台湾で生まれ、太平洋戦争の際、台湾で日本軍に召集された川平朝清さん。台湾でどのように敗戦・終戦の日を迎えたのか。
台湾で生まれ育ち、太平洋戦争の際には台湾で日本軍に召集され、そのまま台湾で終戦、敗戦の日を迎えた川平朝清さん。彼が家族とともに沖縄へ渡った時のエピソード。
台湾から沖縄へ渡ったあと、アメリカ軍基地内の診療所で検査助手として働いていた川平朝清さんですが、大きな転機が訪れます。
アメリカ軍政府が始めた日本語のラジオ放送でアナウンサーとなった川平朝清さんですが、そもそも川平朝清さんのお兄さん朝申さんが、ラジオが必要だと思ったのは、なぜだったか?そして、どんな内容の放送がおこなわれたのか?※途中「1957年」と触れていますが、正しくは「1947年」です。お詫びして訂正させて頂きます。
戦後の沖縄で最初のラジオ放送を立ち上げた川平朝清さん。その後、NHKのアナウンサー養成所に入ることになります。その経緯と養成所での経験について。
NHKのアナウンサー養成所で研修を受けた川平朝清さん。沖縄へ戻ったあと、今度は、アメリカへ留学することに。
アメリカ留学から沖縄へ戻り、琉球放送の仕事についた川平朝清が、ベトナム戦争の時代、沖縄でどんな放送をおこなっていたのか?そして、沖縄返還のときのお話。