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キリストの平和教会

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キリストの平和教会
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愛の権威 マタイの福音書第8章5節〜13節 岩本遠億牧師 2020年1月26日 イエスがカペナウムに入られると、一人の百人隊長がみもとに来て懇願し、「主よ、私のしもべが中風のために家で寝込んでいます。ひどく苦しんでいます」と言った。イエスは彼に「行って彼を治そう」と言われた。しかし、百人隊長は答えた。「主よ、あなた様を私の屋根の下にお入れする資格は、私にはありません。ただ、おことばを下さい。そうすれば私のしもべは癒やされます。と申しますのは、私も権威の下にある者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。」イエスはこれを聞いて驚き、ついて来た人たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。わたしはイスラエルのうちのだれにも、これほどの信仰を見たことがありません。あなたがたに言いますが、多くの人が東からも西からも来て、天の御国でアブラハム、イサク、ヤコブと一緒に食卓に着きます。しかし、御国の子らは外の暗闇に放り出されます。そこで泣いて歯ぎしりするのです。」それからイエスは百人隊長に言われた。「行きなさい。あなたの信じたとおりになるように。」すると、ちょうどそのとき、そのしもべは癒やされた。 権威とは何か? 権限と権威の違いは? ○親の権威  ×親の権限 ○権威をもって治める  ×権限をもって治める ○愛の権威  ×愛の権限 ○権威ある言葉  ×権限ある言葉 権限  白を白、黒を黒と言うこと     自分に与えられた枠内で行使する力 権威  白を黒、黒を白と言い、それを実行する力。 罪人を義人と呼び、義人とする力。 不完全な者を完全と宣言し、完全にする力。 Wikipekia 「百人隊長」より ペテロがコルネリウスに洗礼を授ける フランチェスコ・トレヴィサニ 僕=「子」という言葉 中風=麻痺 老人であったか、若者であったかは不明 老人→中風 若者→脳への損傷→麻痺 見栄も外聞も無い懇願 百人隊長 =先頭の最前線で指揮する勇猛果敢な男 部下を死刑にする権限を持つ。失敗に対しては、死をもって責任を取る 被支配民の一教師に懇願 ・僕に対する深い愛 ・イエスの権威への信頼 ハンセン病の人 百人隊長 →ともにイスラエルの祝福から除外 イエスの権威の下に入ったのは、まずこれらの人々 イエスの愛の権威に信頼した エペソ人への手紙 2章11~19節 「ですから、思い出してください。あなたがたはかつて、肉においては異邦人でした。人の手で肉に施された、いわゆる「割礼」を持つ人々からは、無割礼の者と呼ばれ、そのころは、キリストから遠く離れ、イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人で、この世にあって望みもなく、神もない者たちでした。しかし、かつては遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。実に、キリストこそ私たちの平和です。キリストは私たち二つのものを一つにし、ご自分の肉において、隔ての壁である敵意を打ち壊し、様々な規定から成る戒めの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、この二つをご自分において新しい一人の人に造り上げて平和を実現し、二つのものを一つのからだとして、十字架によって神と和解させ、敵意を十字架によって滅ぼされました。また、キリストは来て、遠くにいたあなたがたに平和を、また近くにいた人々にも平和を、福音として伝えられました。このキリストを通して、私たち二つのものが、一つの御霊によって御父に近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。」
愛は一つになる マタイの福音書第8章1節〜4節 岩本遠億牧師 2020年1月19日 イエスが山から下りて来られると、大勢の群衆がイエスに従った。すると見よ。ツァラアトに冒された人がみもとに来て、イエスに向かってひれ伏し、「主よ、お心一つで私をきよくすることがおできになります」と言った。イエスは手を伸ばして彼にさわり、「わたしの心だ。きよくなれ」と言われた。すると、すぐに彼のツァラアトはきよめられた。イエスは彼に言われた。「だれにも話さないように気をつけなさい。ただ行って自分を祭司に見せなさい。そして、人々への証しのために、モーセが命じたささげ物をしなさい。」 +++ ツァラアト=ハンセン病を含む重い皮膚病 祭司による診断 →隔離、人との接触の禁止 癒された場合の社会復帰規定 “彼はツァラアトに冒された者であって、この者は汚れている。祭司は彼を汚れていると必ず宣言する。その患部が頭にあるからである。 患部があるツァラアトに冒された者は自分の衣服を引き裂き、髪の毛を乱し、口ひげをおおって、『汚れている、汚れている』と叫ぶ。 その患部が彼にある間、その人は汚れたままである。彼は汚れているので、ひとりで住む。宿営の外が彼の住まいとなる。” レビ記 13章44~46節 イエスは、パリサイ派の一派、敬虔派ハシディームの学者であった パリサイ派:主流派と敬虔派 ・主流派:「神よ」「主よ」と呼びかける。祈りによって奇跡が起こるとは信じていない。 ・敬虔派(ハシディーム):「我が父」「天の父」と呼びかける。天の父が祈りに答えて奇跡を起こしてくれると信じている。 S・サフライ『キリスト教成立の背景としてのユダヤ教世界』 「汚れたものに触れるものは汚れる。‥罪に定められる。」(レビ記5:2-3) →罪の贖いの儀式を受ける必要 言葉だけで癒す権威を持った主イエス なぜ、この人に触れたのか? ジョゼフ・ダミエン神父 1841〜1889 ベルギーに生まれる。 22歳 ハワイ伝道へ 33歳 モロカイ島に入る 全世界から集められたハンセン病患者の隔離施設 三方が海、一方が断崖絶壁 ありとあらゆる犯罪、ありとあらゆる不道徳←絶望と廉恥心の喪失 会堂を掃除、修理、再建 孤児院を建てる。患者の子供たちを集め養育 死んだ患者を手厚く葬る     ↓ 患者たちの中に人間の心が回復 少しずつ心を開いて行く患者たち。 道徳の回復。 43歳 ハンセン病発病←患者のコック、患者のお手伝いさん。同じ食器、同じ生活 「もし、病気が回復したらこの地から召還されるのであれば、病気が治らないことを願う。」 彼らと一つであることを願い続けたダミエン。 墓碑「ダミエンは、最初、彼らハンセン病患者を野獣より人間に変えた。更に、今や、彼らを人間より神の子供たちに変えた。」 「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。」ヨハネの福音書 17章21~23節 「人がその友のためにいのちを捨てること、それよりも大いなる愛はない。」 ヨハネの福音書 15章13節 「見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」ヨハネの黙示録 3章20節
動かぬ岩の上に マタイの福音書第7章15節〜29節 岩本遠億牧師 2020年1月12日 「偽預言者たちに用心しなさい。彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、内側は貪欲な狼です。あなたがたは彼らを実によって見分けることになります。茨からぶどうが、あざみからいちじくが採れるでしょうか。良い木はみな良い実を結び、悪い木は悪い実を結びます。良い木が悪い実を結ぶことはできず、また、悪い木が良い実を結ぶこともできません。良い実を結ばない木はみな切り倒されて、火に投げ込まれます。こういうわけで、あなたがたは彼らを実によって見分けることになるのです。わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、天におられるわたしの父のみこころを行う者が入るのです。その日には多くの者がわたしに言うでしょう。『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」イエスがこれらのことばを語り終えられると、群衆はその教えに驚いた。イエスが、彼らの律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられたからである。」マタイの福音書 7章15~29節 預言者 本物の預言者・・・神の言葉を語る 偽物の預言者・・・自分の思いを語る 用心せよ→一見見分けがつかない。すぐには分からない。      どのような実を結ぶかでわかるようになる。 偽預言者の主張= 『主よ、主よ。私たちはあなたの名によって預言し、あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって多くの奇跡を行ったではありませんか。』 主イエスの答え= しかし、わたしはそのとき、彼らにはっきりと言います。『わたしはおまえたちを全く知らない。不法を行う者たち、わたしから離れて行け。』 何が問題なのか? →自分の業に頼り、自分の業を誇っている 天におられるわたしの父の御心を行うものが天の御国に入る 天の御国=神の支配 天の御国は死んでから行くところではなく、この地にやって来るもの 天の御国に入る =この地にやってきた神の支配の中に生きる 「幸いなるかな!心(霊)の貧しい者!天の御国は彼らのものだ!」マタイ5:3 山上の説教の教えの中心 父なる神との1対1の関係の重要性 ・あなたがたの天の父を信頼せよ ・霊の貧しい者として天の父だけを求めよ ・天の父を信頼して、人を愛せよ ・あなたがたを愛しておられる天の父だけを基準とせよ ・人の評価を基準とするな ・天の父に似た者となれ ルカの福音書 17章7~10節 「あなたがたのだれかのところに、畑を耕すか羊を飼うしもべがいて、そのしもべが野から帰って来たら、『さあ、こちらに来て、食事をしなさい』と言うでしょうか。むしろ、『私の夕食の用意をし、私が食べたり飲んだりする間、帯を締めて給仕しなさい。おまえはその後で食べたり飲んだりしなさい』と言うのではないでしょうか。しもべが命じられたことをしたからといって、主人はそのしもべに感謝するでしょうか。同じようにあなたがたも、自分に命じられたことをすべて行ったら、『私たちは取るに足りないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」 主イエスは、正しい預言をなし、悪霊を追い出し、病を癒し、多くの奇跡を行った。しかし、父なる神様からそれについての報酬を得ようなどとは思われなかった。 ・主イエスが受けた報酬は、十字架であった。 ピリピ人への手紙 2章6~11節 「キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、すべての舌が『イエス・キリストは主です』と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。」 この主イエスが、私たちを天の支配、神の国に招き入れ、神の子としてくださる。 ・霊の貧しい者として生きよ。 ・わたしと共に生きよ。 ・わたしに似た者となれ。 「ですから、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家を襲っても、家は倒れませんでした。岩の上に土台が据えられていたからです。また、わたしのこれらのことばを聞いて、それを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人にたとえることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもその倒れ方はひどいものでした。」 7章24~27節 ヨハネの福音書 15章7~8節 「あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになります。」 律法学者たちのようにではなく、権威ある者として教えられた。 権威ある教え=言葉が現実を動かす。言葉が現実となる イザヤ書 55章10~11節 「雨や雪は、天から降って、もとに戻らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種蒔く人に種を与え、食べる人にパンを与える。そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、わたしのところに、空しく帰って来ることはない。それは、わたしが望むことを成し遂げ、わたしが言い送ったことを成功させる。」 キリストという動かぬ岩の上に、私たちの存在が建てあげられる。 「万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」イザヤ書9:7
