Discoveryes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ
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Author: TOKYO FM

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Description

風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。
186 Episodes
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第百八十六話『自分を見つめることをやめない』-【埼玉篇】小説家 中島敦-
今年、生誕110年を迎える、埼玉県にゆかりのある作家がいます。中島敦。彼の代表作のひとつは、国語の教科書にも採用された『山月記』。中国の古典を題材にしたこの小説は、ある男が山奥で虎に変わってしまった友人に出会う変身譚です。日々、心を虎に侵食されつつある友人が、最後に残った人間の心で語った自らの心情はこうです。「己(おれ)は、詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて誌友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為(せい)である」臆病な自尊心と、尊大な羞恥心。それこそ、33歳の若さで亡くなった小説家、中島敦を常に苦しめた、内なる悪魔でした。幼くして神童の名をほしいままにした天才は、いくら名声をつかんでも足りない渇きを抱えていました。産みの母を知らず、二人の継母に育てられた幼少期。埼玉県久喜市で過ごした2歳から6歳までが、彼の人生を決定づけたと言っても過言ではないかもしれません。大人を軽蔑しながらも、絶対的な愛に飢える少年。もっと自分を大切にしてくれ!という叫びと、自分なんかどうなってもいい、ほっといてくれ!という投げやりな気持ちが混在して、彼を追い立てます。「おまえがここにいてもいいかどうか、おまえが証明しろ!」そうして中島が出した答えは、小説を書くことでした。自分と向き合い、書いて書いて書きまくる。それは、心の血を流す荒行です。でも、彼は逃げませんでした。孤高の小説家・中島敦が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百八十五話『ひとの歩かない道を行く』-【埼玉篇】医師 荻野吟子-
埼玉県が生んだ、三大偉人。「日本資本主義の父」渋沢栄一、「全盲の国学者」塙 保己一、そしてもうひとりが、熊谷市出身で、日本で初めて女性医師になった荻野吟子です。彼女の生涯が、今年、映画になります。メガホンをとるのは、86歳の山田火砂子監督。女性を正当に評価しない医学部入試のあり方などを受けて、今こそ、荻野吟子が何と闘い、何を後進に伝えたかったかを問いたいと、映画化を切望したのです。女性に学問は必要ないとされた明治初期。荻野はある屈辱を受けて一念発起、まだ女性で誰もとったことのない、医師の国家試験に挑戦します。そこにはさまざまな軋轢や障壁がありました。しかし、彼女は一歩も引きませんでした。荻野は、壮絶な人生を振り返り、こんな言葉を残しています。「人と同じような生活や心を求めて、人々と違うことを成し遂げられるわけはない。これでいいのだ」作家・渡辺淳一が荻野吟子の生涯を描いた小説『花埋み』。小説の中に吟子の心情をうかがう一節があります。「正直なところ、彼等の学才が吟子より優れていたとは思えない。成績だけならむしろ吟子の方が上であった。それが男というだけで堂々と開業を許されている。学識の差による結果なら諦めもつくが、男と女という性の違いだけの差別だけに、吟子は口惜しく耐えられそうにもなかった。いつになったら女も男と同じに扱われる時代が来るのであろうか」苦難にもめげず、己の道を切り開いた、日本で最初の女医・荻野吟子が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百八十四話『運は気持ちで直せ!』-【埼玉篇】林学博士 本多静六-
本多静六というひとをご存知ですか?日本で最初の洋風庭園、日比谷公園や明治神宮の森をつくった、林学博士。ついた異名が「日本の公園の父」。さらに、東大教授にして大富豪。多くの著作を残した哲学者としても知られています。彼は、武蔵国埼玉郡河原井町、現在の埼玉県久喜市菖蒲町に生まれました。菖蒲町にある記念館には、彼の残した言葉が記されています。本多は、「努力」という言葉が好きでした。家は貧しく、苦学生。努力に努力を重ね、ドイツへの留学を果たし、指導教授の教えを受け、彼は悟ります。「経済的な自立なくして、精神の自立はありえない」彼は貯蓄と投資を繰り返し、やがて巨万の富を手に入れます。そして、定年を迎えると、そのほとんどのお金を教育団体や公益事業に寄付したのです。