なにもできなくても

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Update: 2025-09-14
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2025年9月14日
「念入りに捜さないだろうか」 ルカ福音書15・8

敬老の日、ご長寿おめでとうございます。最高齢は99歳! 信仰による内から出る若さを教えられます。しかし当然、私の父もそうなのですが、年齢と共に弱って来る現実を無視はできません。体力、気力、認知力、理性、運転、社会的役割。何年か前と比べると「できたこと」や「自信」が少なくなってくるのではないでしょうか。私はもっと弱いので、小さなことで自信を失い、自分の価値を疑いがちなのですが、今日のこの譬えを聞くととても嬉しくなります。ある女性が10枚の銀貨のうち1枚を失くします。それは高価なもので、また結納の品でもありとても大切です。だから必死になって捜します。窓のない暗い家の中をランプを灯して捜します。家具の裏、物の陰を捜します。床を掃いて徹底的に掃除をしながら捜します。決して諦めません。そしてとうとう見つけます。「あった!」そして見つけた喜びは自分だけにはとどまらず、友人や近所の人を呼んで宴会をするのです。「一緒に喜んでください!」と。私たちは神に捜し求められている存在でもあります。闇に落ちたままの銀貨は自分から出ていくことができないように、闇の中で迷ったしまった私たちは自分の力で神へ帰ることができません。しかし神さまは必死になって、決して諦めず、捜してくださっているのです。それが十字架の出来事です。イエスさまは十字架の苦しみを通して、苦しむ人を捜されます。神の愛を疑う苦しみを通して、愛を疑う闇の中にうずくまる人を捜されます。そして十字架の苦しみの中で私たちを見つけ、喜び、抱きしめ、復活の命へと導き出し、そして教会を始められたのです。「さぁ、喜ぼう!!」自分には価値がない、良い人柄も、良い働きもないと思っていても、神さまにとってあなたは「生きているだけ」で神が十字架で苦しみ死んでも捜し出すに値する「高価で尊い」存在だと。そして神に捜し出された時、人は愛を受け容れ、捜し出された喜びを知るのです。「生きていることに価値がある」これを今ここに生きているイエスさまを中心に皆で、天使も加わって、祝うのが教会です。聖餐式です。「神さまはずっと捜してくれていたんだ! 見つかって嬉しい!」

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Taichi Araki