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往診屋の学び
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エビデンスレベルは高くないけれども、往診医として伝えたい医療実践編を始めさせていただきます。第一回はヒドロキシジン、商品名アタラックスpについて往診現場での使い方を考察したいと思います。
往診や在宅医療現場で役立ちそうな書籍やその中のフレーズを紹介させていただいています。今日は自身の書籍を紹介します。「往診屋」幻冬舎から3月21日に発売します。
往診や在宅医療現場にはエラーはつきものです。そして、在宅医療現場特有のエラーもあります。怒りやイライラが及ぼす影響について考察するための題材を提供してみました。
往診や在宅医療の現場特有のヒューマンエラーについて考察してみました。
先日から「小さな救急」について話をしています。私は昨今、特にコロナ以降、「小さな救急」活動に対し、焦りや孤立感を覚えるようになりました。ふと気づくと、このような活動をしている医療者がだんだんいなくなってきていて、そのうちいなくなるのではないかと感じています。かつては、この「小さな救急」は医療の現場においてごく当たり前に行われていました。大学病院や救命救急センター、地域の中核病院の救急室、中小病院、さらには診療所に至るまで、様々な場所で実践されていました。小さな救急は、医療者であれば、まず取り組むべき本業であり、それを避けることには恥や後ろめたさを感じていた時代があったように思います。
「小さな救急」というテーマで話をします。このテーマで最も大事にしたいのは、小さな救急は決して粗悪であってはならない、ということです。使用できる医療資源は限られ、フルスペックの救急医療を提供できるわけではありません。しかし、だからこそ質を落としてはならない。救急としての質を保つことが不可欠だと考えています。
医療者の重要な仕事の一つに、救急医療の現場において「大きな救急」と「小さな救急」を適切に使い分ける判断力が挙げられます。これは、脳梗塞や肝臓がんといった症例においても同様です。何が何でも「大きな救急」として対応すべき状況と、逆に「小さな救急」として対応すべき状況を的確に見極め、判断し、行動に移すことが求められます。しかし、実際の医療現場では、この判断が誤ってしまうケースが少なくないように感じます。私自身も、今振り返ると間違った判断をしていたのではないかと思うことがあります。例えば、本来は「大きな救急」として徹底的に対応すべき症例を、症状が軽く見えたために「小さな救急」として扱ってしまったこと。また、その逆で、本来は「小さな救急」として迅速に診察すべき症例を、見た目が重症に見えるという理由から「大きな救急」として救急車を呼ぶなどして対応してしまったこともあります。ここからわかるように、救急の対応は、必ずしも症状が軽症か重症かだけで決まるものではありません。むしろ、その患者さんの状態に応じて「大きな救急」で対応すべきか、「小さな救急」で対応すべきかを見極めることの方が重要です。つまり、症状の軽重を判断すること以上に、どちらの救急体制で臨むべきかを判断し、使い分ける能力が、医療者には不可欠であると考えています。
救急には「大きな救急」と「小さな救急」という軸があると思っています。まず、救急医療の体制には一般的に初期、二次、三次といった段階があり、初期は軽症、二次は入院や手術を要する患者を主に扱いますまた、内科救急、整形外科救急、小児救急など専門領域による分類もあります。しかし、私が強調したいのは、こうした分類とは別に「大きな救急」と「小さな救急」という視点です。これは重症・軽症で分けるするという発想ではありません。「大きな救急」の典型は、交通事故による多発外傷など、頭部・胸部を含む複数部位に重篤な損傷が疑われるケースです。この場合は一刻も早く最も高度な医療を提供できる施設へ搬送し、必要な検査・処置を総動員して治療することが明白に正しいと考えられます。内科領域でも、大動脈解離などが疑われるときは迅速に手術可能な施設へ移送し、早期に本格治療へ移行することが求められます。私はこうしたケースを「大きな救急」と捉えています。一方の「小さな救急」は、必ずしも最大限の医療資源を投入することが最適解ではない状況を指しています。患者の生活の場に近い場所、すなわち自宅や近隣で第一歩の介入を行い、患者のこれまでの生活の延長線上で対応することがベストとなり得る救急です。ここでいう「小ささ」は病状の軽重ではなく、救急対応の展開をできるだけ最小限に抑え、患者の希望や生活を優先するという方針の「小ささ」です。大きな救急と小さな救急の違いについて、私の経験した2つの脳梗塞に関連する事例を紹介します。