いのちの道が聞こえるか マタイの福音書第7章13〜14節 岩本遠億牧師 2020年1月5日 狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。マタイの福音書 7章13~14節 人生は選択の連続と言われる 広い道と狭い道の選択 広い道(多くの人が通る)→滅び 狭い道(見出す者が少ない)→いのち 見出すものが少ないのなら、そもそもどうやって選択すれば良いのか? “シモン・ペテロがイエスに言った。「主よ、どこにおいでになるのですか。」イエスは答えられた。「わたしが行くところに、あなたは今ついて来ることができません。しかし後にはついて来ます。」 ペテロはイエスに言った。「主よ、なぜ今ついて行けないのですか。あなたのためなら、いのちも捨てます。」 イエスは答えられた。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」“ ヨハネの福音書 13章36~38節 →自分の意志と決心で狭い門を通ることはできない 選んでいるのか? それとも選ばれているのか? 自分の存在に関わる最重要事項 →自分で選ぶことはできない 私たちにできることはそれに応答すること 滅びに至る広い門vs.いのちに至る狭い門 =命を与えるお方との関係 「わたしはあなたを地の果てから連れ出し、地の隅々から呼び出して言った。『あなたは、わたしのしもべ。わたしはあなたを選んで、退けなかった』と。恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。」イザヤ書 41章9~10節 「あなたがたがわたしを選んだのではなく、わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命しました。それは、あなたがたが行って実を結び、その実が残るようになるため、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものをすべて、父が与えてくださるようになるためです。」ヨハネの福音書 15章16節 「トマスはイエスに言った。『主よ、どこへ行かれるのか、私たちには分かりません。どうしたら、その道を知ることができるでしょうか。』 イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。』」 ヨハネの福音書 14章5~6節 「そこで、再びイエスは言われた。「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしは羊たちの門です。・・・わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら救われます。また出たり入ったりして、牧草を見つけます。・・・わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。」 ヨハネの福音書 10章7以下 「私の霊が私のうちで衰え果てたときにもあなたは私の道をよく知っておられます。私が歩くその道に彼らは罠を仕掛けています。」詩篇 142篇3節 「ああ、シオンの民、エルサレムに住む者。もうあなたは泣くことはない。あなたの叫ぶ声に応え、主は必ず恵みを与え、それを聞くとき、あなたに答えてくださる。 たとえ主があなたがたに苦しみのパンと虐げの水を与えても、あなたを教える方はもう隠れることはなく、あなたの目はあなたを教える方を見続ける。 あなたが右に行くにも左に行くにも、うしろから『これが道だ。これに歩め』と言うことばを、あなたの耳は聞く。」               イザヤ書 30章19~21節
神が私たちと共に マタイの福音書第1章18節〜25節 岩本遠億牧師 2019年12月15日 “イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。マリアは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方がご自分の民をその罪からお救いになるのです。」このすべての出来事は、主が預言者を通して語られたことが成就するためであった。「見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」それは、訳すと「神が私たちとともにおられる」という意味である。ヨセフは眠りから覚めると主の使いが命じたとおりにし、自分の妻を迎え入れたが、子を産むまでは彼女を知ることはなかった。そして、その子の名をイエスとつけた。”マタイの福音書 1章18~25節 受胎告知教会 受胎告知教会 ヨセフの家 ヨセフの家 当時の婚約=結婚と同じ法的制約 婚約中に婚約者が死亡→未亡人として登録 婚約中に他の人と性交渉=姦淫→石打ちによる死刑 マリアにも姦淫の罪の嫌疑 →社会的制裁(最悪死刑) ヨセフの思慮=如何にしてマリアを救うか 婚約そのものを無かったことにする→マリアは罪に問われない インマヌエル 神が私たちと共におられる im  共に anu 私たち el  神 神が私と共に  インミエル または インマディエル ヒゼキヤ  主は強める エリサベツ 神は誓う ヨシュア   主は救う・・・「イエス」のヘブライ語 なぜ、イエスは「インマルエル」(神は我らと共におられる)と呼ばれたのか? これを理解する鍵: 神がイスラエルに「わたしはお前たちと一緒に約束の地には行かない」と言われたこと。出エジプト33 “主はモーセに言われた。「あなたも、あなたがエジプトの地から連れ上った民も、ここから上って行って、わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに誓って、『これをあなたの子孫に与える』と言った地に行け。わたしはあなたがたの前に一人の使いを遣わし、カナン人、アモリ人、ヒッタイト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い払い、乳と蜜の流れる地にあなたがたを行かせる。しかし、わたしは、あなたがたのただ中にあっては上らない。あなたがたはうなじを固くする民なので、わたしが途中であなたがたを絶ち滅ぼしてしまわないようにするためだ。」民はこの悪い知らせを聞いて嘆き悲しみ、一人も飾り物を身に着ける者はいなかった。主はモーセに次のように命じておられた。「イスラエルの子らに言え。『あなたがたは、うなじを固くする民だ。一時でも、あなたがたのただ中にあって上って行こうものなら、わたしはあなたがたを絶ち滅ぼしてしまうだろう。今、飾り物を身から取り外しなさい。そうすれば、あなたがたのために何をするべきかを考えよう。』」”出エジプト記 33章1~5節 紀元前1900年頃 イスラエルのエジプト移住 紀元前1500年頃 奴隷として使役         ↓ モーセの召命:エジプトからの解放=奇跡の連続          →エジプト軍壊滅 シナイ山宿営→十戒の授与(モーセ不在40日間)         ↓ イスラエルの民による神への反逆と偶像崇拝         ↓ 反逆に固執する者たちの滅び         ↓ 「わたしは、お前たちと一緒に行かない。お前たちを滅ぼしてしまわないために。」 =罪人は神の聖に触れると滅んでしまう モーセの命がけの嘆願      ↓ モーセの嘆願を聞き入れた神:「一緒に行く!」      ↓ 宿営の中心に幕屋(=神の臨在を表す)を建設 幕屋の機能 全焼の捧げ物=神様への香りの捧げ物 和解(感謝)の捧げ物=祭司と民が神の前で喜びの会食 罪の捧げ物=罪の贖い そのほか、香やパンの捧げ物 捧げ物→神様との関係の回復     罪人が神様の聖なる臨在によって滅ぼされない     「お前たちと一緒に行く」 イエスが「インマヌエル」と呼ばれた理由 イエス自身が完全な捧げ物となった →私たちを完全なものとする ヘブル10:10 このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。 10:14 キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。
聖霊の主権 ルカの福音書第1章26節〜56節 岩本遠億牧師 2019年12月8日 “さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは何もありません。」マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。それから、マリアは立って、山地にあるユダの町に急いで行った。そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。エリサベツがマリアのあいさつを聞いたとき、子が胎内で躍り、エリサベツは聖霊に満たされた。そして大声で叫んだ。「あなたは女の中で最も祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、どうしたことでしょう。あなたのあいさつの声が私の耳に入った、ちょうどそのとき、私の胎内で子どもが喜んで躍りました。主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、幸いです。」マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、私の霊は私の救い主である神をたたえます。この卑しいはしために目を留めてくださったからです。ご覧ください。今から後、どの時代の人々も私を幸いな者と呼ぶでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださったからです。その御名は聖なるもの、主のあわれみは、代々にわたって主を恐れる者に及びます。主はその御腕で力強いわざを行い、心の思いの高ぶる者を追い散らされました。権力のある者を王位から引き降ろし、低い者を高く引き上げられました。飢えた者を良いもので満ち足らせ、富む者を何も持たせずに追い返されました。主はあわれみを忘れずに、そのしもべイスラエルを助けてくださいました。私たちの父祖たちに語られたとおり、アブラハムとその子孫に対するあわれみをいつまでも忘れずに。」マリアは、三か月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。”