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Author: HKblog

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聖書のまなび
76 Episodes
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私の名で呼ばれるすべての者は、わたしの栄光のために、わたしがこれを創造し、これを形造り、これを造った。(イザヤ書43:7)「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです」(ヨハネによる福音書15:16)これらの言葉を真摯に受け止め、神様からの熱い眼差し、期待がある事を知りましょう。僕もよく忘れてしまうので、自分に向けても語っています。あなたのすることは、ことばによると行いによるとを問わず、すべて主イエスの名によってなし、主によって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17)これが目指すところであり、神様中心の生活といえます。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
ルカによる福音書3:10〜1410 群集はヨハネに尋ねた。「それでは、私たちはどうすればよいのでしょう。」11 彼は答えて言った。「下着を二枚持っている者は、一つも持たない者にわけなさい。食べ物を持っている者も、そうしなさい。」12 取税人たちも、バプテスマを受けに出て来て、言った。「先生。私たちはどうすればよいのでしょう。」13 ヨハネは彼らに言った。「決められたもの以上には、何も取り立ててはいけません。」14 兵士たちも、彼に尋ねて言った。「私たちはどうすればよいのでしょうか。」ヨハネは言った。「だれからも、力ずくで金をゆすったり、無実の者を責めたりしてはいけません。自分の給料で満足しなさい」ヨハネは何をすべきか問われ、貪欲を捨てよと命じました。悔い改めにふさわしい生き方として、貪欲を捨てろと教えました。彼はもっと祈れとか、神のために働けとは言いませんでした。それも必要ですが、その前に貪欲を捨てるべきなのです。そうしないと、余裕が生まれませんし、人生が正しく機能しないからです。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
キリスト教が、ただ学ぶだけだったら、冷たいものになるでしょう。キリスト教が、ただ信じるだけだったら、厳しいものになるでしょう。知的好奇心を満足させるだけでなく、神秘的好奇心を満たすだけでなく、感情的な満足も与えてくれるものです。人は皆、愛を求めています。結局人間にとって不可欠で、最も偉大なものは愛なのです。それをイエス様は十字架の死と復活によって示して下さいました。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
戒めは足枷ではなく、それを守れば幸せになるというものです。こんにち我々が求める自由や繁栄というのは、テレビが出来てから洗脳されたイメージに過ぎません。それは我々が産業時代のコマとして、奴隷として機能するために与えられた餌です。今回のエピソードはモーセの十戒の中から話しました。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
信仰とか、神様の栄光のために生きるとか、いうは易しですが、究極の時になお、自分の運命を神様中心に据える事こそ、真の信仰の表れであり、それにより神様の素晴らしさが表されるわけです。それほどまでに神様は信頼できる方であると言う態度の表明だからです。神様は誠実なお方です。我々が誠実であれば、なおのこと、神様の誠実の最善がなされるはずだと信じています。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
エペソ5:9〜12光の結ぶ実は、あらゆる善意と正義と真実なのです。そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。実を結ばない暗やみのわざに仲間入りしないで、むしろ、それを明るみに出しなさい。なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。それを明るみに出しなさい、とあります。クリスチャンでない人が、悪を暴いていく中で、イエス様に出会っています。ラッセル・ブランドとジョー・ローガンです。彼らは無神論者でしたが、今では変わってきました。また、僕のポッドキャストやブログのフォロワーさん達の中にも、共に悪と戦う中で、イエス様に出会ったという方達もいます。他にもYoutubeなどで学び、自らイエス様を求めて信じるという人達が現れてきました。本当に素晴らしい事が起きています。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」(ローマ12:21)世の中には、このみことばを実践し、悪と戦い善によって打ち勝つ人たちが多くいます。大きな犠牲を払っていますが、それによりさらに力を増しています。例えばトランプ、プーチン、ボルソナロ大統領など。あるいはタッカー・カールソン、ジョーダン・ピーターソンなど。その他多くのクリスチャンが、迫害を受けながら、善によって悪に打ち勝っています。僕はそれらの人を応援し、真実を拡散し、一人でも多くの人が覚醒するようにブログを書いてます。ただ、このみことばを実践するのに、彼らのような大きな働きをする人である必要はありません。我々の日常の些細な悪の誘惑に対し、挑発に対し、善を持って立ち向かえば良いのです。その時、神様の御心を行う事の結果を見て、神様に従う事の素晴らしさを味わう事になります。そのようにして信仰はリアルなものとなり、ますます神様と共に歩む日々を喜ぶのです。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
