【ブログ】パパ活人間の果てにあるもの
Update: 2022-05-14
Description
果てにあるものについて語る前に、まず「パパ活人間」とはなんぞや? というところから述べる。これは僕が書くはずだったエッセイのタイトルである。構想期間を含めれば半年ほどかけて満を持して出版するつもりだったが、いろいろあって断念した幻の一冊である。詳しい内容は以前の配信で語ったので割愛する。
いちおう要点だけ押さえておこう。僕が人間関係を苦手とするのは必ずそこに母子関係が再現されるためである。恋愛でも本業の仕事でも、時間をかけてあるひとと関係が深まっていくと幼少のころの虐待現場の様相を呈してきて、僕は居たたまれなくなる。昨年の夏に5年ほど付き合っていた恋人と破局し、大学病院を辞めるに至った。秋にはパパ活をはじめた。お金を支払って複数の女性と同時期に肉体関係を持った。なぜそんなことをしたのだろう? とよくよく考えてみると、どうやらそれによって母子関係の再現を防いでいるのではないか、という仮説が生まれた。僕みたいに母子関係の悲劇の再現を予防するために不特定多数のひとと浅薄なつながりを持つひとのことを僕は「パパ活人間」と呼ぶことにした。譬えるならば御神輿を担ぐようなものだ。どんなに重たい御神体でも大勢の担ぎ手がいれば楽々と持ち上がる。僕にとって女性もご神体のように重い。だからひとりの女性を複数の男性で担げば負担が減っていいじゃないかと思っている。
パパ活人間という生き方あるいは御神輿を担ぐという対人関係に僕は活路を見いだした。これからのひとづきあいの未来をそれに託そうとひそかに思った。へんてこなタイトルかもしれないが、いわば「1:Nの関係」はSNSでコミュニケーションを図る現代人の心の在り方にも通ずるし、意外と含蓄のある内容だと自画自賛しておく。ここまでが本に書こうと思っていた内容だ。配信でも結構しゃべった。僕にとって目新しさはもうとっくの昔になくなっている。
ではパパ活人間という生き方を極めた先にいったい何が待ち構えているのだろうか? というのが本題だ。まだ答えはないが、意外と残酷な現実が待っているような気もする。というのも、まさに今しがた、ここ2ヶ月くらいパパ活で付き合っていた女性と別れを告げたのだが、あと味がとても悪くて胸焼けしそうだからである。
その女性とは良好な関係を築いていた。僕は男としての自信を、彼女はその見返りとしてお金と性的満足を得ていた。どちらかがどちらか一方を不当に騙したり搾取したり、ということはないという意味でフェアだったし「良好な関係」だったと思う。しかし、次第に女性のほうが僕に好意を抱きはじめた。お金や性的満足とは別のところで、まるで僕に愛情があるか試すかのようにあれこれ要求するようになった。ラインがすぐに返ってこないことに不満を言われたり、一緒にご飯が食べたいのになんで言ってくれないの? と駄々をこねられたりして、僕としては当初はなかったやりづらさのようなものを感じていた。僕は近づかれると離れたくなる性分なので、悪気はなかったのだけど、素っ気なさが彼女の気に障ったらしい。もうつらくなるだけだから連絡してこないで、というメッセージを残して女性は僕の前から消えた。
実はこういうことはこれがはじめてではない。正直に言えば10数回は経験している。そのたびに胸焼けがする。女性の好意に僕は応えられない。あんまりくっつきすぎると母子関係みたいに地獄絵図と化すから。だいたいこの辺りが別れの発端となる。お金の関係とはいえ、男と女が何度もからだを重ね合わせるわけなので、必然的にふたりの関係はしめっぽくなる。契約なんかではなかなか割り切れない関係になるのだ。こうなると別れ際に必ず何かが起こる。女性はここぞとばかりに僕に2つ、3つと釘を差してくるので僕としてはつらい。これじゃまるで僕が最低な浮気男みたいじゃないか!? なんでこんなことまで言われないといけないんだ! という怒りがふつふつと湧いてくる。
パパ活においても回数を重ねると怒りや罪悪感に巻き込まれていく。とくに別れ際がまさしく母子関係の再演だと思える瞬間があって、本当に心から絶望したくなる。生きていることが本当に嫌になってくる。
