Discover5分 de ヒストリー ~歴史・世界史・日本史・学び直し/クロノ
5分 de ヒストリー ~歴史・世界史・日本史・学び直し/クロノ
Claim Ownership

5分 de ヒストリー ~歴史・世界史・日本史・学び直し/クロノ

Author: クロノ

Subscribed: 76Played: 1,083
Share

Description

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。2024年からUdemy講師。

公式サイト:れきぞう(歴蔵)
https://www.sowhatzone.com/

note
https://note.com/simpleple/

X
https://x.com/chrono_history

Udemy
https://www.udemy.com/user/song-yuan-xiu-zhi-2/
220 Episodes
Reverse
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第193回目は「宗教改革その3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本ルターの活動に刺激され、既存の秩序に不満を抱く農民階層が蜂起した。ミュンツァーが指導したドイツ農民戦争に対し、ルターは当初、農民の窮状に理解を示しつつも暴力には反対する中立的な立場をとった。しかし、運動が過激化・暴徒化するとルターは明確に不支持を表明し、諸侯側に徹底的な鎮圧を促した。結果、農民戦争は鎮圧されて農奴制が維持・強化され、これがドイツが近代化に遅れる原因の1つとなった。一方、対外関係ではイタリア戦争やオスマン帝国の圧迫に直面した皇帝カール5世が、1526年にいったんルター派を事実上容認した。しかし、情勢が好転した1529年に再びルター派を禁止。これに強く抗議したルター派の諸侯や都市は、のちにシュマルカルデン同盟を結成して結束を固め、ついには皇帝側との内戦へと発展していった。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第192回目は「宗教改革その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本ドイツのヴィッテンベルク大学教授、ルターは、1517年に『九十五ヶ条の論題』を発表し、贖宥状(免罪符)の販売を厳しく批判し、宗教改革が始まった。彼はライプツィヒ討論を経て教皇の権威を否定したことで破門を宣告されるが、その一方で『キリスト者の自由』を著し、「聖書のみ」をよりごろととし、「信仰のみ」によって救われると、改革の根幹を示す。その後、皇帝カール5世が招集したヴォルムス帝国議会に喚問されるも、自説の撤回を拒否したため帝国追放処分を受ける。しかし、反皇帝派であるザクセン選帝侯フリードリヒの保護下で、潜伏先のヴァルトブルク城にて『新約聖書』のドイツ語訳を完成させ、信仰のあり方を民衆へと広めた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第191回目は「宗教改革その1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本16世紀の宗教改革は、ウィクリフやフスによる先駆的な教会批判を土台としつつ、人文主義(ヒューマニズム)の隆盛と聖書原典研究による「聖書至上主義」の広まりを背景に発生した。直接的な原因は、教皇レオ10世がサン=ピエトロ大聖堂の改築資金を集めるために行った贖宥状(免罪符)の販売であり、これが既成の教会秩序に対する大規模な変革運動へと発展した。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第190回目は「近代ヨーロッパ世界その8」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本ポーランドのコペルニクスによって提唱された地動説は、宇宙観の転換点となった。その後、イタリアのジョルダーノ・ブルーノは汎神論の立場から宇宙の無限性と地動説を主張したが、異端と見なされ火刑の悲劇に見舞われる。しかし、真理への探求は止まらず、同じくイタリアのガリレオ・ガリレイが望遠鏡を用いた天体観測によって地動説を実証。最終的にドイツのケプラーが惑星運動の法則を数理的に解明したことで、近代科学の扉は完全に開かれたのである。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第189回目は「近代ヨーロッパ世界その7」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本ルネサンス期、イスラーム世界からの科学知識の流入や古代ギリシャ・ローマの合理的精神の復活を背景に、近代科学の礎が築かれた。この時代に普及した「ルネサンスの三大発明」はいずれも中国を起源とし、ヨーロッパで改良・応用されたことで社会構造を劇的に変化させた。まず、火薬の活用は戦術を一変させ、従来の騎士階級の没落を促す。次に、改良された羅針盤は正確な方位把握を可能にし、大洋への遠洋航海を切り拓いた。そして15世紀半ば、ドイツのグーテンベルクによって実用化された活版印刷術は、書籍の製作コストを大幅に引き下げる。その結果、聖書が安価に普及して人々の手に渡るようになり、カトリック教会の権威に挑む宗教改革の進展に決定的な影響を与えた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第188回目は「近代ヨーロッパ世界その6」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本ネーデルラントではファン・アイク兄弟が細密な描写を可能にする油絵技法を完成させ、北方絵画の基礎を築いた。