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間(あわい)を揺蕩うRADIO

Author: 間(あわい)を揺蕩うradio

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いくみんと、クボヒロが基本的にはまるでやくにたたない話をひたすら繰り広げる番組です。
74 Episodes
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あの時、何してた?この時期は割とみんなそれをいう。私もいうけれど、どこか申し訳ない気持ちになってしまう。結局私は「特になにも失わなかった」から。いや、それなりにいろいろ失っているんだけどね。失っているけれど、いろんな人が助けてくれたし、命はあるし。というきもちになっちゃうよね。15年で私は変わったかなあ。まあ子どもは大きくなったけど。人としての本質は全然変わっていない気がするけれど、でもやっぱり変わっているんだと思うが自分じゃ全然わからない!自分の変化ってどうやって自分で気づくの?それが知りたい!と思いました。どうですか?そこんとこ。
ぬれせんべいが好きかどうかなんて、人生でいままで一度も考えたことがありません。今日は雨も降っている上に、花粉も飛んでいてちょっと悲しい気持ちだったので、こういう質問を受けると「毒気が抜ける」。いくみんは草森紳一さんの書庫「北海道の実家に建てた高さ9メートルの白い書庫「任梟盧」に行ってきたらしいよ。ちなみに、にんきょうろ、と読みます。9メートルの書庫。そしてご本人は本にまみれてなくなったらしいが、ぜひ本の雑誌の2月号特集「本ヲ終活セヨ」を読んでいただきたかった。ほんとだよなー、お互い気を付けような!本を愛するみなさん。ところで、私は「ぬれせんべい」より「旨塩屋」という薄焼きせんべいが好きです。なんかだしの味がする。
SNSで「うわ、いやだなあ」と思う表現を見つけてしまって、見なきゃよかった…という自責と後悔で気持ちが沈むこと、ありませんか。しかも、SNSって時間をまさに溶かしているそのものじゃん、っていう。いくみんは現在ご自愛期間だったそうですが、私はハイパーに活動中。(とはいえふつうの人のふつう、が私にとってはハイパーなのかもしれないが)好きなことばかりやっているからこそ、ときどき「楽しんでばかりでいいの?」という自戒も湧いて…くる?こないか?!くるよね?!そんなこんなで生まれる小さな違和感。ちなみに最近の私の違和感は、「中学最後の定期テストに挑む次男」に対して、長男が「このテスト頑張っても意味ないじゃん」と言い放ったこと。そのせいで次男はすっかりやる気をなくし、ずーーっとショート動画を見ている。違和感じゃない、怒りでした。何言ってくれてんだよ!ではまた来週。
だめだな、自分って思うことありますか?私は毎日です。毎日思うけど、「まあそんなこともあるさ」と生きています。そんなこともあるけど、やっぱり明日になったら楽しく生きているんだよねえそんな♯72!
普通に香道やってるときは生きてる実感あるよ!って思ったけど、そうすると会話が終わるので、いっしょうけんめい考えました!「生きている実感とはなんだろう」と思う。・犬氏がもふもふさせてくれたとき。・寒いスタジアムでカップヌードル食べたとき。・スポーツしたあと。・好きなことをしているとき。・美術館の空間を堪能しているとき。ざっと考えるとこんな感じかな。・初めてのことをしていてドキドキするとかもあるかも。わたしいま、初めての小冊子(ちゃんとした)を作っていて、初めましての出来事ばっかりでドキドキしている…!・はじめましての出会いこれも生きている実感あるかな。そう思うと「物理的に温度を感じたとき」(冷たいところからあったかいところに行く、とか)と「感情が動いたとき」になるのかな。生きている実感がない!とかなんで生きているんだろう、とか思ったら美術館にくればいいよ!ぼーっとしているだけでもいい空間だしさ。もしかしたら少し、感情が動く瞬間があるかもしれない。
久しぶりの揺蕩いでした。最近のAIについてあれこれ。お付き合いの仕方、どうしていますか?そこから話は身の回りの人の話へ。私の今年のテーマは「正しく愛する」。それぞれの人(家族・犬氏たちも含む)やお仕事や美術館の活動も含めて世界をそれぞれ「過度にもならず、不足にもならず」愛したいということです。正しく愛する、って言葉がちょっと感じ悪いなあと書いていて思いました。どう思います?「正しい」という字に問題があるのかもしれない。正しいってなんか許されない感じするもんなあ。私だけかもしれないけど。とはいえ「てきとうに愛する」だとなんか問題ありそう。言葉というのは不思議なものです。みなさんのまなざしはどんな感じ?
