信仰だけである。
あなたがたはよく走り続けてきたのに、だれが邪魔をして、真理にそむかせたのか。
そのような勧誘は、あなたがたを召されたかたから出たものではない。
兄弟たちよ。わたしがもし今でも割礼を宣べ伝えていたら、どうして、いまなお迫害されるはずがあろうか。
そうしていたら、十字架のつまずきは、なくなっているであろう。
兄弟たちよ。あなたがたが召されたのは、実に、自由を得るためである。
ただ、その自由を、肉の働く機会としないで、愛をもって互に仕えなさい。
律法の全体は、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」というこの一句に尽きるからである。
気をつけるがよい。もし互にかみ合い、食い合っているなら、あなたがたは互に滅ぼされてしまうだろう。
わたしは命じる、御霊によって歩きなさい。
そうすれば、決して肉の欲を満たすことはない。
なぜなら、肉の欲するところは御霊に反し、また御霊の欲するところは肉に反するからである。
こうして、二つのものは互に相さからい、その結果、あなたがたは自分でしようと思うことを、することができないようになる。
もしあなたがたが御霊に導かれるなら、律法の下にはいない。
肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。
わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。
しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。
キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。
もしわたしたちが御霊によって生きるのなら、また御霊によって進もうではないか。
互にいどみ合い、互にねたみ合って、虚栄に生きてはならない。'
ガラテヤ人への手紙 5:1-8,11,13-26
https://my.bible.com/bible/1820/GAL.5.1-8,11,13-26
ダニエル書 8章
'彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。 '
ダニエル書 8:14 https://my.bible.com/bible/1820/DAN.8.14
マタイによる福音書 24章
'預言者ダニエルによって言われた荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、
そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
屋上にいる者は、家からものを取り出そうとして下におりるな。 畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。 その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。
あなたがたの逃げるのが、冬または安息日にならないように祈れ。
その時には、世の初めから現在に至るまで、かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである。
もしその期間が縮められないなら、救われる者はひとりもないであろう。
しかし、選民のためには、その期間が縮められるであろう。 '
マタイによる福音書 24:15-22
https://my.bible.com/bible/1820/MAT.24.15-22
追録で本編で話したことの重要な点をお伝えしています。勘違いしてもらいたくない点なので長くなりましたがぜひお聴きください。 「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」
ヘブル人への手紙 4:16 口語訳
https://bible.com/bible/1820/heb.4.16.口語訳 「The heart is deceitful above all things, and desperately wicked: who can know it?」
Jeremiah 17:9 KJV
https://bible.com/bible/1/jer.17.9.KJV 人の心は何よりも陰険で直らない、誰がこれを知り得ようか。エレミア書17:9 新改訳改訂3 「Abgründig ist das menschliche Herz, / beispiellos und unverbesserlich. / Wer kann es durchschauen?」
Jeremia 17:9 NBH
https://bible.com/bible/877/jer.17.9.NBH シェルターアパートに引越して来たのが3月22日、明日は5月22日です。およそ60日間で私の霊性スピリットなる心がこんなに聖化によって作り替えられ自分でも驚きながら神とキリストに感謝しています。1900年頃から欧米で福音の醍醐味であるキリストに立ち寄ることで心が聖霊が宿り神と三位一体で作り替えられることを分断を防ぐために教えない、宣教しないように変化してきた歴史があることを知りました。この欧米の流れを日本も受けているので聖化や作り替えというポイントがあまり知られていないのかもしれませんね。やはり宗教は人間が作ったものなので歪みが生じてしまうのでしょう。しかし聖言はホワイトホールの全知全能の神の言葉でありその御子が救い主として出現した西暦30年からの布教が2022年の今も滅びていせまん。日本では信仰者が人口の1%なので知らないひとが多いかもしれませんが、国際社会の中心ではキリストの教えをベースに進んできた背景があることは確かです。公平で公正な正義と愛がベースになって考えられて来たり、国教としてバプテスマを受ける国は聖霊が宿るため良い国とされる背景がフィンランドなどの子どもの幸福が高い国の背景には大人の多くが成熟しているからではないでしょうか?
