Discover励ましとリバイバルのメッセージ
Claim Ownership
励ましとリバイバルのメッセージ
Author: オンファイヤージャパン Onfire Japan
Subscribed: 51Played: 1,147Subscribe
Share
© Onfire Japan
Description
リバイバルの火を日本に Revival Fire to Japan: Onfire Japan は主のご臨在と力が日本を、また日本人のクリスチャンを満たすよう熱心に追い求め、そのために勤めているクリスチャンの奉仕です。Onfire Japan is a network of committed belivers dedicated to seeing the presence and power of God manifest in Japan and Japanese believers.
211 Episodes
Reverse
God Has No Rival - Eric Johnson JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
1列王記18章
列王記や、歴代誌はイスラエルの国としての歴史を見ることができますが、王であるソロモンは、
イスラエルの黄金期を築いた王であり、最も繁栄し、平和をイスラエルの国が楽しんだ時でした。
しかし、彼の人生の終わりは、多くの異教徒の妻をめとったことで、彼も異教の神々を礼拝したので彼は分裂した人になりました。
箴言と伝道者の書は、ソロモンによってかかれましたが、箴言は神様の影響下にあり、正しい関係をソロモンが主と持って歩んだ時であり、
伝道者の書は、神と正しく歩まなかった時に書かれた本です。真逆とも言えるようなことを2つの本から見ることができます。
イスラエルの国もソロモンのように分断されました。イスラエルと、ユダ王国になりました。
ユダの国の王であったヨシャパテ王は、戦いに行く前に主をもとめ、賛美チームを軍隊の一番前に進ませました。ユダの意味は賛美ですが、彼らは「アイデンティティー」から
生きたので、自分たちの最もよくできることをしたのです。主がユダ王国のために勝利をもたらしました。
イスラエルの国のアハブ王とイザベルは非常に邪悪で、悪霊的、悪魔的な礼拝をイスラエルにもたらし、国全体が神に反することをしていました。
その中で、預言者エリヤが「対決、決闘」するのです。エリヤは、自分唯一の主の預言者として生き残ったと誤解はしていましたが、アハブ王に会い、
「コンテスト」を持ちかけます。
祭壇を二つ作り、バアルの預言者が祭壇に生贄を捧げ、そこに神の火が降れば、そちらが本当の神であるとすると言ったのです。
バアルの預言者たちが、いけにえを捧げ、血を流して礼拝している時に、「もし、何かが起こるかもしれない」ということはありえなくないことです。
モーセのいくつかの奇跡はエジプトの魔術師達も同じようなことをしてきました。
しかし、「自分だけ、たった一人」と信じていた預言者エリヤは信じられないような大胆さで挑戦をします。
そして、その後に民を壊れたイスラエルの祭壇に連れて行き、祭壇を回復して、〜とありますが、祭壇とは「礼拝」の場所であり、「聖別」する場所でもあります。
主の炎が降った時に民は「主こそ神です」と言いますが、民は間違った物を礼拝していたことがわかり、神が誰かを知りました。
私たちも、人生の危機や、チャレンジで間違ったことや、物を礼拝していないでしょうか?
私達の世界観は「神の祭壇」から来たもので形造られる必要があります。神の臨在、影響によってです。
神の臨在、祭壇から来たものでない「意見や感情」を私達は解き放つべきではないのです。特にリーダー達は、そのチャレンジが大きいですが、
私の考えでなく、神の祭壇から見るしや、世界観を私達は語るのです。
日本語動画:https://youtu.be/-v8FJFaLg4k
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/god-has-no-rival
英語動画:http://www.bethel.tv/watch/4421/god-has-no-rival-sunday-am/2016/12/18
Power of Belonging - Kris Vallotton JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
1サムエル22:1〜2、2サムエル23:8〜23 イザヤ62、ヨハネ4
「所属することの力」というテーマのメッセージですが、「自分を守らず、心を開くことの力」というブルネ ブラウンさんという 社会学の研究者の女性がTEDトークで話したことを引用したいと思います。 彼女は「聖書の原則」を「バビロンの言語」で話していると感じます。
彼女は「人類はコネクトするための創造されていることが、脳科学から立証されている」と言いました。コネクトするとは、「つながる」関わることですが、彼女はコネクトするために造られたと言ったのです。
地上に多くの人が、「自分の人生の目的は何?」と探していますが、それは進化論でアメーバーから何十億年あれば、人間になったと教えるように神様から切り離しては、「人間の目的」はありません。
私達は「つながる」為にできているのですが、それは「所属する」「一員となる」ということですが、現在の多くの国々では同棲している家族があり、結婚の契約を結びません。そのゆえに「名前がない、アイデンティティーに葛藤する」ことや、少年がギャングに加わったり、少女が性的な関係に入ってしまうことの原因になっています。
父なる神は聖霊様を先におくったのではなく「御子」イエスが送られて来ました、それは家族ということを私達が知るためにです
所属する為に、家族の一員になるために造られた、私達なので、私達が所属していない時には「本来の姿ではない」のです。
人類の最大の恐れは「コネクト」するために差し出した手を拒否されることです。ですから、私達は拒絶を拒絶して「自分は誰の意見も気にしない」と言ってしまうのです。私達には「知ってほしい、認めてほしい」という願いと「周りにあっていたい、フィットした」という2つの願いがあります。それは、生ける石として神様が私達を見ているところであり、生けるレンガとは書かれていないところです。石は形や大きさが全て異なっています。そして、あなたという生ける石の入るべき場所は、「本当のあなた」の形にできていて、あなたが受け入れられるために、他のような人になっている時のあなたの形ではないのです。
ダビデ王の30人の勇士達がいますが、最初には「困窮したもの、負債のあるもの、不満のあるもの」達でしたが、のちには、「ダビデの勇士」と言われるようになりました、
それは、彼らが所属したからです。ダビデのグループの一員になったからです。
日本語動画:https://www.youtube.com/watch?v=udnHWNpqyBg
英語音声:https://www.acast.com/krisvallotton/the-power-of-belonging-part-1
Year of Breakthrough - Bill Johnson JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
イザヤ54章
私は昨年、病気をしました。
食事も出来なくなり、入院して、点滴で生きている状態でした。それは、電車のレールのように急に自分の人生のコントロールが自分の手からなくなってしまったようでした。私達は自分がコントロールしていることがあると、まだ思っているのです。
病院のベットで、何も出来ず、恐れが来るような状況にありましたが、主の普通でないレベルの臨在と、全てを超える平安がありました。賛美をすることは、「いけにえ」であり、捧げもの、「犠牲」ですからそのような、まるで神様をほめたたえることが、難しいと思える時にこそ、賛美することは、普通なことなのです。
