Discoverまいぷれかまくラジオ【ひなたのこども】第16回『授業参観(算数編)』
【ひなたのこども】第16回『授業参観(算数編)』

【ひなたのこども】第16回『授業参観(算数編)』

Update: 2018-08-11
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授業参観・算数編

ぴよが3年生になり、早くも2回目の授業参観でした。

今回は算数の授業。ただいま割り算を勉強中です。



今の算数は「1つ分の数」×「いくつ分の数」=「全部の数」という考え方なんですね(私の時もそうだったのかな?忘れているだけかもしれませんが)。



数を文で説明するからややこしい。



「32個のプチトマトを8人で分けると、1人分は何個になりますか」

「全部の数32」÷「いくつ分の数8」=「1つ分の数4」

みたいな。



で、授業は割り算の問題を作る、という課題でした。



32÷8=4

の問題を作りましょう。



かわいい女子は

「32個のマカロンを8人で分けると1人分は何個ですか」



女子力の高さが伺えます。



ある男子が

「ドラえもんにする!先生ドラえもんって何て数えるの?」



早速脱線が始まる。



先生

「ドラえもんは1台、2台だね。」



夢を壊す。

1人2人って言っておこうよ。

そもそも複数いないけれども。



別の男子

「本が32本・・・」



先生

「本は本じゃないの冊なの。難しいよね。」



数え方の単位が次々と脱線を促す。

けど国語の勉強にもなっている。



女子

「えんぴつが32本ありました。8人で分けると1人何本ですか」

先生

「とてもいいねー!」



ほっ、本題に戻った。



さらに別の男子

「オレ大谷選手にする!」

先生

「大谷選手32人いる・・・?」



浮かんだものを言っちゃう男子最高。



その男子

「大谷選手は、台?!」



人間よりドラえもん寄り!



