Discoveryes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ
yes!~明日への便り~ presented by ホクトプレミアム 霜降りひらたけ

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Author: TOKYO FM

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Description

風も、雨も、自ら鳴っているのではありません。 何かに当たり、何かにはじかれ、音を奏でているのです。 誰かに出会い、誰かと別れ、私たちは日常という音を、共鳴させあっています。 YESとNOの狭間で。 今週、あなたは、自分に言いましたか? YES!ささやかに、小文字で、yes!明日への希望の風に吹かれながら、自分にyes!と言ったひとたちの物語をお聴きください。
177 Episodes
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第百七十七話『進化することをやめない』-【東京篇】フレディ・マーキュリー-
昨年公開された大ヒット映画『ボヘミアン・ラプソディ』は、いまだに上映され続けています。映画を観たひとの中には、5回、8回など、複数回鑑賞者が多く、年代もさまざま。伝説のバンド「クイーン」を知らない世代にも支持されています。通算レコードセールス3億枚。ベストアルバムが全英チャート、842週チャートイン。ベスト盤『グレイテスト・ヒッツ』は、イギリス史上最も売れたアルバムという金字塔を打ち立てています。クイーンは、イギリスやアメリカに先駆けて日本でブレイクしたこともあり、かなりの日本びいきでした。初来日は、1975年4月。羽田空港には、およそ3000人のファンが殺到しました。武道館でのライブでは着物を着て演奏するなど、日本文化にも関心を示し、メンバーと日本の硬い絆は今も続いています。クイーンのボーカルは、フレディ・マーキュリー。HIV感染合併症により、45歳でこの世を去った天才ミュージシャンは、奇抜なファッションに折れたスタンドマイクを振りかざし、奇跡のパフォーマンスで観客を魅了しました。言うまでもなく、その歌唱力は唯一無二。音域の豊かさと魂に響く声は、色あせることはありません。そんなフレディは、ステージの華やかさとは裏腹に、シャイで人見知り。生まれや自らの容姿など、さまざまなコンプレックスと格闘し、もがいてきました。天才ゆえの絶望的な孤独感にさいなまれながらも、彼には生涯を通して守った流儀がありました。それは、『進化をやめない』ということ。あるインタビューで彼は答えています。「ひとつのものに満足してしまうと、そこでもう発展はなくなるんだ。ジ・エンド。おしまいだよ」まるで弱い自分を振り払い、過去の成功を捨て去るように、ステージで胸を張り、腕を突き立てる彼の姿が胸に迫ります。孤高のボーカリスト、フレディ・マーキュリーが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百七十六話『理想と現実の両輪で動く』-【東京篇】実業家 渋沢栄一-
来年に迫った東京オリンピックに向けて、東京の街が変わりつつあります。大正11年にできた、世界に誇る社交場『東京會舘』も、今年の1月、生まれ変わりました。関東大震災や戦火をくぐりぬけ、東京の変貌を見守り続けた老舗のホテルには、数多くの著名人が集いました。その中のひとり、「日本資本主義の父」と言われたのが、渋沢栄一です。大手町にある銅像は、日本の未来を案じるかのように、遥か彼方を見据えています。武士から官僚へ、そして実業家として500余りの会社を設立し、教育者としても名を馳せ、ノーベル平和賞に二度もノミネートされた賢人。日本の初代銀行や東京証券取引所も、彼の力なくして、設立はかないませんでした。彼の最大の流儀は、著書『論語と算盤』に集約されています。