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Send in a voice message: https://anchor.fm/ookidomon/message
いちおう要点だけ押さえておこう。僕が人間関係を苦手とするのは必ずそこに母子関係が再現されるためである。恋愛でも本業の仕事でも、時間をかけてあるひとと関係が深まっていくと幼少のころの虐待現場の様相を呈してきて、僕は居たたまれなくなる。昨年の夏に5年ほど付き合っていた恋人と破局し、大学病院を辞めるに至った。秋にはパパ活をはじめた。お金を支払って複数の女性と同時期に肉体関係を持った。なぜそんなことをしたのだろう? とよくよく考えてみると、どうやらそれによって母子関係の再現を防いでいるのではないか、という仮説が生まれた。僕みたいに母子関係の悲劇の再現を予防するために不特定多数のひとと浅薄なつながりを持つひとのことを僕は「パパ活人間」と呼ぶことにした。譬えるならば御神輿を担ぐようなものだ。どんなに重たい御神体でも大勢の担ぎ手がいれば楽々と持ち上がる。僕にとって女性もご神体のように重い。だからひとりの女性を複数の男性で担げば負担が減っていいじゃないかと思っている。
パパ活人間という生き方あるいは御神輿を担ぐという対人関係に僕は活路を見いだした。これからのひとづきあいの未来をそれに託そうとひそかに思った。へんてこなタイトルかもしれないが、いわば「1:Nの関係」はSNSでコミュニケーションを図る現代人の心の在り方にも通ずるし、意外と含蓄のある内容だと自画自賛しておく。ここまでが本に書こうと思っていた内容だ。配信でも結構しゃべった。僕にとって目新しさはもうとっくの昔になくなっている。
ではパパ活人間という生き方を極めた先にいったい何が待ち構えているのだろうか? というのが本題だ。まだ答えはないが、意外と残酷な現実が待っているような気もする。というのも、まさに今しがた、ここ2ヶ月くらいパパ活で付き合っていた女性と別れを告げたのだが、あと味がとても悪くて胸焼けしそうだからである。
その女性とは良好な関係を築いていた。僕は男としての自信を、彼女はその見返りとしてお金と性的満足を得ていた。どちらかがどちらか一方を不当に騙したり搾取したり、ということはないという意味でフェアだったし「良好な関係」だったと思う。しかし、次第に女性のほうが僕に好意を抱きはじめた。お金や性的満足とは別のところで、まるで僕に愛情があるか試すかのようにあれこれ要求するようになった。ラインがすぐに返ってこないことに不満を言われたり、一緒にご飯が食べたいのになんで言ってくれないの? と駄々をこねられたりして、僕としては当初はなかったやりづらさのようなものを感じていた。僕は近づかれると離れたくなる性分なので、悪気はなかったのだけど、素っ気なさが彼女の気に障ったらしい。もうつらくなるだけだから連絡してこないで、というメッセージを残して女性は僕の前から消えた。
実はこういうことはこれがはじめてではない。正直に言えば10数回は経験している。そのたびに胸焼けがする。女性の好意に僕は応えられない。あんまりくっつきすぎると母子関係みたいに地獄絵図と化すから。だいたいこの辺りが別れの発端となる。お金の関係とはいえ、男と女が何度もからだを重ね合わせるわけなので、必然的にふたりの関係はしめっぽくなる。契約なんかではなかなか割り切れない関係になるのだ。こうなると別れ際に必ず何かが起こる。女性はここぞとばかりに僕に2つ、3つと釘を差してくるので僕としてはつらい。これじゃまるで僕が最低な浮気男みたいじゃないか!? なんでこんなことまで言われないといけないんだ! という怒りがふつふつと湧いてくる。
パパ活においても回数を重ねると怒りや罪悪感に巻き込まれていく。とくに別れ際がまさしく母子関係の再演だと思える瞬間があって、本当に心から絶望したくなる。生きていることが本当に嫌になってくる。
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