その時に私のしたことは私の人生に語られた主のことば、約束を読むことでした。その中には、健康の状態に関係のないこともありましたが、時には「将来がある」事を知ることがとても助けになる時があるのです。神の言葉を得ることは、とても重要です、聖書に書かれていることは、全ての信者がアクセスを持っていますが、私は自分の必要に応じたみ言葉を自分のものとするだけではなくその言葉を主に持っていき、聖霊様の息吹を吹きかけてもらうのです。自分の欲しいもののためにみ言葉を宣言する、告白するのではなく、主を敬うためです。
約束のものを受け取るには、信仰と忍耐です。静かな信頼の上に、大胆な信仰は建てられます。
2017年の為の聖句を求めましたが、イザヤ54章が与えられました。これから来る、祈りの答えのために、先に感謝をする、賛美をすることです。不妊の女に、「喜びさけべ、あなたのこれから生まれる子ども達は、自然的にすでに子どもを生んでいる女性達の子供達より多いからだ」と言っています。不妊のような時に、「喜びの叫びをあげて、賛美をする」ことは、超自然に「増加」をもたらします。また、子どもが生まれていない時に、子ども部屋を準備するようです。
今年は、いまだかつてなかったように、打ち破りを体験する年になります。
日本語動画:https://youtu.be/QMJ9_eQPfo4
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4442/the-year-of-breakthrough-sunday-am/2017/01/01
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/the-year-of-breakthrough
Purity and Power - Bill Johnson JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
1コリント5、6章
私達の教会は「愛」によって、知られることを私は望んでいます。清められていない憐れみは 憐れみではありません。時に人は「清められていない憐れみ」を用いてしまいます。「恵み」は罪を犯し続ける為の許可ではありません。恵は罪から私達が自由になる為の力です。神様から賜物です。
私が長年にわたって牧会的な働きをしてきた中で「苦味や恨み」を持ち続ける事、「幻覚や中毒をもたらすような薬」を使用する事、「性的な罪を継続する事」が人生に悪魔の働きのアクセスを作ってしまう非常に悪い結果をもたらす罪だとわかりました。
信者がよく「私を裁かないでください」ということがありますが、もちろん人は「有罪判決」を下すように、「裁く」ことはできませんが、信者は「自分たちを裁くこと」。それは「見極め、判断し、境界線を引く」ことをせよと1コリント5章で教えられています。自分の体に癌ができたらそれを無視する人はいないでしょう、「見極め、判断して、取り去って」くれる医者を探し、自分の体に死をもたらすものを残さないでしょう、そのように、教会でも、「見極め、判断し、境界線を引く」事をする事は必要です。
イエスは「決して罪を犯さない」清さの中をあゆみました、そして「力」がありました。私達にも両方が必要であり、求めつ続けています。イエスは私達が驚くような罪人達から愛され、彼らと一緒にいるだけで変化をもたらしました。例えばザアカイのように説教などする事なしに「盗んだ物は全て返し、財産の半分を捧げます」と彼の心は変わったのです。
イエスが、神の言葉は私達のスタンダードで、私達の文化や、思いで神の言葉を解釈して、理解する事は間違いです。私達は皆、それぞれが神のことばというスタンダードによって自分達の考え、人生観を神の言葉に合わせることをしているのです。
また、6章では兄弟達が、未信者が裁判官として働くところで告訴することに対しても言及しています。私は実際に兄弟達が問題を解決するために教会の長老の所に来たという事を見たことがありません。これでは、イエスの光を、福音を聞かなければならない人、未信者に対して、信者が福音を恥と感じさせるような事を結果している事ではないでしょうか。
私達の教会は、家族です。尖っている石が、砂と一緒に乾燥機のようなところで「研磨される」事を思ってください。私達も互いによって、こすられ、角が取れ、磨かれるのです。
日本語動画:https://youtu.be/JC06Dijtpp4
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4346/purity-power-sunday-pm/2016/11/20
Cultivating Prophetic Families - Kris Vallotton JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
マタイ18:10、創世記4:19、使徒の働き21、2コリント5:16
ヨセフ、ダニエル、は夢の解き明かしをする事で、王の宮殿に入り、そこで用いられますが、彼らは、どのようにして「解釈」の仕方を学んだのでしょうか?学校はありませんでした。ヨセフは、アブラハムのひ孫ですが、アブラハムは夢を見、神様と出会う体験をしていました。イサクも、天使と格闘しました。ヤコブも霊的な体験や、神と出会う事などをしていました。ですからヨセフは家族の中で訓練されたと思います。
信仰は、すべての霊的な事柄が流れる川、高速道路のようなものです。
子供達を預言的な家庭文化の中で育てるときに実際的にできる事があります。1子供が神様からの夢で語られるように、一緒に祈り、朝起きて、「夢を見た?」と聞く。2子供達に「イエス様だったらどういう風に話すと思う?」という事を聞いてみる。3子供達にも、家の中での祈りの時間・ミニストリーに参加してもらう「神様がこの人に何を語りたいか受け取りましたか?」と聞いて、小さな子供であっても、神様から聞いて、分かち合う事があると期待をさせる。子供サイズの聖霊様はないので、大人と同様な聖霊様が子供達に働く。4奇跡の証を聞かせたり、奇跡を体験できるようなところや人々につなげる。 5子供達の人生に神の使い、みつかいを招く事を祈りによって教える。マタイ18:10で、子供には天使が一緒にいると書かれています。自分もまだ天使を保っているといいと思いますけど。6子供達を葛藤から締め出して、守らない。
子供達を預言的な家族の中で育てることは、「人間的な基準」で子供達を見ないことです。御霊によって、見ないならば、預言者サムエルが少年ダビデに油注ぐとき、長男のエリアブを見て、外見で「この人こそ、王となるのにふさわしい」と思ったように、自分の肉で知っているように、取り扱ってしまいます。進言は「子供がその人の行く道のための訓練せよ」と言っており、それは「親の思いや、観察から」ではない霊的な神様の目で見ないとできません。
創世記の4章には、レメクの子達は「天幕に住み、家畜を育てる」人の先祖、「音楽家」の先祖、「鍛冶屋」の先祖となったとあります。そのように同じ家族でも同じ召でなくても良いのです、それは使徒の働きの21章にある、伝道者ピリポの娘達は予言者であったということです。
日本語動画:https://youtu.be/VBmhTtTQ6LE
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4355/cultivating-prophetic-families-sunday-am/2016/11/27
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/cultivating-prophetic-families
Stepping through the Door of Jesus - Dawna De Silva JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
ヨハネ14:5〜11
私達には、父なる神がなぜ、必要なのでしょうか?それは私達は父によって「アイデンティティー」を受け取るからです。もちろん、神様は三位一体の神様であり、イエスに祈っている時に父も、聖霊も聞いている事をもちろん知っていますが、なぜ、私達には父なる神が必要なのでしょうか?