3年生面白すぎる。



ちなみにぴよは



「おもちゃ屋さんに32台の任天堂switchがありました。8人の子供に配ると1人何台でしょう」



「台」で合ってるけどな。

1人4台もいらないよな。
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【ひなたのこども】第12回 机のなかみ
「学校公開」学校の机の中身って、子どもの性格出ますよね。授業参観で見たぴよの机の中身とは、そして隣の男子の机の中身とは?!学校公開小学校の学校公開日でした。授業や休み時間など、地域の人が自由に校内に入って見て良い日。普通の授業参観との違いは、自分の子供のクラスだけでなくどの学年・クラスも自由に見られること、あらかじめ時間割をチェックして見たい授業を選んで見られること、入学予定の子の保護者が学校の雰囲気を知るために参加できること、などなどです。でも実際は、2日間のうちの1日は5時間目の後に保護者の懇談会があるので、5時間目の授業参観して懇談会、っていうコースの保護者がほとんどなのですが。運良くバッチリのタイミングでとんがお昼寝。ときさんに預け、私も5時間目からコースで参加しました。授業は特に問題なく終了(問題なくっていうかね、まあ、2年生の授業ですからね。子供たちの自由度は相当高く。先生って本当に大変。尊敬。)懇談会のため自分の子供の席に座る……と同時に、一斉に机の中のチェックと片付けを始めるママさんたち。ぴよの机のお道具箱は大量の折り紙作品が詰められ、なかなか引っぱり出せませんでした。まあ、うちでもそんな感じですが。隣の席の男の子のママさんは、持ち帰っていない保護者宛のプリント、テスト、なぜか空っぽの筆箱、靴下片方、泥の入った謎のタッパー…などなどを掘り出してしまい「もう無理」とそのまま閉じてました。男子の生態から目が離せません。今後のためにね…。
【ひなたのこども】第11回 修行?
『修行?』子どもの毎日はまさに修行!毎日が新しく知ることばかりです。ぴよが朝、出発直前に「今日算数ないからいらないや!」と言ってランドセルから抜き出していった算数のノートと教科書。バタバタと登校して一息ついたところで、何気なく算数のノートを覗いてみました。「二等辺三角形」「リットル」と「デシリットル」おぉ、結構本格的な勉強になってきている。1年生の時は「100までの数」とか「くりあがりのない足し算」とか、あまり勉強しなくても自然に身についていることの確認みたいな感じだったのだけど、2年生の2学期ともなれば、もう立派な「算数」ですね。もうすぐ掛け算の九九に入るらしい。私は根っからの文系で数字が苦手なので、ちょっと危機感を感じ始めました。質問されても分かりません。お風呂のお湯は何リットル?とか。それと同時に、1年生の時のことも思い出し不思議な感覚に陥りました。1年生って、すごく基本的なことをお勉強するんですよね。「時計の読み方」「数字」「ひらがな」道徳では「順番を守る」「仲良く助け合う」「”ありがとう”と”ごめんね”」なんていうのも。なんとなく身についていても間違っていたり、個人差があったりする内容をきちんと授業で身につけるお勉強。特に時計の読み方はしっかりわかっていない子が多かったらしい。未だにひらがなも間違えたりするし。そう思うと、低学年の子達は、読めない字も多く、時計も読めず、集団生活の基盤となる想像力も未熟なまま、小学校という集まりの中に投入されているわけです。修行だなあ。大人だったら不安で仕方ないでしょうね。これが「不安」である、「恐怖」である、と気付いてしまった繊細で思慮深い子が、学校嫌いになってしまうのかもしれないですね。ひなたのこども
【ひなたのこども】第10回 子供時代を追体験する。
