Discoverあなたのいない夕暮れに 〜新訳:エミリー・ディキンソンエミリー・ディキンソン「心には いくつもの扉があって」
エミリー・ディキンソン「心には いくつもの扉があって」

エミリー・ディキンソン「心には いくつもの扉があって」

Update: 2021-10-07
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あなたへ


こんばんは。

町が秋色に染まりゆく日々に、人恋しいような、ひとりでいたいような、振り子のように心揺れるのは、秋の空のせいでしょうか。おかわりありませんか。

夕方には、暗闇がますます濃くなり、西の空の一番星がいっそう輝きを増すようです。


秋の夕暮れに、どの星よりも早く、強く輝く金星を見つけると、友達の黒猫を思い出します。


10年ほど前のこの時期に、猫が苦手な友人が、猫と暮らし始めました。

もともと犬派を公言し、いつか行き場を失った犬を迎えたいと話していた彼女。猫のことを、嫌いというより不気味だと怖がって、黒猫が前を横切るだけで、縁起が悪いと騒いでいたこともありました。そんな彼女が、おとなの黒猫を迎えた時には、ちょっと信じられない気持ちでした。


猫を迎えてひと月ほど経った頃、彼女の家に遊びに行く機会がありました。新しい家族、黒猫のイクリプスに会えるのを楽しみにしていたのですが、会うことはできませんでした。 彼女の家に来た日からずっと、ベットの下から出て来なかったのです。


聞けば、多頭飼育がうまくいかなかった家の隅で、ひどく痩せ細り、うずくまっているところを保護されたそうです。警戒心が強く、保護されている間はゲージ奥のドーム型ベッドに篭り、誰にも姿を見せることはありませんでした。   ある日、彼女が施設を訪れ、ゲージの前を通りかかった時のことでした。何気なく奥を覗き込んでみると、かすかに「にゃあ」という鳴き声が。それが、彼女には「やあ」という言葉に聞こえたのだと言います。   それから、しばらく会いに通ったのち、スタッフの方に「ずっとゲージから出てこないかもしれない」と言われても、受け入れを申し出たそうです。


彼女の家に来て、ゲージを出たのはよかったものの、すぐベット下に姿を消したイクリプス。私が訪れた時、半分開いた扉の隙間から部屋を覗くと、ベットの下からじっとこちらを伺っているのが分かりました。

その姿は暗闇に溶け、金色の目だけが、夜空に浮かぶ2つの星のように鋭い光を放っていました。


扉が大きく開いて明かりが差し込むと、目の奥にある丸い瞳が、キュっと縦に細くなり、身構えるのが分かりました。でも、扉を完全に閉めてしまおうとすると、「にゃー」とひと鳴き。それはまるで「いやー」と言っているようで、「そこは開けておいて。ひとりにしないで」という言葉が、闇の奥から聞こえてくるようでした。

黒い瞳は、心の扉のように、開きかけては閉じ……を繰り返していました。


それでも彼女はイクリプスが来てから、夜よく眠れるようになったと言っていました。

いてくれるだけでいい、いつかここが安全な場所だと分かってもらえればいい、とも。

今日は、誰かに心を閉ざしたことも、閉ざされたこともある私たちに、

「こんな心持ちでいたらいい」という、ヒントになりそうな詩をおくります。


The Heart has many Doors ―

I can but knock ―

For any sweet "Come in"

Impelled to hark ―

Not saddened by repulse,

Repast to me

That somewhere, there exists,

Supremacy ―

心には いくつもの扉があって

私は そっと扉をたたくだけ

「どうぞ」と やさしい答えを待ちながら

じっと 耳を澄まして

扉を開けてくれなくても 大丈夫

心満たされるから

そこに いてくれるだけで

大切なあなたが

あれから、彼女とイクリプスに、いくつもの季節が訪れました。


徐々にベットの下から顔を出すようになり、扉の向こうから、じーっと彼女を観察し続けたイクリプス。数ヶ月経ったある日、台所に立つ彼女の足に、黒く滑らかな身体を寄せて来たそうです。

やがて、彼女の膝の上でお腹を出して眠るまでになりました。こっそり教えてもらったのですが、イクリプスのお腹は、輝くように真っ白なのだそうです。

黒い闇の扉は、密かにあたたかな白い光を抱いていたのでした。


相変わらず、私には姿を見せません。でも、お泊まりに行くと、闇夜にその気配を感じます。電気を消してしばらくすると動き出し、そのうち、おもちゃで遊びはじめ、家中を走り回ります。

そして、闇の中シュッシュッと横切る金色の目は、まるで2つの流れ星のようなのです。


彼女にそう言ってみると、「何か願っていいよ、2つ」とちょっと得意げな返事が返って来ました。不吉だなんて言っていたのは誰だっけ。流れ星2つ分の願いごとを考えながら、いつの間にか眠りにつきました。

翌朝、目を覚ますと、イクリプスのお気に入りのおもちゃが2つ、私の枕元に並べられていました。


開くか分からない扉を、そっとノックし続けた彼女。

でも、最初に「やあ」と彼女の扉をノックし開いたのは、イクリプスの方でした。


誰の心にもある「開かずの扉」。

「ほっといて」。

「ひとりでしないで」。

扉の向こうのかすかな声に、耳を澄ましながら。


また、手紙を書きます。


あなたのいない夕暮れに。

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