イエス様がパブテスマのヨハネによって、水の洗礼を受けましたが、その時には天が開け、鳩の形をして聖霊が下り、天からの聞こえる声で「これは、私の愛するこ。私はこれを喜ぶ」と言われました。イエス様がこれを聞くことが必要であったなら、どれだけ私達に父から自分達が誰なのかを聞くことが必要であるはずです。
私達は「孤児の霊」を対処しなければ、なりません。多くのクリスチャンがSozoのミニストリーの為に私達の所にきます。罪との葛藤や、痛みがありますが、根は「孤児の霊」です。「自分が守られていない、助けを受けられない」というのが、孤児の例の印ですが、弟子達からもそれを見ることができます。例えば誰が一番偉いかを討論したりしています。クリスチャンであっても、日々父なる神との関係を作ることがなければ、孤児の霊を持ったまま、解決しないクリスチャンであることが可能ですし、教会の中には多くの孤児の霊を持ったクリスチャンがいます。
天の父のところにイエスによって導かれるなら、父は私達にアイデンティティーを語り、必要を満たしてくれます。イエスは天の父を完全に現し、代表した人です。Sozoの働きは天の父の所にイエス様を通していくことです。ある人たちは、地上の父によっての恐れや、傷でイエス様のところで止まっているのです。または、自分達の生き方が、神の御心にそっていないことを知っているので、父なる神には近づけないと思っていますが、もちろん罪はやめるべきですが、私達が清くなったから父の元に行けるのではなく、父の元にイエス様によっていくことによって清められるのです。
天の父の所に行くなら、私達の人生の本当の必要を満たしてくれるので、それは罪から自由になる、中毒や非聖書的なライフスタイルから私達を解放することになるのです。私達が、天の父を世に紹介して、まだ清くない人でも、イエスを通して父の元に行けるなら、父なる神様は解決に必要なことを語り、人々は自由になるのです。
日本語動画:https://youtu.be/jUpBeCi1XtQ
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4437/stepping-through-the-door-of-jesus-friday-pm/2016/10/28
Slaves Servants or Friends - Eric Johnson JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
ヨハネ15章、エペソ5:22〜33
今日は「奴隷としもべと友」というテーマです。
自分は、教会で子供の時から育ち、強い影響を受け、色々な体験をして、強く教会を愛しています。
教会は「最も困難に打つ勝ってきた」グループであることは、歴史が証明しますが、どのような運動が世界で教会を根絶するために起こっても教会は打ち勝ってきました。独特で、変わっていて、時に奇妙ですが、美しいものです。
教会はキリストの花嫁、そしてキリストが花婿と現される時に、特に男性が花嫁の意味にしっかりと繋がることができない事があります。「親密さ」とは「自分の最も隠されていない姿を誰かと分かち合う」事だとも言えますが、多くの時西洋文化の中では「性的な関係」という意味に通訳されてしまっています。自分の事を結婚するための交際を妻と始めた時から、全く異なる視野で見ることになりました、そして子供達が生まれると、さらに異なる「親密さ」自分の本当の姿が家族に知られることになるのです。自分が思っていたより、自己中心で、わがままであることが
わかり、分かられます。
奴隷とは、主人と何の関係もなく、住居も離れています。権利も意見もないのです。しもべは少し異なり、もしかしたら、少しの接点があるでしょう。主人の家のはじにしもべの家があるかもしれません。しかし、友は全く異なります。ヨハネの15章では英語では全く知ることができない、コミュニケーションの変化があるのです。イエスは「あなたを友と呼ぶ」と言われましたが、その時から、弟子たちに「たとえ話や、比喩を使う」話し方から、「シンプルに、はっきり分かるように語る」方に変わりました。
奴隷、しもべから友になるとは、どういう事でしょう。自分にいる「とも」とは、ある日急に「友達」になったのではなく、時間をかけ、自然になったのであり、話をするときもにどんどん会話が進むのです。自分の祈りは、ある時まで、自分の必要の事を話す事で、90%以上が成り立っていたので、それをしない事を導かれた時に、ほとんど神様と話すことがありませんでした。
今では「友情」が祈りの土台であると思います。
「真の友」であるなら、相手が危機にある時に、自分のやっている事を全て置いて、その友の必要を満たすために奴隷、しもべとなることができるでしょう。ですから、奴隷、しもべとなり、従順することを求めるのです。その道は近道はありません。神様が私たちをそのように すでに見ていてくれるのです。もし、あなたが自分は 今奴隷です、しもべですと感じても、それはその季節にいるということでしょう。でも、その季節がおわった時の事を考えてください。素晴らしいものです。
日本語動画:https://youtu.be/9CJRPBhNixs
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4294/slaves-servants-or-friends-sunday-pm/2016/10/16
Emotional Prosperity - Jason Vallotton JAPANESE
2テサロニケ5:23、3ヨハネ2、2サムエル11:1
「豊かな人生のための土台」というシリーズを話していますが、そこで「感情の繁栄、健康であり、良い状態である」事を話す事を喜んでいます。
私達は「霊、魂、体」であり、それぞれにシンプルな必要があります。それらは切り離すことができず、霊の領域と自然の領域は繋がっています。例えば、「わたしの弟子だということで、水をいっぱいあげることは、わたしにすることです」という事からもわかります。そして、このベテル教会が、「奇跡、しるしや癒しで知られているように、霊たましい体が、健全である事で知られることにわたしは情熱があります。