「子どもの頃の感情の記憶」大人に「どうする?」と聞かれた時の私の感情を思い出しました。うまく生きられなかったあの頃の感情の記憶です。子供のころの感情の記憶最近自分が子供のころの感情を、色鮮やかに思い出すことが多くなりました。ぴよととんの子育て中であることはもちろん、演技のワークショップで小学生~中学生を間近で見る機会を得たこともあると思います。つい最近蘇ったのは、「大人に質問されたとき」の感情。これは、先日のワークショップで風邪気味で体調悪そうな女の子がいて、先生に「具合悪い?できそう?」と聞かれたんだけど何も答えず、先生もほかの子たちもちょっと困ってしまった、というシーンがありまして。その場は、日頃から気配りができて女子力の高い中学生のお姉さんが優しくサポートし、「見学してる」という答えを本人から導き出してくれて収まったのですが。(こういう資質のある女の子、今でも本当に憧れます。)私はといえば、大人なのに、ただ見守ることしかしなかったわけですが。あー、大人なのにね・・・。そんな自己嫌悪な感情もありつつ、ワークショップが終わって帰路につきました。いつものように演技レッスンで得た充実度満点、目から鱗の内容を脳内で反復していると・・・、なぜかあの体調悪かった女の子の立場に私は入り込んでいました。大人から、「どうする?」と聞かれたとき。子供のころの私は、何も答えられませんでした。なぜかというと、自分が大丈夫かどうか、考えても本当に分からないから。やればできそうな気はする、だけどいつもと違う体調であることは確かで、これが「大丈夫」に当てはまるのか、「やめたほうが良い」に当てはまるのか。このままやったらどうなるのか。やらなかったらどうなるのか。先生は、ほかの子たちは、母親はどう思うのか。・・・・そんなことをぐるぐる考えて。普通なら、適当な見切りをつけて答えるわけです。「大丈夫」とか、「見学してる」とか、「帰る」とか。大丈夫かどうかは、医者じゃないし、子供だし、分からないのは当然で。どうしたいか踏ん切りをつけて、「適当に答える」ことができるわけです。大抵は。でも、私は、自分で言葉を使って発信することは、本当に正しくなければいけない、責任の持てることでなければいけない、みたいに多分、思っていて。責任の持てないことは言えないのです。だから黙ってもじもじとしてしまう。特に大人や集団に対して。仲良しの友達との会話では、そんなことはありませんでした。そこが幸いだったな。そんなシーンを何回か体験しているのでしょうね。「私の答え待ち」の、圧力に押しつぶされそうな、シーンと静まり返った空気を、その中でグルグルグルグルと考え続ける私を、なんだか鮮やかに思い出してしまったのです。自分の中の問題なのだから、外から見て正しいかどうかなんてないはずなのですが、そこまでは分からなかった。きちんと正しいことを答えなきゃ。先生から、みんなから、親から、そうだね、正しいね、と思ってもらえる答えを言わなきゃ。自分を適当に発信することはいけないことだと思っていた。あ、今回のワークショップのあの女の子は、私とは違うと思いますけれどね。たまたま具合悪くて答えられなかっただけ、かもしれない。大人になって、やっと、良い意味での「適当」の大切さが分かるのです。今でもまだまだ、適当に対するコンプレックスは持っているのだけれど。一つ思い出した。小学校5年生ぐらいのころ。授業?HR?で、給食の白衣のたたみ方が議題になってて。「普段どうやってたたんでいるか、前に出てきてやってみて」と先生が言い、私を含んだ数名が当てられて、みんなの前に出たのです。もちろん、私は自分でいつもやっているたたみ方がありました。でも、それが正しいたたみ方かどうか分からない!と思ってしまって。ほかの子は適当にたたんでスムースにこなす中、私は白衣を持ったまま、どうしてもたたむことができなかった。いつもやっていることなのに、どうしても手が動かない。私だけ教壇に残され、みんなが「できないの~?!」とざわつき始めます。業を煮やした先生が「もういいよ。普段やっていないとできないんだぞ。いつも丸めて入れてんのかー?家のお手伝いとかしないんだろー。」とか、ちょっと冗談めかして言い、私は席に戻ります。みんなが笑う中、私はニヤニヤするしかない。いや丸めたことなんてないし。たたんでるし。家の手伝いするし。という思いの中。悲しかったけど、悲しさを出してしまったらまたそれがクラス単位で問題になってしまう。なんだどうした?となってしまう。それはごめんだから、ただニヤニヤして、ほとぼりが冷めるのを待つ私。当然先生からは「引っ込み思案」「自分では何もできない」「いつも人の影に隠れている」「お母さんは甘やかしすぎなのでは?」と評価され、通知表にも書かれるわけです。今考えると、どうしようもなくアホですね。結果的に自分が「できない子」レッテルを何重にも貼られていくことになるのに。それぐらい分かっているだろうに。このエピソードをはっきり覚えているということは、自分なりに精神的ショックが大きかったのかもしれない。自分に対する評価を気にするが故の行動なのに、かえって自分の評価を下げまくってしまう、ままならない自分。こんなことを思い出したから、どうってわけでもないのですが。アホだったなあ、と思うしかないのですが。大人になった今、子育てをする今、子供に触れる機会の多い今、私は子供の世界を追体験しているわけです。
