Discover世界一周!チラ見の世界史≪第194時間目≫セーシェル共和国の歴史
≪第194時間目≫セーシェル共和国の歴史

≪第194時間目≫セーシェル共和国の歴史

Update: 2019-01-09
Share

Description

今日の授業はまきちやん先生によるセーシェル共和国の歴史です。

お楽しみください。


〈歴史年表〉

1756年 仏領

1814年 英領

1976年 独立(マンカム初代大統領)

1977年 クーデター,ルネ首相が大統領となる

1978年 一党制宣言(セーシェル人民進歩党:SPPF)

1984年 ルネ大統領再任

1989年 ルネ大統領再任

1991年 複数政党制移行

1993年 第1回大統領・国民議会選挙,ルネ大統領再選(SPPF政権継続)

1998年 第2回大統領・国民議会選挙,ルネ大統領再選

2001年 第3回大統領選挙,ルネ大統領再選

2002年 国民議会選挙(SPPF政権継続)

2004年 ルネ大統領退任,ミッシェル大統領就任

2006年 第4回大統領選挙,ミッシェル大統領勝利

2007年 国民議会選挙(SPPF政権継続)

2011年5月 第5回大統領選挙,ミッシェル大統領再任

2011年10月 国民議会選挙(人民党政権)

2015年12月 第6回大統領選挙,ミッシェル大統領再任

2016年10月 ミッシェル大統領退任,フォール大統領就任


〈放課後〉

・料理のはなし


次回は飛鳥先生のキューバの歴史です。お楽しみに



Comments 
loading
In Channel
≪第202時間目≫アルゼンチン共和国の歴史
今日の授業はアルゼンチン共和国です。イメージするのはタンゴ?サッカー?どんな歴史があるのか、一緒にチラ見しましょう。周辺国の復習にはこちらの授業をどうぞ!過去回は、YouTubeのせかちらチャンネルからお聞きいただけます。《第88時間目》ウルグアイ東方共和国の歴史《第143時間目》ブラジル連邦共和国の歴史《第178時間目》パラグアイ共和国の歴史《第181時間目》ペルー共和国の歴史〈授業内容〉・アルゼンチン基礎情報~銀の国アルゼンチン~・アルゼンチンのルーツ・スペインからの独立・地方豪族出身者による強権政治・ポピュリズム政治家の誕生・軍政と民政、不安定な政情・経済危機〈放課後〉・アルゼンチン出身の有名人といえば?・アルゼンチンの料理次回はまきちゃん先生の古代ローマ史です!番組タイトルどおりのチラ見なのか、はたまた趣味全開のガン見なのか?お楽しみに〜番組ではいつでもお便りをお待ちしています!過去回も含め、授業の感想やリクエスト、旅レポなどなど、ぜひこちらへお送りください→sekachira@gmail.comまた、セカチラはYouTubeでも聞けます。https://www.youtube.com/channel/UCA0JL51VjeCHZSQlZgHi4rQ/videos?view_as=subscriber
≪第192時間目≫モナコ公国の歴史
今日の授業はおおたに先生によるモナコ公国の歴史です。F1の話もしてますよー。お楽しみください。〈歴史年表〉1295年 イタリアの内戦、 ゲルフ党とギベリン党の抗争のなか、 グリマルディ家の敵ギベリン党は、モナコロッシェ(現在王宮のあるところ)を占領しました。1297年 1月8日、修道僧に変装して敵を油断させたフランソワ マリツァ グリマルディが 敵地の要塞に浸入しました。これが現公国の始まりとされています。1489年 大国フランスのシャルル8世と、地元サヴォア地方の公爵がモナコの独立を認めました。1612年 モナコ君主 オノレ2世が 大公(プリンス)の称号を得ました。1793年 フランス革命の余波で、人民軍によりモナコの王宮は占領され、 大公一家は囚われの身となり、独立は中断されます。1814年 会議は踊る、されど進まず の ウィーン会議で、 旧王朝の復権がなされ、モナコ公国もサルジニア王国の 保護領として復活しました。1860年 サルジニアがイタリアに統合されました。 マントンとロックブリュンをフランスに譲り渡すのを条件に、 モナコは独立を獲得しました。1861年 モナコに初めてのカジノができました。1866年 スペリュグ台地が モンテカルロと命名されました。1929年 第一回 モナコグランプリ 開催1941-44 年 ドイツのフランス占領中は、イタリアに近かったため独立は保たれています。 (日独 伊 同盟なので、モナコは日本に近かったと言えます。)1956年 レニエ大公 グレース ケリーと結婚2005年レニエ3世死去、現アルベール2世大公2006年日本と国交樹立〈放課後〉・F1のはなし、料理のはなし次回はまきちゃん先生のセーシェルの歴史です。お楽しみに
