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PLENUS RICE TO BE HERE

Author: J-WAVE

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この番組は作家・文献学者の山口謠司が、日本の食文化を通して全国各地で育まれてきた“日本ならではの知恵”を紐解くポッドキャストです。(FMラジオ局 J-WAVE 81.3FM では毎週月曜日から木曜日 15:10〜15:20にオンエア中。)

300 Episodes
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別府には亀の井ホテル、そして湯布院には亀の井別荘というところがあります。これらはいずれも油屋熊八という人物が創業したホテル。熊八は明治時代、ホテルについて知る為にアメリカやヨーロッパを巡って学び、やがてこの別府の地に旅人を優しく迎えておもてなしをする洋式のホテルをオープンします・・・。
湯布院は戦後、由布院町と湯平村が合併し、両自治体の文字を取って「湯布院町」となり、それが平成の大合併で大分県由布市の一部となったという経緯があります。そんな湯布院や別府に行かれたら是非食べて頂きたいのが豊後和牛。この豊後和牛は大正10年に行われた畜産博覧会において全国で一等賞をとったほど、昔から美味しいといわれている牛肉なのです。
大分県湯布院は長崎県佐世保出身の僕からすると、九州なんだけれども九州じゃない、って感じの場所です。いずれにせよ湯布院は観光立国を目指す日本にとって、日本の観光業の理想のかたち。その大きな理由の一つとして、温泉リゾートの開発が80年代のバブルの時期に全国で行われましたが、湯布院はそれに頑として乗らなかったというところがあります・・・。
福岡県柳川市は詩人・童謡作家の北原白秋の生まれ故郷。ここには300年も続く、うなぎせいろ蒸しのお店「元祖本吉屋」の本店があります。ここのうなぎは関東で食べるうなぎとも関西で食べるうなぎとも違った独特の食感!食通としても知られる北原白秋も恐らく食したであろう、ここのうなぎの美味しさの秘密を少しだけ教えてもらいました。
筑後川下流の佐賀に文政5年(1823年)に生まれた佐野常民。この人は芝浦製作所(後の東芝)の創業者で、日本で最初に蒸気機関を作った田中久重という人を見出した人物。佐野常民は1867年にパリで開催された万国博覧会に赴き、ここで体験した事をヒントに「博愛」をモットーとした現在も続く、ある組織を立ち上げる事になります。
大きな川の河口はどこも豊かです。かつては農耕に使われ、やがて近代に入り、産業革命が起こった後は工業地帯となっていきます。佐賀県と福岡県の県境を流れる筑後川の河口には大野島という三角州があります。その北端の向こう岸に「三重津」という場所がありますが、実はここは日本の近代化に大変大きな役割を果たした土地なのです。
絶滅した鳥というと、多くの人はかつてモーリシャス島に生息していたドードーを思い出す方も少なくないと思います。飛べなくて人間を警戒しない、そのうえとっても美味しい鳥だということで、あっという間に人間に食べられて絶滅してしまいました。実は天草にもあまりにも美味し過ぎて、人間が食べ過ぎて絶滅してしまった鳥がいたのです・・・。
1907年、明治40年のことです。与謝野鉄幹、吉井勇、木下杢太郎、平野万里、北原白秋という5人の若き文学者が東京から天草に向かって旅立ちました。この旅に出る前に5人は当時まだ珍しかった洋風の革靴を買い揃えています。天草にある宿の名前「五足のくつ」はここからきているのですね。ところで皆さんは「イチジク」って漢字で書けますか?
天草では下田温泉というところの近くにある「石山離宮五足のくつ」というところに泊まらせていただきました。下田温泉の街を散策しているとスーパーがあって、そこではセミなどを採るには少しばかり小さすぎる竹竿付きのアミが売っています。聞いてみると、この街を流れる下山川という川で「手長エビ」というエビを獲るためのものなのだとか・・・。