いくみんは今週修論で忙しいのでショート。我々はお正月にお会いして、アフヌンしてまいりました。そういえば。話題は私が行ってきた国立国会図書館ツアーでした。せっかくだから図書カードも作ったので、機会を見つけていきたいが、永田町遠いんだよな…がんばれ!わたし。年末年始に買った本(家族にまた買った!)と言われるからこっそり買った本は村田紗耶香の『世界99」です。未読ですが、評判はよく聞いている!よみたい。いろんなところで本の話題になって「これ読みたいなあ」ってものをピックアップしているのだが、そのメモはたいていどっかに行ってしまうのが最近の悩みです。未読本でほかに最近買った本は「商業美術家の逆襲」と「木挽町のあだうち」と「どうにかしなくちゃ」「正欲」です。そのうち「どうにかしなくちゃ」は読み終わった。面白かった。事務屋の私としてはそうなんだよ!と事務の地位向上を訴えたい。去年最後に買った本は「宗教右派とフェミニズム」だが、これは「私は性差別されていない」と思いがちなのだが、やっぱりほんとはいろいろあるんだよね。自己責任にしがちだけど。はっきりここには書かないから、なんかの時に聞いてくれたら話すこともあるかもね。うまくいっていないことを「〇〇のせい」というのは短絡的なんだが、「わたしが至らないから」というのも短絡的。どっちもだし、案外それって自分の中で固定化しているんだと思うんだ。だから、本を読むことでちょっとフラットになったらいいなと思っているんだよー。まだ読んでないけど。ここまで書いた本のタイトルで読み終わっているのは「なんとかしなくちゃ」の一冊でした。ははは。
やきもきするよね…という話なんだけど、「やきもき」って変な言葉だな。「やきもき」という言葉はあれこれと気をもんでいらいら、そわそわするさまのこと。語源としては諸説ある、と書いてあります。「やく」は焼くから来ていて焦るような気持ちを表す、と。「もき」はもくもく煙が立つ様子。つまり「やきもき」で心に火が立ってもくもく煙って落ち着かない、と。なんか…ウソっぽい。違う説ないんかな?(諸説あります、っていうくらいだからな)あとは、方言だった説、やき、は焼き、という状態で焦ることをいい、もき、は特に意味のない言葉でなんかバランスを整える語調とか。これは全然意味はよくわかんない。「べらぼう」の「ぼう」も意味のない言葉というから、ないとは言い切れない。でも、なんか投げやり感が否めない。次は「気をもむ」から「やきもき」が生まれた説…まあとにかく「やきもき」はだいたいなんでできたかわからん、ということが分かりました。それはともかく「やきもき」と言われると心のおちつかない感じなんだな、と思うからやきもきするきもちを「やきもき」と最初に表現した人はすごいなあ。今年最後の揺蕩いでした。あー楽しかったな。来年もよろしくお願いします!!今年のいくみんのイチオシ本は「生きるための表現の手引き」渡邉康太郎で私のは「犬と鬼 知られざる日本の肖像」アレックスカーでした。今年もまだ1週間ある!まだまだ読むぞー
今年もあと15日を切りましたね。あと100日というときにはルービックキューブをそろえられるようになりたいと言っていたいくみんですが、それは無理そうです。あと2キロ痩せたかった私も多分無理だと思います。まあいいけどさ。そんな私たちの今日の話題は今年の漢字。世の中的には「熊」だったらしいですが、先日美術館で「クマさん親子がたくさん野原で遊んでいる、兎さんもいるよ!」という場面が描かれている作品を見たときに「クマさんはこんな牧歌的なはずがない。だから現実味がない」という意見があってちょっと面白いなと思いました。その作品が作られたのは30年以上前だから、その時は「♪ある~ひ 森の中♪」というイメージだったろうに…。閑話休題そんな私たちの今年の漢字について今日は話しました。話しているうちに2029年くらいまでの漢字が決まりましたが、覚えていることはないと思います。(お互いにね…)
