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龍光ポッドキャスト
龍光ポッドキャスト
Author: 小野 龍光
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© 小野 龍光
Description
ただの無職のハゲアタマによる、何者でもない身の戯言として、やさしい気持ちで聴いて頂けたら大変有難いです🙏
「ココロのフタ、捨ててみました」コーナーを始めてみます
ココロでモヤモヤするテーマ、キーワードについて、ペンネームと共にお便りorコメント頂ければ、それについてポッドキャストでもお答えさせて頂きます。
リクエストは「ココロのフタ、捨ててみました」コーナー宛に
龍光ポスト https://sites.google.com/view/ryukou/
もしくはポッドキャストのコメント欄より
お届けくださいませ。
その他一般のご相談ご質問も「龍光ポスト」に頂けましたらお戻しさせて頂きます。
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ココロでモヤモヤするテーマ、キーワードについて、ペンネームと共にお便りorコメント頂ければ、それについてポッドキャストでもお答えさせて頂きます。
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世界宗教サミット最終日を終え、日本に帰国します。今回の体験を経て今後に向けてのささやかな思いをお伝えさせて頂きました。
インド・バンガロールで開催されている世界宗教サミット2日目を終えて、世界の主要な12宗教(キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ユダヤ教、ジャイナ教、バハイ教、儒教、道教、神道、ゾロアスター教)のプレゼンテーションを通して、共通して語られていることについて、簡単ながら触れさせて頂いております。
インド・バンガロールで行われている世界宗教サミット1日目が終わりました。大変に濃い学びを頂いております。たくさんの学びがありますが、その中で最も印象的な内容は宗教はnot to divid but to unite (分断ではなく統合のため)にあるというものです。今日も有り難く学ばせて頂きます🙏
インド・バンガロールでの世界宗教サミットに参加させて頂きます。宗教というものを、生物進化の視点や社会心理の視点で考えると、どのようなものと捉えられるかを見てみると、宗教への見え方も付き合い方も変わるかもしれません。そんなお話です。
他人に道を譲るより自分こそが先に行こうとしたり、相手が話したい事がありそうでも自分が話したいことばかり優先しそうになったり。我々はとても「自分こそが」を起こしやすい生き物だと思います。それは本能としての純粋な希望なのだと思います。でも、それに自覚がなくなると、周りとの人間関係を歪め、幸せからは遠ざかることも。幸せを感じたいならば、「自分こそ」は誰にでも起きていることなのだから「自分のために他人を害さない」事が大切。そんなお話です。
布施や喜捨は仏教だけでなくキリスト教でもイスラム教でも重要視されてます。それは教団側にとっての「ポジショントーク」なのでは?と考えておりましたが、今は生物進化においても、集団心理学においても理にかなった教えであると考えております。宗教に限らず、誰かと分かち合うことで生まれる自分への良き効果について、のお話です。
心よき人との繋がりを大切にし、そうでない人とは離れた方が良い。そうでない人に囲まれているなら1人でいる方が良い。そうブッダは説いております。そして、良き人に対しては、行動でできることを返していくことも大切だと。そんなお話しです。
「悩みなんてない」と悩ましい顔を見せる方は少なくありません。悩みがあることを恐れたり、ダメなことと言い聞かす頭が、苦しさを感じさせる胸のつっかえを取り出すことを邪魔してしまっているのかもしれません。スッキリしたいなら、軽やかさ健やかさを感じたいのなら、勇気を持って、心の奥底の声に耳を傾けることが大切な一歩かもしれません。
苦しみから離れる生き様としてブッダが説いた8つの道(八聖道)のラスト2つが、正念(正しく気づき/自覚を持つこと)と、正定(正しく集中を定めること)です。なぜその2つが大切なのか、お話させていただきました。
苦しさをもたらす経験をもたらした人がいるときに、その思い出で苦しむときには。その感情や記憶は自分の体を今も苦しめるものかもしれず、早めに成仏をさせる方がいい。そのためにどうしたら。そんなお話です。
頭で色々考えすぎて苦しい時。心は未来や過去や今ここにいない誰かのことへとあちこち飛び回る。しかも、そうした考えは無自覚に呼び起こされてしまっている。自分を苦しめることにも関わらず。そんな時に便利な方法について。
ブッダは自ら「2つことしか教えてない。苦しみが生まれる様と、苦しみから逃れるあり方と」と語っています。では、その中身は何か?と問われた時の答えについて。すでに過去の偉い方々が答えを用意してくれています。Sabbapapassa akaranam, Kusalassa upasampada, Sacittapariyodapanam, Etam Buddhana sasanam. 諸悪莫作衆善奉行自浄其意是諸仏教
悩ましい心を文字にしてみる、もしくは口に言葉として出してみることだけで、ずいぶん心もちが変わるものだと実感します。それは自分の心の有り様を自分で客観視するような行為なのかもしれません。そして、逆に聴く側に回る時も、相手が言葉を探している時もひたすらそれを黙って待ってあげることが、相手の心を軽くしてあげるのに役立てるかもしれません。
ヒトは、正しいか正しくないかを白黒つけたがる生き物なのだと思います。それは進化の過程で生き残るために必要だったからでしょう。でも、その機能により苦しみも生まれたかもしれません。そんな時は、ゼロかイチかのあいだを楽しむ。はざまを遊んでみると良いのかもしれません。
アリストテレスは、外面のもの(富、権力、名声、美しさ)は幸せをもたらすけれど一時的で、奪われも失いもするものだと説き、一方で、人生を通した幸せには、幸せそのものを追求しなければ得られないと説いてます。そのためには、内面のもの(徳 = 人間としての能力)を成熟させていくための努力を、その成熟自体に向けていく必要があると説いています。そんなお話しです。
分かりやすい目的(ゴール)のプロセスにも楽しさやレベルアップのゴールを見出すこともできるのでは。そんなお話しです。
佐々井上人の有難い背中の後押しにて、バンガロールで今月開催される世界宗教サミットへ参加させて頂く事となりました。そのご報告です。
苦しみが抜かれ、楽しさ喜ばしさが生まれる機会を作る - 抜苦与楽。この具体的な中身について考えてみました。
頭でどうこうしようとするのでなく、心のままに縁に身を委ねてみると、思いもよらぬ有難い機会が生まれ、人様にもその恩をめぐらせていきたくなる。そんなお話しをさせて頂きました。
戒(かい)は、守るべき自己努力事項。国によって見た目や教えが違う仏教において、どの国でも共通する(はず)の5つの戒の3つめ目。それが口に関する災いについての戒めです。その内容について。