田内さんは、お金を社会の潤滑油として捉えています。誰かが誰かのために働くことを媒介し、人が幸せになるために機能するものとしてお金を見るべきだ、と徹底して主張しているのです。「お金のために」「お金さえあれば」という発想から離れ、社会や人のつながりの中でお金の役割を理解し直すことが重要だと、繰り返し強く訴えています。この著作、一見関係なく思えますが在宅医療に携わる人にお薦めです。
今年に入ってから「小さな救急」をテーマにさまざまなことを考えています。今回は、私がなぜこの「小さな救急」を考えるようになったのか、その原体験についてお話しします。ある夜、「心肺停止です」という搬入要請があり、救命センター中央のスペースに患者が収容された。搬入後すぐに心肺蘇生が開始され、点滴ルートの確保、心臓マッサージ、気管挿管による人工呼吸が淡々と進む。何度目かの強心薬の投与の後、患者の心拍が戻った瞬間、現場にいたスタッフの間に小さなどよめきが広がった。その時、私は初めてカーテンの向こう側に意識が向いた。そこでは、三歳くらいの子どもが泣いていた。喘息発作を起こし、吸入では十分な効果が得られず、点滴治療が必要と判断されていた。小児科医が懸命にルートを探し、看護師が動かないように子どもの体を固定する。まさに、心肺停止に対する蘇生が行われているすぐ横で、カーテン一枚を隔て、小児の点滴が進められていた。声も気配もそのまま届く距離で、まったく異なる緊急性と配慮が必要な医療が同時に進行していた。
発熱と腹痛を主訴とする患者さんから、初めて往診の依頼がありました。患者さんは普段通院している医療機関に連絡したものの、そちらでは発熱外来の受診を案内され、決められた時間まで待機するよう求められました。しかし、この患者さんはそのような待機が可能な状態ではありませんでした。かかりつけ医療機関では往診の体制がなく、来院以外の受け皿がないという現実がありました。さらに、患者さんの居住地は地域中核医療機関から約15キロ離れており、電話で相談したところ、「近くの病院で相談してください」と案内されましたが、実際には近隣で受け入れ可能な選択肢が限られていました。このような経緯を経て、私に往診の依頼が届きました。ここで多くの方が思い浮かべるのは、「救急車を呼べばよいのではないか」という問いでしょう。
本日取り上げたいテーマは、医学書『胸水無双』です。下田真史著、2025年に金芳社から出版されています。この本は、その名の通り胸水について専門的に、そして深く掘り下げて書かれたマニアックな一冊ですが、読んでみて参考になる情報が満載でした。最近、胸水が貯留した患者さんの診断がうまく行かなかった症例を経験し、この本を読んだところ、実践に役立つ知識が多く記されていることを認識しました。本書では、冒頭に胸水の分析の話が書いてあります。つまり、胸水診断において最も重要な点として、まず胸水を採取し、その成分を分析することが強調されています。胸水が「何者」であるかを特定しなければ、適切な治療方針は定まりません。したがって、胸水を調べて診断を確定させることが、治療への第一歩であり、最も肝心な部分であるいうところから本書は始まっています。しかし、在宅医療、特に往診、訪問診療や訪問看護の現場では、病院とは異なる特有の課題が存在します。一つ目は、胸水がそもそも存在するのか、そして存在するとしてどの程度の量なのかを見極めることです。胸水の存在が既に分かっている場合もありますが、初めて胸水が貯留してきたような場合、その存在を知り、その量を正確に評価することは、在宅の環境では病院の外来や入院の環境ほど容易ではありません。二つ目は、本書で詳述されている胸水の穿刺・検査を在宅で行うべきか否かという判断です。在宅で胸水を採取し検査に出すという行為は、病院で行う場合とは異なり、大きな決断を伴います。今回は、この在宅医療における2つの大きな課題について、『胸水無双』から得られる参考になるポイントをお話ししたいと思います。