ルカの福音書 1章26~56節 聖霊への言及 マタイの福音書  5回 マルコの福音書  4回 ルカの福音書 13回 ヨハネの福音書  3回 使徒の働き 43回 歴史的価値が最も高い「ルカの福音書」と「使徒の働き」を合わせると著者ルカは56回聖霊に言及している。 →主イエス降誕における聖霊の主権 =聖霊が歴史を動かす →聖霊は今も働かれる 聖書にはマリアの親についての言及がない マリアは恐らく孤児 →祭司ザカリヤとエリサベツに養育される →初潮が現れる →祭司ザカリヤがマリアの血によって汚れたら祭司の働きができない →ナザレに移り住みヨセフと婚約 →御使ガブリエルによる主イエスの受胎告知 マリアはどのような心境だったのか? 当時の婚約=結婚と同じ法的制約 婚約中に婚約者が死亡→未亡人として登録 婚約中に他の人と性交渉=姦淫 →石打ちによる死刑 マリアにも姦淫の罪の嫌疑 →社会的制裁(最悪死刑) しかし、マリアは恐れによって縮こまってはいなかった。 マリアに与えられた強い聖霊体験 “マリアは言った。「私のたましいは主をあがめ、 私の霊は私の救い主である神をたたえます。(誤訳) (egalliasen:過去形) ×たたえます ○喜びに満ち、たたえました 何時喜びに満ち、たたえたのか? →この卑しいはしために目を留めてくださった時   力ある方が、私に大きなことをしてくださった時 マリアは、自分の体に聖霊が激しく臨み、それまでの自分の体ではなくなる経験をした。 →湧き上がる喜び、黙っていられない歓喜 →エリサベツと喜びを分かち合いたい 聖霊に満たされたマリアの到着 →エリサベツは聖霊に満たされる →マリアの溢れる賛美 聖霊が救いの計画を実行 聖霊によるマリア懐妊 聖霊に満たされたエリサベツ 聖霊に満たされたザカリヤ 聖霊に導かれたシメオン 聖霊が鳩のようにイエスの上に留まる 聖霊がイエスを荒野に追いやる イエスの十字架と復活の後 聖霊に満たされた弟子たち 異邦人にも聖霊が与えられる
愛は諦めない マタイの福音書第7章6〜12節 岩本遠億牧師 2019年11月24日 “聖なるものを犬に与えてはいけません。また、真珠を豚の前に投げてはいけません。犬や豚はそれらを足で踏みつけ、向き直って、あなたがたをかみ裂くことになります。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれでも、求める者は受け、探す者は見出し、たたく者には開かれます。あなたがたのうちのだれが、自分の子がパンを求めているのに石を与えるでしょうか。魚を求めているのに、蛇を与えるでしょうか。このように、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っているのです。それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えてくださらないことがあるでしょうか。ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。これが律法と預言者です。”マタイの福音書 7章6~12節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 犬=異邦人、神を知らぬ者 豚=最も汚れた者 イエスの宣教の範囲=イスラエルの中に限定 “イエスはこの十二人を遣わす際、彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。また、サマリア人の町に入ってはいけません。むしろ、イスラエルの家の失われた羊たちのところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。病人を癒やし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊どもを追い出しなさい。あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい。”マタイの福音書 10章5~8節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “また、もしあなたの兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで指摘しなさい。その人があなたの言うことを聞き入れるなら、あなたは自分の兄弟を得たことになります。もし聞き入れないなら、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。二人または三人の証人の証言によって、すべてのことが立証されるようにするためです。それでもなお、言うことを聞き入れないなら、教会に伝えなさい。教会の言うことさえも聞き入れないなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。”マタイの福音書 18章15~17節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “イエスはそこを去ってツロとシドンの地方に退かれた。すると見よ。その地方のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちはみもとに来て、イエスに願った。「あの女を去らせてください。後について来て叫んでいます。」イエスは答えられた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。”マタイの福音書 15章21~28節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “それから、イエスはそこを去ってガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして山に登り、そこに座っておられた。すると大勢の群衆が、足の不自由な人たち、目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、口のきけない人たち、そのほか多くの人をみもとに連れて来て、イエスの足もとに置いたので、イエスは彼らを癒やされた。群衆は、口のきけない人たちがものを言い、手足の曲がった人たちが治り、足の不自由な人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そしてイスラエルの神をあがめた。イエスは弟子たちを呼んで言われた。「かわいそうに、この群衆はすでに三日間わたしとともにいて、食べる物を持っていないのです。空腹のまま帰らせたくはありません。途中で動けなくなるといけないから。」弟子たちは言った。「この人里離れたところで、こんなに大勢の人に十分食べさせるほどたくさんのパンを、どこで手に入れることができるでしょう。」すると、イエスは彼らに言われた。「パンはいくつありますか。」彼らは言った。「七つです。それに、小さい魚が少しあります。」そこで、イエスは群衆に地面に座るように命じられた。そして七つのパンと魚を取り、感謝の祈りをささげてからそれを裂き、弟子たちにお与えになったので、弟子たちは群衆に配った。人々はみな、食べて満腹した。そして余ったパン切れを集めると、七つのかごがいっぱいになった。”マタイの福音書 15章29~37節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 求めよ。そうすれば与えられる。 探せ。そうすれば見出す。 門を叩け。そうすれば開かれる。 人間の行為だけを聖書は問題とするのか? 人を探し求める神 “そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」”創世記 3章8~9節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “あなたがたはどう思いますか。もしある人に羊が百匹いて、そのうちの一匹が迷い出たら、その人は九十九匹を山に残して、迷った一匹を捜しに出かけないでしょうか。まことに、あなたがたに言います。もしその羊を見つけたなら、その人は、迷わなかった九十九匹の羊以上にこの一匹を喜びます。”マタイの福音書 18章12~13節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “見よ、わたしは戸の外に立ってたたいている。だれでも、わたしの声を聞いて戸を開けるなら、わたしはその人のところに入って彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。”ヨハネの黙示録 3章20節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。」”ルカの福音書 11章13節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
愛は分離しない マタイの福音書第7章1節〜5節 岩本遠億牧師 2019年11月17日 さばいてはいけません。自分がさばかれないためです。あなたがたは、自分がさばく、そのさばきでさばかれ、自分が量るその秤で量り与えられるのです。あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。兄弟に向かって、『あなたの目からちりを取り除かせてください』と、どうして言うのですか。見なさい。自分の目には梁があるではありませんか。偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。マタイの福音書 7章1~5節 さばく krino=選ぶ、区別する、分離する→判断する、裁く、 ×判断の放棄 人間の罪の根源=自分が善悪の基準 自分=善、正しい あなた=悪、間違っている 裁く=分離する→私は上、あなたは下            人を排除する キリストの平和教会の基本方針 ・人の批判をしない ・その場にいない人の噂話をしない 人を批判するときの基準は何か? ・自分の気持ち ・社会規範、社会的常識 ・聖書の言葉(解釈)・・・これが一番厄介 人を批判する動機は何か? ・教えてやろう・・・上から目線、支配欲 “信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。ある人は何を食べてもよいと信じていますが、弱い人は野菜しか食べません。食べる人は食べない人を見下してはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったのです。他人のしもべをさばくあなたは何者ですか。しもべが立つか倒れるか、それは主人次第です。しかし、しもべは立ちます。主は、彼を立たせることがおできになるからです。ある日を別の日よりも大事だと考える人もいれば、どの日も大事だと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。特定の日を尊ぶ人は、主のために尊んでいます。食べる人は、主のために食べています。神に感謝しているからです。食べない人も主のために食べないのであって、神に感謝しているのです。私たちの中でだれ一人、自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。私たちは、生きるとすれば主のために生き、死ぬとすれば主のために死にます。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。”ローマ人への手紙 14章1~9節 ローマ教会内の対立:肉を食べるか否か 市場に売っている肉:一旦偶像の宮に捧げたもの 信仰の強い人:偶像に供えた肉を食べても偶像崇拝に加担することにはならないと考える人。 信仰の弱い人:偶像に供えた肉を食べると偶像崇拝に加担することになると考える人。 どうやったら兄弟の目の中の塵を取り除けるのか? 兄弟と一つになることによって   =自分の基準を放棄することによって可能 仕えることによって 弟子たちの足を洗った主イエス 兄弟愛をもって互いに愛し合い、互いを自分よりも優れた者として尊敬しなさい。ローマ12:10 優れた者 ×能力が優れている ○身分が上 一人一人の心の中に植え付けられている神の言葉に信頼する。 またイエスは言われた。「神の国はこのようなものです。人が地に種を蒔くと、夜昼、寝たり起きたりしているうちに種は芽を出して育ちますが、どのようにしてそうなるのか、その人は知りません。地はひとりでに実をならせ、初めに苗、次に穂、次に多くの実が穂にできます。実が熟すと、すぐに鎌を入れます。収穫の時が来たからです。」      マルコの福音書 4章26~29節 全てを包み込んで「然り」とする主イエスを信頼する。見上げる。 「私たち、すなわち、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、『然り』と同時に『否』となったような方ではありません。この方においては『然り』だけが実現したのです。神の約束はことごとく、この方において『然り』となったからです。それで、私たちは、この方を通して神に『アーメン』と唱え、栄光を帰するのです。」コリントの信徒への手紙 二 1章19~20節(共同訳)