今日はショート。やりたいことがたくさんあって、命が足りない今日この頃。お元気ですか。先日、参加しているコミュニティのなかで「こういうことがやりたいなあ」と企画を提案したところ、「それは必要なんですか?なんのためにやりたいんですか?」と聞かれてうーん、別に必要じゃないんだけど、だって、知りたいから…と思ったことを思い出しました。知りたい、なんとなくやりたいなーと思ったから、ということでは「やる理由に足りない」と言われるのがちょっと悲しいです。やりたいからやりたいのに。もやもや。もやもやするのは大事だよ、と言われて考えたのですが、「もやもや」というのは言語化が不十分だといわれたりします。もっと具体的な言葉があるはずだと。「もやもや」はどうにも行き場のない憤りとか、わざわざそれに反対意見を述べるほどではないが、納得いかないなあ、という感覚にもいえて、それは「もやもや」としかいいようがないものだと思うんですね。それで、そういう行き場のないものを抱えながら生きていくのが人間なんだろうなあとも思ったり。抱えながら生きていく力を得るのが物語の力なんだろうなあ。『イン・ザ・メガチャーチ』を読み終わった私は物語、という言葉を軽々しく使えなくなってなんかそれももやもやする!
あなたの内からあふれ出るものは何かと聞かれて、とっさに答えられなかったのだけど、考えてみると「内からあふれ出るもの」があるから表現につながるんだよなあ。と思ったので、それについて書いていこうと思う。昨日は午前中に藝大美術館でやっていた3つの展示を見にいった。まずは「芸術未来研究場」。ケア&コミュニケーション、アートDX、クリエイティブアーカイブ、キュレーション、アート×ビジネス、芸術教育、官民共創あれこれ…満腹感の強い展示。関わっているものも、知っていることもあったけれど、知らないこともいっぱいあった。ここを見ているとすべての生きることはアートなんだよなあと改めて思う。そして、生きることを残していることや語ることが文学なんだよなあ。と感じている。ここにもAIか。(官民共創案件でしょっちゅうAIが出てくる。むむむ。)地下で展示されていたのは、「美しさの新機軸」これは保存修復の試みのいろいろを展示しているもので、根津美術館にある「鶉図」とかを調査研究してもとはどのような作品だったのかを探るんだ。今私たちが見る巻物とかの作品はたいてい退色しているから、なんか新しい全然違うものを見ている(チープな)気がしてしまう。これって私の思い込みで、怖いわ。そして、陳列館では「例えば(天気の話をするように痛みについて話せれば)」という展示。現代アートの嵐に見舞われたな。創作は内からあふれ出ているものであふれていた。そういえば、短歌と俳句をAIに分析してもらいました!というのがあったけど、「俳句はいまここ、の切り取りで、短歌は過去と未来に広がる」って書いてあった。そりゃあそうだ。短歌だし。と思ったけれど、そうでもないのかーと改めて(短歌の展示もあったから)感じ入りましたとさ。おしまい。
熊に全部持ってかれた配信でした。(熊で揺蕩っていいのだろうか)いくみんは寝る前にみっつの問いを立てて寝るらしいよ。私は気絶だよ。(ギリギリ目覚ましの設定できている、えらい。でもポケモンスリープの「睡眠なんとか」まではなかなかいきつけず。)いくみんのほうが健康だな。一年間健康に生きていきたい。(急に抱負)昨日、誕生日だったんだけど、布団に入ったころ、長男がジムから帰ってきて「おい!おまえ誕生日だろ」(言い方)ともちもちロールケーキを買ってきてくれた。でも私、気絶人なので、「おーありがとうー冷蔵庫入れておいて」しか言わなかったのだった。(8割寝てた)一緒に食べたかっただろうか。一応、今日ライブに行くといっていたが、誘うだけ誘っておこう。そうだよね、自分も食べたいのじゃないと買わないよね。きっと。悪いことしちゃったかも。