Discover
アメリカ最高裁の基本的な考え方
39 Episodes
Reverse
カリフォルニア州の自動車規制がアメリカ国内で先駆的である理由を探る。詳細は、『アメリカ気候変動法と政策: カリフォルニア州を中心に』を参照のこと。
大統領のクビ切り権限と独立行政機関の憲法上のジレンマ
星条旗を焼却する行為を規制できるか?
営利的言論の憲法上の保障について
アメリカの最高裁の相対多数意見を読み解くには?
ダークパターンと営利的言論の考え方
Chevron判決を破棄したLoper判決をどのように読むべきか。憲法や法律の解釈のあり方を探る。
ポイント1)法律の「本来の目的」は資産凍結であり、課税ではない2)「輸入規制」と「関税」には決定的な違いがある。(関税とは 本質的に「輸入に対する税」であり、民間当事者間の取引から税収を得るための手段である。)3) IEEPAやTWEAが目的とするのは、「外国の影響力を排除」することである。外国資産を凍結・統制することで、安全保障上の脅威を断つことが狙いである。4)ゴーゴーサッチの指摘する矛盾詳細については 以下を参照のこと。・『行政機関の憲法学的統制』124頁以下や204頁以下・Biden v. Nebraska判決については「主要な問題をめぐる合衆国最高裁の裁判官の解釈手法 -学生ローンと沿岸漁業監視プログラムについて-」法律論叢96巻6号66 頁を参照のこと。
カナダ産の牛肉、メキシコ産の農産物、そして中国産の電子機器。私たちが日常的に手に取るこれらの輸入品の価格が、ある日突然、大統領による「緊急事態」の宣言一つで激変するとしたら、それはもはや経済政策の枠を超え、立憲主義の根幹に関わる問題となります。2026年2月20日、合衆国最高裁判所は「ラーニング・リソーシーズ対トランプ事件(Learning Resources, Inc. v. Trump)」において、歴史的な判断を下しました。中国製品に対し実質145%という異例の税率を課し、4兆ドルの財政赤字削減を狙った大統領の措置に対し、司法は明確な「待った」をかけた。資料は、「トランプ関税違法判決についての考察 その1」とその2から。さらに深く考えるには以下を参照のこと。・辻『行政機関の憲法学的統制』174頁(「スチュワートを基礎にしたゴーサッチ、スカリアの関係」)・『行政機関の憲法学的統制』206頁以下(「ゴーサッチとケーガンとロバーツの主張」)・「主要な問題をめぐる合衆国最高裁の裁判官の解釈手法-学生ローンと沿岸漁業監視プログラムについて-」
憲法の危機か?2025年、合衆国では「憲法の危機」が現実味を帯びて語られている。新大統領による相次ぐ大統領令に対し、憲法学者が危機を警告し、ハーバードの教授陣も「まだ起きていない」としつつ緊張感を隠さなかった。ここで「憲法の危機」とは、最高裁の憲法解釈を大統領が公然と無視する事態を指し、法の支配の根幹を揺るがすものと定義しておく。果たして憲法の危機は生じているか?そのときの最高裁の役割はどうあるべきだろうか。こちらは、「憲法と法解釈の硬質性と柔軟性の動態 -ローパー・ブライト判決及び関連判例から得られる洞察-」法政論叢98(2・3)号93頁(2025)を分かりやすく書き直したもの。
以下は、「大統領命令の乱発と憲法の危機 ―アンドリュー・ジャクソン、リンカーンと トランプ大統領、Trump v. J.G.G. と A.A.R.P v. Trump と関連する事件を中心に――」法律論叢98巻6号59頁(2026)の一章を簡単にまとめたもの。1. 司法の権威が揺らぐ時現代の政治状況において、司法の独立性が揺らぐ場面は少なくない。だが、かつて「大統領が最高裁の命令を公然と拒絶する」という、民主主義の根幹を揺るがす危機がアメリカに存在した。第7代大統領アンドリュー・ジャクソンと先住民をめぐる対立は、権力者が司法の声を黙殺したとき、いかなる悲劇が生まれるかを物語る冷酷な教訓である。
以下は、「大統領命令の乱発と憲法の危機 ―アンドリュー・ジャクソン、リンカーンと トランプ大統領、Trump v. J.G.G. と A.A.R.P v. Trump と関連する事件を中心に――」法律論叢98巻6号59頁(2026)の一章を簡単にまとめたもの。1. 憲法の危機か。1000人の法学者が鳴らした警鐘2025年2月26日、ケント・グリーンフィールド教授の呼びかけにより、1000人を超える憲法学者が連名で「憲法の危機声明」という未曾有の警鐘を鳴らした。第2次トランプ政権の発足から僅か1ヶ月。法学のエキスパートたちがこれほど迅速、かつ大規模な反発を示した背景には、建国以来の「法の支配」が内部から瓦解しつつあるという、根源的な絶望感がある。2. 「憲法の危機」の真の定義とは何かこの論文が定義する「憲法の危機」とは、最高裁の憲法解釈を大統領が「無視」することに他ならない。本来、大統領命令(Executive Order)は憲法と連邦法の下位にあり、矛盾は許されない。しかし現政権は「一元的行政権理論(Unitary Executive Theory)」を盾に、出生地主義の変更や連邦予算の恣意的停止など、行政権の限界を突き破る命令を乱発している。これは単なる政治的越権ではなく、憲法秩序の階層構造そのものへの挑戦である。
米最高裁のトランスジェンダー判例を読み解く。United States v. Skrmetti(2025)と違憲審査基準を考える。日本だと日本の場合は、戸籍上は男性だが、性同一性障害と診断され普段は女性として生活する経済産業省の職員が、省内での女性用トイレの使用を不当に制限されたとして、国を国賠法で訴えた事案が挙げられるかもしれない。単純には比較はできないけれども…。