【ひなたのこども】第9回 子育てと「ながらスマホ」。
子育てと「ながらスマホ」東大合格者の多くは、親に言われなくても進んで机に向かうと言います。学習意欲の高い子にしたいと思ってもなかなか叶わない、その元凶の一つは「スマホ」だった?!そんな記事を読んで思ったこと。子供の話、スマホを置いてちゃんと聞いてますか?子育てと「ながらスマホ」http://president.jp/articles/-/23163こんな記事を発見!別に我が子は東大に入らなくても良いけど、(いや、入っても良いけど!)心の安定が学力にまで通じているとは、気が付かなかった!というか、学力についてここまで考えることに気が付かなかった。だけど今よくよく考えてみれば、当然な気もしてきました。学力が高い子が出来上がるっていうのは、幼い頃から学習意欲が高かったということ。学習意欲はどうやって湧き上がるのかというと、心が安定し自分のやりたいことに素直に取り組める環境にあった場合、子供特有の好奇心・探求心がのびのびと広がって、自ら知ろう、やってみようと思う・・・っていうこと、ですよね。心の安定はどうやってでき上がるのかというと、家庭で親が「あなたを見ているよ」「大好きだよ」と態度で示し、子供が心から安心する場所を確保することで築くことができる。勉強にしろ、自律心にしろ、社会に適応していく力にしろ、転んだとき起き上がる力にしろ・・・、基本は同じ原理で成り立っているのだろうな。学校で「社会」(外の世界)を初めて学んでいる子供たち。社会は、自分の本能的な欲望だけを通すことは通用しません。他人の中で揉まれて「自分」が出来上がっていくけれど、その過程には自分を殺したり、理不尽さに耐えたりすることが必要になってくる。幼い心に容赦なく試練は降ってくるわけです。試練は辛いこともあるけれど、学校から帰って来て家庭で安心することができたら、つまり「自分は大丈夫なんだ」と思える場所が確保されていれば、子供は試練を糧に、社会で1人で立つ力を身につけてゆく、ということですね。で、「ながらスマホ」です。どこで見た情報かは忘れてしまいましたが、「何を話してもスマホに没頭してスルーする母親を前に、幼い子供が『ぼく、スマホに産まれたかった。』とつぶやいた」という話があります。その無垢な感情が今後どこへ向かっていくのか・・・想像すると何とも切ない気持ちになります。上は極端な例ですが、「そんなに私はスマホに依存してないし」と思っていても、子供との会話をついついスマホの画面を見ながらしてしまったこと、誰でも1度や2度はあるのではないでしょうか。スマホを扱っている本人は、その画面の中に仕事や交友関係や趣味や生活の断片の世界を見ているのでしょうが、それを外から見たら、ただの「手のひらサイズの金属の塊を持った人」です。スマホは世界とつながっているけれど、今一番近くにいる人とはつながっていない。そこを想像しながら扱わないと、スマホは人間を壊す。大げさかもしれないけど、そんな恐怖を感じます。さて、自分を振り返ってみる。ながらスマホでぴよと話すこと、ある!ある!私はスマホゲームもそんなにしないし、ラインも必要な連絡に使う程度だけど、それでも衝撃的なほど思い当ります。例えば夕飯のレシピを検索して、今関係ないレシピまであれこれ保存することに熱中したり、たまたま見たサイトのニュースの見出しが次々気になってネットサーフィンしてしまったり。そういうのって、罪悪感ないから子供の前でもやっている。ぴよたちの世代は産まれたときからスマホがあるから、スマホが生活の中に組み込まれていることには疑問も不満も感じないでしょう。ただ、そこに付け入ってしまう大人のズルさ!私もそうだ!ながらスマホに限らず、「子供の話を聞く」ということの大切さ、深く刺さりました。私は「ながらとん」も圧倒的に多いわけですが。とんもぴよとの話に巻き混んで楽しむのが理想かもね。理想と現実は噛み合わないこと多いけど。まずは!どんな場合でも、ぴよが私に話しかけてくれた時は、ぴよの目線からの私の姿を想像しながら会話をしてみよう。