「家庭が円満であること、職業を道楽に変えること、この二つが人生最大の幸福だ」と豪語してはばからなかった男。彼は、若いひとによくこう言っていたそうです。「運は気持ちで直せ!」本多いわく、不運は誰にでも起こりうる。そんなとき、気持ちをどう立て直せるかが、のちの人生を決める。もちろん、簡単に立て直せない思いもあるだろう…でも、それでも、自分の気持ちで立て直すしかない。彼は、常に若者を鼓舞し、励まし続けました。ひとはいかに生き、いかに死ぬべきかを、己の人生で説いてみせた風雲児、本多静六が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百八十三話『ひとを幸せにする仕事をする』-【埼玉篇】「ムーミン」作者 トーベ・ヤンソン-
3月16日、埼玉県の飯能市に、ムーミンのテーマパークがグランドオープンします。昨年できた、北欧のライフスタイルが体験できる「メッツァビレッジ」に加え、今回の「ムーミンバレーパーク」の誕生で、より深くムーミンの世界に入り込める場所ができました。もともと飯能市には、ムーミンの作者の名前がついた「トーベ・ヤンソンあけぼの子どもの森公園」がありました。森の中をさらさらと流れる小川、木々の香り、爽やかな風。この地は、フィンランドに似ていると、トーベ・ヤンソンサイドに以前から認められていたのです。日本で『ムーミン』のアニメ化が決まり、1971年、トーベ・ヤンソンは初めて来日しました。海が見たいと伊勢志摩をめぐったり、京都、奈良を旅しました。彼女の傍らには、生涯を共にしたパートナー、グラフィックデザイナーのトゥーリッキ・ピエティラの姿がありました。ムーミンの原型は、北欧の妖精、トロールだと言われています。主人公、ムーミントロールは、両親と暮らしていますが、その家にはさまざまなひとたちが出入りします。どんなひとがやってきても、ムーミン一家は彼らを受け入れ、温かいスープとふわふわのベッドを用意します。この世界に、同じ時代に一緒に生きている、ただそれだけで受け入れるのです。トーベ・ヤンソンは、14歳にして雑誌に挿絵と文章が掲載された、早熟な天才でした。幼い頃から、ひたすら絵を描き、ひたすら文章を書きました。それはまるで、「かくこと」が自分の生きるための仕事であるかのようです。「仕事」…それは彼女の生涯を通してのテーマでした。彼女はいつも、忙しく「仕事」をしました。彼女の言葉に、こんな一節があります。「思うのも、確かにエネルギーだけれど、思いはどんどん薄まってしまうもの。だから、思い立ったら行動すべき。思ったときが動くとき。その一瞬を逃さないで」世界的に有名な童話『ムーミンシリーズ』の作者、トーベ・ヤンソンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百八十二話『自分が自分であることを喜ぶ』−芸術家 サルバドール・ダリ−
グニャグニャに溶ける時計の絵を見たことがありますか?重力に逆らうようにくるんと両端が上に曲がった、奇妙な口ひげの男を知っていますか?日常を一瞬で非日常に変えてしまう、シュールレアリスムの巨匠、サルバドール・ダリ。ダリが亡くなって、今年、30年になります。ダリのコレクションで知られる、福島県の「諸橋近代美術館」では、4月20日から開館20周年の企画展としてダリの特別展を開催します。常識をぶち壊す、彼の絵画の在りようがつぶさにわかる展示になると、今から注目が集まっています。柔らかい時計は、時間に縛られている我々現代人への警鐘なのでしょうか。いえ、もしかしたら、ダリはダリ自身のためだけに絵を画いたのかもしれません。ダリの強い自己顕示欲は、彼のこんな言葉に現れています。「私は、毎朝目を覚ますたびに、喜びで体がふるえる。どんな喜びなのかって? それは、私がサルバドール・ダリだという喜びだよ。このサルバドール・ダリという男が、今日一日いったい何をしでかすのか、心からワクワクするんだ」彼は、天才を演じ切れば天才になれると信じていました。「ボクなんかしょせん…」とか「どうせ頑張ったって…」とかいうひとを、心の底から軽蔑しました。「自分のやることを愛せないやつが、他に何を愛せるっていうんだい? 教えてくれよ」挑戦的なまなざしは、絵画にも投影されています。彼は、ただの誇大妄想狂だったのでしょうか?ただひとを挑発するだけの奇人だったのでしょうか?ひとつだけ言えるとすれば、彼は彼自身を愛さなくてはならない事情があったのです。唯一無二の芸術家、サルバドール・ダリが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百八十一話『何度でも絶望から這い上がる』-小説家 フランツ・カフカ-