「心の貧しい人は幸いです、天の御国はその人のものだからです」マタイ5:3このみことばに似ているのが旧約聖書にもあります。詩篇34:18には、「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる」ここでいう「心の貧しい」とは、自己中とか感受性の鈍いとか、強欲という意味ではなく、心の打ち砕かれた状態ともいえます。我々は皆この地上で苦しみを通ります。「なぜ神様はこの苦しみを通る事を許されるのか」と思う時もあります。しかし苦しみを通るその時に「天の御国こそは私のもの」であると確信するのではないでしょうか。なぜなら苦しみのどん底にいる時には、もう死んでしまいたい、いっその事天国に連れてって欲しい、というほどまで苦しむわけですから。しかし、その時に神様によりすがる状態でいる事が、逆説的に人間にとって幸いな状態であるというのです。神様はイエス様を通して、人間の苦しみ、痛み、悲しみを経験したいと望まれました。天から眺めて「おい、頑張れよ」と「悟りを開けよ」と言い放つ事はありません。イエス様という人間として、神様は地上を歩まれ、人々を癒し、救い、社会的弱者の友となり、何の罪もないのに、妬まれ、罵られ、仲間から裏切られ、偽証によって極悪死刑囚の釈放と引き換えに死刑に引き渡され、拷問を受け、最後に十字架に磔となりました。とっても良い人が、こんな最悪な殺され方をしました。イエス様はそれを拒まず、その苦しみと死を通られました。我々の罪の罰の身代わりに十字架にかかられたわけですが、それだけとは思えないのです。イエス様は敢えて、酷い苦しみを受けたのです。なぜなら、人間の苦しみを味わいたかったのだと思います。あなたを愛しているから、あなたの気持ちも、あなたの通っている痛みも、苦しみも、悲しみも知りたかったのです。いわゆる宗教というものの中で、そのような事をしてくれた聖者がいるでしょうか?イエス様だけが、我々の側に来て下さった、本当の神さまなのです。それを聖書を通して知る事が出来ます。イエス様だけが、我々の苦しみ、痛み、悲しみに心から共感して下さる方なのです。だから我々はこの「我々の苦しみを知る神」に全幅の信頼を寄せて、縋る事が出来るのです。そして、もしそうするなら、救われるのです。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
信仰とは神様に対する信頼です。我々はいつも答えを急ぎます。すぐに答えが欲しい。待ってられない。今のスマホ時代は、何でもタップ一つで解決しないとイラつくという忍耐のない時代となりました。そういう状態というのは、神と自分の関係において健全ではありません。主従関係が逆なのです。自分の願望に合わせて、神を動かすみたいな…偶像崇拝における、神の分業もそういう類なのでしょうか。偶像崇拝者は、自分の願望に合わせて神を選択するのです。全知全能なる神様は我々にとっての最善をご存知であり、それを求めておられます。いつそれを答えれば良いか、どのように、どれくらいがベストか…祈ったらすでに叶えられたと信じなさい、とイエス様が言ったように、祈って確信を得たら、あとは委ねるのが信仰です。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
今日のポッドキャストは本の告知となります。この度、アマゾンKindleで「ブラジルの思い出」という本を出版しました。電子書籍のみの販売で500円で販売しています。ポッドキャストやブログのサポートをしたいけど、その方法がないと思われていた方には、是非この本を買って頂けると嬉しいです。1冊500円で、僕の印税は312円入ります。すごい事です。古くからのメルマガ読者さんであれば、「もう読んだし」という方もいるでしょう。もし良ければ、アマゾンに一言で良いのでレヴューを書き込みして下さると、それだけでも有り難いです。よろしくお願いします。僕はポッドキャストやブログのサポートとして、寄付や有料制サービスにする事はまだ考えられません。それよりは、何か作品を作るためにちゃんと仕事をして、それに対する対価として払って頂いた方が良いと考えました。こちらのリンクからご購入できます。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