【ひなたのこども】第8回 個人面談。
ぴよの学校の個人面談。学校でもぴよは我が道を行っているらしい。ぴよは先生の言葉で心に留まることがあると、覚えていたり、実行したりする。たとえ自分一人でも。個人面談を機に、改めてぴよを尊敬したお話。個人面談ぴよの学校で個人面談がありました。ぴよの担任の先生情報:30代男性・新婚!最初の話題は勉強関係。国語も算数も、テストでは8割程度採れているので特に問題はないでしょうとのこと。まあ、平均点自体80点ぐらいなんだけどね。私が見ている限り、どちらかといえば算数のほうが好き&得意そう。算数の間違いはケアレスミスが圧倒的だし(見直ししないから)。掛け算が始まっているけれど、掛け算の考え方を学んだら自然と割り算の考え方も浮かんでくるらしく、計算できてしまう、ということがあるし。国語は作文が苦手。夏休みの日記でもそうだったけど、書きたいことはあるけれど何からどう書いてよいか分からない、書いてみても「書きたいことはこうじゃない!」と思ってしまうと筆が進まないらしいです。なので私が・誰とどこへ行ったか・何をしたか・何が一番楽しかったか・発見したことなどなど、箇条書きして「この通り書いてごらん」と言うと、どうにか書き始める感じです。それを先生に言ったら、「家でも勉強を見てくださっているんですね。ありがとうございます。」とお礼を言われ、ちょっとびっくり。私は全然勉強見ていないほうで、作文は書けなくてベソかくからやっただけなのだけど。でも、先生の立場からしたら、そうなのかな。授業はよく手を挙げて発言しているらしい。というのも、今学期の目標が「授業に参加しよう」らしいのです。ただ座って聞いているだけなのは「出席」、自分から思ったことを発言したり、授業に積極的に加わっていくのが「参加」だよ、と先生が最初に言ったそうで。たぶんそれがぴよの心に響いているのでしょう。クラスの目標なんだからやらなきゃ、やりたい、と感じて積極的に参加しているのだと思います。ぴよは興味ないことは平気でスルーするけれど、心に留まったことは努力して実行しようとする、という場面がよくあります。例えば運動会のダンスで、先生が「体でリズムとったほうが良いよ」という一言が残ったらしく、みんな棒立ちになりがちな間奏部分もぴよだけノリノリだったし。ほかの子は関係ない、自分一人でもやりたい、やったほうが良いと思ったことはやる。我が子ながらこの姿勢は本当に尊敬しています。そして友人関係も、特に問題なさそう。休み時間は女子と遊んでいることが多いみたいです。折り紙やったり、鉄棒の練習したり。最後に、先日の予防接種を異常に怖がって医師にも心配された、という件を言ってみたんだけど、「うーん、注射は特別ですからね、痛いし、針とがってるし、病院の雰囲気も独特で緊張するし」「ぴよさんは良くも悪くも一度思い込むとそれを変えることがなく、怖いと思ったら自分でますます怖くしてしまっている、という面もありそうですからね」確かにその通り!先生は子供のことをよく見てくれているのだな、と、改めて思い、感謝と尊敬を感じました。その先生の分析を聞いて、そういえば歯医者さんが怖くてずっとダメだったのに、違う歯科に行ってみたら全く怖がらずむしろ楽しく通うようになったな、と思い出しました。来年は予防接種の医療機関変えてみよう。こうして個人面談は終了。私と対極の性格なぴよ。学校という社会で我が道を行くぴよに憧れの気持ちを感じた約15分でした。
【ひなたのこども】第7回 明らかに認める。
『諦める』の本当の意味とは?本当は、前向きなベクトルを持った言葉みたいですよ。男の子は『諦める』が大切?!明らかに認める「男の子育児は、『明らかに認める』→『諦める』ってことらしいよ」とひろさんが言いました。最初、「もう大変なのはしょうがないから諦めるしかない」って意味なのかと思って「えっと、さっきの何だっけ。明らかに諦めるだっけ?」とか聞いてしまったのだけど。後から気になって、考えたり調べたりしてみました。そもそも「諦める」は、仏教的な観点からすると「明らかにする」「明らめる」という意味を持つらしいです。一般的に使う「諦める」は、途中で断念する(未練は残る)、投げ出す、望んでも叶わずそれ以上望むのを止める、というようなマイナスのニュアンスを持つけれど、「明らかにし、それを認める」ことは非常に前向きに響きます。