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5分 de ヒストリー ~歴史・世界史・日本史・学び直し/クロノ
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教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第170回目は「世界の一体化と大西洋世界」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本大航海時代以降、「世界の一体化」が始まり、大西洋を囲む地域に「大西洋世界」が出現した。貿易の構造も変化し、ヨーロッパからは武器や雑貨、アフリカからは奴隷、新大陸からは銀や砂糖・タバコが各地へ運ばれた。新大陸の銀はヨーロッパを経由、あるいは太平洋を渡ってアジアへと流入し、対価として香辛料や茶、絹織物がヨーロッパへもたらされた。ヨーロッパでは、商業の中心地が地中海沿岸から大西洋沿岸へ移動する「商業革命」、そして銀の大量流入により物価が高騰する「価格革命」が起きた。ヨーロッパ人は、アジアにおいては既存の交易網に参入する形をとったが、新大陸に対しては先住民の文明を滅ぼし植民地化するなど、現地の社会構造を根本から変容させた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第169回目は「スペインその3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本スペインは新大陸から毛織物を輸出して銀を独占した。王室は征服者に統治を任せるエンコミエンダ制から奴隷使用の大農園制に移行させ、アジアではフィリピンのマニラ経由でメキシコ銀を中国に運ぶアカプルコ貿易を行った。国王フェリペ2世は宗教改革の波が押し寄せる中、カトリックの信仰を守ることを最重要視した。その結果、国内の毛織物業者が亡命し、オランダの独立戦争を招いた。無敵艦隊がイギリスに敗れるなど衰退が表面化した。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第168回目は「スペインその2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本16世紀、スペイン王室は広大な新大陸を支配するため国が軍隊を出すのではなく、「野心ある個人」に征服を委託する契約システムを築く。「ハイリスク・ハイリターンの国家公認ビジネス」で有名になった2人がいる。1人目のコルテスはわずか数百人の部下とメキシコに上陸する。1521年にアステカ帝国を滅ぼしメキシコはスペインの拠点となった。コルテスの成功を聞き、アンデス山脈へ向かった男の名はピサロ。1533年にインカ帝国を滅ぼし、ペルーを征服した。二人の征服者によって二つの巨大帝国は地図から消えた。奪われた膨大な金銀はスペインに運ばれ、スペインは「太陽の沈まぬ帝国」と呼ばれる黄金時代を築く。財産を奪いつくすと征服者たちは王室の許可をうけてエンコミエンダ制を実施し、過酷な支配を行った。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第167回目は「スペイン」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本ポルトガルに対抗してスペインもアジアを目指した。ジェノヴァ生まれの航海者コロンブスを支援し、1492年に西インド諸島のサンサルバドル島に到着する。彼は到着した地をアジアと考えていたが、アメリゴ=ヴェスプッチやバルボアにより新大陸であることが判明する。スペインは、トルデシリャス条約によりポルトガルにアフリカ経由でインドやアジアへ行く東回りルートを既に独占されていた。そこで西回り航路の可能性にかけて、ポルトガル出身のマゼランを支援する。彼は途中で戦死するが、残った部下がスペインに寄港し西回りでの世界一周航海を達成。スペインに莫大な富と地理的知識をもたらした。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第166回目は「ポルトガルその2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本インド洋から東南アジアにいたる地域では、現地民やムスリム商人を中心とする大規模な交易ネットワークがすでに形成されていた。後発として参入したポルトガルは、香辛料の生産地や内陸部の商業圏そのものを広範に支配することはできなかった。そこで火器を背景とする軍事力によって、セイロン、ゴア、マラッカ、モルッカ諸島など海上交通の要所を押さえ、各地に要塞や商館を築いて交易の流れを支配した。こうした海と港を結ぶネットワークの形成によって、ポルトガルの首都リスボンは16世紀前半、一時的に世界商業の中心地の一つとなる。1557年にはマカオに居住権を獲得し、中国と日本を結ぶ交易にも関与することで、その海上商業ネットワークを東アジアへと拡大していった。
訂正内容誤:エンリケ航海王子=国王ジョアン2世の第5子(三男)正:エンリケ航海王子=国王ジョアン1世の第5子(三男)
