Discover5分 de ヒストリー ~歴史・世界史・日本史・学び直し/クロノ
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5分 de ヒストリー ~歴史・世界史・日本史・学び直し/クロノ

Author: クロノ

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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。2024年からUdemy講師。

公式サイト:れきぞう(歴蔵)
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第177回目は「清」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本13世紀に元に滅ぼされた後、女真人は中国東北地方の満州で部族ごとに分かれて生活していた。明に間接支配を受けていたが、明の国力が落ちた隙にヌルハチが台頭する。諸部族を統一し、1616年に「金」を再興した。歴史上は、かつて存在した金と区別するため後金と呼ぶ。彼は単なる軍事組織ではなく、行政・社会組織としての側面も持つ八旗を作り、モンゴル文字をもとに満州文字を作成した。
オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国のまとめです。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第176回目は「サファヴィー朝その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本16世紀前半、サファヴィー朝はバグダードの支配権を巡ってスンナ派のオスマン帝国と激しく対立する。セリム1世との戦いに敗れ、アナトリア東部はオスマン帝国に帰属。さらにスレイマン1世に敗れ、イラク地方を奪われた。一時勢力をそがれたが、アッバース1世の時代に復興する。彼は火器を中心とした軍備の改革を進め、オスマン帝国からバグダードを奪還、インド方面からホルムズ島に進出していたポルトガルを駆逐した。イスファハーンを新たな都とし、アルメニア商人によって国際商業が活性化する。人と物が集まり、「世界の半分」と称されるほど繁栄した。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第175回目は「サファヴィー朝」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本ティムール朝衰退後のイランでは、トルコ系遊牧部族の間で、神秘主義とシーア派が融合した熱狂的な思想が広がった。教団の指導者であるイスマイール1世は、これら部族の強力な軍事力を結集してイランを平定。1501年にタブリーズを首都としてサファヴィー朝を開いた。彼は、イラン伝統の王の称号である「シャー」を採用。また、統治の正当性を確立するため、それまでスンナ派が主流であったイランにおいて、シーア派の一派である十二イマーム派を国教として強制的に導入した。これにより、イランの国民的アイデンティティが形成されるとともに、隣接するスンナ派国家のオスマン帝国との対立が決定的なものとなった。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第175回目は「オスマン帝国その4」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本スレイマン1世の死後、1571年のレパントの海戦で、スペインなどキリスト教徒の連合艦隊にに敗れたが、17世紀まではヨーロッパに対して優勢を保った。帝国軍隊の主力は、スルタン直属のイェニチェリとトルコ系の騎士(シバーヒー)だった。騎士にはティマール制により土地の管理と徴税権を与えられたが、東西への領土拡大が終わる17世紀に入ると徴税請負制へと変化した。帝国の統治は、慣習法やスルタンの勅令で補いつつシャーリアに基づき行われ、キリスト教徒やユダヤ教徒に対しては寛容策をとった。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第175回目は「オスマン帝国その3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本16世紀、東地中海の覇者として君臨したスレイマン1世の治世は、オスマン帝国の領土を最大へと押し上げた。1526年、ドナウを越えてハンガリーを併合し、29年にはハプスブルク家の本拠地ウィーンを包囲した。その後、ハプスブルク家と対立するフランスが同盟を求めてきたため、通商特権(カピチュレーション)という「恩恵」を餌に戦略的同盟を締結。1538年にはプレヴェザの海戦で、スペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊を破り東地中海の制海権を確保した。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第174回目は「オスマン帝国その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本ティムールに敗れ君主を失ったオスマン帝国は崩壊の淵にあった。