(というか話題になるまで忘れてた→ひどい)よく考えてみたら、私も中学生、高校生の時はいろんなことにイライラしていたな。今はイライラしないな、とさっき収録で言ったけど、やっぱりイライラすることはあるわ。中高生のころと今の違いはイライラの解消法をあれこれやれること。たとえば解決をするために何かする、とか人としゃべるとか、書くとか、気分転換するとか、金で解決するとか。思い通りにいかないことなんて普通だと知っているし、だから面白いんだよねと思えること。そして「イライラしてる」自分も「そりゃあそうだよね」って思える。年をとってよかったことの一つは、自分の機嫌を取る方法を自分で実践できることだな。年を取ることの叡智!!(がいつまでも持てますように…)
話したい事がたくさんあった今週。私は先週いくみんのライブパフォーマンスを見にいったんだよ。都美の展示も見に行った。ライブは迫力があるなあと思う。画家のライブペインティングも見たことあるけど、書のほうがなんちゅーか、即興性というか緊張感が高いんだよなあ。前にいくみんが「筆を紙から離さない」と言っていたので、もしかしたらそういう部分が緊張感というか即興性の高さにつながっているのかもしれんな、と思っている。(そもそもそんなこと言ってないかもしれないから、その時はすみません)エネルギーの高いいくみんは週末はZINEフェスに行っていたということで、フェスのコツを教えてくれた。私は月末に文学フリマに出展するんだよ。ドキドキ。人見知りを発揮しそうな気がしますが、ここを読む奇特な方がいて、かつ文学フリマに行くというさらに奇特な方がいたら声をかけてくださいね…すっごいびっくりするから。
なぜか家の鍵が開かないいくみんと揺蕩えない!といいながら揺蕩う時間。私たちは「まずいぞ」ということがあっても「まあ何とかなるだろう」と思う力が強いらしく、今回も「まあいいか」となりながらの揺蕩いになりました。今それぞれZINEを作っているんだけど、それも「ひとりじゃ無理だから手伝って…!」と共通の友人にお願いして作成していたことが(今日)発覚。お互い「どうにか作り終わった」のでした。どうにかなってしまうので、どうにかする力だけ高まる我々。今週も「どうにか」配信いたします。レッツゴー!
今度、クリムトをテーマにした会で香道をやる私がいくみんに「クリムトってどう思う?」と聞く回。今まで特に意識していなかったから、クリムト=金ぴかで不健康そうな女の人を描いている」くらいのイメージしかなく…。貧困なイメージをいくみんにふくらませてもらおう!そしてクリムトを表現できる組香を作りたい。クリムトの「金ぴか」は尾形光琳の香白梅図屏風に影響を受けてた、というのを聞いたことあるんだけど、同じ金でもずいぶん違うな、というのが感想としてはあって。特に金の色すら違って見える。実際違う気がするけどね。いくみんは・甘く・華やか・大人と言ってた。私としては・孤独・妖しさ・念かなあ。(話をした結果です)作品をどう見るか、何を感じるかは人それぞれ違っていて、それが面白いところではあるのだけど大きなイメージとしては同じことを感じ取っているんだと思うな。作品の見方から、世界の見方ってわかるなあと思った。いくみんは物事の美しさや輝きを受け取る力があるんだなあと思った。私はどんな見方をしているのだろう。もっとひねくれているかもしれないな。ふむふむ。もうちょっと作品を見て研究してみようっと。
今週、私は反省をしていました。その話は聞いてもらうとして、思い込みはしないように、判断は自分の目で見て、と思っているのに思い込む。ダメですねえ。わたしの欲はいろいろあるなあと思うんだけど、あれも欲しい、これも欲しい!もっと欲しい!!みたいなところあるよな。今ちょっと「欲しくってなかなか得られないもの」ってなんだろう?と考えてみると、人望だよなーなんて思うんですよね。人を巻き込んだり、乗せたりする力があったら何しよう?!今と大して変わらない気がするが…あ、いくみんは人望があるとおもうよ!