かの二刀流大リーガーも熟読したと言われているこの本の趣旨は、道徳と経済の両立です。すなわち、心の豊かさとお金の豊かさ。渋沢栄一が最も嫌ったのは、自分の私利私欲だけのために、倫理を無視してお金もうけに走るひとでした。反対に、道徳に厳しいがあまりに、お金もうけを忌み嫌うひとにも容赦ありません。その二つは、両輪。どちらが欠けても、日本という国は豊かにならない。渋沢は本の中で言っています。「どんな手段を使っても豊かになって地位を得られれば、それが成功だと信じている者すらいるが、わたしはこのような考え方を決して認めることができない。素晴らしい人格をもとに正義を行い、正しい人生の道を歩み、その結果手にした地位でなければ、完全な成功とは言えないのだ」それはただの正論だと一蹴できない重みが、彼の言葉から立ち上ってきます。いかにして彼はそんな境地にたどり着いたのか。渋沢栄一が人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百七十五話『自分を見つめ続ける』-【東京篇】画家 エドバルド・ムンク-
1月20日まで東京・上野の東京都美術館で開催されている『ムンク展―共鳴する魂の叫び』には、多くのひとたちが足を運び、去年12月には来場者が30万人を越えました。ノルウェー生まれの画家、エドバルド・ムンク。彼の名を世界に知らしめたのは、『叫び』という作品でしょう。『叫び』には、パステル画が2点、油彩画、リトグラフ、テンペラ画がそれぞれ1点ずつの、計5つのパターンがあります。今回そのテンペラ画の『叫び』が、日本初上陸を果たしました。ムンクは、自分の作品が人手にわたるのを好みませんでした。彼が亡くなったあとは、所有作品全て、故郷ノルウェーのオスロ市に寄贈され、今回のムンク展もオスロ市ムンク美術館の全面協力がなければ実現しませんでした。今回の展覧会でひときわ目を引くのが、自画像です。ムンクは、若い頃から亡くなる寸前まで、自画像を描き続けました。自画像を描くために、セルフタイマーで自分の写真を撮るのを日課にしていたと言われています。コンパクトカメラを手に入れると、手を伸ばして自分を撮る、いわゆる“自撮り”を繰り返しました。女性関係やアルコール依存で苦しんでいた頃に画いた『地獄の自画像』は、燃えたぎる赤い焔と黒い影の前に裸で立つムンクがいます。赤裸々に自身を描くことで、彼は人間の内面を、そして社会や人生の理不尽を表現しました。何よりテーマにしたのは、「死」です。晩年の『皿にのった鱈(たら)の頭と自画像』には、恐ろしいどくろの顔をした鱈を、ナイフとフォークで食べようとするムンクが描かれています。鱈は、「死」の象徴でしょうか。それを食べつくす。彼が到達した境地なのかもしれません。どんなときも常に自分を見つめ続けることをやめなかった孤高の画家 エドバルド・ムンクが、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
第百七十四話『結末を決めずに進む』-喜劇作家 ニール・サイモン-
20世紀を代表するアメリカ喜劇作家のひとり、ニール・サイモンが、今年の8月26日、亡くなりました。91歳でした。『おかしな二人』『裸足で散歩』『サンシャイン・ボーイズ』など、数々のヒット作を生み、トニー賞、ゴールデングローブ賞、ピューリッツァー賞など、多くの賞にも輝きました。彼の作品は日本でも人気を博し、今もなお、ファンを魅了してやみません。自身の体験を織り交ぜた、独特のユーモアと自虐的なウィット。そして何より人間に対する深い洞察と優しい視線。彼は、芝居の台本を書くとき、構成を最後まで決めたことはなかったと言います。「人生で1ヶ月後に何が起こるか、正確に予測できるひと、いるかい?いないだろ?芝居だって一緒なんだよ。芝居の結末も、人生の結末も、とにかく時がくれば全てが明らかになるんだ。書いていれば…つまりは生きていれば、だんだんわかってくるよ、結末のつけかたが。それまでは、ただひたすら前に進めばいい」。彼はひとよりも、楽天的だったのでしょうか?