神様の召しを行いながら歩むためには、霊たましい体が、健康であるために、それぞれに「必要があり、それを満たし、管理することは必須」であるのです。霊には「信仰、神との親密さ、冒険」が必要です、たましいは、「人との繋がり、楽しいこと、」が必要であり、体は「栄養、睡眠、水、運動」が必要です。
必要なことは、「自覚」することです。自分の内部を見て、内省的になる事ではなく、自分の霊、たましいや体に何が起こっているか、自分がどのような季節を体験しているかをわかる事です。ある人は「わからない」と言いますが、訓練することができます。価値を持つなら、練習するのです。
ダビデは勇士で王でしたが、ある時新年に戦いに行かないとき、バテシバを見て、姦淫の罪を犯し、その夫のウリヤを殺しました、彼は、勇士で王であるので、まず戦いに行かなかった時点で、彼には何かが起きていました、でも彼にはそれがわかっていなかったのです。そして、彼のコミュニティーは、彼のいるところにはありませんでした。
超霊的なキリスト教は12週間休みなく集会をして大丈夫と言わせますが、そうではありません。そのような所から、落ちて言った奉仕者達がいます。私達には、休みが必要です。楽しいことをすることで、エンドルフィンを脳から出す子ことで、リチャージされる事が必要です。
イエス様は、私達が地上で「シミも、シワもない花嫁」を現す事ができることを願っています。他人を愛して、他人にしたいように、自分を愛し、正しく自分の必要を満たす事ができ、それが教会の文化の中で非難されず、励まされるように、次の世代に渡さなければ、ならないのです。
日本語動画:https://youtu.be/yf2Tv1HgUfY
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4293/emotional-prosperity-sunday-am/2016/10/16
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/emotional-prosperity
ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp
Adventure of Following the Holy Spirit - Jenn Johnson
同時通訳:相馬伸子
詩篇34:3、ルカ1:46
今日のタイトルは、「聖霊様に従うことは冒険」です。最終的にこの話をしますけど、途中にいろんなところに
ドライブして到着する予定です。
「拡大」大きく見る、あがめる、事が最初です。何を私たちは「大きくみて、注目する」ことをしますか?「肯定的なこと、否定的なこと」両方ありますね。
日々の小さな出来事を、デビルは使って、私達の視野、視点、注目する場所を、神様の視野、天の心、神様のやっていることから、問題や、ネガティブなこと、自分たちのことにずらそうとします。でも、私達は既に運転している「神の道」から、一瞬、それらによって外れたとしても、「デビルお前に喜びは盗ませない、今日はお前の出番じゃない」と拒否する事ができます。
問題に注目しないで、その状態の中にいる「インマヌエル」である 共にいる神様を見ましょう。私達はそれで、天に上がり、天の視野、方法、天のお父さんが話しているように 話すことで、地上を変える事ができます。私たちは皆が、変化をもたらすために 召されているます。
マリヤは喜びから、主を「あがめ」ましたし、ダビデは悲しみから、苦しみから、「我が魂よ、主をほめよ」と言いました。
愛が中心でなければ、あなたが人を愛していなければ、口を開かずに、黙っていましょう。現代の情報時代、インターネット時代には、どんなこともでも情報があり、簡単に思ったことを書いたり、話していますが、それは神の王国の方法でしょうか?
聖霊に従っていくことは、「冒険」です。
私が、14歳の時に、聖霊様の声を聞く練習をしようとして「聖霊様、私に語ってください。なんでも言われたことをします」と言いました。結果は、礼拝中に私が教会のある夫婦にキッチンで水を振りかけている絵が見え、バカバカしいと思いながら、同時にそれが主であることをとても感じだので、結局その夫婦に「今、聖霊様の声を聞く練習をしているけど」と言って、キッチンに来てもらって、死ぬほど緊張したけど、水を振りかけた瞬間、「あなた方は、仕事が終わって帰宅するとイライラして、互いに戦っているが、それは「悪霊」がやっていることで、それは今日終わる」と主が言われます。と私の口から言葉が出て来て、驚きました。
聖霊様に従うことは、人生の全ての分野に渡ります。あなたの心が完全に主に委ねられているなら、考えるプロセスを通り越して、霊で歩むなら、主はあなたを通して素晴らしいことをします。そして、それは神に対しての従順であり、人の意見や、結果のためではないのです。あなたが、聖霊様に従順する時、力を尽くして主を礼拝する時に、おかしい人と思われるかもしれないです。が、報いは素晴らしいです。
日本語動画:https://youtu.be/X8RBmrVVPt4
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4287/the-adventure-of-following-the-holy-spirit-sunday-pm/2016/10/09
ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp
Family of God - Bill Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子
詩篇68、エペソ3:14、15、詩篇23
神の御国、王国は、必ず「家族」というから出発する事が必要です。教会は、神の家族ですから、関係性です。関係によるものです。夫と妻それは、地上の事でもあるけれど、霊的な事柄、キリストと教会の関係を言っていると パウロは言いました。ここには秩序があります、その秩序は、命を最大限に解き放つための秩序です。秩序のための秩序ではないのです。それは、父の心です。
教会に関係性がない時に、それは組織や、学校になってしまうのです。リバイバルも、関係性があるなら、世代にわたって続く事ができます。関係性がない時に、それは集会や、メッセージにより頼んでしまうのです。