私生子ではない証は人生に患難があることを教区でご紹介しました。それは神からキリストからの訓練のことです。追録は不思議、見える間取りと方位です。シーズン2でお話した患難は恵み、であることをお話しています。つらい時に聞き直してぜひみてください。そして私のHPにも患難に乗り越えるための聖句を転載していますのでどうぞ参考にして瞑想にも使ってみてください。 「また子たちに対するように、あなたがたに語られたこの勧めの言葉を忘れている、 「わたしの子よ、 主の訓練を軽んじてはいけない。 主に責められるとき、弱り果ててはならない。 主は愛する者を訓練し、 受けいれるすべての子を、 むち打たれるのである」。 あなたがたは訓練として耐え忍びなさい。神はあなたがたを、子として取り扱っておられるのである。いったい、父に訓練されない子があるだろうか。 だれでも受ける訓練が、あなたがたに与えられないとすれば、それこそ、あなたがたは私生子であって、ほんとうの子ではない。 その上、肉親の父はわたしたちを訓練するのに、なお彼をうやまうとすれば、なおさら、わたしたちは、たましいの父に服従して、真に生きるべきではないか。 肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが、たましいの父は、わたしたちの益のため、そのきよさにあずからせるために、そうされるのである。 すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。 それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい。 また、足のなえている者が踏みはずすことなく、むしろいやされるように、あなたがたの足のために、まっすぐな道をつくりなさい。 気をつけて、神の恵みからもれることがないように、また、苦い根がはえ出て、あなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚されることのないようにしなさい。
https://bible.com/bible/1820/heb.12.5-15.口語訳」
ヘブル人への手紙 12:5-13, 15 口語訳
追録はなぜ聖句の瞑想が効果的であるかの理由です。聖句の代読箇所はこちらです。「イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。 それで、ある人がイエスに言った、「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。 イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」。 そして、弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。 天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」。」
マタイによる福音書 12:46-50 口語訳
https://bible.com/bible/1820/mat.12.46-50.口語訳 「大ぜいの群衆がついてきたので、イエスは彼らの方に向いて言われた、 「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。 自分の十字架を負うてわたしについて来るものでなければ、わたしの弟子となることはできない。 あなたがたのうちで、だれかが邸宅を建てようと思うなら、それを仕上げるのに足りるだけの金を持っているかどうかを見るため、まず、すわってその費用を計算しないだろうか。 そうしないと、土台をすえただけで完成することができず、見ているみんなの人が、 『あの人は建てかけたが、仕上げができなかった』と言ってあざ笑うようになろう。 また、どんな王でも、ほかの王と戦いを交えるために出て行く場合には、まず座して、こちらの一万人をもって、二万人を率いて向かって来る敵に対抗できるかどうか、考えて見ないだろうか。 もし自分の力にあまれば、敵がまだ遠くにいるうちに、使者を送って、和を求めるであろう。 それと同じように、あなたがたのうちで、自分の財産をことごとく捨て切るものでなくては、わたしの弟子となることはできない。」
ルカによる福音書 14:25-33 口語訳
https://bible.com/bible/1820/luk.14.25-33.口語訳
神への愛を忘れてはならない視点についてオズワルド・チェンバーズが指摘している大切な2つのデボーションをシェアしました。今回半分寝ていたのかしら?と思うほど話が飛んでしまいましたが、追録2までお聞きいただけますと幸いです。
傷ついた霊性(スピリット/心)を魂レベルで回復させてもらえる三位一体(神、キリスト、聖霊)への祈りと御言。テモテ2の手紙の2章、3章、4章より。追録はオズワルド・チェンバーズのデボーションの代読のみです。「そこで、わたしの子よ。あなたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい。 そして、あなたが多くの証人の前でわたしから聞いたことを、さらにほかの者たちにも教えることのできるような忠実な人々に、ゆだねなさい。 キリスト・イエスの良い兵卒として、わたしと苦しみを共にしてほしい。 兵役に服している者は、日常生活の事に煩わされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める。 