いや、むしろ、悲観的で内省的だったようです。劇作家の批評に、つい一喜一憂してしまう自分。友人や家族の何気ないふるまいに、傷ついてしまう自分。そんな弱い一面を振り払うかのように、彼は書き続けました。結末を決めずに。『人生には計画が必要だ。人生設計をちゃんとしないとリスク回避できない』。そんな風潮が強くなっていく昨今。あらためて彼の言葉に耳を傾けてみると、人生の懐の深さが見えてきます。「書いては書き直し。人生は原稿と一緒さ。いいんだ、間違えても、書き直せばいいんだ」劇作家 ニール・サイモンが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百七十三話『運命を味方につける』-物理学者 スティーブン・ホーキング-
今年3月14日、車椅子の天才物理学者が亡くなりました。スティーブン・ホーキング博士。一般相対性理論をさらに推し進め、宇宙とブラックホールの関係について、あるいは宇宙論から哲学に至るまで、学者のみならず、多くのひとに影響を与え続けました。21歳で筋萎縮性側索硬化症、いわゆるALSを発症し、医師に余命は2年と宣告を受けましたが、それからおよそ55年間、精力的に科学者としての本分を全うしました。彼は、あるインタビューでこんなふうに答えています。「何かあったら、次の3つのことを思い出してください。何か辛いことがあったら、まず星を見上げて、自分の足もとを見ないようにすること。そして2番目に、仕事をあきらめないこと。仕事は、大切です。仕事はあなたに意義と生きる目的を与えてくれます。それがないと、人生は空っぽになってしまうんです。最後、3番目はこうです。運よく愛を見つけられたなら、簡単に投げ捨てたりしないこと」まさしく彼の人生は、その3つのことで成り立っていました。理不尽な病にも、遥かかなたの星を見るように、希望を失わず、宇宙という果てしない課題に、一生の仕事として真摯に取り組みました。病を発症したときに、ジェーンという女性に巡り合い、結婚したことで、愛について学んだと言います。2014年、二人の関係は『博士と彼女のセオリー』という映画になりました。彼自身の生き方は、彼が考えた人生の流儀をそのまま体現しているかのようです。ホーキング博士は親日家としても知られ、六度の来日を果たし、東大の安田講堂で講演を行いました。彼は、学生たちに呼びかけました。「宇宙は、謎があるから面白い。なかなか結論にたどり着かないことを、どうか、面白がってください」天才科学者・スティーブン・ホーキングが人生でつかんだ、明日へのyes!とは?
第百七十二話『逆境と仲良くつきあう』-歌手 アレサ・フランクリン-
今年8月16日午前9時50分、ソウルの女王がこの世を去りました。アレサ・フランクリン。ミシガン州デトロイトの自宅で、静かに息をひきとりました。1967年、オーティス・レディングのカバー曲『リスペクト』が全米チャートの1位を飾り、一躍、時の人になります。ゴスペルのフィーリング、力強い歌声。肌の色や性別で不当な差別を受けていたひとに、ひとすじの灯りを見せてくれました。一度そのボーカルを聴いたら忘れられない、強烈な迫力。1987年には、女性として初めて「ロックの殿堂」入りを果たし、1994年には、グラミー賞の「ライフタイム・アチーブメント・アワード(功労賞)」が贈られました。ジミー・カーター、ビル・クリントン、バラク・オバマ、3人の大統領の就任式で歌を披露。映画『ブルース・ブラザーズ』での演技や歌も忘れられません。名実ともに、成功を手に入れたのです。彼女の葬儀は、8月31日にデトロイトで行われ、弔辞は5時間におよびました。そして、アメリカ中が1週間にわたり、彼女の人生と楽曲を称えました。一方で、その生涯は波乱に満ちていました。10代で、父親のちがう2人の子どもを産み、学校も中退。結婚しても、夫の暴力で離婚。歌手として成功しても、満たされない生活。やがて、歌が売れない不遇の時代を迎え、最愛の父が銃弾に倒れ、亡くなります。彼女の歌声は圧倒的で、その存在は、公民権運動やフェミニスト運動と相まって、社会的にも影響を及ぼすようになりました。アレサ個人とアーティスト・アレサとの乖離(かいり)はますます溝を深め、彼女は心のバランスを崩すこともありました。それでも彼女は歌い続けました。どんな逆境にもめげず、ひとびとを励ます歌を大切にしたアレサ・フランクリンが、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