「人文主義の王」と称されたエラスムスは、原典に基づく聖書研究を推進。著書『愚神礼讃』では、腐敗した聖職者や社会の権威を痛烈に風刺し、宗教改革の先駆けとなった。ドイツではデューラーがイタリアの理論と北方の写実性を融合させた。版画技術を芸術の域に高めるとともに、緻密な自画像や宗教画を残し、ドイツ・ルネサンスの頂点を極めた。イギリスではシェークスピアがエリザベス1世らの庇護のもと、母国語の英語による劇文学を確立した。人間の複雑な心理や葛藤を鋭く描き出し、イギリス国民文学の象徴として、その後の西欧文化に多大な影響を与えた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第187回目は「近代ヨーロッパ世界その5」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本14世紀にイタリアで始まったルネサンスは、やがてアルプスを越えてネーデルラント、ドイツ、イギリスなどの諸地域へと波及した。これを北方ルネサンスと呼ぶ。イタリア・ルネサンスが古代ギリシア・ローマの美の再生に主眼を置いたのに対し、北方は伝統的権威、特にカトリック教会に対する批判的精神が強かったのが特徴である。この精神は社会変革の動きと結びつきやすく、後に宗教改革を誘発する土壌となった。また、各国君主による手厚い保護を受け、作品に母国語が積極的に用いられるなど、強い国民性(ナショナリズム)を帯びて展開した。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第186回目は「近代ヨーロッパ世界その4」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文学における「三傑」と呼応するように、美術の世界でも驚異的な才能が相次いで現れる。レオナルド・ダ・ヴィンチは「万能の天才」と称され、緻密な観察と研究を重ねた人物である。輪郭を柔らかくぼかすスフマート(ぼかし技法)によって人物の表情に深い奥行きを与え、『モナ・リザ』や『最後の晩餐』といった作品に静かな神秘性を宿らせた。ミケランジェロは彫刻家としての精神を持ち、力強い肉体表現によって人間の苦悩や精神の葛藤を描いた。『ダヴィデ像』は理想化された人体表現の傑作であり、またシスティーナ礼拝堂では壮大な天井画と祭壇壁画『最後の審判』を制作し、その圧倒的な生命力で人々を魅了した。ラファエロはこの二人の長所を吸収し、最も調和のとれた様式を完成させた画家である。『アテナイの学堂』や数多くの『聖母子像』は、均衡と優雅さに満ちた古典的美の理想を示し、その後の西洋美術の規範となった。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第185回目は「近代ヨーロッパ世界その3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本イタリア・ルネサンス文学の幕開けを飾ったのは、壮大な叙事詩『神曲』を編み上げたダンテであった。彼はラテン語ではなく日常語(トスカナ語)を用いることで、後の「イタリア語」形成に決定的な影響を与えた。続くペトラルカは『叙情詩集』を通じて内省的な美を追求し、個人の感情を豊かに表現。そして、写実的な人間模様を描いた『デカメロン』の著者ボッカチオは、近代小説の先駆者としてその名を刻んだ。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第184回目は「近代ヨーロッパ世界その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本15世紀にフィレンツェのメディチ家のもとで開花したルネサンスは、16世紀にはローマ教皇やヴェネツィアへと その中心を移す。しかし、この運動は富裕層や知識人による「エリートの文化」に留まり、民衆を巻き込んだ社会変革や政治運動へと発展することはなかった。最終的には、大航海時代の到来による地中海貿易の衰退と、相次ぐイタリア戦争による国土の荒廃が重なり、都市の経済力を基盤としていた黄金期は急速に終焉を迎えた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第183回目は「近代ヨーロッパ世界1」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本中世という長い「神の時代」がゆるやかに終わりを迎え、イタリアの地で「人間」が再び主役として注目されるようになる。14世紀のペストの大流行によって多くの人々が命を落とし、生きることや人間そのものについての関心が高まったことも、その背景にあった。地中海貿易によってもたらされた莫大な富が都市を潤し、野心的な市民や権力者たちは競うように芸術や学問を支援した。かつてローマ帝国の中心であったイタリアの都市には、滅亡したビザンツ帝国から知識人が流入し、さらにイスラーム世界を通じて受け継がれてきた古典の知識も加わる。こうして古典文化の再発見を通じて人間の価値や尊厳を見直す思想、ヒューマニズム(人文主義)が、パトロンたちの庇護のもとで花開き、後に「再生」を意味するルネサンスと呼ばれる文化のうねりが生まれた。
清の乾隆帝までのまとめ