私は自分の家族の中で、成功する事なく、ミニストリーで成功することはしたくありませんでした。ですから、私が最も時間をとり、み言葉を学び、主の前で祈り、求めたことは、「父親」と「夫」として成功するためでした。まず、自分の家族で成功してから、それを外に運び、人々がそれをするようにしたかったのですし、私の性質はそういうものなのです。
詩篇の68から、分かることは、父の心は、孤児、やもめ、傷んだもの、弱いものに向けられ、それらの「弱さ」は神の憐れみが惹きつけられるところであり、家族の中、主の食卓にあっては、弱さも覆われるのです。
エペソ3:15節で見える事が出来るのは、「父性、家族」というものの 源は神であることです。
私は今年の始めに、自分の健康問題で、難しい時を体験しました。ベットに寝ている時、特に痛みがひどい時に、詩篇の約束、預言を読みました。その中で、詩篇23の中の「たとえ死の谷の影を歩く事があっても、私は災いを恐れません、あなたが私と共におられますから」を 体験しました。死の影の谷を歩かなくては、会う事がない主の臨在があることを体験しました。
私は若い時から、「妻と子どもは自分との繋がりのゆえに代価を支払うことになってしまうし、それを自分はコントロールできない」事を知っていました。でも、私がコントロールする事が出来るのは「報いを与える」事でした。天の父の心は「豊かに報いを与える」事ですから、それは、良い事です
日本語動画:https://youtu.be/nGcIaJQ-QgU
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4232/the-family-of-god-sunday-am/2016/09/18
ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp
Jesus Is Movement - Eric Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子
ピリピ3:12〜16、エゼキエル47:1〜12
前回は「タイムレスムーブメント」永遠の運動、ムーヴメントの話をしました。
イエスの福音は「永遠のムーブメント」であり、一過性の流行りのものではないのです。
どうやって、文化の中に塩として、「殺菌力」と「塩気」を保ちづつけるのか。
今日は、イエスご自身が「ムーブメント」動きであることを話します。
パウロは、後ろの事を忘れ、ひたむきに前を向いて、一心に進むことを語っています。
彼は、多くの迫害、障害を持って、多くの宣教を成し遂げました。彼にとっては「迫害や障害」があることは「御心ではない」でなかったのです。
ある女性はひどい痛みのある病気にかかり、鎮痛剤を大量にとりましたが、痛みを体が感じなくなると、本人の病に戦う意思がなくなり、体も萎縮がはじま理、結果として鎮痛剤を止め、無理にでもリハビリをすることで一命を取り止めました。人間の体は、ただベットに寝ているのでは生きていけないように創造されているのです。
私達の霊的、肉体的なことも一緒です。動かないなら、死んでしまうのです。
エゼキエル47章では、「宮から遠く離れると水は、深くなり、川になり、その水に触れるものは全てが生きる」ことを見ますが、今私達教会が、信者が、このようにして「神の宮、教会の建物」から遠く離れるところで、神の御国を広げるときです。宮から離れれば、離れるほど、水は深くなり、自分では歩めず、川に運ばれるのです。
イエスキリストを信じると決めた時に、皆さんは「何もしない」ことにサインし他のではなく、「動き続ける」ことに、サインしたのです。
イエスご自身のなかに 私達は存在して、常時動き続け、引き伸ばされ、新しい領域に踏み出して進みます。
新しい境域は、わからないところ、下書きのないところ、地図もないところです。飛び込んでから、どこに行くのか体験するような感じです。
新しい領域に出ている時、宣教の情熱がある時、教会は成長します。あなたの成長、将来も、あなた自身が「過去を忘れ、前進する」事に、かかっています。
日本語動画:https://youtu.be/7Z2znbivmuk
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4233/jesus-is-movement-sunday-pm/2016/09/18
ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp
Timeless Movement - Eric Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子
使徒5:33〜42、使徒15
私達が今、関わり、この教会で体験し、色々な所に旅行しながらしている事は「ムーブメント」です。
そして、これは「時間のない所」で最初に神様によって始められ、そして、私達の為に時間を作り、その中に「ムーブメント」をおき、私達が参加し、現れる事が出来るようにされているのです。
福音は永遠です、なぜなら神が始められた事であり、神には「終わり」がないのです、神ご自身が「始めであり、終わり」である方であり、それが神様の本質です」
色々なムーブメントは、流行りもありますが、でも私達は流行る福音を作るのではなく、この福音、ムーブメントの中心がイエスキリストであり、イエスキリストの為である時に地上にあるけれども「永遠の領域」にある事になるのです。
私達はこの「ムーブメント、福音」を置かれた文化の中で受け入れ、アダプトしています。自分のものとして、適応していますが、周りに受け入れられやすいように本来は「刺す」べきである角を削り、丸く合わせる事は、水で薄めるような事は出来ません。
ペンがどのようにしてペンであるのでしょうか?それは「書く」事ができるからであり、見かけではなく、機能です。
永遠のムーブメントである「福音、イエスキリストの福音」も、見かけは変わっても、本質は薄められないのです。
私達は「この世」のなかに住み、そこで、このイエスキリストを伝えるのですが、どのように文化や社会に影響を与えるのでしょうか?