また、競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ、栄冠は得られない。 労苦をする農夫が、だれよりも先に、生産物の分配にあずかるべきである。 わたしの言うことを、よく考えてみなさい。主は、それを十分に理解する力をあなたに賜わるであろう。 ダビデの子孫として生れ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。 この福音のために、わたしは悪者のように苦しめられ、ついに鎖につながれるに至った。しかし、神の言はつながれてはいない。 それだから、わたしは選ばれた人たちのために、いっさいのことを耐え忍ぶのである。それは、彼らもキリスト・イエスによる救を受け、また、それと共に永遠の栄光を受けるためである。 次の言葉は確実である。「もしわたしたちが、彼と共に死んだなら、また彼と共に生きるであろう。 もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配者となるであろう。もし彼を否むなら、彼もわたしたちを否むであろう。 たとい、わたしたちは不真実であっても、彼は常に真実である。彼は自分を偽ることが、できないのである」。 あなたは、これらのことを彼らに思い出させて、なんの益もなく、聞いている人々を破滅におとしいれるだけである言葉の争いをしないように、神のみまえでおごそかに命じなさい。 あなたは真理の言葉を正しく教え、恥じるところのない錬達した働き人になって、神に自分をささげるように努めはげみなさい。 俗悪なむだ話を避けなさい。それによって人々は、ますます不信心に落ちていき、 彼らの言葉は、がんのように腐れひろがるであろう。その中にはヒメナオとピレトとがいる。 彼らは真理からはずれ、復活はすでに済んでしまったと言い、そして、ある人々の信仰をくつがえしている。 しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。「主は自分の者たちを知る」。また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。 大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。 もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。 そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。 愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。 主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、 反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、 一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。」
テモテへの第二の手紙 2:1-26 口語訳
「しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。 その時、人々は自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、高慢な者、神をそしる者、親に逆らう者、恩を知らぬ者、神聖を汚す者、 無情な者、融和しない者、そしる者、無節制な者、粗暴な者、善を好まない者、 裏切り者、乱暴者、高言をする者、神よりも快楽を愛する者、 信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。 彼らの中には、人の家にもぐり込み、そして、さまざまの欲に心を奪われて、多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを、とりこにしている者がある。 彼女たちは、常に学んではいるが、いつになっても真理の知識に達することができない。 ちょうど、ヤンネとヤンブレとがモーセに逆らったように、こうした人々も真理に逆らうのである。彼らは知性の腐った、信仰の失格者である。 しかし、彼らはそのまま進んでいけるはずがない。彼らの愚かさは、あのふたりの場合と同じように、多くの人に知れて来るであろう。 しかしあなたは、わたしの教、歩み、こころざし、信仰、寛容、愛、忍耐、 それから、わたしがアンテオケ、イコニオム、ルステラで受けた数々の迫害、苦難に、よくも続いてきてくれた。そのひどい迫害にわたしは耐えてきたが、主はそれらいっさいのことから、救い出して下さったのである。 いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。 悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて、悪から悪へと落ちていく。 しかし、あなたは、自分が学んで確信しているところに、いつもとどまっていなさい。あなたは、それをだれから学んだか知っており、 また幼い時から、聖書に親しみ、それが、キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を、あなたに与えうる書物であることを知っている。 聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。 それによって、神の人が、あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて、完全にととのえられた者になるのである。」