島原半島は人間の胃の形をしていると言われていますが、そのほぼ南端にある口之津というところからフェリーで30分くらいで天草の鬼池という港に着きます。天草でまず美味しかったのは「ヒノヒカリ」というお米。普段は伊勢で作られている「ヒノヒカリ」を食べていますので、食べ比べてみたいと思って「少し分けてくれませんか?」とお願いしたら「イヤー・マー・ちょっとー」という返答が・・・。
河井継之助という人物、ご存知ですか?長岡藩の重鎮で、西郷隆盛、山縣有朋、伊藤博文といった人々からも一目置かれていた人物です。戊辰戦争の際、なんとか戦さを回避すべく尽力しますが望み叶わず、結局、幕府側に立って戦いますが、流れ弾を受けて重症を負い、ここ只見町で息絶えてしまいます・・・。
農家民泊 山響の家というところに泊まらせていただきました。只見川のほとりにある素敵な古民家で、夜はとっても静か。本当にぐっすり眠れます。そんな只見の特産品は『山菜』。特に『ぜんまい』は本当に美味。抗酸化作用があり老化を防ぐので、只見の方々のツルツルのお肌の秘密はこの『ぜんまい』にあるのかも知れません。しかし、只見にはこの『ぜんまい』より更に美味しい山の幸があるのだとか・・・。
只見にはパワー・スポットがあります。縁結びの神様が祀られている三石神社。しかしここで願いを叶えるには「とある事」をしなくてはなりません。これがそれなりに難易度が高いのです。そして只見に住んでいられる方々は皆さん、とってもお肌が綺麗なのです。その秘密は一体なんなのでしょう?
越後山脈の福島側にある美しい町、只見町。新潟県と福島県の県境にあるここは、東京から行くと、電車で行っても自動車で行っても大体4時間或いはそれ以上かかります。車窓が美しい事で鉄道ファンに人気の只見線が通っていますが、この電車は一両編成で1日3本程度。でも只見駅に着く度に只見の人達は乗客の方々に向かって手を振ってくれます。
明治11年から昭和22年まで、東京は「東京都」ではなく「東京市」でした。またこの頃は麹町も千代田区ではなく麹町区麹町だったのです。この辺りを散策すると歴史の重みを感じますが、麹町3丁目にある学園通りには今から100年以上前の1905年に創立された麹町学園女子中学校・高等学校がございます。
江戸時代、冬の寒い日などは江戸の町民は酒かすを固めたあと炙って食べていました。これに砂糖をまぶして焼いたものを「もみぢ焼」と言います。ところで日本の発酵調味料「こうじ」には2種類の漢字がある事にお気づきですか?「麹」と「糀」ですが、この二つの違いがなんであるかご存知でしょうか?
新宿通りを半蔵門から新宿方面に向かって右に曲がると「日テレ通り」があり、そこを曲がるとすぐにうなぎのタレのいい匂いがしてきます。ここには創業明治42年、ミシュランの星も獲得しているうなぎの老舗、秋本があるのです。ここのうなぎはあの昭和天皇もこよなく愛され、なんとご自身でお店に直接電話をかけ、うなぎを頼まれたというお話も残っています。
東京23区のほぼ中心地である千代田区麹町。半蔵門から四谷に向かって国道20号線、別名新宿通りに沿ってある細長い街です。人口は2,743人ですから住んでいる人の数はそれほど多くはありません。「麹町」という変わった名前の由来には主に2つの説があります・・・。
呉は水兵さんが沢山いらっしゃる軍港。水兵は英語でSailorです。セーラーと言えばセーラー服、そしてセーラー万年筆ですね。そんな呉の海軍グルメには「肉じゃが」「ラムネ」「コーヒー」「オムライス」「カレー」などがありますね。それら以外に呉独特の「細うどん」というものがあります。実はこの「細うどん」も、かつて呉にあった海軍工廠と深い関係がある一品なのです。
広島は食材を含め、色々とても豊かなところです。そのいい例が、呉市よりとびしま海道の最初の橋を渡ったところにある下蒲刈島。この島には松濤園というところがあり、ここでは江戸時代、朝鮮半島からやってきた朝鮮通信使を『三汁十五菜』という非常に豪華なお食事でもてなしたと言われています。
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