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ひとりごと。
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小さな頃に出会った一枚のプリントからはじまった、宮沢賢治という存在。ことばの奥に流れる、静かな祈りのようなもの。ほんとうの幸いとは何か。その問いを胸に抱え続けたひとりの作家の影を、そっとたどります。今夜は、心の奥にやわらかな灯りがともるような時間です。
決められた目安よりも、自分の感覚のほうを信じてみること。カップラーメンの三十秒からはじまる、ささやかな「完成」のはなし。やがて思いは、未完のまま筆を置いたレオナルド・ダ・ヴィンチへと、静かにつながっていきます。それぞれの胸の内にある、それぞれの完成を、そっと浮かべながら。
わたしたちの暮らしに、いつからか根を下ろしている七日間。月曜から日曜へと巡るそのリズムをたどっていくと、物語は旧約の創世記を抜け、はるかなバビロンの夜空へとつながっていきます。星はただの光ではなく、祈りであり、道しるべだった時代。空を読み解こうとした人びとの静かな情熱が、やがて曜日というかたちになります。
実家の本棚から、ひとつの哲学がこぼれ落ちる。学生のころに手にした アルトゥル・ショーペンハウアー の本。そこにあったヤマアラシの寓話が、いまのぼくたちの距離をそっと照らします。近づけば痛く、離れれば寒い。それでも人は、誰かのそばにいたい。そしてもうひとつの物語へ。映画 35年目のラブレター が映す、静かな時間。棘とぬくもりのあいだで、距離のかたちをたずねるひとときです。
距離はいつから、ただの長さになったのだろう。歩くこと、疲れること、ひと息つくこと。昔の人が身体で感じていた距離の話は、いつのまにか、僕たち自身の暮らしの話へとつながっていく。定規では測れない感覚を、そっと拾い集めるような時間。耳を澄ませて、少し遠回りをしてみたくなるそんなおはなし。
鬼は外と言わない街があります。険しい嶺を、人々は畏れと親しみをこめて鬼と呼びました。千年のあいだ、山に入る修行者たちを黙って見守ってきた鬼の夫婦がいて、遠い国から渡ってきて、ありがとうと微笑みながら歴史の向こうへ消えていった王子もいました。節分の夜、豆をつまんだ指先が、ふと止まってしまうような話です。怖い顔の裏側に、そっとしまわれた寂しさや、深くてあたたかな慈しみ。
実家でもらったうなぎ。台所に立ちながら、暦のことを思い出す。四季は四つ、五行は五つ。余った「土」が受け持つもの。決まっているようで、揺れている。暦も、季節も、私たちの暮らしも。
屋島の境内には、たくさんの狸が肩を寄せている。けれど源平合戦の時代、その席はまだ空いていた。弁慶はいつ物語に呼ばれ、狸はなぜ近代になって現れたのか。うどんの出汁の匂い、静かな海、瓦投げの軌跡をたどりながら、僕は物語の配役について考える。歴史と伝説のあいだで、誰が舞台に立ち、誰が待っていたのか。読後、世界の見え方が、ほんの少しやわらかくなる一篇。
ことばは、意味だけでできていない。散歩や下駄箱、牛乳配達。暮らしのなかで当たり前に使ってきたことばが、いつのまにか別の役割を与えられ、別の匂いをまとっていく。その変化を否定も肯定もせず、静かに見つめながら、ことばが背負ってきた時間や風景に耳を澄ます一篇。消えていくのではなく、居場所を移していくことばたちの話。
正月の静かな山あいで出会った、たぬきの総大将の話。昔話や映画の向こう側にいた存在が、いまも人の暮らしのそばで、そっと祀られていること。雪の降る社、立て札に書かれた物語、供えられた菓子箱。特別な出来事は何もないのに、帰るころには少し気持ちがやわらいでいる。そんな時間の流れを、そのまま声にしました。忙しい日々の合間に、少し立ち止まりたくなったときに聴いてほしいラジオです。
電子マネーの半端な残高から ふと思い出した 小学校の用務員さんと 合体した石鹸のこと。レモン石鹸や 牛乳石鹸の赤と青。 いつのまにか日常から遠ざかったものたちが 静かに手のひらの記憶を呼び戻す 大晦日の夜に 少しだけ立ち止まって聴きたい 暮らしの片隅にあった 優しい時間の話。
今日は何を食べたいか。その日の気分に耳を澄ませながら、選ぶことや迷うことについて話します。食べ物を入り口にした、小さなひとりごと。
エアコンの「度」は、本当に温度なんだろうか。夏と冬で違う推奨温度。その8度の差の中に、何かが隠れている。ふと気づいた、小さなこと。
寝静まった田舎道を、コンビニへ向かう。車の中に流れるラジオ。それだけで、どこか遠くへ旅している気分になる。ただ流れているものと一緒に過ごす時間。それも、自分のものだった。ラジオについての、ひとりごと。




