Discover生活と社会と仏教@沖縄
生活と社会と仏教@沖縄
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生活と社会と仏教@沖縄

Author: Ryuji Teruya

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この番組は、日本の伝統的仏教教団である真宗大谷派の東本願寺沖縄別院が毎月発行している「東本願寺沖縄別院だより」に掲載されるリレーコラムを、その執筆者であるお坊さんの方々に読んでいただき、聞き手が感想述べたり質問をさせていただく声の聞法だよりです。生活の中で仏教に触れる機会としてお聴きいただけると幸いです。
東本願寺沖縄別院のホームページはコチラ
https://shinran-oki.org/

#仏教 #沖縄 #親鸞 #浄土真宗 #真宗大谷派 #東本願寺沖縄別院 #暮らし #生き方 #社会問題 #念仏 #南無阿弥陀仏
33 Episodes
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今回のテーマは「座右の銘」。誰にでも心の支えとなる言葉があります。沖縄には先人から受け継がれた黄金言葉があり、世界中にもそれぞれの国の名言が数多く存在します。そして仏教の経典もまた、まさに座右の銘の“宝庫”です。まだまだ私たちが心の糧とできる言葉が、そこにはあふれています。長谷さんが出会った “The only constant is change(唯一変わらないことは、変化することである)” をきっかけに、仏教経典が持つ言葉の力を日々の生活の中でもっと味わえるように、これからもお勉強していこうと思いました。また、この回では島袋リカさんを「初めて」のようにご紹介してしまいましたが、ここ数回ご一緒している大切なお仲間です。緊張されていたリカさんの言葉を、私自身もっと引き出せたら…という反省もありますが、その初々しさも含めて温かく聴いていただければと思います。#仏教 #沖縄 #座右の銘 #Apple #スティーブジョブス #前刀禎明
沖縄別院設立以来、毎月第三木曜日に大切に継続してる「グリーフケア・値遇の会」があります。仏教で代表的な苦としてあげられる「四苦八苦」のなかでも最も切ないもの「愛別離苦」。日々の生活の中で死別の苦しみと共に生きられている方々がたくさんいらっしゃいます。今回もご一緒にお話してくださった島袋さんもその一人です。14年前にご主人を亡くされ、途切れ途切れに記憶も無くすほどの大きなショックの中、どのようなことを思い、考え、今を生きられているのか。仏典童話のキサーゴータミーのお話から、同じように死別の悲しみを抱えて生きている人々との出遇いが真っ暗闇の中の小さなともしびのように、足元を照らし、次の一歩を踏み出して歩いて行けるような、そんな出遇いの場として、沖縄別院が開かれていくことを願っています。死別の悲しみを抱えて生きている沢山の大切なお友達のことを思いながら、長谷さんと島袋さんのお話を聞かせていただきました。#仏教 #浄土真宗 #沖縄 #グリーフケア #真宗大谷派 #本願
「和をもって貴しとなす。さからうことなきを宗となす」とは決して和を乱さないように我慢して言えなくなるという事ではなくて、むしろ対話をして相手を思いやる、そのことを大切にするということではないかというお話がとても胸に響きました。ややもすると、自分の思いを通そうと相手をコントロールしてしてしまうような私たち。対話をするということは本当に相手のことを念う(おもう)こと。相手を念って大切にする中で生まれてくる関係性。日々の難しい人間関係の中でついつい忘れてしまいがちなことを思い出させていただく大切な時間になりました。#仏教 #浄土真宗 #東本願寺沖縄別院 #親鸞 #聖徳太子 #憲法十七条
#26 花まつり