今年、没後95年を迎える、20世紀を代表する作家がいます。フランツ・カフカ。「ある朝、嫌な夢から目覚めると、自分が一匹の虫に変身しているのを発見した」という有名な書き出しで始まる、『変身』という小説の作者です。彼の40年あまりの人生は、苦悩の連続でした。ユダヤ人という宿命、父との確執、サラリーマンと作家という二足のワラジ生活。婚約者とは何度も破局を迎え、生涯独身。晩年の数か月を除けば、ほとんどをプラハという街で過ごし、小説は売れず、生前は自分の作品が100年後も全世界のひとに読まれ続けているとは、夢にも思わなかったでしょう。それでもカフカは、書くことをやめませんでした。寝る間を惜しんで、会社勤めをしながら、ペンを握り続けました。ここ数年、彼の生き方が話題になっています。「絶望の名人」と称されるカフカ。なぜ彼が、苦悩の果てに絶望しても再び這い上がることができたのかを繙(ひもと)けば、混迷する現代社会を生き抜くヒントになるのではないかと考えられたからです。彼の名言は、一風変わっています。「寝て、起きて、寝て、起きる。みじめな人生」「君と世の中が戦うとしたら、迷わず、世の中に賭けたまえ」「神はクルミを与えてくれる。でも、それを割ってはくれない」ひとは言います。ポジティブに生きろ! ポジティブこそ人生を幸せにする魔法だ。でも、絶望の最中にあって、簡単にポジティブと言われても、動けないときがあります。そんなとき、カフカのどこか飄々(ひょうひょう)としたペシミズムが心地良いのです。不条理を愛した小説家 フランツ・カフカが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百八十話『偽らない思いが、ひとの心を動かす』-カレン・カーペンター-
今年、デビュー50周年を迎えた、カーペンターズ。32歳の若さで亡くなったカレン・カーペンターの歌声は、今も色あせることはありません。昨年12月には、17年ぶりの新作アルバムが完成。カレンの兄、リチャード・カーペンターが、プロモーションのため、来日しました。リチャードは、妹の歌声を今も愛し、二人で作った作品を大切にしています。『イエスタデイ・ワンス・モア』『青春の輝き』『遙かなる影』『雨の日と月曜日は』…。ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とのコラボレーションにより、誰もが知る名曲たちが新たに生まれ変わりました。カレンの歌はなぜ、半世紀の時を超え、私たちの心をつかんで離さないのでしょうか。歌手のオリビア・ニュートン・ジョンは、カレンの葬儀のときのインタビューでこんなふうに答えています。「彼女の声には、ある種の寂しさ…哀しさが感じられました。もちろん、温かさ、優しさはあるんですが、同時にその中に、それらがひそんでいるんです。それは…なんていうか、私にとっては憧れでした」近くにいたひと誰もが、カレンのことを、いつも目をキラキラさせているちょっとおてんばで魅力的な女性、あるいは、優雅だけど飾らない素朴なひと、という印象を語ります。最も近しい友人は、こう話しました。「カレンが望んだものは、富でも名声でもなかったんです、きっと。彼女がいちばん、ほしかったもの。それは、心から愛されて、そのひとの子どもを持ち、家庭をつくること、だったと思います。クッキーを焼く彼女の笑顔が忘れられません」自らの体型を気にすることから始まった神経性食欲不振症、いわゆる摂食障害。その果ての心不全で命を落としたカレン。彼女の歌が人々の心に届くのは、おそらく、彼女が抱えていた心の闇と無縁ではありません。最後まで歌をつくり、歌を歌い続けた彼女の生きざまは、想像以上に壮絶な自分との戦いでした。伝説の歌姫 カレン・カーペンターが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百七十九話『現実を疑え! 自分を疑え!』-作家 フィリップ・K・ディック-
主演、ハリソン・フォード。監督、リドリー・スコット。1982年に公開されたSF映画『ブレードランナー』は、多くのファンを魅了し、いまなお伝説の映画として愛されています。その『ブレードランナー』が近未来として描いていたのが、今年。すなわち、2019年の世界でした。20世紀初頭、遺伝子工学を突き進めた企業・タイレル社は、レプリカントと呼ばれる人造人間を開発。彼らは宇宙開拓の過酷な労働を担っていました。しかし、やがて高い知能を持つレプリカントは反乱を起こし、人間に反旗を翻します。人間社会にまぎれこんだ、脱走したレプリカント。彼らを始末する専任捜査官は、「ブレードランナー」と呼ばれました。2019年11月のロサンゼルス。地球に降り続ける酸性雨の中、レプリカントと人間の戦いが最終章を迎えます…。『ブレードランナー』の原作は、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」。作者の名前は、フィリップ・K・ディック。ディックは、映画化についてはずっと懐疑的でした。最初に映画化権を得たマーティン・スコセッシは、断念。そのあとも、映画の脚本にディックが異論を唱え、何度も改稿を重ねるうちに、撮影にはこぎ着けず、座礁。そんな中、リドリー・スコットは、ディックと粘り強く話し合い、脚本家も変え、映画化を実現させたのです。2019年のロサンゼルスのVFXシーンをラッシュプリントで観たディックは、こう言いました。