このPodcastでは、往診の際に正しく診断できなかったケース、危うく間違うところだったケースを取り上げて、往診の実践上の留意点を考えていきます。本編では、往診の現場で胸水を評価する際の落とし穴と、心不全と胸膜炎の鑑別に関する実例から得た教訓について述べます。久しぶりに経験した「診断を誤った症例」を振り返り、どのように考え、どこに改善の余地があったのかを整理しました。往診でエコーを活用して胸水を確認する意義と限界、紹介先の選定、在宅での胸腔穿刺の適否についても考察します。
訪問診療している患者さんが「疥癬(かいせん)」を患った事例を経験しました。情報共有の重要さを痛感しました。一方で、人間は正しい情報だけで動くのではなく、感情によって動くのだと言うことも考えさせられた事例でした。
発熱と腹痛を訴える患者さんで、私自身にとっては、初めて診察する患者さんから往診依頼があった時の話を続けます。往診の現場は、特にCOVID-19については感染しやすい環境であると考えています。情報があるときには適切な防護策を講じることで感染を防げる一方、事前情報がないケースでは、密室・換気不良・長時間接触といった条件での診察になり、感染リスクが高まります。そして発熱等の典型的な症状がまだ出ていない時期での診療のこともあるので注意が必要です。
本日も「往診屋・十五の物語」をご紹介していきます。今回は第9話「発熱と腹痛の患者さんへの往診」というテーマを取り上げます。私は2026年は「街の小さな救急を守る」というテーマを掲げて活動したいと考えています。今回ご紹介する物語は、この「小さな救急を守る」ということを考える上で、最も重要な題材の一つと思っています。「小さな救急」とは一体何なのか。そして、「小さな救急」は誰が、どこで、どのように診るのかを決める段階でどんなハードルに直面するのか。そして実際に往診で患者さんを診る際には、どのような診察や治療が行われるのか。往診では何ができるのか何ができないのか。また今後、この「小さな救急」を持続可能な形で実現していくためには、何を考え、誰が何をすべきなのか。この物語は、そうした課題について考えるための示唆に富んでいると思っています。
新たな年である2026年に何をしたいかを考えたとき、真っ先に思い浮かんだのは「田舎町の小さな救急を少しでも守りたい」ということでした。すべてを守り抜くほどの力はないかもしれませんが、このテーマを軸に活動していきたいと考えています。このポッドキャストでの発信も、田舎町の小さな救急を守るというテーマに沿ってこの2026年やってきたいと思っています。中でも、特に重要だと考えているのが、「地域の中核的な病院」と「往診」、また「訪問看護」と「往診」を結びつけることです。これにより、小さな救急の現場、急患対応を支えていくことができると信じています。
往診屋の読書、今年最後に読んだ本は、ひろゆき氏の『1%の努力』です。私がひろゆき氏の『1%の努力』を読んで、真っ先に連想したのは、なぜか全くジャンルの違う白石正明さんの著書『ケアと編集』でした。「どうしてこの本からあの本を思い出すんだろう」と自分でも不思議に感じつつも、読み進めるうちに両者には共通する視点があるのではないかと思うようになりました。在宅医療現場とひろゆき氏の「1%の努力」。一見全然違う次元の話のようですが、「ケアと編集」を先に読んでいたことで、在宅医療への取り組み方への新たな視点を得ることができました。
往診屋日記15の物語、本日お話する第5番目のテーマは外傷に対する往診です。外傷での往診で比較的多いのは、転倒によるものです。高齢者や障害を持つ方から「転倒して痛い」「怪我をした」といった理由で呼ばれることがよくあります。転倒後に動けなくなったり、通院が非常に困難になったりするため、往診が必要とされるのです。今回取り上げるのは、少し稀なケースです。路上で事故が発生し、人が倒れて動けなくなっているというものでした。たまたま近くの救急車が全て出払っており、救急隊がすぐに駆けつけられないとのこと。そこで、先に私が応援要請で呼ばれたという状況でした。外傷診療で最も重要なのは「ABC」の順番、すなわちA(Airway: 気道)、B(Breathing: 呼吸)、そしてC(Circulation: 循環)の順で評価し、対応することです。この原則を守ることが重要です。
宇野常寛氏「庭の話」において、ハンナ・アーレントの「人間の条件」に示された創作(work)こそが、人間が自分が世界とつながっている実感を得る営みとして強調されているのを読み、感じたのは、在宅医療現場もまた、創作の場、つまり庭となり得るということでした。