【重要】(2026年1月17日追記)補足内容に間違いがありました。誤:エンリケ航海王子=国王ジョアン2世の第5子(三男)正:エンリケ航海王子=国王ジョアン1世の第5子(三男)教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第165回目は「ポルトガルその1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本他の国々が内戦や領土争いに明け暮れる中、ポルトガルは13世紀には、国土回復(レコンキスタ)をほぼ終え、政治的に安定する。これにより、国家の力を外への探検に向ける余裕が生まれた。15世紀、エンリケ航海王子が地理や航海術の研究を奨励する。アフリカ西岸探検から始まり、1488年にバルトロメウ=ディアスが喜望峰に到達。1498年にはヴァスコ=ダ=ガマがインド西海岸のカリカットに到着しインド行路を開拓した。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第164回目は「大航海時代その1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本15世紀末、ヨーロッパの人々は未知の海へ飛び出す。背景には4つのポイントがあり、1つ目は「東方へのあこがれ」でマルコ=ポーロの『世界の記述』が、アジアの富や「黄金の国ジパング」の存在を伝え、人々の冒険心を刺激したこと。2つ目は「新しいルートの開拓が求められていたこと」当時、香辛料などの貿易はイタリア諸都市に独占され、さらにオスマン帝国の進出で従来の陸路が通りにくくなっており、仲介料を払わず、自分たちで直接アジアへ買いに行きたいという切実なニーズが生まれていた。3つ目は「国王たちの全面支援が得られたこと」権力を強めたいスペイン、ポルトガルなどの各国の王が、国の財源を増やすために航海者たちへ莫大な資金援助を行う。4つ目は「技術の進歩」で羅針盤や快速帆船の普及により、遠くの海まで行けるようなった。さらにトスカネリの地図などが裏付ける「地球球体説」が、「西へ進めばアジアに着く」という確信を与えた。
中国史「明」に関する過去8回分の内容をまとめます。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第163回目は「明その8」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本巨万の富を築いたのが、徽州商人(新安商人)や山西商人といった特権商人で、彼らは全国にネットワークを広げ、都市には同郷や同業者の互助組織である会館・公所を建設し、ビジネスの拠点とした。銀が社会に浸透したことで、明政府は複雑だった税制をシンプルに一本化する。一条鞭法と言い、それまで現物や労働で納めていた税を、すべて「銀」で一括納入させた。繁栄の裏では深刻な格差が生まれ、官僚経験者などの有力者である郷紳(きょうしん)が地方社会で実権を握る。彼らは広大な土地を所有し、小作農である佃戸(でんこ)を支配した。銀による納税義務は、現金を持たない貧しい農民たちを苦しめ、耐えかねた佃戸たちは、地主に対して小作料の支払いを拒否する抗租運動(こうそうんどう)を各地で引き起こす。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第162回目は「明その7」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本大航海時代の到来とともに国際商業が活発化し、中国の生糸や陶磁器は、はるかヨーロッパやアメリカ大陸にまで運ばれる世界的な人気商品となる。特に景徳鎮の陶磁器は、その美しさから「白い金」と呼ばれ、世界を魅了した。これらの対価として、日本やメキシコから膨大な量の銀が流入し、国内の商工業を爆発的に発展させていく。経済の発展は、国内の勢力図も塗り替えた。 かつて「蘇湖熟すれば天下足る」と言われた穀倉地帯の長江下流域では、儲かる生糸などの商品作物の栽培に特化するようになる。その結果、人口に対して穀物が不足したので、長江中流域が食料供給の担い手となり「湖広熟すれば天下足る」という言葉が生まれるほどに栄えた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第161回目は「明その6」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本16世紀後半、万暦帝の時代に明は急速に国力を低下させる。幼少のころは内閣大学士の張居正が補佐し、一条鞭法などの諸改革により国内は安定した。しかし、成人後は宦官を重用し、自分は後宮に閉じこもってしまった。宦官の権力独占を批判する顧憲成が率いる東林派と、宦官らの勢力との闘争が激化し、政治は混乱する。北虜南倭に続き、豊臣秀吉による朝鮮出兵、東北地方でのヌルハチによる明からの独立への対応で財政難は深刻化した。その穴埋めのための重税と飢饉が重なり、各地で農民反乱が勃発し、1644年に反乱軍の李自成に北京を包囲され、明は滅亡した。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第160回目は「明その5」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本永楽帝の死後、明は北虜南倭と言われる北方からモンゴル系民族、南方沿岸から倭寇という二つの勢力に脅かされた。1449年、6代目の正統帝がエセン=ハン率いるオイラトの捕虜となる土木の変が起き、1550年には、アルタン=ハンが率いるタタールにより北京が包囲されている。倭寇とは、13世紀末から16世紀にかけて東アジアの海域を荒らした海賊集団の総称で、日本人中心の前期と、明の海禁に反発する中国人中心の後期に分けられる。