第百七十一話『自分らしさに気づく』-元広島カープ選手・野球評論家 衣笠祥雄-
今年4月、71歳で亡くなった、野球評論家、衣笠祥雄。彼は、広島カープの優勝に何度も貢献し、連続試合出場の日本記録を塗り替えた『鉄人』として、多くの野球ファンに愛されました。今もなお、彼の雄姿を心に刻み、励まされているひとが数多くいます。彼がなぜ、そこまでひとびとの心をつかんだのか…。有名な逸話があります。1979年8月1日。広島対巨人戦。試合は7対1で巨人リードのまま、7回の広島の攻撃を迎えました。打席には、連続試合出場記録を更新中の衣笠。西本は内角に得意のシュートを投げますが、衣笠の左肩にあたってしまいます。デッドボール。怒った広島の選手たちがベンチから飛び出します。衣笠に謝ろうと西本が駆け寄るのを、激痛に顔をゆがめながら、衣笠がこう制します。「危ないからこっちに来るな、ベンチに下がれ、早く!」結果、乱闘騒ぎになり、試合は中断。そのときのショックで西本は調子を崩し、結局、試合は8対8の引き分けになりました。夜、西本が謝罪の電話をすると、衣笠は「大丈夫、心配するな。それより勝てる試合で勝てなくて、損したなあ」と気遣ったといいます。衣笠は左肩甲骨を骨折していました。翌日、試合には出ないだろうと誰もが思っていました。衣笠の連続試合出場記録も途絶えたか…。しかし、代打衣笠を告げるアナウンスが流れ、球場にどよめきが起こります。衣笠は、江川の投げる速球に、三球三振。全てフルスイングでした。試合後、彼は言いました。「1球目は、ファンのみなさんのため、2球目は、自分のため、そして3球目は、西本くんのために振りました」どんなときもまわりに気遣いを忘れない、謙虚な姿勢。しかし、最初から彼が聖人君子だったわけではありません。鉄人衣笠は、偶然がつくったものではなく、文字通り血と汗の努力の結晶だったのです。野球人・衣笠祥雄が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
第百七十話『それでも自分にyesを言い続ける』-絵本作家 かこさとし-
今年5月、92歳で亡くなった、かこさとし。彼には絵本作家のほかに、児童文化研究者、化学技術士、工学博士、大学講師など、さまざまな肩書があります。でも、おそらくかこは「そんな肩書なんかどうだっていいですよ」というに違いありません。彼が生涯を通してしたことは、たったひとつでした。未来ある子どもたちに、何かしたい、何か役に立ちたい。『だるまちゃん』シリーズ、『からすのパンやさん』など、およそ700点あまりの作品を生み出し続けた彼には、科学をやさしく繙(ひもと)くというライフワークもありました。亡くなる直前まで、ベッドに伏しながら筆を入れ続けたのが『みずとはなんじゃ?』という作品でした。「水を総合的に捉えた集大成の作品をつくりたい」そんな構想を2年あたため、かこは力をふり絞り、絵を画き、文章をつむいだのです。体調が悪化して、どうしても絵を描き切ることができないと判断すると、彼は、鈴木まもるというひとに完成を託しました。鈴木が、かこの意図をキチンと受け止めてくれる後継者であると信じていたからです。「水は、循環するんです。海の水が蒸発し、雲になって雨を降らし、川に落ち、海に流れる。ぐるぐる、回るんです」かこは、水の循環にこだわりました。かこは、鈴木の手を握り、「頼みますよ」と三回言ったといいます。『みずとはなんじゃ?』が、遺作になりました。少年時代、戦争という荒波に翻弄され、自分の存在価値、存在理由を見失ったかこは、子どもの笑顔に救われます。そして、こう思ったのです。「未来ある子どもたちに、自分のような間違いを起こさせてはいけない。一度失った人生を、全て子どもに捧げよう」それは優しくも激しい、自分にyesを言うための戦いでした。かこの作品は、水のように、海になり雲になり雨になって、年代を越え、子どもたちに愛され続けています。絵本作家・かこさとしが、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