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第182回目は「清その6」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本清朝は、少数民族である満州族による多民族統治を安定させるため、「アメ」と「ムチ」を巧みに組み合わせた統治策を展開した。まず、漢民族の知識層を懐柔すべく、伝統的な官吏(かんり)登用制度である科挙を存続させるとともに、中央政府の要職に満州人と漢人を同数登用する満漢併用制を導入した。その一方で、漢民族の自尊心や抵抗心を削ぐための威圧策も徹底された。成人男性に対して満州族の風習である辮髪(べんぱつ)を強制し、思想面では文字の獄や禁書を通じて、清朝に批判的な言論を厳格に弾圧した
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第181回目は「清その5」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本6代目の皇帝、乾隆帝の時代に清の領土は最大となり、文化・経済もピークを迎える。東トルキスタンのジュンガルと回部(かいぶ)を次々と征服し、この地を新疆(しんきょう)と命名する。直轄領以外のモンゴル・チベット・青海・新疆を藩部と呼び、2代目太宗(ホンタイジ)の時代に設置された理藩院によって、現地の有力者に自治を任せる間接統治を行う。1757年、ヨーロッパとの貿易窓口を広州(こうしゅう)1港に限定し、行商(こうしょう)と呼ばれる特権商人に貿易を独占させる。平和に伴う人口の爆発的増加により、土地不足に陥った農民たちが新天地を求め東南アジアなどへ移住し、華僑(かきょう)として現地の経済に影響を与えた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第180回目は「清その4」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本5代目の雍正帝は皇帝独裁体制を確立し、清の全盛期の基盤を固める。当初は対ジュンガル戦のための軍事機密機関として軍機処を設置するが、次第にそれまでの最高機関であった内閣大学士に代わり、政治の最高中枢となった。宣教師を追放してキリスト教の布教を全面的に禁止し、思想統制を強める。1727年にロシアとキャフタ条約を結び、主にモンゴルとシベリアの間の国境を確定。これにより紛争を避けつつ、国境貿易を拡大させた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第179回目は「清その3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本4代目の康煕帝は1681年、清朝の支配に反抗した呉三桂らによる三藩の乱を鎮圧し、国内を完全に平定した。その後、1683年に鄭成功の一族が抵抗拠点としていた台湾を攻略。これにより、明朝が滅亡した後も続いていた混乱に終止符を打ち、中国全土の統一が完成する。対外的には、アムール川沿いに南進するロシア帝国と衝突するが、1689年にピョートル1世との間でネルチンスク条約を結んで国境を定めた。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第178回目は「清その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本2代目のホンタイジ(太宗)は、1635年に内モンゴルのチャハルを征服してモンゴル大ハーンの地位を継承した。翌1636年、満洲・モンゴル・漢人の推戴を受けて国号を清と改め、皇帝に即位。翌年には朝鮮王朝を服属させた。1644年、李自成の乱によって明が滅亡すると、3代目の順治帝は、明の将軍であった呉三桂の手引きで山海関(さんかいかん)を越えて中国本土へ進出し、北京へ遷都した。中国平定に尽力した呉三桂ら3人の漢人将軍は、その功績から華南に領地を与えられ、それぞれ藩王に任命された。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第177回目は「清」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本13世紀に元に滅ぼされた後、女真人は中国東北地方の満州で部族ごとに分かれて生活していた。明に間接支配を受けていたが、明の国力が落ちた隙にヌルハチが台頭する。諸部族を統一し、1616年に「金」を再興した。歴史上は、かつて存在した金と区別するため後金と呼ぶ。彼は単なる軍事組織ではなく、行政・社会組織としての側面も持つ八旗を作り、モンゴル文字をもとに満州文字を作成した。
オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国のまとめです。
教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第176回目は「サファヴィー朝その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本16世紀前半、サファヴィー朝はバグダードの支配権を巡ってスンナ派のオスマン帝国と激しく対立する。セリム1世との戦いに敗れ、アナトリア東部はオスマン帝国に帰属。さらにスレイマン1世に敗れ、イラク地方を奪われた。一時勢力をそがれたが、アッバース1世の時代に復興する。彼は火器を中心とした軍備の改革を進め、オスマン帝国からバグダードを奪還、インド方面からホルムズ島に進出していたポルトガルを駆逐した。イスファハーンを新たな都とし、アルメニア商人によって国際商業が活性化する。人と物が集まり、「世界の半分」と称されるほど繁栄した。
loading
Comments