しかし、10余年の内乱を勝ち抜いたメフメト1世が再統一を成し遂げると「奇跡の再興」を果す。再興から半世紀、1453年に「征服王」メフメト2世が難攻不落を誇ったビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルを陥落させ、この伝説の都をイスタンブルと改称。東西交易の要衝を掌握したことで、オスマン帝国は名実ともに「世界帝国」へと脱皮する。16世紀に入ると、「冷酷者」セリム1世が南へと矛先を向ける。1517年、彼は当時イスラム世界の中心だったエジプトのマムルーク朝を電撃的に滅ぼし、聖地メッカとメディナの保護権を奪取。これによりオスマン帝国の君主は、単なる王ではなく、全ムスリムの精神的指導者としての権威をも手中に収めた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第173回目は「オスマン帝国」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本オスマン帝国は13世紀末に小アジア西北部に建国された。瞬く間に近隣の勢力を飲み込みながら巨大な軍事国家へと変貌を遂げる。その象徴がバルカン半島にある、ビザンツ帝国から奪取したアドリアノープル(エディルネ)への遷都だった。第4代君主バヤジット1世の時代、1396年にハンガリーなどのヨーロッパ諸国の連合軍を破り東地中海の覇者としてその地位を固めたかに見えた。しかし、1402年、東方から現れた征服者ティムールとのアンカラの戦いに敗れる。無敵を誇ったオスマン軍は壊滅し、帝国建設は一時停滞する。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第172回目は「トルコ人王朝2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本10世紀、イスラームを受容したトルコ系のカラハン朝がサーマーン朝を破り、中央アジアの主導権はイラン系からトルコ系へと移った。その後、アラル海東方から興ったセルジューク朝が西進し、西アジア一帯を征服。その一族が小アジアに建てたルーム=セルジューク朝は、ビザンツ帝国領だった同地のトルコ化・イスラーム化を決定づけた。この地政学的な大変容こそが、のちに大帝国へと飛躍するオスマン帝国誕生の歴史的土台となったのである。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第171回目は「トルコ人王朝」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本かつてモンゴル高原を拠点としていたトルコ系諸民族は、9世紀にウイグルが崩壊したことを機に、安住の地を求めて中央アジアへと進出する。彼らの運命を大きく変えたのは、イスラム圏における軍人奴隷「マムルーク」としての需要だった。イラン系のサーマーン朝が運営する奴隷市場を経て、アッバース朝をはじめアラブ・イラン系王朝へと送り込まれた彼らは、その高い戦闘能力を武器に頭角を現す。やがて実権を握ったマムルークたちは、エジプトのトゥールーン朝やアフガニスタンのガズナ朝、さらにはホラズム朝といった独自のトルコ系国家を次々と樹立していった。
「大交易・大交流時代」のまとめです。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第170回目は「世界の一体化と大西洋世界」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本大航海時代以降、「世界の一体化」が始まり、大西洋を囲む地域に「大西洋世界」が出現した。貿易の構造も変化し、ヨーロッパからは武器や雑貨、アフリカからは奴隷、新大陸からは銀や砂糖・タバコが各地へ運ばれた。新大陸の銀はヨーロッパを経由、あるいは太平洋を渡ってアジアへと流入し、対価として香辛料や茶、絹織物がヨーロッパへもたらされた。ヨーロッパでは、商業の中心地が地中海沿岸から大西洋沿岸へ移動する「商業革命」、そして銀の大量流入により物価が高騰する「価格革命」が起きた。ヨーロッパ人は、アジアにおいては既存の交易網に参入する形をとったが、新大陸に対しては先住民の文明を滅ぼし植民地化するなど、現地の社会構造を根本から変容させた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第169回目は「スペインその3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本スペインは新大陸から毛織物を輸出して銀を独占した。王室は征服者に統治を任せるエンコミエンダ制から奴隷使用の大農園制に移行させ、アジアではフィリピンのマニラ経由でメキシコ銀を中国に運ぶアカプルコ貿易を行った。国王フェリペ2世は宗教改革の波が押し寄せる中、カトリックの信仰を守ることを最重要視した。その結果、国内の毛織物業者が亡命し、オランダの独立戦争を招いた。無敵艦隊がイギリスに敗れるなど衰退が表面化した。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第168回目は「スペインその2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本16世紀、スペイン王室は広大な新大陸を支配するため国が軍隊を出すのではなく、「野心ある個人」に征服を委託する契約システムを築く。