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Author: goryugo

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面白かった本について語るポッドキャスト&ニュースレターです。1冊の本が触媒となって、そこからどんどん「面白い本」が増えていく。そんな本の楽しみ方を考えていきます。

bookcatalyst.substack.com
169 Episodes
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面白かった本について語るPodcast、ブックカタリスト。今回は倉下が二冊セットシリーズ第六弾として、『ヒトとAI (岩波新書)』と『つくることとAI 生成と複製のあいだで』の二冊を紹介しました。書誌情報およびメモ二冊の書誌情報および、収録時に使用したメモについては以下のページからご覧いただけます。◇ブックカタリストBC149用メモ | 倉下忠憲の発想工房二種類の方向性二つの方向があるように思います。一つは、自動化重視・均一化受容の方向。もう一つは、プロセス重視・個別性受容の方向です。それぞれを象徴的な言葉で表すならば「事務と創造」となるでしょうか。どちらも社会を構成する営みであり、欠かせないものと言えますが、現代的な風潮では前者のアプローチが重視されているように感じます。それに、自動化の方向であったとしても、『ヒトとAI』が示すように監査における判断の役割はなくしきれません。「事務」だけで片づくとは言えないのです(現場の事務でもたくさんの判断が随所で行われていると思います)。ポイントは二つの「原理」を維持しておくことにあるのでしょう。どちらか一方を採用するのではなく、相反する原理を共に採用すること。それは{公共的なものと個人的なもの}、{生き延びるためのものと生きるためのもの}、{会話の次元と言葉そのものの次元}といった形でさまざまな領域にさまざまな形で存在しています。そのような相対するものが内在している状態こそ、調和の取れた形ではあるのでしょう。しかし、テクノロジーとそこから要請される制度は一方の原理により重きを置くように動くことが多い点は否めません。特に、テクノロジーと資本主義のかけ算は、「それ以外の原理」を圧倒的な勢いで刈り取っていくような雰囲気すら感じられます。ある種の略奪機械です。だからこそ、反対側の原理をしっかりとサポートしていく必要があるのだと思います。しかしそれは、単にもう片方の原理を否定すればいい、という話ではありません。そういう単純な”革命”は、かえって複数の原理性を殺してしまうでしょう。必要なのは、広くゆっくり考えることであり、それは私たちが現代生活においてますます無くしつつあるものなのかもしれません。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe
BC148