9月も終わるねということで、今年度の上半期の振り返り。思い返してみると、4月の時点の予測とは違う半期だった。私のほうでなにかあったということではなく、私の周囲の人も人生に大きな転機があったりしたため。昔、仕事の先輩に「人間は3年後は人生が全く変わっているから、3年後も同じことを同じようにしていられると思わないほうがいい」と言われたことがあるが、ほんとうに、そうだ。変わったとしても、時間はちゃんと過ぎていくので、やっぱり私自身も変化があったというわけだ。大きな出来事は企業で鑑賞会をした経験、留学生たちと香道をしたこと、上海に行ったことなんかがあるけど、それで自分にどんな変化があったか、とかはまだよくわかっていないなあ。いくみんは意図していたことが実現した6ヶ月になったようだけど、それってやっぱりすごいことなんだと思った。これからの6ヶ月は頭と心をもっと柔らかくしたいなと思った。例えば、「こんなことが面白い」と言われたときに「私は苦手かも」ではなくて、「苦手なときもあるけど、やってみたら面白いかも?!」という気持ちになってみるとかね。飛び込んでみたら面白かったことっていっぱいあるもんね。今やってることはみんなそうだ。「私がそんなことできるかな」とか「そんなそこにリソースかけないし」ってことが結構面白かったり新しい出会いがあったりするものね。アートコミュニケーターなんてまさにそうだ。うん。下期は出かける勇気をもって生きていこうっと。
今日もとりとめのない話をしています。買ってきた本あれこれ。今年もあと100日だそうです。100日でいくみんはルービックキューブをやるそうですが、私は何をしようかな…特にないなあ、といったけど、ZINE作るから…!!100日で作るから!今日もとりとめのない話をしています。買ってきた本あれこれ。今年もあと100日だそうです。100日でいくみんはルービックキューブをやるそうですが、私は何をしようかな…特にないなあ、といったけど、ZINE作るから…!!100日で作るから!高校生の時に本棚にあった本、英国ファンタジーと椎名誠だった。多分、どっか行きたい、自由になりたいとずーっと思っていたのだろう。実際行けるようになったら、行こうと思わなかったりするんだなあ、これが。
みなさんは失敗したとき、どうします?私は会う人ごとに話します。(とても反省しているときです)話して自分の失敗を笑い飛ばしてもらったり、改善案をもらったり、共感をしてもらったりすることで次の失敗へのエネルギーを得ている、といえよう。人に話せない失敗もなくはないが、時間がたつと「じつはあのときさ、」と言えたりする。ひとに言うということは、整理できて(自分の失敗の理由も)いるってことだからなあ、など思うのでした。いくみんはロジカルに考える、と言っていた。排出の仕方は違うけど、「整理をして言語化?図解化?する」っていうのはいっしょなのかもしんないな、と思う。そんな揺蕩いを今週もスタート。
私は基本的にピンチに弱いと思っている。生きる力が少ないのだ。何か災害なんかがあったら一番にあの世行きだと思っている。(甘っちょろいのだ)そういえば、備えも全然していない。例えば、コメ不足に備えてコメを買い込む、とかそういうのも全然できない。まあ、コメがなければそばをたべればいいじゃないと思っている節もある。かつてオムツが不足、みたいな時もまったく用意しておらず、心配した近所の人が買ってきてくれたこともあった。だから、人の親切で生かされているのだと思う。(ということで、結局一生ピンチに備えないのだと思う)そんな私といくみんの「ピンチに備えていること」(備えていなかった!という)
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