あなたのしようとする事を主に委ねよ、そうすればあなたの計画は揺るがない 箴言16:3先週話した「神の国とその義をまず第一に求めなさい、そうすればそれら全てのものは与えられる」マタイ6:33に関連する話をします。情報がある時代、情報が氾濫する時代、そもそも情報は人を助けるために存在しているのに、それが多過ぎると、それがあなたを圧倒し、弱気にさせ、あなたを負け犬にしてしまうのです。だからそれらの情報に優る神様の手に委ねる所から、全てスタートすると良いという事です。なぜなら、神様は全ての事を働かせて、私たちの益として下さるからです。神を愛する人々、すなわち神の御心によって召された人々のためには、神が全ての事を働かせて益として下さる事を私たちは知っています。ローマ8:28先の見えない時代、混乱極まる日々ですが、それでも生きていかなくてはいけません。それで何をすればいいのか、何を信じれば良いのか、何も信じるものが無いという人は、本当に大変です。しかし、聖書の言葉を信じるなら、このような素晴らしい約束があるので、心強いのです。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
2024年を確かな歩みとするために必要な4つの事カール・ヒルティの「幸福論」第3巻から、以下のみことばを通して紹介します。マタイ6:33「神の国とその義をまず第一に求めなさい、そうすればそれらのものは全て与えられる」マタイ11:28「全て疲れた人、重荷を負っている者は私のところに来なさい、私が休ませてあげよう」ヨハネ7:17「誰でも神の御心を行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、私が自分から語っているのかがわかります」ヨハネ6:35「私が命のパンです。私に来る者は決して飢えることがなく、私を信じるものは決して乾くことがありません」37「父が私にお与えになる者は皆、私のところにきます。そして私のところに来るものを、私は決して捨てません」 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
2024年を有意義な一年とするために、また揺るぎなき心の平和を得るために、僕からのお勧めは祈りであります。ただし、祈ると言っても闇雲に、誰だか分からない対象に、願いをかけろと言うのではありません。誰に祈るのか、それをよく知る事は重要だと思います。なぜなら、祈りとはコミュニケーションであり、神様との会話なのですから。つまり祈りとは一方通行の、困った時の神頼み、ひたすら念じる、と言うものではなく、人格を持つ神様との交わりなのです。となると、そもそも神様ってどんな方?と言う事を知らないと、良くないというか、知る事でより個人的な、人格と人格の関係に入りやすくなります。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
今年の目標いつも喜んでいなさい絶えず祈りなさい全ての事について感謝しなさい第一テサロニケ5:16〜18この3つの命令のポイントは「神様と繋がっている事」です。逆境にあっても、主を喜ぶ事、それにはまず神様と繋がっている事が大切で、常に親しい交わりを持つという事になります。それは即ち次の言葉である、絶えず祈りなさいに繋がります。神様と繋がり、自分が愛された者であるというアイデンティティを自覚し、そこから来る喜びに力を得たなら、誰かのために祈るだけの資格というか、状態、条件が確立されます。やはり心の状態が良くないと、被災者や愛する人のために祈ると言っても、あるいは自分自身のために祈ると言っても、神様への信頼が純粋ではなくなります。どこか曇った感じがするものです。祈ると言っても、それはただ願う祈りだけではありません。神様に語りかけるのも祈りですし、語りかけを黙って待つのも祈りです。そして感謝や賛美する事も祈りのうちです。「全ての事について感謝しなさい」これは全てですので難しいです。悪い事が起きても感謝して、神様の前に立ち、それがいつどのような形で感謝に変わるか分からないけれど、いつか必ずこの悪い事が感謝に変わっているのだ、とそれを信じ確信して、先取りして感謝してしまうのです。これは普通の信仰では出来ません。チャレンジですが、現実だけに自分が縛られない視野を持つ事が信仰なのです。良い時に感謝するのは簡単ですが、悪い時にも感謝する、全ての事に感謝する、それも結局は神様と繋がって初めて出来る事です。ですので、何はともあれ、心をいつも神様に向けて、繋がっている状態でいるように心がけます。ほとんどの人が今、スマホを手にしていないと、何か落ち着かない、ネットに自分の脳がプラグインされてないと、変な感じだという状態です。スマホでそれをしている事を、それを神様に置き換えるだけではないでしょうか。スマホは体や脳に害を与える事が分かっています。それをやめる事が全人類のテーマとなりつつあります。そして本来繋がるべき神様と、より遠く引き離されているのです。去年、僕はかなりスマホの時間を減らす事が出来ました。そして神様との時間を増やす事が出来ました。その結果、心の平安と喜びを増す事が出来ました。それで今年はただ神様と過ごすというよりは、いつも喜んで、絶えず祈り、全ての事について感謝する、という事を念頭に過ごして行こうと思った次第です。あなたはどんな目標を立てましたか?こういった霊的な目標を立てていないとしたら、よかったら今日紹介したみことばを一緒に目標に過ごしてみてはいかがですか? This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