≪第190時間目≫ミャンマー連邦共和国の歴史
今日の授業はアッキー先生によるミャンマーの歴史です。お楽しみください。〈歴史年表授業内容〉6・7世紀ごろ モン族がミャンマー南部に定住。8世紀ごろ エーヤワディ川中流にピュー族の王朝が起こる。ビルマ族がチベット、雲南方面から南下。ミャンマー南部に定住する。9世紀 ピュー王朝が衰退し、ビルマ族の勢力が拡大していく。9世紀中ごろ、ビルマ族がバガン王朝を建設。1287年 蒙古の大軍の攻撃で、バガン王朝はほぼ壊滅。群雄割拠時代に突入。15世紀  シャン系民族に追われたミャンマー族はタウングーに逃れ、タウングー王朝を築く。16世紀 モン族を攻略したタウングー王朝は、チェンマイに攻めいり、1564年と1569年にアユタヤを攻略。74年にはビエンチャンを征服。しかし支配力は弱く、やがてまた小国が多数出現する。1755年 アラウンパヤーが指揮するミャンマー軍は、ミャンマーのほぼ全土を掌握。コンバウン王朝を立て、ダゴンを占拠してヤンゴンと改称。19世紀  コンバウン王朝とイギリスの紛争が始まる。3回戦争し負けてイギリス植民地時代の開始。1941年 日本軍の侵攻が開始される。アウンサン率いる独立義勇軍が日本軍とともに侵攻。1943年 日本の大東亜共栄圏の一員として独立。1944年 抗日運動開始、45年には再びイギリス領に。1947年 アウンサン暗殺。1948年 ビルマ連邦として独立、ウー・ヌが初代首相になるも、少数民族や共産党の反乱で内戦に。1962年 ネ・ウィン将軍のクーデターが成功し、社会主義政策が始まる。1988年 8888民主化デモがゼネストに発展し騒乱状態に。国家法秩序回復評議会(SLORC)が全権掌握。1990年 総選挙実施。アウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が圧勝、本人の自宅軟禁続く。2010年 アウンサンスーチー、度重なる自宅軟禁から開放される。2011年 テイン・セイン大統領率いる新政権が発足し、民政移管が実現。国名も「ミャンマー連邦共和国」に変更。〈放課後〉・久々にお便り紹介次回はおおたに先生のモナコの歴史です。お楽しみに
≪第186時間目≫シエラレオネ共和国の歴史
皆さん、こんにちは!アッキーです。 アフリカ大陸にあるシエラレオネは、ズバリダイヤモンド産出国で、これが歴史に大きく影響しているという背景があります。一体どんな歴史なのか一緒にチラ見しましょう。 複雑な歴史の主な年表は以下の通りです。複雑な歴史の主な年表は以下の通りです。1447年 ポルトガルの探検家アルヴァロ・フェルナンデスがこの地に停泊した1787年 英国で奴隷貿易廃止促進協会が設立され,黒人移住希望者のシエラレオネへの入植が開始1792年 首都フリータウンが建設される1808年 英国領植民地化1827年 フリータウンでフォーラーベイ大学が開設1896年 英国の保護領となる、内陸部も1924年 新憲法制定1958年 憲法改正1960年7月 ミルトン・マルガイ氏が初代首相に就任1961年4月 英国から独立、英連邦加盟国として1971年4月 共和国となり,スティーブンス氏が大統領に就任(1976年に再選)1985年10月 大統領選挙,軍事司令官ジョセフ・サイドゥ・モモ少佐が当選1991年3月 革命統一戦線(RUF)武装蜂起,内戦突入1992年4月 軍事クーデター、5月ストラッサー大尉を議長(元首)とする暫定政府発足、モモ政権を打倒1996年2月 大統領・議会選挙,カバ大統領選出 民主体選挙で1997年5月 軍事クーデター,カバ大統領ギニアへ脱出1998年3月 軍事革命評議会が駆逐されカバ大統領がフリータウンに帰還1999年7月 ロメ和平合意が成立2000年11月 シエラレオネ政府,RUF間で停戦合意成立2002年5月 大統領・議会選挙。現職のカバ候補が圧倒的多数の得票率で再選2007年8月 大統領・議会選挙、コロマ大統領就任、2012年再選2018年4月 ビオ大統領選出,就任
≪第183時間目≫チベットの歴史