「ああ、素晴らしい! これこそ、まさに私が想像していた近未来だ!」彼は、映画会社に賛辞の手紙を書きました。「この映画は、SFの概念そのものを変える革命的な作品になるに違いない」しかし、映画の完成を見届ける直前、53歳の若さで彼はこの世を去りました。ディックの作品は、いつもアイデンティティを疑うことから始まります。そして、現実をあざ笑うかのような描写の数々。メッセージは、おそらくこうです。君が見ている世界をただ受け入れていいのかい?疑う心を持とう、現実を、そして自分を。奇才フィリップ・K・ディックが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百七十八話『心に青春を持つ』-【東京篇】実業家・詩人 サムエル・ウルマン-
皇居のすぐ目の前、日比谷のお堀に面した建物、DNタワー21には、歴史的建造物だった「第一生命館」の一部が保存されています。連合国軍総司令部、いわゆるGHQの統治下におかれた戦後、マッカーサー元帥の執務室があった場所こそ、その「第一生命館」でした。マッカーサーは、日本という未知の国、混沌の世界に飛び込むとき、ある一篇の詩を自らの支えにしました。今も執務室には、その詩がレリーフとして掲げられています。詩のタイトルは、青春や若さという意味の言葉「Youth」。作者は、サムエル・ウルマン。ウルマンの詩は、当時アメリカでも、そしてもちろん日本でも、知る人はほとんどいなかったといいます。マッカーサーは、雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』にたまたま掲載されたこの詩を読んで深い感銘を得ます。青春とは人生のある時期のことをいうのではなく、そのひとの心の持ち方をいう。薔薇のたたずまい 赤い唇 しなやかな手足ではなく、強靭な意思、豊かな想像力、燃え盛る情熱をさす。青春とは、人生の深い泉の清らかさをいうのだ。この詩は、松下幸之助はじめ、実業家の心を動かし、あっという間に広まりました。ある会社の社長は「戦後、意気消沈していたが、ここで終わりだと思えば、終わりだ。ウルマンの詩のように、心が青春であれば、まだまだ建て直せる、やり直せる。青春期は、心次第なんだ」と心機一転、自社をめざましい成長企業へと発展させました。失意と混迷の中にあった日本の経営者を支え、いまなお多くのファンを持つ、サムエル・ウルマン。彼もまた、ユダヤ人、移民という環境の中で、誰よりも傷つき、もがいた戦士でした。壮絶な苦しみを経たからこそ、彼の魂の声は海を越えたのです。実業家にして詩人、「青春」の作者、サムエル・ウルマンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百七十七話『進化することをやめない』-【東京篇】フレディ・マーキュリー-
昨年公開された大ヒット映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、いまだに上映され続けています。映画を観たひとの中には、5回、8回など、複数回鑑賞者が多く、年代もさまざま。伝説のバンド「クイーン」を知らない世代にも支持されています。通算レコードセールス3億枚。ベストアルバムが全英チャート、842週チャートイン。ベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』は、イギリス史上最も売れたアルバムという金字塔を打ち立てています。クイーンは、イギリスやアメリカに先駆けて日本でブレイクしたこともあり、かなりの日本びいきでした。初来日は、1975年4月。羽田空港には、およそ3000人のファンが殺到しました。武道館でのライブでは着物を着て演奏するなど、日本文化にも関心を示し、メンバーと日本の硬い絆は今も続いています。クイーンのボーカルは、フレディ・マーキュリー。HIV感染合併症により、45歳でこの世を去った天才ミュージシャンは、奇抜なファッションに折れたスタンドマイクを振りかざし、奇跡のパフォーマンスで観客を魅了しました。言うまでもなく、その歌唱力は唯一無二。音域の豊かさと魂に響く声は、色あせることはありません。そんなフレディは、ステージの華やかさとは裏腹に、シャイで人見知り。生まれや自らの容姿など、さまざまなコンプレックスと格闘し、もがいてきました。天才ゆえの絶望的な孤独感にさいなまれながらも、彼には生涯を通して守った流儀がありました。それは、『進化をやめない』ということ。あるインタビューで彼は答えています。「ひとつのものに満足してしまうと、そこでもう発展はなくなるんだ。ジ・エンド。おしまいだよ」まるで弱い自分を振り払い、過去の成功を捨て去るように、ステージで胸を張り、腕を突き立てる彼の姿が胸に迫ります。孤高のボーカリスト、フレディ・マーキュリーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
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