#26 花まつり

2025-07-2133:32

花まつりについて。お釈迦様の誕生にまつわる物語や「天上天下唯我独尊」という言葉の意味、人間の尊さや平等性について、生まれたての赤ちゃんである誕生仏にその尊さを見る仏教の視点を学びました。煩悩に名前をつけたのが人間だとも言われる私たちではあるけれども…#仏教 #浄土真宗 #花まつり #沖縄 #天上天下唯我独尊
「本願ということほど尊いことはないと思うんです」という曽我量深師の言葉について、西田さんの書かかれたコラムでした。西田さんが一年前の自分に問い返されるようだと語られたように、私たちは生活する中でいつも役職や役割を生きようとして苦しんでいるのではないか。「本来の自分」とは「本願に願われている自分」とは。一瞬一瞬の中に感じられることがあってもなかなかその思いの中で生き続けることは難しい。聞法を続ける中で感じられる本願の願いに耳を傾けることの大切さを改めて学ばせていただきました。#仏教 #沖縄 #浄土真宗 #本願 #親鸞 #真宗大谷派 #沖縄別院 #曽我量深音楽:BGMerhttp://bgmer.net
2024年2月に沖縄で開催された「第8回9条世界宗教者会議」にて実際に長谷さん(東本願寺沖縄別院輪番)が見聞きし、世界から集まった皆さんとの出遇いと、「命どぅ宝」という沖縄の言葉を通じて、「命」と「いのち」、そして信仰による行動の意味について深く考えさせれらました(聞き手・僧侶仲西朋子さん)#仏教 #浄土真宗 #沖縄 #命どぅ宝 #憲法9条 #世界宗教者会議
 さるべき業縁のもよおさば、いかなるふるまいもすべしー歎異抄に伝えらえる親鸞さんの有名なことばです。読谷村は何我寺(ぬーがじ)の副住職・知花一盛(ちばな・いっせい)さんに、この言葉の受け止めを聴かせていただきました。  人間は業(ごう)の存在。触れる縁次第でどんな行いでもしてしまう...わが身がそういう者だとは、なかなか気づかないものである  一盛さんは、この言葉は他人に言う言葉ではない。自分に向けられた言葉としていただきたいと強調されていました。  そして、人が苦しむ姿として三種類の苦しみ方を見てきた。自分が苦しんでいるということに気づかな人は、他者を苦しめることで、自分は苦しんでいないと思おうとする。例えばパワハラなどは、そういうふうに行われることが多いということを話されていました。 #仏教 #浄土真宗 #親鸞 #歎異抄 #パワハラ #沖縄 音楽:BGMer http://bgmer.net
 能登半島地震の被災地である珠洲市にはかつて原発建設計画が進められようとしていました。1月23日の東京新聞には28年にわたる原発反対運動を率いた真宗大谷派僧侶の塚本真如さんのことが紹介されています。  東本願寺沖縄別院で執り行われた今年の報恩講では、珠洲市の長覺寺・濤(おおなみ)恵周住職が登壇され、被災映像を映しながら復旧には程遠い現在の生々しい被災状況を伝えてくださいました。濤さんは、「被災地の事を忘れないでください」とおっしゃっていました。  今回のポッドキャストでは、沖縄別院便り2024年2月号に掲載された長谷輪番のコラムを再読して、能登半島地震で被災された方々と、その地域で原発建設を阻止のために立ち上がった念仏者の方々に思いを巡らせました。  そして、国豊民安、兵戈無用(こくぶみんあん、ひょうがむよう 国豊にして民安し。兵も武器も用いることなし)(大無量寿経)の「国豊民安」について考えさせられました。  また、浄土と娑婆の二重国籍を持つと表現されることもある念仏者が、娑婆世間(実社会)の強風にあおられて揺れ動く生き様についても話題が及びました。 #仏教 #沖縄 #浄土真宗 #真宗大谷派 #東本願寺 #念仏 #能登半島地震 #原発 フリーBGMは下記より使用させていただいています。 オープニング:BGMer  http://bgmer.net 本編:MusMus  https://musmus.main.jp/
“縁起”について、東本願寺沖縄別院の僧侶・岸本雄志さんが、自らの体験や生活実感をまじえて分かりやすくコラムに書いてくださいました。 日常で僕たちは「縁起がいい」「縁起がわるい」などとこの言葉を使いますが、そう言っている時は、自分の都合でものごとの良し悪しをはかっています。本来の「縁起」という言葉は、それとは意味が異なるようです。その意味を尋ねることで、「今、ここにある自分」「今、ここにある社会」を考えていく手がかりが得られるかもしれません。 毎回いっしょに話を聴いてくれている仲西朋子さんが、“得度式”を終えて新しく僧侶になられました。その感想についても聴かせていただきました。 #仏教 #浄土真宗 #真宗大谷派 #東本願寺 #沖縄  #龍樹 #縁起 音楽:BGMer http://bgmer.net
今回は東本願寺沖縄別院の長谷輪番のコラムをいただきました。「国豊民安 兵戈無用」(国豊かに民安し。兵戈用いることなし)という仏説無量寿経に伝えられる仏の願いが大切にされていますが、この現代、いや人類史の初めから豊かで安らかにいられることが「自分だけ」そうであればいいという願いになっていないか?現代の新自由主義はその極みではないか?これで軍隊も武器も必要としない、戦争のない世界が実現するのか?むしろ遠ざかってはいないか... #仏教 #戦争 #仏説無量寿経 #兵戈無用 #沖縄 音楽:BGMer http://bgmer.net