目に見えないものが見える時 マタイの福音書第6章19~34節 岩本遠億牧師 2019年11月10日 自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。 からだの明かりは目です。ですから、あなたの目が健やかなら全身が明るくなりますが、目が悪ければ全身が暗くなります。ですから、もしあなたのうちにある光が闇なら、その闇はどれほどでしょうか。だれも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは神と富とに仕えることはできません。 ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。 なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。マタイの福音書第6章19~34節 ルカの福音書12章13~34節 群衆の中の一人がイエスに言った。「先生。遺産を私と分けるように、私の兄弟に言ってください。」すると、イエスは彼に言われた。「いったいだれが、わたしをあなたがたの裁判官や調停人に任命したのですか。」そして人々に言われた。「どんな貪欲にも気をつけ、警戒しなさい。人があり余るほど持っていても、その人のいのちは財産にあるのではないからです。」 それからイエスは人々にたとえを話された。「ある金持ちの畑が豊作であった。彼は心の中で考えた。『どうしよう。私の作物をしまっておく場所がない。』そして言った。『こうしよう。私の倉を壊して、もっと大きいのを建て、私の穀物や財産はすべてそこにしまっておこう。そして、自分のたましいにこう言おう。「わがたましいよ、これから先何年分もいっぱい物がためられた。さあ休め。食べて、飲んで、楽しめ。」』しかし、神は彼に言われた。『愚か者、おまえのたましいは、今夜おまえから取り去られる。おまえが用意した物は、いったいだれのものになるのか。』自分のために蓄えても、神に対して富まない者はこのとおりです。」 [中略] 小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。自分の財産を売って施しをしなさい。自分のために、天に、すり切れない財布を作り、尽きることのない宝を積みなさい。天では盗人が近寄ることも、虫が食い荒らすこともありません。あなたがたの宝のあるところ、そこにあなたがたの心もあるのです。 詩篇第23篇 主は私の羊飼い。私は乏しいことがありません。 主は私を緑の牧場に伏させいこいのみぎわに伴われます。 主は私のたましいを生き返らせ御名のゆえに私を義の道に導かれます。 たとえ死の陰の谷を歩むとしても私はわざわいを恐れません。あなたがともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖それが私の慰めです。 私の敵をよそにあなたは私の前に食卓を整え頭に香油を注いでくださいます。私の杯はあふれています。 まことに私のいのちの日の限りいつくしみと恵みが私を追って来るでしょう。私はいつまでも主の家に住まいます。
あなたがたが断食をするときには、偽善者たちのように暗い顔をしてはいけません。彼らは断食していることが人に見えるように、顔をやつれさせるのです。誠に、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。断食をするときには頭に油を塗り、顔を洗いなさい。それは、断食していることが、人にではなく、隠れたところにおられるあなたがたの父に見えるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたがたの父が報いてくださいます。マタイの福音書第6章16節〜18節 当時のイスラエル人の義務 =宗教的義務=義(善行) 1.施し 2.祈り 3.断食 主イエスご自身も施しを推奨し、祈り、断食を行われた。 何を問題となさったのか? 当時の社会状況を知ることが必要 第一神殿以前: 幕屋における礼拝と個人個人の祈り 第一神殿時代(紀元前10世紀〜紀元前6世紀) 人々は律法を軽視 預言者の言葉:律法を守らないイスラエルの民に対する警告が中心 各地で異教の神への礼拝が横行 →エルサレム神殿だけでの礼拝を推進 第二神殿時代(バビロン捕囚(紀元前6世紀)以降) 人々は律法を遵守 預言者の言葉:律法を守るとは如何なることかとの議論が中心 →パリサイ派が会堂や家庭での礼拝を推進 新約時代のイスラエルは、律法だけでなく、種々の律法の解釈、言い伝えを守ることが社会的な規範となっていた。 信仰が個人の内的な問題ではなく、社会的な名誉と結びつく。 →神との関係ではなく、人との関係に意識が向く。 聖書における断食 律法の定める断食:    大贖罪日(ヨム・キプール)   全イスラエルが断食(レビ記16章)   ユダヤ新年の十日(2019年10月9日〜10日) 捕囚後に定められた断食(イスラエルの危機を記念)    •ネブガデネザルによるエルサレム包囲開始日(12月ごろ)   •エルサレム陥落日(5月ごろ)   •第一神殿の破壊日(7月ごろ)   ゲダルヤ(バビロン捕囚時にユダヤに残された貧しい人々の上に立てられた総督)殺害日(9月ごろ) 新約時代に追加された断食日   •木曜日(モーセが律法を受けるためにシナイ山に登った日)   •月曜日(律法を受けて下山した日) 断食の方法 大贖罪日:丸一日(日没〜日没)水も食物も口にしない その他:日の出から日没まで 粗布を着て、灰をかぶる:悲しみと懺悔を表す →敬虔さの装い →高慢な形式的主義的苦行 =自分を低める断食が自分を高めるものへ ルカの福音書 18章10~14節 「二人の人が祈るために宮に上って行った。一人はパリサイ人で、もう一人は取税人であった。  パリサイ人は立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私がほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します。私は週に二度断食し、自分が得ているすべてのものから、十分の一を献げております。』  一方、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神様、罪人の私をあわれんでください。』  あなたがたに言いますが、義と認められて家に帰ったのは、あのパリサイ人ではなく、この人です。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるのです。」 マタイの福音書 9章14~15節  それから、ヨハネの弟子たちがイエスのところに来て、「私たちとパリサイ人はたびたび断食をしているのに、なぜあなたの弟子たちは断食をしないのですか」と言った。  イエスは彼らに言われた。「花婿に付き添う友人たちは、花婿が一緒にいる間、悲しむことができるでしょうか。しかし、彼らから花婿が取り去られる日が来ます。そのときには断食をします。 現代のキリスト教会に当てはめると 教会の中での働きや熱心さによって人を評価 →信仰熱心な人、信仰が強い人、弱い人 隠れた神様との関係だけに真がある   神様との関係の窓     •自分の罪深さを知ること     •人生の苦しみ(病気、怪我、社会的立場の喪失、壊れた人間関係など) 私たちがキリストの死と同じようになって、キリストと一つになっているなら、キリストの復活とも同じようになるからです。 ローマ人への手紙 6章5節
「主の祈り」は分配の法則 マタイの福音書第6章9節〜15節 岩本遠億牧師 2019年10月27日 『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』マタイの福音書 6章9~13節 分配法則 A ×(B + C)=A×B + A×C 主の祈り=主イエスの集団の祈り     =主イエス自身の祈り ○私たちの父よ   ×私の父よ 「私たちの天の父」という言葉によって思い浮かぶ人 =あなたによって神の国がもたらされる人 私たちの天のお父様。御国が来ますように。 「しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。」マタイの福音書 12章28節 「パリサイ人たちが、神の国はいつ来るのかと尋ねたとき、イエスは彼らに答えられた。『神の国は、目に見える形で来るものではありません。「見よ、ここだ」とか、「あそこだ」とか言えるようなものではありません。見なさい。神の国はあなたがたのただ中にあるのです。』」ルカの福音書 17章20~21節 私たちの天のお父様。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。 自分が最善と思うことが実現することが御心か? 私が最善と思うことと、あなたが最善と思うことの間に不一致がある。私が昨日最善と思ったことと、今日最善と思うことの間に不一致があることもある。 私たちの天の父の御心を求める          ↓ あの人に対する父の御心が地に行われるように (自分にとって都合が悪いかもしれないが) 私たちの天のお父様。私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。(赦したように) 負い目=罪 最大の罪=「神はいない」と心の中で思うこと       =神がいるかいないか自分で決めようとすること。 自分に都合が良ければ、神はいると思い、 自分に都合が悪ければ、神はいないと思う。 「我が神、我が神、なぜわたしをお見捨てになったのですか?」 ↑ 「神はいる。わたしの神は生きている!」 神と自分との切っても切れない関係を前提 私たちの天のお父様 私たちの罪をお赦しください。 私たちも私たちに罪を犯すものたちを赦しました。 私たちと私たちに罪を犯すものも、あなたの子。 私もあの人も等しく赦してください。 →私も赦します。 主イエスの伝道生涯 ヨハネからのバプテスマ =「わたしたちの罪を赦してください」に始まり 全人類を代表する十字架 =「わたしたちの罪を赦してください」に終わる 神様、あなたを否定する罪を赦して下さい。 ・・・全ての人が持っている罪=自己を基準とすること 私たちの天のお父様。私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。 試み/試練=神様を否定させようとする力 「シモン、シモン。見なさい。サタンがあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って、聞き届けられました。しかし、わたしはあなたのために、あなたの信仰がなくならないように祈りました。ですから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」ルカの福音書 22章31~32節 「見よ。わたしが支えるわたしのしもべ、わたしの心が喜ぶ、わたしの選んだ者。わたしは彼の上にわたしの霊を授け、彼は国々にさばきを行う。彼は叫ばず、言い争わず、通りでその声を聞かせない。傷んだ葦を折ることもなく、くすぶる灯芯を消すこともなく、真実をもってさばきを執り行う。衰えず、くじけることなく、ついには地にさばきを確立する。島々もそのおしえを待ち望む。」                       イザヤ書 42章1~4節