メリークリスマス元々クリスマスは、イエス様の降誕を祝う日として、20世紀の半ばまで続いて来ました。でも、どうやらこれもシオニスト達というか、ユダヤ人の作曲家達によって、雪やプレゼント、ホリデーを祝う歌に宣伝されていったようです。今我々が普通に耳にする美しいクリスマスソングの多くは、キリストの降誕とは何の関係もない事が分かります。だからそれらの歌を聞いて、家族や恋人がいない、自分は寂しい…と思うのならば、残念ながら悪者の陰謀によって、実に関係のない寂しさを味わわさせられているという事になります。だから、そんな馬鹿げたものに便乗する事はありません。クリスマスは、神様の愛にフォーカスすべき日なのです。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
クリスマスは良いもの、素晴らしい神様からのプレゼント、クリスマスは喜びのシーズンであり、素晴らしいものです。神様の愛が表されたからです。しかし良いものがもたらされるためには、マリアはとても沢山の苦しみを通らなければなりませんでした。イエス様の復活まで、その苦労が報われる事はありませんでした。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
今年もクリスマスの季節がやって来ました。クリスマスについては、毎年話しているので、もういいよというかもしれません。でも最近リスナーになった方のために話す必要があると思うので、しつこいかも知れませんが、語りたいと思います。まず、クリスマスとは一体何の日か?イエス様の誕生を祝う日です。つまり12月25日が誕生日というわけではありません。そもそもはローマの太陽神の誕生日であり、それは冬至と関係があります。毎年この時期に最も日が短くなり、冬至を境にまた日が長くなっていきます。それに合わせ、太陽神の誕生日としたわけです。ローマではこの日が最も盛大な祝日でした。それをイエス様に置き換えたというわけです。ですのでクリスチャンの中でも、これは異教の祭りだったからといって、クリスマスを祝わない人もいます。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
(詩編34:18)「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ,たましいの砕かれた者を救われる。」むしろ、問題や困難は、その中で神様を見出すための機会となるのです。見出すというより、もっと言えば、体験するという感じです。僕の場合、去年の夏あたりから、コロナになったり、娘が事故に遭ったり、その他義理の母が災害に遭ったり、自分の周りで色んな事が立て続けに起こり、一体、どうなってしまったのか?と心配になるほどでした。しかし、その度に、神様のもとに引き寄せられ、より長く、より濃く、神様と交わるように導かれました。それにより、まだ色んな課題は残ってはいるものの、素晴らしい幸福感に満たされ、日々を過ごせています。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
神様に感謝を捧げるという事は、健全な関係であるために、必要な事です。そして我々自身も感謝する事で、幸せな気分に満ち溢れます。SNSの物欲、名誉欲などに塗れた時代にあって、多くの人が人との比較や嫉妬で苦しむ現実を見て、そこから離れ、神様と繋がり、感謝し、深い幸福感に満たされながら暮らす事ができるのです。是非、祈りの中で常に感謝を加えましょう。 This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
祈りの習慣をつけましょう。最初は何かのきっかけだけでいいです。とにかく、神様の前に出るという時間を作りましょう。それは何かのルーティンとして組み込むべきです。気が向いた時ではなく、決まった時に、祈るようにしましょう。そういうと、まるで心がこもっていないように思うでしょう。僕も最初はそう思いました。毎日やっていると、時には機械的になっていたり、心が伴っていなかったり、そういう時は確かにあります。しかし、毎日やっていて、心が伴う場合と、たまに気が向いた時に心を込めて祈る場合と、その頻度を比較すると、圧倒的に前者の方が多いのです。これは祈りでなくても、なんでも同じです。筋トレ、ギターの練習、なんでも同じです。感情が伴うか否かは、やる回数に比例します。それより大切なのは、神様を敬うという決意、神様を求めて生きるのだという決意だと思います。習慣はその決意と、敬意の表れだと思うのです。とにかく、自分が一人になれる場所を見つけたら、祈るという習慣をつけると良いです。僕の場合は、前から言ってますが、風呂、トイレ、通勤、散歩などです。こういう習慣がついていると、いざ問題が起きた時に、無理なく、何の気兼ねもなく、神様に近づく事ができます。何も祈っていなくて、困った時の神頼みという関係ではないのです。そうあるべきだと思いませんか? This is a public episode. If you would like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit hkblog.substack.com
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