「人間」という言葉はそもそも仏教用語で、「人」とは同義ではなかったそうです。「世間」というように、「人間」という間柄を生きる存在であると。 人のありさまを仏教では、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天と六つの様、六道(ろくどう、りくどう)で表すそうです。人は一生の中でこれら六つのありさまをぐるぐると巡り繰り返していると。その中で「人」というありさまは「こころの中で葛藤があり、引き裂かれている状態」なのだそうです。では、そのような「人」が共に生きるとはどういうことなのか?東本願寺沖縄別院の僧侶西田和正さんと一緒に、仏教の智慧に尋ねてみました。 #仏教 #浄土真宗 #親鸞 #大谷派 #共に生きる #竹中智秀 #沖縄
冒頭では、4月23日から3日間開催された非戦平和沖縄研修の概要が紹介されました。今年の研修では、ますますあからさまになっている沖縄に対する本土との「不平等」に向き合うことがテーマとされていました。 本題は東本願寺沖縄別院の輪番(責任者)長谷暢さんのコラム「『失念』という煩悩」より。 仏教では失念(物忘れ)は煩悩であると。そこには自分に都合の悪いことをないことにしたい自己中心性がある…そういうお話から話題は展開しました。 #仏教 #親鸞 #真宗大谷派 #東本願寺 #念仏 #煩悩 #唯識 #物忘れ #失念 音楽:BGMer http://bgmer.net
何我寺(ぬーがじ、読谷村 知花昌一住職)の副住職を務める知花一盛さんのコラムから「生死出ずべきみち」という言葉の受け止めについて聴かせていただきました。 音楽:BGMer http://bgmer.net
沖縄のお盆の芸能であるエイサーの由来は念仏踊りと言われます。亡き母を救いたい…先祖供養の心理的起点ともいえる亡き親への追慕。これに仏教はどう応えたのか?今回の対話、「お盆」の由来とされる仏教経典にそのことを尋ねる展開となりました。盆正月、しーみー、法事のお供え物について。 音楽:BGMer http://bgmer.net
何我寺(ぬーがじ、読谷村 知花昌一住職)の副住職を務める知花一盛さんのコラムから「生死出ずべきみち」という言葉の受け止めについて聴かせていただきました。
旧正月、旧盆、清明祭(シーミー)、お彼岸になると沖縄の“先祖崇拝”の仏壇(トートーメー)には重箱に詰められたご馳走(クヮッチー)がお供えされます。沖縄ならではともいえるこの様式は仏教的にはどうとらえたらいいでしょうか? 滋賀県、石川県という浄土真宗の盛んな地域から移住し、沖縄の人と結婚して沖縄で家庭を築いているお坊さんや門徒さんとのクロスカルチャーセッションとなりました。お盆の由来となっているお経の話も出てきます。
「普段の生活の中で、我々は好き嫌いを自分の中で分別して、どこまでも自分の物差しで良い悪いと判断してしまう生き物なので、生きている限り煩悩の日は消えることなく増すばかりです。親鸞聖人は...」 #大乗仏教 #浄土真宗 #念仏 #本願 #親鸞 #東本願寺沖縄別院
ラグビーというスポーツは他の多くのスポーツと異なり、ワールドカップ(世界大会)での各国代表が様々な国籍の選手で構成される。この事例から「日本人」の認識における人種的偏見について、東本願寺沖縄別院の輪番・長谷暢さんが述べられています。そして、国籍、民族、肌の色等による差別の問題へと会話は展開。そして、聞き手の仲西朋子さんの体験談。あるインド人が養護学校の子供たちに向けて言った謝罪の言葉が胸に刺さります。 #人種差別 #障害者差別 #外国人差別 #植民地主義 #仏教 #浄土 #本願 #東本願寺沖縄別院 #真宗大谷派 #親鸞
今回の仏教のお話は、いつもとは違った切り口というか、仏教らしくないところから入ってみるようなスタートでした。お釈迦様の弟子は、神通力(超能力?)が使えたというような話がお経には出てきます。仏教に限らず、キリスト教の聖書などでも同様です。 お経にでてくるそういう常識外れの表現や逸話は、一つの比喩だろうくらいに思っているのが正直なところですが、縄文時代はどうだっただろうか?ほんとにただの比喩表現で済まされることなのか? そういう問いの投げかけから、やはり仏教の主題ともいえる「今、ここ」を生きるということに話題は収れんしていきました。 #仏教 #親鸞 #浄土真宗 #真宗大谷派 #東本願寺 #大無量寿経
琉球王国時代、薩摩藩の影響で浄土真宗が禁制であったにもかかわらず、親鸞聖人と同じ本願念仏の教えに帰依し、流罪となった仲尾次政隆が石垣島へ流刑となる際、風待ちなどで約1年間滞在した島が座間味島。 #仏教 #親鸞 #浄土真宗 #禁教 #隠れ念仏 #琉球王国 #座間味島 #帆掛サバニレース
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