使徒の働き15章では、エルサレムでリーダー達が会議をしていました、まったく想定外だった異邦人に聖霊が注がれたからです。
パウロが現地の証をもって、会議に現れ、そこで福音は、ムーブメントは、前進していきました。もともと、全世界に出て行くものだったからです。
イエスが探しているのは、主が与えたアイディアを受け取り、その流れを続ける人たちです。
私達は政府に影響を与えています、それを継続する為には「賢さ、多様性、繊細さ」が増加する必要があると主が語っているように感じます。
日本語動画:https://youtu.be/2Y0KYDidLsE
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/the-timeless-movement
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4221/the-timeless-movement-sunday-am/2016/09/11
ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp
God and Government - Kris Vallotton JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子
マタイ28:17 ローマ4:17、18 イザヤ9:6.7 、ローマ13:1〜7、ダニエル
イエスはマタイ28:17で 「天においても、地においても私にいっさいの権威が与えられています、だから、あなた方は国々を弟子としなさいと」言っています。
その意味は、「国々の父、母」となると言う意味ですから、それはアブラハムに与えられた約束です。そして「子孫たちは国々の父となる」ということでヤコブが実際イスラエルとなり、国の父と成りました。
イザヤ9:7では「その主権は増し加わり、その平和は限りなく」とあります。神の王国、主権というのは、永遠に変わらないサイズの王国があるのではなく、指数関数的に増加しているのです。あなた、私のうちにイエスが来たらそれは、神の統治、王である私達をイエスが王として治めるので、王国が広がっていることです。
神は政府と教会を異なる方法で、導きます。教会を愛で導き、世の政府を力、必要なら武力を使います。
政府の役目は、私達の弱点を覆い、長所を増加させ、私達の使命の中に送り出していくことです。
ローマ13章はローマ人に皇帝ネロの時代に書かれました。
「神の国」を神が治める原則を言いましょう、それは「選択」をさせることです。神は「選択」の神です。ですから、「律法」と自由意志を与え、互いに傷つけないなら、自由にすることができる、そのようです。
神は義人と悪人を両方とも値しないような憐れみを持って、接します。両方に太陽を昇らせるのです。
政府は「神の怒り」を示すことができるように神はデザインしています。
あなたの近所の人が、あなたを殺そうとした時に、警察や政府の「武力行使」を恐れて、おとなしくして欲しいでしょう。
そのようにして、「人が人を傷つける」事から神は人を守るようにデザインしました。
政府の仕事は「人をクリスチャン化」するのではなく、教会の仕事が「人が神の国のやり方を選択できるようにする」のです。
政府の仕事は「平和」を作るためであり、そのために権利と剣を持つ事が与えられています。
政府の中に私達が進もうと、影響を与えるようにするなら、考え方を教会が変えなければならないでしょう。
ダニエル、ヨセフ、エステルのような人々が沢山今、建てられています。
彼らの「蛇のように、さとく」「鳩のように素直」である事が政府の中に働く道です。
日本語動画:https://youtu.be/e9m0ZZj3N0k
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/god-government
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4198/sunday-morning/2016/09/04
ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp
All Must Prophesy - Bill Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子
民数記11:24〜29、イザヤ51:12〜16 イザヤ59:21 エペソ4:29 使徒3:24、25
今日、私が話す「預言的、預言」というのは5役者の預言者ではありません。
旧約の時代には、ほとんど神の民に主の霊が注がれると、「預言」して、神のことばを語りました。
それは「主の霊に満たされた、注がれた」事の現れのようでした。
預言は「自分の目的、計画」の為にするのでは決してありません。父の心を聖霊によって、信者、神の民の口から語られる、それによって「すでにある、天が地に解き放たれる為の的をつくる」ような事です。私達は、「使命」を語り、人々の中に隠れている金を見つけ、語り、人々の人生を全く方向変換する事ができます
今はメディアによって多くの嘘が流され、意図的でなくても、混乱や、疑いを持つ事になります。疑いは、預言の霊の偽物のように働きます。情報を得る事で、「これは、正しくない」という事を感じ、情報を解釈し、そこから語ることです。
イエス様は私達預言的な民の為に、高い基準を作りました。父の言葉を聞いて、それだけを語ったということです。自分の思いから語る者は自分の栄光を求める事であって、父が語っている事を語ることを望まないなら、自分に栄光を返すことへのドアが開いてしまいます。
イザヤ59:21で、神の霊が、私達神の民にとどまり、神の言葉を民の口にあたえ、その子孫達にある、離れない、と約束されました。ですから、私達は、神の民ですから、奇跡、印、癒しだけでなく神の言葉が語らえる事が必要です。
日本語動画:https://youtu.be/TS0aBqoT_IY
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/all-must-prophesy
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4171/all-must-prophesy-sunday-am/2016/08/14
ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp
Building Your House on a Rock - Eric Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子
マタイ7:24〜29
私は初めて4週間、1ヶ月の休暇、安息休暇を取りました。
その時には曜日を忘れるくらい、日常から離れて、家にはいましたが、でかけたところは、ホームセンターぐらいです。
長女を今年夏にメキシコの牧場での奉仕のキャンプに送り出しました。彼女を送る時も、迎える時にも泣きましたよ。
その時にわかったことは、自分がなんて豊かな男であるのかと言うことでした。娘たちは深く愛し合っていて、妻と僕もそうです。
このような関係を持てることは豊かです、富んでいます。
このように日常と離れて暮らすと心の中の普段は考えない事柄が浮かんできますね。今日はその話もします。
マタイ7章24〜27のメッセージは山上の説教の最後の部分です。
「この教えを聞き、行うものは岩の上に自分の家を立てる」また、「聞いても行わないものは砂の上に家を立てる」ものだと言われています。
「家」「砂」「岩」「天候」が重要な例えですね。家を建てますが、天候という力で壊れたり、それでも残ったり。
家とは「自分の人生、次の世代」であり「砂は〜今はもう無い物」「岩はゆり動か無い、しっかしと動かされ無い」「天候ー人生の出来事」。
あなたの人生をあなたがどこに建設しているか、気にしていても、しなくても、または大した事していないので、建設してい無いといっても、本当は建てているのです。
あなたの人生は「目的」「使命」があります、あなたの人生は「他の誰かに影響を与えます」。「自分の人生には全く影響力がない」という考えはひどい嘘です。