明らかにして、それをそういうものだと認めた物事について、「ああだったらよかったのに」と思う気持ちは残るにしろ、「ああしておけば状況がかわっていたかもしれないのに、失敗した~~私のバカ~~」という悔いの念は少ない気がしますね。やることなすこと、謎だらけの男子。もっとも今は2歳児ならではの謎が多いけど。プラレールの電車をありったけ小さな袋に入れて持ち歩いたり、ブロックや積み木をとにかく高く長く積み上げることに執着したり、気に入らないとどこでもひっくり返って30分ぐらい平気で泣き続けたり、服の毛玉をむしって食べたり、などなど。この「明らかに認める」が効いてくるのは、思春期男子かもしれませんね。家庭で親が「明らかに認めて」いれば、自分探しの旅にわざわざ行かなくても済むかもしれません。これまた体のでっかい男子に反抗されたり無視されたりしたら、心穏やかではいられないんだろうなっていうのが容易に想像できるんだけど・・・。
【ひなたのこども】第6回『イジメ⁉』
ぴよの告白!ぴよがクラスメイトを仲間はずれにして、先生に指導されたことを知る。つい、きつめに注意してしまったけど、ぴよは今回のことをきちんと受け止めたくて私に伝えてきてくれたのでは、と気づく。自分なりに葛藤していたんだね。こういう時に確固たる『味方』になるのが母だよね。これに懲りず、また私を信じて頼って欲しいと感じた、私の反省のお話。イジメ?!先日、私が洗濯物を干していると(最近夜洗濯して室内に干しちゃって、翌朝外に出すのです)ぴよが突然「今日昼休みがなかったから〜」「掃除もなかったんだよ〜」と言ってきました。最初はふーん、そんな日もあるの?何か特別カリキュラムだったのかな?ぐらいに思っていましたが、「先生が話長いから」「私と、◯◯君と、△△ちゃんと・・・・のグループだけ」ん?クラス全体の話じゃないっぽい。「どうして?」と聞いてみたら、「ひよたちの図工の(?)グループに、Y君が入りたいって言って、みんなダメって言ったんだよ」それは仲間はずれだね?ひどいとイジメだよね?ぴよとしては、「Y君はいつも追っかけてくるから、一緒のグループになるのは嫌だ」Y君はぴよのことを気に入ってくれているらしく、何かと一緒にやろうとするらしいのは前から聞いていたけど。一回、「しつこい!」と言って蹴っ飛ばしたとか(!)。実はそのY君の家からとんにお古の洋服やおもちゃを今までにたくさんもらっていて、Y君のお母さんが言うには『普段は自分のもの絶対あげないのに、ぴよちゃんと弟が喜ぶんだったらって、これもあげたい、あれもあげたい、って言うんだよ。プラレールが好きなら、きっとこのおもちゃも好きだから使ってもらいたい、とかね』と。優しいし、素直よね。とんはもちろん、ぴよもY君からもらったおもちゃを気に入ってよく遊んでいるし(車のおもちゃで、ボタンを押すとシャキーーン!と音がなって変形する、みたいなやつとか。今までうちにはなかったので)他の子はY君を仲間に入れたくない理由がそれぞれあるのかはわからない。なんとなく、いつも一緒に遊んでいないしっていう感じで言ったのかもしれない。私「それでみんな集まって先生に注意されたの?」ぴよ「先生長いんだよ。昼休みも、掃除もなくなっちゃった」それだけ大切なこととして、指導してくれたのですね。学校で、複数がひとりを意地悪するっていうのは、やっぱりすごく問題だと思って、私も「もしぴよがY君の立場だったらどうする?みんなに仲間はずれにされたら。悲しいよね?大事なことだよ。わかる?」ときつめに言ってしまう。「先生は怒ってないって言ってたよ」そうだね、先生は『怒っているわけじゃないんだよ』と言いながら指導してくれたのでしょう。「最後は謝ったんだよ」時間ギリギリまで使って、最後は一人一人がY君に謝ったらしいです。「このことパパにも自分で言いなよ?」と促しましたが、パパを前にするとぴよはなかなか言い出せず、結局私が伝えました。ぴよが複数で意地悪をしたっていうのがショックでついきつめに言ってしまったけど、後からじわじわと私の中で見えてきたものが。なぜぴよは私に話してくれたのか。「自分は悪くないもん!」「先生に注意されるなんて心外!」なんて思っていたら、親には決して言わないはずです。