『天にいます私たちの父よ。御名が聖なるものとされますように。御国が来ますように。みこころが天で行われるように、地でも行われますように。私たちの日ごとの糧を、今日もお与えください。私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。私たちを試みにあわせないで、悪からお救いください。』マタイの福音書 6章9~13節 ○私たちの父よ   ×私の父よ 「私たちの天の父」という言葉によって思い浮かぶ人 =あなたによって神の国がもたらされる人 マタイの福音書 5章23~24節 “ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。”  ネヘミヤ記 1章4~7節 “このことばを聞いたとき、私は座り込んで泣き、数日の間嘆き悲しみ、断食して天の神の前に祈った。「ああ、天の神、主よ。大いなる恐るべき神よ。主を愛し、主の命令を守る者に対して、契約を守り、恵みを下さる方よ。どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。私たちはあなたに対して非常に悪いことをして、あなたのしもべモーセにお命じになった、命令も掟も定めも守りませんでした。” 「だれかが弱くなっているときに、私は弱くならないでしょうか。だれかがつまずいていて、私は心が激しく痛まないでしょうか。」 コリント人への手紙 第二 11章29節 ヨハネの福音書 17章20~23節 “わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにも、お願いします。父よ。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちのうちにいるようにしてください。あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるようになるためです。またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためです。わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。彼らが完全に一つになるためです。また、あなたがわたしを遣わされたことと、わたしを愛されたように彼らも愛されたことを、世が知るためです。” 御名が聖なるものとされますように。 神の御名は私たちが祈らなくても「聖」。なぜ、このように祈ることを教えられたのか? マザー・テレサの」祈り 『自分より他人を』 「主よ、私が空腹を覚えるとき、パンを分ける相手に出会わせてください。 のどが渇くとき、飲み物を分ける相手に出会えますように。 寒さを感じるとき、暖めてあげる相手に出会わせてください。 不愉快になるとき、喜ばせる相手に出会えますように。 私の十字架が重く感じられるとき、だれかの重荷を背負ってあげられますように。 貧しくなるとき、貧しい人に出会わせてください。 ひまがなくなるとき、時間を割いてあげる相手に出会えますように。 私が屈辱を味わうとき、だれかを褒めてあげられますように。 気が滅入るとき、だれかを力づけてあげられますように。 理解してもらいたいとき、理解してあげる相手に出会えますように。 かまってもらいたいとき、かまってあげる相手に出会わせてください。 私が自分のことしか頭にないとき、私の関心が他人にも向きますように。 空腹と貧困の中に生き、そして死んでいく世の兄弟姉妹に奉仕するに値する者となれますように。 主よ、私をお助けください。 主よ、私たちの手をとおして日ごとのパンを今日彼らにお与えください。 私たちの思いやりをとおして、 主よ、彼らに平和と喜びを与えください。」
また、祈るとき偽善者たちのようであってはいけません。彼らは人々に見えるように、会堂や大通りの角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。あなたが祈るときは、家の奥の自分の部屋に入りなさい。そして戸を閉めて、隠れたところにおられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。また、祈るとき、異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。彼らは、ことば数が多いことで聞かれると思っているのです。ですから、彼らと同じようにしてはいけません。あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。マタイの福音書 6章5~8節 当時のイスラエル人の義務 =宗教的義務=義(善行) 1.施し 2.祈り 3.断食 主イエスご自身も施しを推奨し、祈り、断食を行われた。 何を問題となさったのか? 会堂や通りで、多くの人に見えるように祈る。 =人に認めてもらいたいという気持ち、自分で自分を褒めたい気持ちが入り込む 人に「立派だ」「素晴らしい」と言われる 自分で自分に「良くやった」と言う →自分の報いを受けてしまっている →天におられるあなたがたの父の報いを受けられない 第一神殿以前: 幕屋における礼拝と個人個人の祈り 第一神殿時代(紀元前10世紀〜紀元前6世紀) 人々は律法を軽視 預言者の言葉:律法を守らないイスラエルの民に対する警告が中心 各地で異教の神への礼拝が横行 →エルサレム神殿だけでの礼拝を推進 第二神殿時代(バビロン捕囚(紀元前6世紀)以降) 人々は律法を遵守 預言者の言葉:律法を守るとは如何なることかとの議論が中心 →パリサイ派が会堂や家庭での礼拝を推進 イエス時代の祈り 公の祈り:神殿、会堂 「シェマーの祈り」が特に重んじられた。 「聞け、イスラエルよ。主は私たちの神。主は唯一である。あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」申命記6:4 個人の祈り: 会堂での公の祈りに個人の祈りを加える。 街角に立って個人やグループの祈りを祈る。 問題:神様との個人的親密な関係の欠如 パリサイ派     ・主流派 「神よ」「主よ」と呼びかける。          自分の祈りによって奇跡が起こると信じていない。     ・敬虔派(ハシディーム)「我が父」「天の父」と呼びかける。          天の父が祈りに答えて奇跡を起こしてくれると信じている。 S・サフライ『キリスト教成立の背景としてのユダヤ教世界』 「天におられるあなたの父」 →イエスが敬虔派ハシディームの学者であったことは間違いがない。 「天の父との親密な関係」・・・祈りの前提          ↓      他者は関係ない      他者は父と子の関係の中に立ち入れない          ↓      人が見ていないところで祈れ      「自分の部屋」=納屋、物置 「神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは『アバ、父』と叫びます。」ローマ人への手紙 8章14~15節       「また、祈るとき、異邦人のように、同じことばをただ繰り返してはいけません。彼らは、ことば数が多いことで聞かれると思っているのです。 ですから、彼らと同じようにしてはいけません。あなたがたの父は、あなたがたが求める前から、あなたがたに必要なものを知っておられるのです。」 異邦人の祈り:無意味な音の連続をいくつも試し、有効な組み合わせから呪文を作る。 「あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。」エペソ人への手紙 6章18節 「まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしを信じる者は、わたしが行うわざを行い、さらに大きなわざを行います。わたしが父のもとに行くからです。またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは、何でもそれをしてあげます。父が子によって栄光をお受けになるためです。あなたがたが、わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしがそれをしてあげます。」    ヨハネの福音書 14章12~14節 ・キリストの名代として祈る
 人に見せるために人前で善行(義)をしないように気をつけなさい。そうでないと、天におられるあなたがたの父から報いを受けられません。  ですから、施しをするとき、偽善者たちが人にほめてもらおうと会堂や通りでするように、自分の前でラッパを吹いてはいけません。まことに、あなたがたに言います。彼らはすでに自分の報いを受けているのです。  あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。 あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。 マタイの福音書 6章1~4節 ********************* 二人だけの秘密とは? 「ここに来たことは二人だけの秘密だよ」 「この秘密基地のことは、二人だけの秘密だ」 二人は特別な関係 他の何ものも間に入れない強い関係 当時のイスラエル人の義務 =宗教的義務=義(善行) 1.施し 2.祈り 3.断食 主イエスご自身も施しを推奨し、祈り、断食を行われた。 何を問題となさったのか? 会堂や通りで、多くの人に見えるように施しをする。 =人に認めてもらいたいという気持ちが入り込む 人に「立派だ」「素晴らしい」と言われる →自分の報いを受けてしまっている →天におられるあなたがたの父の報いを受けられない キリスト教会は、何故、キリストのこの警告を2000年間、無視し続けるのか? あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。 =自分で自分を敬虔と認めてやりたいという気持ちが入り込まないようにせよ。 自分の行為で自分を認めたい =目は自分を向いている 理想の行為ができない自分を誇れない =目は自分を向いている        ↑      両者は同一基準、同一線上を動いている 隠れたところで見ておられるあなたがたの天の父 あなたがたの施しが隠れたものとなる →あなたがたの施し、愛の業が天の父の宝物となる その宝物を天の父とあなただけの秘密とせよ。 天の父とあなたの関係は、二人だけの秘密の関係 主イエスが与えてくださった、この救い、この喜び、この命、この秘密の関係の中で、自分の業、自分という思いすら、消えていく。自分が何もしていないことに気づく。 しずけき夕べの【賛美歌48】 1.しずけき夕べの しらべに寄せて   歌わせたまえ  父なる神よ 2.日かげもやすろう 頃にしあれば   父にぞゆだねん  今日まきしたねを 3.みにくき者の  いろもかたちも   見えずなりゆく 時は来にけり 4.日ごと我がなす 愛の業をも   人に知らさず かくしたまいね 5.鳥はねぐらに 人は家路に   かえる夕べこそ いとしずかなれ 6.神よ この世の 旅路おわらば   わがふるさとに 憩わせたまえ