BC148

2026-09-2201:16:05

面白かった本について語るPodcast、ブックカタリスト。今回は『労働の思想史』について語りました。前回の『戦争の思想史』に続く、思想史シリーズの第2回。(全3回予定)今回は「戦争」に比べて歴史だけの要素は少なかったんですが、逆に自分は「歴史」中心に読んでいて、それを面白く感じた、というのは中々に面白い体験でした。たぶん自分は、世間の平均から見て、労働というものをかなり低く見積もっていると思ってるんですが、この本を読んで改めて自分の特性に自信を持つことができた気がします。きつい仕事をしている人が偉いとか、そもそも働かないやつは怠けているとか、そういうのは全部歴史によって育まれてきた「今の価値観」でしかない。働くことを過剰に「上に見てしまう」傾向に歯止めをかけるためにも、こういう本をもっと広めねばならん、ということを感じました。ブックカタリストで紹介した本一覧 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe
今回は2冊セットシリーズの第五回として『哲学の始め方 (ハヤカワ新書)』と『バラバラな世界で共に生きる: リチャード・ローティの哲学 (NHK出版新書 760)』の二冊をからめて紹介しました。共に「哲学」の本ではありますが、異なるアプローチで書かれています。『哲学の始め方』は懐疑論と格闘する哲学の実践を示すもので、『バラバラな世界で共に生きる』は、ローティという哲学者の紹介です。ぜんぜん違うとは言えば違うでしょう。しかし、共に「会話」ということば(概念)がキーになっている点に注目し、二つの本をつなげてみようと試みました。ちなみに、二つの本の「会話」はまったく同じ意味というわけではありません。しかし、「会話」という同じ言葉が使われている。そこに越境=誤配の可能性がある、というのが言葉というものの面白さだな、と思います。収録時に使った読書メモは以下からご覧いただけますので、書誌情報などもそちらからご確認ください。◇ブックカタリストBC147用メモ | 倉下忠憲の発想工房ジグザグ・モデル私は誰かに命令されるのが大嫌いなのですが、その感覚を内省してみると、「相手の原理を押しつけられている感じがするから」というのが理由なのだろうと思います。こっちにはこっちの原理があるんだよ、と言いたくなる。ローティの『偶然性・アイロニー・連帯: リベラル・ユートピアの可能性』を読んで、ズギューンと心を打ち抜かれたのは、彼が異なる原理の存在を肯定していたからです。だって、プラトンなんてイデアですし、哲学王による国家の運営ですし、詩人は追い出されるわけで、全体的から「異なる原理など認めんぞ!」という雰囲気がプンプンと漂ってきます(学術的な読解でどうなっているのかはわかりません。あくまで雰囲気です)。多かれ少なかれ、「真理」を探究するとそのような姿勢になるのでしょう。だって真理ですからね。そこに”ノイズ”がまざっているわけにはいかない。そのような態度があり、おそらくは長く続いてきて(これも印象です)、ある段階からその姿勢に「水を差す」ような人たち──たとえばデリダやレヴィ=ストロース──が出てきた、という構図で今のところは理解していますが、とりあえず「単一の原理ですべてを説明し尽くそうとしない→ことばづかいをおしつけない」というのは私好みの姿勢です。一方で、そうした真理の探究が無為なのかと言うと──ウィトゲンシュタインは無為だと言うのかもしれませんが──おそらくはそうではないでしょう。たしかに真理が見つかれば、人類の会話は終わってしまうわけですが、2000年以上に及ぶ思弁においても結局「真理」は見つけられなかったわけですから。むしろ、真理が決して見つけられないものだとするならば、「真理の探究」は、会話を続けるための一つの舞台足りえるのかもしれません。ただしその思弁が、公の場に提出されたら、という条件がつきます。自分ひとりで閉じこもって「真理」を探究していくことは、二重の意味で弊害があります。一つは、それが人類の会話への参加になっていないこと。もう一つは、懐疑論的な思考の「沼」に嵌まり、日常的な会話=他者の価値そのものが、その人の中から損なわれてしまう可能性があること。この二つです。実際、私の20代の頃は、哲学的・文学的「イキり」みたいな状態になっていて、ひとりで考えるのがよいのだ、他人との会話なんて邪魔なものでしかないというかなり非日常的な価値観に染まっていました。今考えると愚かしすぎて頬が赤く染まってしまいます。自分が何を分かっていないのかも分かっていなかったのです。とは言え、その期間に熟した実が、今の私の活動に影響を与えていることは間違いありません。個人的・私的な領域で──つまりドアを閉じて──考え込むことと、公共的・共有的な領域で──ドアを開いて──話をすることは両方があっていいのだと思います。(ブックカタリストという場は後者をつくっていることに改めて注目してもいいでしょう)千葉雅也さんの『勉強の哲学』でも、いったんキモくなってから帰ってくるという道筋が示されていますが、ようは二つの領域を往還する──私の語彙で言えばジグザグに動く──ことが大切なのだと思います。これは二項対立でもなければ、弁証法でもありません。脱構築ですらないでしょう。単にジグザグに動くというだけです。 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe
面白かった本について語るPodcast、ブックカタリスト。今回は『戦争の思想史――哲学者は戦うことをどう考えてきたのか』について語りました。前回から、読書自体の新しい試みとして「ごりゅごの生成AI読書術」を試行錯誤しているんですが、今回の本は非常に新しい試みを実験するのに向いている本でした。目次に沿って、ある人物が戦争について何を考えたのかを確認し、気になった言葉を生成AIとの対話で掘り下げていく。生成AIは、聞けばなんでも答えてくれる。しかし逆に、聞かなければ何も言わない。この本は、一つ一つの内容が「詳しくない」が故に、自分が気になることを、気が済むまで質問するという「生成AIに質問する材料とする本」として、非常に素晴らしかったのです。今回紹介した書籍のリンクなどはこちらから→📖ブックカタリストで紹介した本 This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe
今回は二冊セットシリーズの第四回として、『懐疑論』『科学否定論はなぜ人をひきつけるのか』の二冊を取り上げました。哲学方向と科学方向と若干の違いはあれど、重要な部分は共通していると思います。収録に使ったメモは以下からご覧いただけますので、書誌情報もそちらを参照ください。◇ブックカタリストBC145用メモ | 倉下忠憲の発想工房真実をめぐる冒険インターネット以降、専門家の権威が崩れてしまい、またフェイクニュースや詐欺的な活動の勃興も相まって、何かを素朴に信じることができなくなりました。陰謀論や科学否定論にはまっている人を「信じやすい性質」だと理解することが多いかと思いますが、よくよく考えれば、私たちは科学的な通説を当たり前のように信じているわけです。それに対して疑義を持っているのがそうした人たちで、むしろ「疑いやすい性質」を持っていると理解したほうが良いでしょう。でもって、専門家の権威が崩れたということは、「専門家に任せておけば安心」という信頼の構造が崩れていることを意味しています。そうなると不安が生じ、「正しいこと/真実」がよりいっそう強く求められることになる。そのときに、その不安を解消してくれる人が現れたら、私たち人間はそこに引き寄せられるでしょう。「あいつらは現実のことをぜんぜんわかっていない」と強い声で批判し、「正しいことはこれだ」と断言してくれる声は、不安でいっぱいな心を愛撫してくれるはずです。不信感を共有するコミュニティの出来上がりです。ようは、私たちが今置かれている情報環境と人間の心理をまったく無視して「正しい証拠を提示すれば問題は解決する」というアプローチでは問題は解決しないばかりか、まさにそうしたアプローチが不信感・不安感を増長させていることに目を向ける必要があります。「正常・異常」のような規範性を持ち出さなくても、懐疑や科学否定論にはまることによって生きづらさを抱えている人がいたら、その人をケアするという姿勢を持つことはできるはずです。そのためには、人の話を聞き、こちらの話も聞いてもらうというコミュニケーションの基本がとても大切になってくると思います。その他の回: This is a public episode. If you'd like to discuss this with other subscribers or get access to bonus episodes, visit bookcatalyst.substack.com/subscribe
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