テモテへの第二の手紙 3:1-17 口語訳
https://bible.com/bible/1820/2ti.3.1-17.口語訳
イースターを迎えるにあたって、聖化で純化されるためにも振り返りたい点を良書とされるオズワルド・チェンバーズ著書の中からデボーションを三つ代読し私の実体験を振り返りつつ、今、聖化が次々と起き私の霊性の変化の真っ只中で実況中継的なお話の回となりました。
デボーションの代読箇所をVoice of Seeleのブログへ転載しています。ぜひ繰り返し読んで心に留めてみてください。
https://site-3807662-4851-3213.mystrikingly.com/blog/oswald-chambers
また同じ展開か?と思う市のアパートとそっくりな出来事が起きました。 そこから祈りによって起きる聖化に感動しています。 それは、バジレア・シュリンクの著書「変えられたいあなたに」で、知らないうちに私たちの内側に侵入し、罪を通して暗やみの砦を築こうとするサタンの働きについて罪を具体的に記しているため、とても参考になり祈りも具体的にできるようになってきたこともあるかもしれません。 罪のカタログ 1-態度の罪:無責任、怒り、虚栄心、自己中心、自己正当化、わがまま、権力欲・支配欲、迎合、詮索、傲慢、多忙、短 気、立腹、いらだち、反抗、卑怯、空想、なまぬるさ、無気力など。
2-思いの罪:隠し事、思い煩い、嫉妬、自己憐憫、神経過敏、尊敬の念の欠如、貪欲、肉欲、人の関心や認められたいと いう思い、さげすみ、苦々しい思い、落胆など。
3-口の罪おしゃべり、口論、中傷、人への悪口、批判、さばきなど。
バジレア・シェリンクはこれらがなぜ罪なのかを説明しているとのことですが絶版の著書です。復刊されるといなと思いますが聖霊の導きは確かだと思います。 ダニエル書より「わが神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、われわれの荒れたさまを見、み名をもってとなえられる町をごらんください。われわれがあなたの前に祈をささげるのは、われわれの義によるのではなく、ただあなたの大いなるあわれみによるのです。」(ダニエル書 9:18)
2週間前に突如環境が変わり、祈り(願い)が2日後に叶っていることに驚きつつもスピリットの変化(聖化)がすぐに起きることを日に何回も経験している日々です。聖化の成果があまりにも明らかなので急遽配信することにしました。
次回配信予定の「神さま、主(キリスト)が養ってくれます」のブログ記事です。
私がいつもキリストに出してもらっているお茶タグも画像UPしてみました。ぜひこのお茶タグをご覧ください。
( https://site-3807662-4851-3213.mystrikingly.com/blog/3a37e111ac6 )
私は現時点で社会の役に立つ人間ではありません。日本は何かと「役に立つ」情報発信が非常に多い国なのだとドイツにいて気づかされました。
社会の役に立たないよりは立った方が良い、という強制的思考の選択がその背景を多数派にしていることもドイツにいると痛感します。
私の親しい友人であるドイツ人たちは基本的に社会の役に立つというベースで生きていないことに気づいた時からいろんな人を考察し、日本ほどアメリカほど国のために生きている先進国出身の人はいないように感じました。
私自身は2021年以降は社会の役に立つ人間を目指す自分を鎧を脱ぎ捨てました。
堅い信念を持ち続けることに専念し、努力や精進ではなく恵みなので聖化によって生き抜くことを目指しています。
必要なものはいつもその時々に最低限与えられているように思います。だからやはりエバンゲリオンが真実だと日々痛感します。
働く=お金を稼ぐという日本独自の価値観からの脱却は私をさらに自由にしてくれています。
将来への不安もなくなり始め、まだ心の奥底ですがきっと父(創造主)が将来をも困らないようにしてくれると思えるようになり
自分の将来を不安定な国の社会制度をあてにすることも昨秋にやめてしまうとなんと気楽なことだとも気づかされました。
それは国は裏切るけど神は絶対に裏切らないからです。
だからこそ公平で公正な正義と愛を堅く持って生きる道をまい進しようと思えました。
それは神には暗いところは一切なく不義(不正義)なことを絶対にしないからです。
天地あっての地球だということを気づいたら天の法則を抜きに生きぬことがどれだけ大変だったかもわかりました。
我慢や無理ばかりの地の世界から脱却できる福音の教えは他力本願です、自力ではありません。
ぜひ「聖化ってなんなん?」もお聞きください。
'求めよ、そうすれば、与えられるであろう。
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
あなたがたのうちで、自分の子がパンを求めるのに、石を与える者があろうか。
魚を求めるのに、へびを与える者があろうか。
このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、
天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。 '
マタイによる福音書 7:7-11
https://my.bible.com/bible/1820/MAT.7.7-11
およそ50日数日間の患難を通して感じたゆるゆる話とこの録音後に起こった患難終末を追録でお話ししました。
追録の私の隣人トラブルからMCS再発など患難の詳細の第1回目配信はこちらです。