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第159回目は「明その4」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本永楽帝は国内の基盤を固めると同時に空前絶後のプロジェクトを開始する。それが鄭和(ていわ)の南海遠征。船団を東南アジアやインド洋に派遣した。遠征の主な目的は明が「世界の中心」であることを誇示し、周辺諸国に皇帝への挨拶(朝貢)を促すことにあった。遠征の規模は1405年から1433年までに計7回。最大で約60隻の「宝船(ほうせん)」を含む200~300隻の大艦隊で人員は約2万7000人以上だったとされる。遠征は大成功をおさめるが、永楽帝の死後、莫大なコストや北方の脅威、保守的な批判から急速に縮小し中止された。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第158回目は「明その3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本洪武帝には20人以上の子がおり、彼らに領地を与えて各地の王としていた。2代目皇帝の建文帝は諸王抑圧策を実施する。これに対して燕王は靖難の変を起こして南京を占領、実力で皇帝の位を奪う。3代目皇帝に即位した永楽帝は北方への関心が強く、本拠地であった北京に遷都して5回にわたってモンゴル高原に親征、北辺防備のために万里の長城を修築する。内政では内閣大学士を設置して皇帝を補佐させ、宦官を重く用いた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第157回目は「明その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本洪武帝(朱元璋)の統治は、モンゴル帝国を継承する側面と、中国の農村社会に基盤をおく側面の両面をもっていた。民戸や軍戸のように職業別の戸籍に分類するのはモンゴルの制度、土地台帳の魚鱗図冊、租税・戸籍台帳の賦役黄冊を作成したのは土地と農民を把握するためだった。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第156回目は「明」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本貧農出身の朱元璋は、紅巾の乱で白蓮教徒の反乱軍に加わり頭角をあらわす。1368年に皇帝(洪武帝)に即位し、南京を都として明を建国する。その後、大都を攻撃し、元をモンゴル高原に退けた。彼は宰相を廃止し六部を皇帝の直属として、皇帝独裁体制を強化する。官僚登用にあたっては朱子学を官学化し科挙を行整備、唐の律・令にならって明律・明令を制定する。民生を安定させることを目的に里甲制を実施し、六か条の教訓(六諭)を定め、軍制では衛所制をしいて防衛や運輸を担わせた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第155回目は「北欧」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本スカンディナヴィアとユトランド半島に残ったノルマン人が、デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの3王国を作る。1397年にデンマークの摂政マルグレーテが中心となりカルマル同盟が結成され、同君連合の王国が成立。一大勢力となり北海、バルト海交易をめぐりハンザ同盟と覇権を競い合った。この連合は1523年にスウェーデンが離脱するまで続いた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第154回目は「イタリアその2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本12世紀にイタリアの南部ではノルマン人によって両シチリア王国が建国され、14世紀にシチリア王国とナポリ王国に分裂する。イタリア中部にはローマを中心とした教皇領が広がり、、北部にヴェネツィア、フィレンツェなどの都市国家が分立していた。神聖ローマ皇帝が、イタリア政策を推し進めて北イタリアに介入してくると、諸都市の内部では有力市民が皇帝党(ギベリン)と教皇党(ゲルフ)などの党派に分かれて抗争を繰り返し、国内統一はさらに遠いものになった。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第153回目は「イタリア」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本875年にカロリング朝のイタリア王統が断絶すると、イタリア半島は有力な諸侯による王位争奪戦が繰り広げられ、混乱と分裂の時代が続いた。962年に神聖ローマ帝国が成立すると、イタリア北部は帝国の「イタリア王国」として形式的にその支配下に入る。歴代の皇帝は、実質的に支配するため、軍事介入や人事介入を繰り返すイタリア政策を推し進めた。しかし、しばしばローマ教皇や、台頭する都市との激しい対立を引き起こし完全な支配は上手くいかなかった。皇帝権力の不徹底に乗じて、特に11世紀以降、北・中部イタリアでは、市民が自治権を獲得したコムーネ(自治都市)が数多く成立する。ヴェツィア共和国、メディチ家が台頭するフィレンツェ共和国、そしてミラノ公国などが名高い。