『あなたの隣人を愛し、あなたの敵を憎め』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。父はご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。自分を愛してくれる人を愛したとしても、あなたがたに何の報いがあるでしょうか。取税人でも同じことをしているではありませんか。また、自分の兄弟にだけあいさつしたとしても、どれだけまさったことをしたことになるでしょうか。異邦人でも同じことをしているではありませんか。ですから、あなたがたの天の父が完全であるように、完全でありなさい。マタイの福音書 5章43~48節 意志によってコントロールできる行為と できない行為 ○食べる、歩く、走る ✕失神する、躓く、目覚める、老いる 「完全である」「敵を愛する」「迫害する者のために祈る」 は自分でコントロールできるか? 意志によってコントロールできる行為の命令形 →命令の意味 意志によってコントロールできない行為の命令形 →人の場合、願いや呪い 「雨、雨、降れ、降れ」・・・降るかどうか分からない 「明日天気にな〜れ」・・・天気になるかならないか分からない 全能の神による命令→必ず実現する 「あなたがたの天の父が完全であられるよう、あなたがたも完全であれ!」→必ず完全になる 「自分の敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ。天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。」 自分を迫害する者のために何度祈れば良いのか? 1回か?10回か?100回か? 99回は祈れたが、1回は祈れなかった人。 99回は祈れたなかったが、1回祈れた人。 どちらが神の子になれるのか? 昨日は祈れたが、今日は祈れなかった人は神の子になれるのか?                    ↑    根本的な前提と理解の誤り 人間の祈りという行為によっては神の子になれない 「天におられるあなたがたの父の子どもになるためです。」 前提:あなたがたはこの方の子供である 天におられるあなたがたの父は、敵を愛し、迫害する者のために祈る愛の方だ。愛そのものだ。あなたがたはこの愛に満たされ、父に似た者となる。 天の父はどのようなお方か? 「父は、ご自分の太陽を悪人にも善人にも昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからです。」 父なる神の愛=良し悪しを超えた愛            感情を超えた愛 命の根源 人間の愛・・・自分の都合によって左右される 父の本質である「この愛」に満たされ、この愛が君たちの内面を支配するようになる →「この愛」が、君たちの中で敵を愛し、迫害する者のために祈るようになる。 主イエスは、これをご自分の生涯において実証なさった。 主イエスは、ご自分を十字架に釘付けする者たちのために祈り続けられた。主イエスの中に満ちていた「この愛」が十字架の苦しみにおいて自己を現した。 「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全であれ。」 自分の祈りという行為によって完全となるのではない。自分の愛の行為が自分を完全にするのでもない。 父なる神様の中に満ち満ちていた愛という実体、すなわち、父なる神様ご自身が、私たちの中に入ってきて、私たちを完全な者とする。 私たちが祈り得ない祈りを、聖霊が私たちの中で祈ってくださる。 神様ご自身がそうすると約束。 「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったら良いか分からないのですが、御霊ご自身が、言葉にならない呻きを持って、とりなしてくださるのです。」ローマ8:26 初代教会時代の伝道者ステパノ 最初の殉教者、この門外で殉教 神殿礼拝主義を否定 神がお住みになるのは、人である。 人こそ神殿である。 「天が開いて、人の子が神の右に立っておられるのが見える」 →人々は殺到して、ステパノを石打ちにして殺した。 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊を受けてください。」そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。 主イエスの十字架の祈り 「父よ。彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのか分からないのです。」 主イエスの御霊ご自身がステパノの中にいて、ステパノを主イエスに似た者とした。 私たちの祈り=聖霊に満たしてください。聖霊よ。私たちを満たし、私たちの内側で、私たちの祈り得ない祈りを祈ってください。 第二コリント3:17-18 「主は御霊です。そして、主の御霊がおられるところには自由があります。私たちはみな、覆いを取り除かれた顔に、鏡のように主の栄光を映しつつ、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられていきます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」
卑しめられることを恐るな マタイの福音書第5章38節〜42節 岩本遠億牧師 2019年9月8日 『目には目を、歯には歯を』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい。あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着も取らせなさい。あなたに一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい。求める者には与えなさい。借りようとする者に背を向けてはいけません。マタイの福音書 5章38~42節 「目には目を、歯には歯を」 同態復讐法:復讐合戦を食い止める法的知恵=倍返しの禁止 当時すでに金銭賠償が行われていた 右の頬を打つ 右手で相手を打つ場合、普通は左頬を打つ 右の頬を打つ=右手の甲で打つ       =相手に対する侮辱を表す 強いて1ミリオン(1500m)行かせる =征服者による強制徴用→強い屈辱感、憎しみ ×相手に対する侮辱行為や、強制徴用を認めているわけではない。 当時、下着は複数枚持っていたが、上着は一枚だけ。上着は掛け毛布ともなった。→貧しい者にとっては唯一の財産 上着を借金の質として取っても、夕方には返さなければならないと規定されていた。 ・侮辱された時、自分の持ち物を取られた時の屈辱感や怒りがあなたの行動を支配してはならない。 ローマ人への手紙 12章18~20節 自分に関することについては、できる限り、すべての人と平和を保ちなさい。愛する者たち、自分で復讐してはいけません。神の怒りにゆだねなさい。こう書かれているからです。 「復讐はわたしのもの。わたしが報復する。」 主はそう言われます。次のようにも書かれています。 「もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、渇いているなら飲ませよ。なぜなら、こうしてあなたは彼の頭上に燃える炭火を積むことになるからだ。」” 詩篇 73篇1~28節 見よこれが悪しき者。彼らはいつまでも安らかで富を増している。ただ空しく、私は自分の心を清め、手を洗って自分を汚れなしとした。私は休みなく打たれ、朝ごとに懲らしめを受けた。 もしも私が「このままを語ろう」と言っていたなら、きっと私はあなたの子らの世代を裏切っていたことだろう。私はこのことを理解しようとしたが、それは私の目には苦役であった。ついに私は、神の聖所に入って彼らの最期を悟った。[…] 私の心が苦みに満ち、私の内なる思いが突き刺されたとき、私は愚かで考えもなく、あなたの前で獣のようでした。しかし私は絶えずあなたとともにいました。あなたは私の右の手をしっかりとつかんでくださいました。あなたは私を諭して導き後には栄光のうちに受け入れてくださいます。 あなたのほかに天では私にだれがいるでしょう。地では私はだれをも望みません。この身も心も尽き果てるでしょう。しかし神は私の心の岩とこしえに私が受ける割り当ての地。見よあなたから遠く離れている者は滅びます。あなたに背き不実を行う者をあなたはみな滅ぼされます。しかし私にとって神のみそばにいることが幸せです。私は神である主を私の避け所としあなたのすべてのみわざを語り告げます。 マタイの福音書 10章28~31節 “からだを殺しても、たましいを殺せない者たちを恐れてはいけません。むしろ、たましいもからだもゲヘナで滅ぼすことができる方を恐れなさい。 二羽の雀は一アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でさえ、あなたがたの父の許しなしに地に落ちることはありません。 あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。 ですから恐れてはいけません。あなたがたは多くの雀よりも価値があるのです。” 侮辱された時、自分の持ち物を取られた時の屈辱感や怒りがあなたの行動を支配してはならない。 主イエスの十字架という屈辱 “信仰の創始者であり完成者であるイエスから、目を離さないでいなさい。この方は、ご自分の前に置かれた喜びのために、辱めをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されたのです。” ヘブル人への手紙 12章2節 主の御前にある喜び 主の膝元にある喜びがこれを潜り抜けさせる。 乗り越えるのではない、潜り抜ける。 “私たちが卑しめられたとき主は心に留められた。主の恵みはとこしえまで。” 詩篇 136篇23節 ホレイシオ・スパフォード  Horatio Spafford (1828〜1888) シカゴの法律家、実業家 多くの不動産を所有し、社会奉仕活動。 長老教会の役員 1871年シカゴ大火→全ての不動産を失う。同年息子を猩紅熱で失う 長老教会からは、隠れた罪が原因だと断罪される イギリスで宣教していた伝道者ムーディの活動に参加するため、一家でイギリスに渡る計画 出発直前に、急な仕事のためスパフォードはシカゴに残り、妻のアンナと4人の娘だけ、先発することに。 アンナと4人の娘が乗った蒸気船は、大西洋横断中に鉄の帆船と衝突、沈没 アンナだけが助けられ生き残る。ホレイシオに電報。 Saved alone.  What should I do? すぐにイギリスに向かうホレイシオ アンナたちが乗った船が沈没したところにさしかかった時、一つの言葉が与えられた。 It is well with my soul. しかし、私の魂にとっては大丈夫。私の魂は守られている。 1.平安が川のように、心に寄り添う時も、悲しみが大波のように、逆巻く時も、 私の運命がいかなるものであっても、主よ、あなたは、教えてくださいました。「私の魂は守られている」と語ることを It is well, it is well with my soul. 2.サタンは攻撃をしかけてくる。試みの時もやってくる。 しかし、この祝福された保証が心を支配するようにせよ キリストは、私の惨めな状況をご存知である。 そして、私の魂にその御血を注いでくださったのだ 3.私の罪、ああ、この栄光ある喜びよ!私の罪は、一部分ではなく、その全てがキリストの十字架に釘付けられた。私はもはや、自分の罪を背負ってはいない。主を讃えよ!主を讃えよ!我が魂よ! It is well, it is well with my soul. 4.私にとってはキリストのみキリストだけが生きている ヨルダン川は頭の上で、逆巻くだろう。 しかし、もはや痛みは私を苦しめない。 死もいのちに呑み込まれた。 あなたが、あなたの平安を私の魂に語りかけてくださった。 5.主よ、その日を来らせ給え。あなたの真実が目に見える時を。 雲は幕のように巻き取られ、ラッパの音が響き、主がやってこられる。 しかし、私の魂は守られている。 It is well, it is well with my soul. ムーディの宣教活動に参加 その後、エルサレムに移住、エルサレムで貧困にあえぐ人たちの救済のために生涯を捧げる。今も、スパフォードの子孫が経営するホテルがエルサレムにある。 スパフォード夫妻の子孫が運営するアメリカン・コロニーホテル・エルサレム https://www.americancolony.com/