今回はゲストのキム先生によるチベットの歴史です。<授業内容>・キム先生についてhttp://kimsyvl.wixsite.com/travel・チベットの概要・チベットの歴史・ダライ・ラマは転生する<授業後>チベットのごはんの話ダライ・ラマに会った話ドキュメンタリー映画『チベットチベット』チベットチベット予告編(You-Tube)https://www.youtube.com/watch?v=WyqyvYF22cQ2007年オレゴンTAC映画映像祭、観客賞(最高賞)、メッセージ賞受賞◯推薦コメント「私たちには第三の道がある。そう予感させる映画。」作家/田口ランディ怒りはとてもやっかいな感情です。理不尽な加害者に対して被害者は闘うことによって謝罪を求める。相手をねじふせ打ち負かそ うとする。でも、それはなぜかむなしい。在日韓国人三世として生まれたはそのむなしさを知っていたと 思う。勝ち負けを超えた「祈り」によって迫害を乗り越えようとするチベット民族が、この青年をどう変えたのか。ささやかだけ れど、私たちには「第三の道」がある。そう予感させる映画です。◯作品概要この作品に描かれているのは、一個人の目線による素顔のチベット。僕は在日コリアン三世としてこの世に生を受けました。�大人になってバックパッカーになった僕は世界旅行の途中、モンゴル遊牧民のテントの中でダライ・ラマ14世の写真を見つけました。その時は正直、「今の時代に民族性にどれほどの価値があるのか?」と思いました。在日コリアンという自分の民族性を置き去りにして生きてきた僕には、亡命までして民族性を守ろうとするチベット人のことが理解できませんでした。しかし一方では民族性を無視して生きるのも何かが足りない気がしていました。モンゴルを出て4ヶ月後、ついにインドにたどり着きました。導かれるように亡命チベット人の街、ダラムサラへやって来ました。そこで初めてチベット の人々の想いと現状を知りました。日本でぬくぬくと育ってきた僕は脳天を割られる様なショックを受けました。「今でも先時代的な拷問に耐えてる人がいる、チベットの民族性は消滅の危機にある。」そう感じた僕は、旅の記録用に持っていたビデオカメラでチベット人の現状を撮影し始めました。「少しでも多くの人にこの事実を伝えたい。」その思いはチベット亡命政府にも届き、ダライラマ14世に10日間同行取材させていただきました。�ダラムサラでチベット人の現状を知った僕は、今度は彼らが切望してやまない本当のチベット、中華人民共和国チベット自治区ラサへ行きました。�ラサの街には中国資本のビルが建ち並び、一見中国の地方都市と変わらないぐらい中国化していました。しかしカメラを片手に街を歩いていると、チベット人の素顔と出会うことができるのです。そんな時、ダライラマ 14 世や亡 命者の声を思い出すのでした。�この作品は、「民族性とは?国とは?」という大きな問題を、在日コリアンの僕がチベットを通して考え、やがて自分自身の問題とも向き合っていく過程を追ったドキュメンタリーロードムービーです。映画祭歴• 2002年台湾国際ドキュメンタリー映画祭正式招待、オープニング上映• 2004年東京平和映画祭、クロージング上映• 2005年山形国際ドキュメンタリー映画祭正式招待• 2007年オレゴンTAC映画映像祭、観客賞(最高賞)受賞�作品基本情報監督・撮影:キム・スンヨン(金昇龍)/製作:RAGOS / 2008 年再編集作品 /チベット/ Video /カラー/ 85 分/ 16:9 /言語:日本語・英語・チベット 語・中国語/プロデューサー:キム・スンヨン、田中瑠佳/編集:梶愛、比嘉 賢史/音楽:大久保智之/協力:チベット亡命政府、ルンタプロジェクト/配給: KOKIHI INC.すぐに映画をストリーミングで見る($4.00)https://vimeo.com/ondemand/21512DVDを購入する(amazon)https://www.amazon.co.jp/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88-DVD-%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%A8%E3%83%B3/dp/B003G7RRUK/ref=sr_1_3?ie=UTF8&qid=1412305799&sr=8-3&keywords=%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88書籍を購入する(amazon)https://www.amazon.co.jp/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88-%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%B3%E3%83%A8%E3%83%B3/dp/4309244823/ref=olp_product_details?_encoding=UTF8&me=
Download from Google Play
Download from App Store
00:00
00:00
1.0x

0.5x

0.8x

1.0x

1.25x

1.5x

2.0x

3.0x

≪第194時間目≫セーシェル共和国の歴史

≪第194時間目≫セーシェル共和国の歴史

旅々プロジェクト