自分の事を話すならば、過去4週間で示された事があります、砂の上に城を建ててしまっていた事です。それは、自分の価値を自分がキリストにあるアイデンティティーではなく、仕事から得てしまっていた事です。ですから自分の過去数年のジェットコースターのような上がり下がりがあったとわかりました。
私達はよく、自分の心地よい「過去の砂」に家を建てる事もあります、変化を嫌うのです。でも神様は私達のように時間に束縛されず、同じように考えません。忍耐そのものです。
もし。砂の上に城を建ててしまっている事が「天候 人生のチャレンジ、危機」によって示されたら、それも感謝ですよ、後にそれがわかる方が大変です。
日本語動画:https://youtu.be/UmIbb7ctAwA
英語動画(要登録):http://www.bethel.tv/watch/4165/building-your-house-on-a-rock-sunday-pm/2016/08/07
ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp
Day of Courage - Bill Johnson JAPANESE INTERPRETATION
同時通訳:相馬伸子
1サムエル14、詩篇67、イザヤ60
サウルの息子、ヨナタンは非常に優秀で、勇敢な戦士でした。
1サムエル14では、彼は自分と、道具持ち(戦士でないもの)の2人だけで、山の上の方のペリシテ人の陣地に向かいました。
そして、彼は「たぶん主が我々に味方してくださるだろう。大人数によるのであっても、少人数によるのであっても。主がお救いになるのに妨げになるものは何もない」という素晴らしい事を告白しています。このフレーズを覚えてください。これは「新しくされた思い」で考えているものです。
人は「数」「サイズ」「時間」によって、束縛され、心配しますが、神にはこれらは全く関係ないのですね。思いが新しくされる事から見えるしや、言える言葉です。
8節から10節でヨナタンのいう事、行う事は「人間的に考える軍事的作戦」としては全くおかしいのですが、神のやり方は、不思議です。聖歌隊を軍隊の前に出して、歌わせよという事と同じようにおかしいですね。しかし神のやり方は、違うというところです。
13節では「ヨナタンが登ったら、ペリシテ人はヨナタンの前に倒れ、道具持ちがその後から彼らを打ち殺した」とあります。素晴らしいですね。
21節には「それまでペリシテ人につき、彼らと一緒に陣営に登っていたヘブル人も転じて〜イスラエルの側につくようになった」とありますが、イスラエル人としてのアイデンティティーを捨て、人生の生き方、服装、言葉を「敵陣」のようにして、敵陣の中にいたユダヤ人がいたのです。
しかし、先のヨナタンと道具持ちの勇敢な物語を聞いた時に、彼らはイスラエルの側に戻ってきました。何かが変わったのです。勇敢なストーリーが解き放たれる時に変化を心の奥深くに起こすのです。
22節には「エフライムの山に隠れていた」イスラエル人もペリシテ人が逃げたと聞いて、彼らもまた戦いに加わったとあります。
勇敢な物語が、解き放たれる事で「山に隠れている」神様の働きにつながっていない、人々もそこから出て、戦いに加わったのです。
証しを聞く事は、そのような働きをします。
問題に対して、神の民が、神の言葉を解き放ち天がそれに答え、イエスの栄光が見えるようになるのです
日本語動画:https://youtu.be/VZmP7M29rcI
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/the-day-of-great-courage
ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp
イザヤ61章、2コリント6:1、ヨエル2:17
私が「刑務所で19年過ごした」と聞くと、人々は、彼は長い刑期を務めたと勘違いするのですが、私は19年間、刑務所に勤務していきました。
しかし、その時には教会では、自分の職業、やっていることによって「価値」を受けたように感じません、集会に参加することや献金することであなたには「価値」がある と言われたように受けました。
97%位の人は教会に来ても給料が出ることではなく、学校や、病院や、家庭で働き、仕えています。
しかし、その97%の人たちは「無力になっている軍隊」のようです。
それは、「聖と俗」があり、自分は「フルタイムの献身者」ではないから、自分の価値は低い、認められないと 嘘を信じています。
聖書では聖と俗があるとの教えはありません。
「聖職者」の方が価値があり、霊的であり、優遇されているという嘘で私達は自分達を比べ、低くし、力を捨てています。
「今、すでに神からの使命の中に歩んでいる」ということを信じないと、明日の心配、明日と今日を比べて今日を生きる事ができないのです。
私たちは2コリント6:1であるように「神とともに働く者」なのです。
ですから、これは全部神のはたらき、これは全部私のはたらきということではないのです。
そのような考え方を変える必要があります。
ヨエル書の2:17では「祭壇」と「玄関」の間で泣いてとあります、どういうことでしょうか。
私達は「皆が祭司」とされたのですから、祭壇があり、そこで主に祈り、とりなしをして、「玄関」から出て、世にいって神の国を建て上げるのです。私達は「祭司であり、王」なのです。
イザヤ61から、私がスクールで学んだことは、「心が壊れ、痛み、囚人、捕囚」であった人々は、癒され、解放され、のちに「街を復興し、主の祭司」になるのでした。
あなたがたはすでに、神の使命の中に生きています。自由になりなさい、あなたがたをイザヤ61のメッセージで送り出します。
日本語動画:https://youtu.be/_ujLJ1h6kOk
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/co-laborers-with-god
ベテル教会の英語のPODCASTの同時通訳:相馬伸子 © Bethel Church, 933 College View Drive, CA 96003 Tel. 530-246-6000 Interpretation by Nobuko Soma http://www.onfire.jp
同時通訳:相馬伸子
ローマ12:2、マタイ17:2 、箴言13:20、マルコ4:24、25
あなたの人生を変えたいと思う人がどれだけいるでしょうか?
あなたは人生を変える事はできませんが、あなたは思い、考えを変える事はできるのです。
そうすれば、神はあなたの人生を変える事ができます。
ローマ12;2の「心の一新によって、自分を変えなさい」とありますが、この「変える」という言葉は、マタイ17:2にある「御姿がかわり」という言葉と同じ言葉です。
「最初に聞いた事が土台であり、フィルターになる」という原則があります、これはある事柄の事を初めて聞いた時、それは土台となり。フィルターになります。
その次に同じ事柄を聞いた時には最初の土台のフィルターを通して見る、考えるという事です。私達が「み言葉の真理」を土台、フィルターにするならば、真理でないものは出す事ができますし、真理が土台となるだけでなく、フィルターの役割も果たすのです。
思いを変えるには、どうするのでしょうか?私は自分の霊で思いにかたります、「わたしの思いは、このような事柄を思い続ける事ができない」とします。
わたしの「思い」はわたしの霊に従うので、私は自分の思いの奴隷ではないのです。
人生を変えたいと思ったら、思いを変える為に、自分の周りの文化を変える事によって、自分の内側の文化を変える事ができます。
箴言13:20でありますが、自分が「こうなりたい」とおもうような、思いが健全な人たちとつながってください。
もちろん、すべての人に対して、私たちは「奉仕」する事ができますが、「奉仕する為につながる人々」と「自分に影響を与える為につながる人々」は異なります。
マルコ4:24でイエスは「聞いている事によく注意しなさい、あなたは人に量ってあげる、その量りで自分にも量り与えられ、さらにその上に増し加えられます」と言いました。聞いている事で自分の基準ができ、それによって自分の所にも聞いている事が増加してやってくるのです。
思いを変える事ができないとおもいますか?