真実は真実に応える マタイの福音書第5章33節〜37節 岩本遠億牧師 2019年9月1日 また、昔の人々に対して、『偽って誓ってはならない。あなたが誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。天にかけて誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。地にかけて誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムにかけて誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。自分の頭にかけて誓ってもいけません。あなたは髪の毛一本さえ白くも黒くもできないのですから。あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。 「あの素晴らしい愛をもう一度」 北山修作詞・加藤和彦作曲 命かけてと 誓った日から すてきな想い出 残してきたのに あの時 同じ花を見て 美しいと言った二人の 心と心が 今はもう通わない あの素晴らしい愛をもう一度 あの素晴らしい愛をもう一度 忘らるる 身をば思はず 誓ひてし      人の命の 惜しくもあるかな                              右近 『拾遺集』恋四・870 「天地神明に誓って」 一般の理解:嘘をつく人(特に政治家)の常套句 十戒の第3戒 主の名をみだりに唱えてはならない。 =主の名による誓いを禁止        ⇩ 天にかけて誓う 地にかけて誓う エルサレムにかけて誓う 自分の頭にかけて誓う 神殿にかけて誓う 神殿の黄金にかけて誓う 祭壇にかけて誓う 祭壇の捧げ物にかけて誓う 人はなぜ誓うのか? なぜ誓わせるのか? 前提:自分の言葉、相手の言葉が信用できない    人の言葉は不真実である 誓いの偽善性 誓いと契約の違い 契約=違約した場合の報いが規定 ダビデとヨナタンの愛の契約 =裏切ったら、殺してくれ←主が証人 不真実な言葉の世界から真実な言葉の世界へ 「あなたがたの言うことばは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』としなさい。それ以上のことは悪い者から出ているのです。」 コリント人への手紙 第二 1章15~24節 この確信をもって、私はまずあなたがたのところを訪れて、あなたがたが恵みを二度得られるようにと計画しました。すなわち、あなたがたのところを通ってマケドニアに赴き、そしてマケドニアから再びあなたがたのところに帰り、あなたがたに送られてユダヤに行きたいと思ったのです。 このように願った私は軽率だったのでしょうか。それとも、私が計画することは人間的な計画であって、そのため私には、「はい、はい」は同時に「いいえ、いいえ」になるのでしょうか。 神の真実にかけて言いますが、あなたがたに対する私たちのことばは、「はい」であると同時に「いいえ」である、というようなものではありません。私たち、すなわち、私とシルワノとテモテが、あなたがたの間で宣べ伝えた神の子キリスト・イエスは、「はい」と同時に「いいえ」であるような方ではありません。 この方においては「はい」だけがあるのです。神の約束はことごとく、この方において「はい」となりました。それで私たちは、この方によって「アーメン」と言い、神に栄光を帰するのです。私たちをあなたがたと一緒にキリストのうちに堅く保ち、私たちに油を注がれた方は神です。神はまた、私たちに証印を押し、保証として御霊を私たちの心に与えてくださいました。 私は自分のいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたへの思いやりからです。私たちは、あなたがたの信仰を支配しようとする者ではなく、あなたがたの喜びのために協力して働く者です。あなたがたは信仰に堅く立っているのですから。 ヘブライ語  信仰 エムナー:‘eMuNa  まことにそうだ アーメン: ‘aMeN   信頼を引き起こす実体 ネエマヌート            ne ‘eMaNut  中心概念=「‘ M N」 確かさ 信仰= 神のまこと(ネエマヌート)に触れられた時に、人の中に立ち上がる信(アーメン!と言うこと) ・信仰の実体は神のまことにある ・人の信仰は、それに触れられた時の非意志的変化 ×教理を意識的に信じ込もうとすること。 ×自分の頑張りで持続、完成するもの。 ヨハネの福音書 5章24~25節 まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わされた方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきにあうことがなく、死からいのちに移っています。まことに、まことに、あなたがたに言います。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。それを聞く者は生きます。 キリストの真実に触れられると、私たちの中に死んでいた真実が立ち上がる         ↓ 私たちも真実の言葉を語るものとされて行く 神様は、真実を持って触れてくださった私たちを信じ抜いてくださる。 神の真実が人の中の死んだ真実を甦らせるから。
ただ一人を愛し抜く マタイの福音書第5章27節〜32節 岩本遠億牧師 2019年8月4日 “『姦淫してはならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。情欲を抱いて女を見る者はだれでも、心の中ですでに姦淫を犯したのです。もし右の目があなたをつまずかせるなら、えぐり出して捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに投げ込まれないほうがよいのです。もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って捨てなさい。からだの一部を失っても、全身がゲヘナに落ちないほうがよいのです。また『妻を離縁する者は離縁状を与えよ』と言われていました。しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁する者は、妻に姦淫を犯させることになります。また、離縁された女と結婚すれば、姦淫を犯すことになるのです。”マタイの福音書 5章27~32節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 聖書の言葉は、その時代、その地域・社会の中で語られた。時代と地域社会というコンテキストを無視して聖書を読む →聖書が意図しない倫理観を生み出す この箇所についての誤解 ➢性欲の否定 ➢他人の妻・婚約者を対象とした性欲に焦点 イエス・キリストの教えは、具体的。 ◇当時のイスラエルの社会悪を糾弾している。 “人が他人の妻と姦淫したなら、すなわち自分の隣人の妻と姦淫したなら、その姦淫した男も女も必ず殺されなければならない。”レビ記 20章10節聖書 新改訳 結婚に関する当時の社会悪 離縁する権利があったのは男性だけ 申命記24:1 人が妻をめとり、その夫となってから、妻に何か恥ずべきことを見いだし、気に入らなくなったときは、離縁状を書いて彼女の手に渡し、家を去らせる。 パリサイ派の律法学者:二つの見解 1.妻が性的な不道徳を犯した場合のみ離縁できる 2.料理を失敗したとか、他の男性と話しをするなど些細な理由   ラビ・アキバ 「妻が気に入らなくなったら離縁できる」 多くの人が第二の見解を受け入れる マタイの福音書 19章3~10節 パリサイ人たちがみもとに来て、イエスを試みるために言った。「何か理由があれば、妻を離縁することは律法にかなっているでしょうか。」イエスは答えられた。「あなたがたは読んだことがないのですか。創造者ははじめの時から『男と女に彼らを創造され』ました。そして、『それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである』と言われました。ですから、彼らはもはやふたりではなく一体なのです。そういうわけで、神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません。」彼らはイエスに言った。「それでは、なぜモーセは離縁状を渡して妻を離縁せよと命じたのですか。」イエスは彼らに言われた。「モーセは、あなたがたの心が頑ななので、あなたがたに妻を離縁することを許したのです。しかし、はじめの時からそうだったのではありません。あなたがたに言います。だれでも、淫らな行い以外の理由で自分の妻を離縁し、別の女を妻とする者は、姦淫を犯すことになるのです。」弟子たちはイエスに言った。「もし夫と妻の関係がそのようなものなら、結婚しないほうがましです。」” マラキ書 2章13~16節 あなたがたはもう一つのことをしている。あなたがたは、涙と悲鳴と嘆きで、主の祭壇をおおっている。主が、もうささげ物を顧みず、あなたがたの手からそれを喜んで受け取られないからだ。「それはなぜなのか」とあなたがたは言う。それは主が、あなたとあなたの若いときの妻との証人であり、あなたがその妻を裏切ったからだ。彼女はあなたの伴侶であり、あなたの契約の妻であるのに。神は人を一体に造られたのではないか。そこには、霊の残りがある。その一体の人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、自分の霊に注意せよ。あなたの若いときの妻を裏切ってはならない。「妻を憎んで離婚するなら、──イスラエルの神、主は言われる──暴虐がその者の衣をおおう。──万軍の主は言われる。」あなたがたは自分の霊に注意せよ。裏切ってはならない。” 離婚された女性=生産手段を持たない ⇒他の男性と再婚、あるいは、身を売るしかない マタイの福音書 21章31~32節 「まことに、あなたがたに言います。取税人たちや遊女たちが、あなたがたより先に神の国に入ります。なぜなら、ヨハネがあなたがたのところに来て義の道を示したのに、あなたがたは信じず、取税人たちや遊女たちは信じたからです。あなたがたはそれを見ても、後で思い直して信じることをしませんでした。” “イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」”ヨハネの福音書 4章13~14節聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 何故、姦淫は死刑になるほどの罪なのか? 複数の人との性交渉=複数の神礼拝と直結 ただ一人の人を愛し抜く=ただ一人の神を愛し抜く 人には心は一つしかない→愛せる対象は一人 ソロモン王   300人の妻と700人の側女              ↓          主を捨て偶像崇拝者へと              ↓          イスラエル王国滅亡への道 「聞け、イスラエルよ。主はただ一人の神である。あなたは、心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして主なるあなたの神を愛せよ。」 ただ一人の人を愛し抜く=ただ一人の神を愛し抜くことを知る 旧約の預言者ホセア ゴメルは恋人の後を追い、姦淫を犯し恋人の子供を産む          ↓ 主からの言葉 「姦淫の女と姦淫の子等を引き取れ」          ↓ ホセアの妻となるゴメル          ↓ ホセアから離れ、姦淫を犯し続け、ついに奴隷とされ、偶像の神殿で参拝者に体を提供          ↓ 主の言葉「再び行って、姦淫の妻を引き取れ」          ↓ 銀15枚(女性の奴隷を買い取る金額)でゴメルを身請けし、救い出す          ↓ 神様の変わらぬ愛とは何かを知る サマリアの女 4人の男性と結婚→幸せになれない 今は別の人と同棲生活 異性によっては心の奥の奥の渇きは満たされない “イエスは答えられた。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」”ヨハネの福音書 4章13~14節”しかし、まことの礼拝者たちが、御霊と真理によって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はそのような人たちを、ご自分を礼拝する者として求めておられるのです。神は霊ですから、神を礼拝する人は、御霊と真理によって礼拝しなければなりません。」”ヨハネの福音書 4章23~24節