第百六十九話『魂を込める』-【滋賀篇】ピアニスト 久野久-
滋賀県大津市出身のピアニスト、久野久は、ときに「日本最初のピアニスト」と呼ばれます。明治時代、まだ琴や三味線、長唄などの邦楽が盛んだったときに、さらに日本女性の世界進出が珍しい時勢の中、日本一のピアニストとして音楽の都・ウィーンでの演奏を果たしたからです。しかし彼女は、異国の地で自らの命を絶ってしまいます。世界で通用するかどうかの挑戦のさなかの哀しい出来事でした。久野の演奏はすごかったといいます。ある評論家は、言いました。「彼女の弾くベートーベンは、歌うかわりに怒っていた。彼女の演奏を聴くと、泣きたくなった。それは演奏の中に、あまりに純真な彼女の魂が現れるからだ」さらに彼女の友人は、こんなふうに語ったそうです。「久野久ほど、芸術に対して純粋で熱烈なひとに会ったことがない。彼女には芸術が全てだった」久野の演奏を聴いた作家の有島武郎の言葉は、「演者の熱情も技術も、原作者を大してはずかしめないものだったように、謹んで聴いた」というものでした。彼女は、とにかく練習しました。指先がぱっくり割れて、鍵盤が血に染まっても、練習をやめなかったという逸話が残っています。髪を振り乱して、かんざしを飛ばし、着物は着崩れ、汗がほとばしる。鬼気迫る彼女の演奏は、いったい何のため、誰のためだったのでしょうか。ただ少しでもうまくなりたかった、自分に少しでもyesを言いたかった…それだけなのかもしれません。でも、ほとんど日本人などいない音楽の聖地で、たったひとり、日本を背負って戦いを挑んだ女性がいたことは、まぎれもない事実です。誰も歩いていない道を歩く。それは必ず、「いばらの道」。日本人ピアニストの草分け、久野久が人生でつかんだ明日へのyes!とは?
第百六十八話『ただ、遊べ!』-【滋賀篇】作家 団鬼六-
滋賀県彦根市に生まれたその小説家は、日本文学史に新しいジャンルを確立しました。SM小説、官能小説。作家の名前は、団鬼六。代表作『花と蛇』シリーズは、何度も映画化され、彼の名を不動のものにしました。スキャンダルな空気に包まれているのは、書いた作品だけではありません。団鬼六の人生そのものが、まるで長編小説のように波乱万丈で天衣無縫。自身が「私は快楽主義だ」と明言したことでもわかるとおり、好きなことにのめり込み、借金をつくり、馬車馬のように働き、また借金をつくりの繰り返しでした。いま流行りのリスクマネージメントとは、無縁の世界。職業も、中学の教師、バーの経営者、ピンク映画の脚本家など転々とし、将棋はアマ六段の腕前。酒、たばこ、女性。好きなものは手放さない。とことん、のめりこむ。のめりこんでいるから、人生の底が見えてくる。団はこんなふうに言っています。「人間は不本意に生き、不本意に死んでいくものだ。だからせめて快楽くらい求めてもいいと思っている」晩年、食道がんを告知され、医者から手術をうながされたときも、あっさり断りました。娘さんから「管だらけになっても、パパには生きてほしい」と訴えられても、こう言ったそうです。「俺の生きたいように生きさせてくれ。ほんまにありがとう。えらい、すんません」その潔さは、一生懸命生きた、精一杯遊んだ、証なのかもしれません。「ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ」破天荒に生き抜いた稀代の作家・団鬼六が、人生でつかんだ明日へのyes!とは?
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