ぴよの心の中に引っかかるものがあって、「自分はもしかしたらとても悪いことをしてしまったのでは」というズーンとくる嫌な感じをどうしたらいいのか、不安で私に話してくれたのでは。でもいざ話そうとすると、自分が悪いということ、自分を守ろうとする自分、みたいなモヤモヤが邪魔をしてうまく言い出せなくて、「昼休みなかったんだー」みたいな出だしになってしまったのでしょう。それでも話してくれた、ぴよの気持ち。私を信じて頼ってくれた証。こんな時こそ、私は確固たる「味方」になるべきだったのでは、と思うのです。そうだね、先生の言う通りだよ。意地悪するつもりじゃなかったんだよね。でも相手が傷つくってこと、覚えておこうね。知らない間に人を傷つけることがある。ぴよも傷つくことがあるかもしれない。もしぴよが何かに傷ついたら教えてね。もし誰かを傷つけてしまったかもしれないと思ったら、またお話ししてね。後日、Y君のお母さんと話す機会があったので、ちょっとそのことにも触れました。そこで聞いた話では意地悪をしたグループの中に、ちょっとY君と前から合わない子(Z君)がいたらしく、先生にそのことが知れる前、お母さんに「こんなことがあったけど、先生に言うなら絶対にぴよちゃんたちの名前は出さないで!Z君だけってことにして!」と懇願したらしい。泣ける。まだまだぴよちゃんのこと大好きだし、これからもよろしく、と。泣ける。そんなこんなでこの件は一応解決しましたが私の反省は今後生かされるのか?!後日ぴよに「この前Y君とのこと、話してくれて嬉しかったよ」とは伝えたのですが、ぴよはちょっとニヤっとして、すぐに違う話を始めました。ここでドドッともたれかからない辺り、たくましいな、ぴよ。
【ひなたのこども】第5回そんなことで、ではない。
風邪を引いて学校の郵便局見学に行かれなかったぴよ。みんなからの話を聞いて「行きたかった」と号泣。そんな時、「そんなことで、泣かないの!」って言いたくなるけど、言ってはいけない、と思う。だって子どもにとっては「そんなこと」ではないのだから。ひなたのこどもそんなことで、ではない。週明け、ぴよが溶連菌感染でダウン。2日間学校をお休みしました。水曜日、久々に登校し帰ってきたぴよ・・・玄関を入るなり、ポロポロと泣き出しました。「郵便局見学、行きたかった」と。火曜日、2年生は市の郵便局に見学に行ったのです。ぴよも楽しみにしていたのだけど、休んでいる時は「行かれなくて残念だねー」ぐらいに言ってたからそれほど気にしていないのかと思っていた。「普段は行かれない、奥の方まで行ったってみんな言ってた」そう言ってポロポロの涙が号泣へ。普段は行かれないところを見学するっていうこと、知らなかったみたい。ただ見に行くだけだと思っていたのね。みんなの話を聞いて「見たかった!」「行きたかった!」という思いでいっぱいになってしまったらしい。こういう時ね、大人は、私は、「えーそんなことで泣かないでよー!」と思ってしまうのだけど。ぴよにとっては、チャンスを逃したことが悲しくて、友達が羨ましくて、もう一大事なわけですよ。つい言ってしまいそうになる言葉「そんなことで」「大したことないじゃない」この言葉がどれほど子供を傷つけるか、分かってる。子供にとっては、決して小さなことではないから、こんなに気持ちを揺さぶられて泣いているのに。(楽しい時・嬉しい時も然り)。子供にとって大きなことだったから、そのままの思いを伝えてくれているのです。認めてもらうために。それを「大したことない」と言ってしまったら、子供の思いそのものを”認めないよ”と言っているのと同じ。子供はただ、認めて欲しいのです。「そうだったんだね」「行きたかったんだね」「行かれなくて悲しいんだね」解決策なんて必要ないというか、そもそもないのだから、そう認めてくれるだけでいいのに。ぴよがもう少し大きくなったら、ぽつんと思いをつぶやく時があるかもしれない。日常の流れに隠しながら、でも気づいて欲しいというオーラ満載で、自分の思いを伝えようとしてくるかもしれない。それを口に出してくれた過程、思いを伝えようとしてくれた気持ちを、私が重大なことだと気付くことができますように。
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【ひなたのこども】第16回『授業参観(算数編)』

【ひなたのこども】第16回『授業参観(算数編)』

まいぷれかまくら・逗子・葉山