激しい言葉から守られて マタイの福音書第5章21節〜26節 岩本遠億牧師 2019年7月28日 “昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません(裁きを免れることはできない)。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。 あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。“ マタイの福音書 5章21~26節 地の塩、世の光とは、神の言葉によって神の灯火を心に与えられた者。       ↓ どのように神の言葉を聞き取っていくのか?       ↓ 私たちはどう生きるのか? あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。 天の御国 ✕死んでから行く天国 ○この地に行われる神の支配 ➡︎あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたはこの地で行われる神の支配の祝福に決して関わることができない。 怒る→裁きを受けなければならない 兄弟に『ばか者』と言う→最高法院で裁かれる 『愚か者』と言う→火の燃えるゲヘナに投げ込まれる 一般の理解:心の中の怒りは殺人と同じ罪      誰でも怒ったことはある      →誰でも罪びと      →地獄に落とされないためにイエス様を信じましょう 「天の御国に入れません」の理解に問題 “そこで主君は彼を呼びつけて言った。『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』こうして、主君(=神様)は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。” マタイの福音書 18章32~34節 “それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。王(=神様)は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。”                   マタイの福音書 22章4~7節 「怒っても罪を犯してはなりません。」エペソ:4:26 怒れ!しかし、罪を犯すな! 聖書は、怒ること自体を悪、罪とは言っていない。 『愚か者』(moros)と言う →火の燃えるゲヘナに投げ込まれる ゲヘナ:エルサレムのゴミ捨て場、常時火でゴミを燃やし続けていた →地獄のイメージとして定着 “わざわいだ、目の見えない案内人たち。おまえたちは言っている。『だれでも神殿にかけて誓うのであれば、何の義務もない。しかし、神殿の黄金にかけて誓うのであれば、果たす義務がある。』 愚か(moroi)で目の見えない者たち。黄金と、その黄金を聖なるものにする神殿と、どちらが重要なのか。“ マタイの福音書 23章16~17節 イエス・キリスト自身がパリサイ派律法学者たちを「愚か者」と呼んでおられる。 怒ること、人を愚か者と呼ぶこと自体が神に赦されることのない、罪ではない。         ⬇︎ ここで裁き、最高法院(サンへドリン)、ゲヘナの火と言うのは、この世での現実的な裁きを意味する。 では、キリストのここで教えは何か? 弟子たちがこの世の裁きから守られるための知恵を授けている。 キリスト自身は、パリサイ派律法学者たちに「愚か者、目が見えない者」、「災いなるかな!」と激しい言葉を使っておられる。 =神様の怒り、神様の言葉の代弁 →パリサイ派律法学者たちから恨みを買う、命を狙われる →十字架の苦しみに投げ入れられる =人々は、神様の言葉を代弁したキリストを裁き、殺した しかし、弟子たちはその必要はない。 →人の恨みを買うような言葉を使うな →自ら争いを引き起こさず、平和のうちに伝道せよ “ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。     マタイの福音書 5章21~26節
言葉の心を知る マタイの福音書第5章17節〜20節 岩本遠億牧師 2019年7月21日 “わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。” マタイの福音書 5章17~20節 地の塩、世の光とは、神の言葉によって神の灯火を心に与えられた者。       ↓ どのように神の言葉を聞き取っていくのか?       ↓ 私たちはどう生きるのか? あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。 天の御国 ✕死んでから行く天国 ○この地に行われる神の支配 ➡︎あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたはこの地で行われる神の支配の祝福に決して関わることができない。 誰に語られたのか? 幸いなるかな! 心(霊)の貧しい者 深い悲しみの中にある者 低められている者 義に飢え渇く者 憐れみ深い者 心の清い者 平和を造る者 義のために迫害されている者 ➔あなたがたは預言者と同じ者だ。神の言葉を託されている。 心貧しい、霊が貧しいからこそ、深い悲しみの中にあるからこそ、また、低められているからこそ、知ることができる義がある。 では、その「義」とは何か? 聖書における「義」=関係の正しさ ・神様との関係の正しさ ・人との関係の正しさ 神様は、「律法」によって「関係の正しさ」とは何かを示しておられる。    十戒 1〜4:神と人との正しい関係 5〜10:人と人との正しい関係 わたしは、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出したあなたの神、主である。あなたには、わたし以外に、ほかの神があってはならない。 あなたは自分のために偶像を造ってはならない。 あなたは、あなたの神、主の名をみだりに口にしてはならない。 安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。 あなたの父と母を敬え。 殺してはならない。 姦淫してはならない。 盗んではならない。 あなたの隣人について、偽りの証言をしてはならない。 あなたの隣人の家を欲してはならない。 十戒を基礎とする613の規定 さらに、律法学者、パリサイ人たちによる多くの細則(口伝律法) 「わたしが律法や預言者を廃棄するために来た、と思ってはなりません。廃棄するためではなく成就するために来たのです。まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。」 キリストの十字架刑の理由 ・安息日主義の否定 ・神殿礼拝主義の否定  ➡︎律法を廃棄しようとする者として処刑 律法を成就/完成/満たすとは何か? キリストの聖書解釈の手法:ミドラッシュ ミドラッシュ:「尋ねる、求める、探す」という語根から派生。 表面の世界の裏側にある、内側の真の状況を明らかにする。 ✕聖句の説明や解説 ○書かれている文字の裏側にある意味や論理(内的意味と傾向)を聖書全体の出来事やその状況を考慮しつつ引き出すこと。手島勲矢「成文律法と口伝律法」 まことに、あなたがたに言います。天地が消え去るまで、律法の一点一画も決して消え去ることはありません。すべてが実現します。ですから、これらの戒めの最も小さいものを一つでも破り、また破るように人々に教える者は、天の御国で最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを行い、また行うように教える者は天の御国で偉大な者と呼ばれます。            ↓ その内的意味を基盤に律法を完成する “主は、地上に人の悪が増大し、その心に図ることがみな、いつも悪に傾くのをご覧になった。それで主は、地上に人を造ったことを悔やみ、心を痛められた。” 創世記 6章5~6節 “わたしは彼らに一つの心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を与える。わたしは彼らのからだから石の心を取り除き、彼らに肉の心を与える。 こうして、彼らはわたしの掟に従って歩み、わたしの定めを守り行う。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。” エゼキエル書 11章19~20節 肉の心=霊の貧しさを知る心、深い悲しみを知る心、低められることを知る心 心貧しい、霊が貧しいからこそ、深い悲しみの中にあるからこそ、また、低められているからこそ、知ることができる義(神様との正しい関係、人との正しい関係)がある。 “雄やぎと雄牛の血や、若い雌牛の灰を汚れた人々に振りかけると、それが聖なるものとする働きをして、からだをきよいものにするのなら、 まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。” ヘブル人への手紙 9章13~14節 “また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、 心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。 約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。” ヘブル人への手紙 10章21~23節 聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 “私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます。 この方こそ、私たちの罪のための、いや、私たちの罪だけでなく、世全体の罪のための宥めのささげ物です。” ヨハネの手紙 第一 2章1~2節 1ヨハネ1:7 しかし、神が光の中におられるように、わたしたちも光の中を歩むなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血は全ての罪から私たちをきよめます。
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