DACAの申請の受付が始まることで、Dreamersはジレンマを抱えることになる。以下は「行政機関の憲法学的統制」を抜粋し、一部を追加した。最高裁は、Department of Homeland Security v. Regents of the University of California(2020).で50-70万人におよぶDACAプログラム対象者は、労働が許可されて、社会保障給付を受けており、これらの利益は裁判所が保護すべき利益に該当し、APA(行政手続法)の審査対象になると判断した。※音声は「検察裁量」といっていますが、これは「訴追する裁量」とお考えください。
目に見えない「壁」と、ある逆転劇法廷という土俵で、対立する当事者が闘う。対立当事者間の本格的な取組み(審理)が始まる前に立ちはだかる、(目に見えない壁が「原告適格(スタンディング)」と呼ばれる概念である。分かりやすく言うと「法廷という土俵」にのぼるための資格(髷、廻し)である。これは、訴えを起こした当事者が裁判を戦う正当な利害関係を有しているかを問う憲法上の要件である。もし、自分たちのビジネスを根底から脅かす規制が存在するにもかかわらず、「あなたは規制の直接の対象ではないから、裁判を起こす権利すらない」と門前払いを食らわされたらどう感じるだろうか。2025年6月、合衆国最高裁(Diamond Alternative Energy, LLC v. EPA)は、カリフォルニア州州の規制を争うエタノール燃料事業者のスタンディングを認めた。この背景については、「カリフォルニア州の大気浄化法の独自規制と連邦との対立」を参照のこと。また『アメリカ気候変動法と政策: カリフォルニア州を中心に』(勁草書房)も参照のこと。またLoper Bright判決の「行政機関の判断に縛られない。尊重ではない、専門性を有し、現場で、問題に精通する行政機関の説明に納得するかである。(ただ最高裁の表現方法(言い方)が変わっただけという指摘もあるだろう」という点については、「司法審査の正統性と裁判官の法解釈 -ローパー判決を素材にして-」を参照のこと)
深夜、自宅のドアが破壊される轟音で目を覚ます。これは多くの人が抱く恐怖の一つであろう。しかし、もしその侵入者が犯罪者ではなく、誤ってあなたの家を襲撃した政府の特殊部隊(SWAT)だとしたらどうだろうか。これは単なる仮説ではない。米国最高裁判所が判断を下したMartin v. United States事件は、まさにそのような悪夢が現実となった事例である。この事件は、法の執行という公的な任務の裏で起こりうる、個人の日常を根底から覆すような過ちを浮き彫りにした。そして、私たちに根源的な問いを突きつける。法を執行する政府が重大な過ちを犯したとき、その責任はどこにあるのか?これは2026年に合衆国最高裁が判断したMartin v. United Statesの分析である。
日本でも、北海道立ろう学校の生徒らが、母語である「日本手話」での授業を求めたものの、学校側の都合でそれが叶わなかった事例は記憶に新しい。この裁判で札幌高裁は、国の賠償責任を認めなかった。これと似た構図のなかで、合衆国最高裁は、障害を持つ人々の権利について、極めて画期的な判断を下した。このA.J.T. v. Osseo Area Schools事件は、組織の都合によって個人の学習の機会が奪われることに対し、司法がどう向き合うべきか、そして「差別」とは何かという本質を、私たちに鋭く問いかけている。
こちらは、「合衆国最高裁の裁判官の法解釈の手法」を参照のこと。LGBTQをめぐる法律を日米の裁判所の驚くべき解釈の違いが存在している。・数十年前、現代のようなLGBTQの権利に関する理解が存在しなかった時代に書かれた法律は、現代の訴訟にどう適用されるのであろうか。保守派が多数派を占めるといわれる合衆国最高裁の判断手法は日本の高裁の解釈と異なる解釈を示している。特に日本とアメリカを比較したとき、司法哲学の根深い違いが明らかになる。
誰かが家の中で自殺をほのめかしている、という通報を受けたら、警察は令状なしでその家に立ち入ることができるだろうか。この問いに対し合衆国最高裁が下した判断は、どのようなものだったのだろうか。本記事では、Case v. Montanaという具体的な事例を通して、緊急時に警察が人の命を救うために行動する際の法的な判断基準と、その判断が内包するジレンマについて、3つの重要なポイントに絞って解説する。1)目的が「救助」なら、「捜査」よりも低いハードルが適用される2)「状況の全体像(Totality of the Circumstances)」で判断する注目すべきは、ソトマイヨール裁判官の懸念である。警察の介入が悲劇を生む可能性も存在している。
米軍がカリブ海で、麻薬を密輸しているとされるボートを攻撃した。このニュースを聞いて、単なる過激な麻薬取締りのための作戦だと感じるかもしれない。しかし、この軍事行動の背後には、合衆国憲法と国際法の根幹を揺るがす、極めて重大な法的問題が隠されている。国家ではない組織に対する「戦争」となった過去はどういったものがあっただろうか?1. 麻薬カルテルを「敵性外国人」と見なす異例の措置2. 議会の戦争宣言権限を迂回する大統領の行動3. 公海上での武力行使と「自衛権」の曖昧な境界線4. 強まる議会の反発これは、ベネゼエラに対する軍事作戦の前、また石油タンカーが拿捕されるという1/15のPBSの報道の前に作成したものです。