あなたが新生した時に古い人は、死にました。十字架は古い人の為です。死んだ古い人に話しかけたり、よみがえらせたりしないでください。
古い人を「脱いで」あたらしい人を「着る」のです。
真理によって、実際にある葛藤、その葛藤の根は嘘を信じているからだと思いますが、と置き換えてそれを語るのです。
自分で自分の人生を変える事はできませんが、思いを変える事はできます。そうすれば、神様があなたの人生を変革してくれます。
日本語動画:https://youtu.be/Db-Pz9Ld0D8
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/transforming-your-life
英語動画:http://www.bethel.tv/watch/4082/transforming-your-life-sunday-am/2016/07/03
Transforming Your Life - Kris Vallotton JAPANESE
同時通訳:相馬伸子
1サムル16:7、マタイ13:11〜13、
「王国」、「神の国」という言葉について、今日は皆さんの心が引き伸ばされる事を願ってお話しします。
「王国」とは、どこですか?
私はUKで生まれました、女王がいる国です。でも、その王国に生まれる事は、自分の選択ではありませんでした。
もう一つは、選択がある「王国」です、新生する時に「神の国を見る事ができる」とあるように、これは、あなたが新生する時に
王様であるイエスを招待した、お迎えしたことによって、あなたの内側に神の王国がきます。
新しく生まれなければ、「神の国」を見る事ができない、ということは、私達新生した信者が、「見る」事ができるともいえます。
神の王国はとは、私たちがあるルールや、解決方法を問題のあるこの世に持って行き、強制的に上から与える事でもたらせる事ではなく、
神の王国は、私のうちにイエスキリスト、栄光の希望が住まわれる事で、影響を私をとおしてこの世に現れるようなものです。
神の国は「内側で起こる変化」であり、栄光の望み、イエスキリストが現れる事です。人の視野ではなく、神の視野で見て、それを生きる事で影響をしていく事です。
1サムエル16:7でわかるように、人は外側をみるけど、神は心を見ます。私たちの周りの世の中とは、違う視野、違う聞き方を新生した信者は持つ事ができます。
それが、マタイ13:11^13でいわれるように「奥義を知る事が許されている」ので、神の国の奥義を新生した信者は知る事ができるのです。ですから
その事を求めていきましょう。
神の国のライフスタイルは、「探し求める事を続ける」ことでしょう。マタイ13:44〜46であるように、商人は素晴らしい価値の真珠を見つけ、その為に全てを売り払い
畑を買います。神の国は「高価な真珠」ではなく「良い真珠を探している商人のようだ」といっているので、私たちは「良い真珠」をみつけて、これが神の国だと誤解しやすいのですがそうではないのです。
いつも、求めること、探すことがライフスタイルになるように。
あなたが自分の思い、考えで、「神の国」がどれくらいのサイズがあるのかと思っていることが、実際にあなたの信仰で現れます。
それは、いつも成長するべきだと思います。
日本語動画:https://youtu.be/ENZiK-IyAdo
英語動画:http://www.bethel.tv/watch/4089/kingdom-sunday-pm/2016/07/10
Kingdom - Paul Manwaring JAPANESE
2歴代師7:14
「わたしの名を呼び求めているわたしの民が、自らへりくだり、祈りを捧げ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地を癒そう」
アメリカで、最近いくつもの、神の介入がなくては、自分たちの努力ではどうにもならないことが表面化しています。私たちには、癒しが必要であり、心の傷んでいる、壊れている所に癒しが必要です。
アフリカ系アメリカ人男性に対しての、警官による発泡事件事件や、オーランドでのナイトクラブでのテロリストによる事件、また、警察官を目的にして、1人が5人を射殺した事件もありました。これらは悲劇です。私達が必要なことは、慰めを与え、ともに立つことです。
理由がどうであれ、命が奪われたことは悲しいことです。私たちはそこで、裁きの声を出さずに、慰めたいのです。
政治的な霊は「ピラト」のように、手を洗って、自分はこの問題とは関係ない、と距離を置きます。宗教の霊は「姦淫の女」に石を投げるように、自分が宗教に熱心な事を裁く事によって、見せようとします。私達は「神の御国」のやり方で、進む時です。
とりなしの時に「私たち」「かれら」といって、しまうことは、「裁きの霊」に加担してしまうことが容易になります。
とりなしとは、「ギャップに立つ」こと、「相手の立場にたって祈る」ことであり、相手の立場に立つことは「聞くこと」なしにはできません。
理解や同意できなくても「しること」はできるでしょう。
ネヘミヤは自分の犯していない罪を「わたしの父の家も罪をおかしました」と自分の事として悔い改め、いのりました。
それこそが、「同一化して祈る事」です。
日本語動画:https://youtu.be/T_-txChZPRg
英語動画:http://www.bethel.tv/watch/4088/position-of-intercession-sunday-am/2016/07/10
英語音声:http://podcasts.ibethel.org/en/podcasts/position-of-intercession
Position of Intercession - Bill Johnson JAPANESE
Comments
Top Podcasts
The Best New Comedy Podcast Right Now – June 2024The Best News Podcast Right Now – June 2024The Best New Business Podcast Right Now – June 2024The Best New Sports Podcast Right Now – June 2024The Best New True Crime Podcast Right Now – June 2024The Best New Joe Rogan Experience Podcast Right Now – June 20The Best New Dan Bongino Show Podcast Right Now – June 20The Best New Mark Levin Podcast – June 2024
United States