「ハイリスク・ハイリターンの国家公認ビジネス」で有名になった2人がいる。1人目のコルテスはわずか数百人の部下とメキシコに上陸する。1521年にアステカ帝国を滅ぼしメキシコはスペインの拠点となった。コルテスの成功を聞き、アンデス山脈へ向かった男の名はピサロ。1533年にインカ帝国を滅ぼし、ペルーを征服した。二人の征服者によって二つの巨大帝国は地図から消えた。奪われた膨大な金銀はスペインに運ばれ、スペインは「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれる黄金時代を築く。財産を奪いつくすと征服者たちは王室の許可をうけてエンコミエンダ制を実施し、過酷な支配を行った。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第167回目は「スペイン」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本ポルトガルに対抗してスペインもアジアを目指した。ジェノヴァ生まれの航海者コロンブスを支援し、1492年に西インド諸島のサンサルバドル島に到着する。彼は到着した地をアジアと考えていたが、アメリゴ=ヴェスプッチやバルボアにより新大陸であることが判明する。スペインは、トルデシリャス条約によりポルトガルにアフリカ経由でインドやアジアへ行く東回りルートを既に独占されていた。そこで西回り航路の可能性にかけて、ポルトガル出身のマゼランを支援する。彼は途中で戦死するが、残った部下がスペインに寄港し西回りでの世界一周航海を達成。スペインに莫大な富と地理的知識をもたらした。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第166回目は「ポルトガルその2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本インド洋から東南アジアにいたる地域では、現地民やムスリム商人を中心とする大規模な交易ネットワークがすでに形成されていた。後発として参入したポルトガルは、香辛料の生産地や内陸部の商業圏そのものを広範に支配することはできなかった。そこで火器を背景とする軍事力によって、セイロン、ゴア、マラッカ、モルッカ諸島など海上交通の要所を押さえ、各地に要塞や商館を築いて交易の流れを支配した。こうした海と港を結ぶネットワークの形成によって、ポルトガルの首都リスボンは16世紀前半、一時的に世界商業の中心地の一つとなる。1557年にはマカオに居住権を獲得し、中国と日本を結ぶ交易にも関与することで、その海上商業ネットワークを東アジアへと拡大していった。
訂正内容誤:エンリケ航海王子=国王ジョアン2世の第5子(三男)正:エンリケ航海王子=国王ジョアン1世の第5子(三男)
【重要】(2026年1月17日追記)補足内容に間違いがありました。誤:エンリケ航海王子=国王ジョアン2世の第5子(三男)正:エンリケ航海王子=国王ジョアン1世の第5子(三男)教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第165回目は「ポルトガルその1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本他の国々が内戦や領土争いに明け暮れる中、ポルトガルは13世紀には、国土回復(レコンキスタ)をほぼ終え、政治的に安定する。これにより、国家の力を外への探検に向ける余裕が生まれた。15世紀、エンリケ航海王子が地理や航海術の研究を奨励する。アフリカ西岸探検から始まり、1488年にバルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達。1498年にはヴァスコ=ダ=ガマがインド西海岸のカリカットに到着しインド行路を開拓した。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第164回目は「大航海時代その1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本15世紀末、ヨーロッパの人々は未知の海へ飛び出す。背景には4つのポイントがあり、1つ目は「東方へのあこがれ」でマルコ=ポーロの『世界の記述』が、アジアの富や「黄金の国ジパング」の存在を伝え、人々の冒険心を刺激したこと。2つ目は「新しいルートの開拓が求められていたこと」当時、香辛料などの貿易はイタリア諸都市に独占され、さらにオスマン帝国の進出で従来の陸路が通りにくくなっており、仲介料を払わず、自分たちで直接アジアへ買いに行きたいという切実なニーズが生まれていた。3つ目は「国王たちの全面支援が得られたこと」権力を強めたいスペイン、ポルトガルなどの各国の王が、国の財源を増やすために航海者たちへ莫大な資金援助を行う。4つ目は「技術の進歩」で羅針盤や快速帆船の普及により、遠くの海まで行けるようなった。さらにトスカネリの地図などが裏付ける「地球球体説」が、「西へ進めばアジアに着く」という確信を与えた。
中国史「明」に関する過去8回分の内容をまとめます。
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