今週のエッセイ/ひと花咲かせませんか?
Description
これは、2017年11月の作品です。
今から、7年前の作品です。
7年間で、何かひと花咲かせたかな?ないですね。
この時のピアノの発表会は散々でした。
舞台から途中降板でした。
今もピアノは毎日弾いていますが、教室には通っていません。
あまりストレスはかけないようにしています。
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ひと花咲かせてみませんか?
それは、恋愛でもいいし、仕事でもいいし、趣味でもいい。「人間五十年」と言っていた時代から考えると、いまや百年の時代である。信長は言うかもしれない「長さじゃない、重さじゃ。この大地でどれだけ踏ん張れるかじゃ」私は信長ではないので、軽~く生きていきたい。でも、もうひと花咲かせたい気持ちはある。それは、世の中に貢献するというよりも、自分の中で人知れず咲く花でいい。誰にも理解されなくてもいい。他人から「つまらん人生やね」と言われても構わない。もはや眼中に他人はいない。自分の好きな事だけをして過ごしたい。明るい引き籠りでいたい。
では、何という花を咲かせようか。匂いで気づかせる金木犀、鮮やかな主張のハイビスカス、山の麓の小さな村に咲くレンゲ草。私は、いつでも、どこでも、何時間でも、見ていて飽きない花がいい。仮にその花の名を「阿喜那畏花」とでも呼ぼうか。ちなみに、「阿」には、「まがっていりくんだ所」という意味があり、人知れず咲くにはいい場所だ。そして、その花を見ると「喜」びが湧きあがるのもいい。「那」には特別な意味はないが、その花の前では『どれどれ』と言いながら座って見つめていたくなる。「畏」は大事なことだ。その花に対する畏れ、自然と頭が垂れるのがいい。
さて、ひと花のイメージは出来上がったが、今の生活の中で何が当てはまるのか、それとも、また、新しい何かが私の心に取りつくのか。恋愛でいうと、このイメージにぴったりの女の人が現れるのか。「昔の事を忘れてしまうには、素敵な恋をすることさ」と日吉ミミが歌っていたが、私には関りはないようだ。仕事で何かと出会うのか。今はネット社会なので、資金が無くてもクラウド、人材がなくてもIOT、店舗がなくてもインターネット。企画力さえあれば何とかなりそうだが、私の心はアナログのままである。残るは趣味。少なくはないが、どれもこれも三流どまりである。花を咲かせるまでには至っていない。でも、このイメージに近いものがあるとすれば、ピアノである。十一月の発表会で、陽水の「少年時代」を上手く弾けたなら、ひと花咲くような気がする。
さぁ、これから先の残された時間の中で、いくつの花が咲き乱れるのだろうか楽しみである。「花の色は うつりにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに」と小野小町が詠っているようなことにはならないように、美貌の衰えを堰き止め、時間の流れをくい止め、懐古趣味から脱却し、寸暇を惜しんでひと花作りに邁進することとしよう。
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毎日のルーティンは順番があります。
朝、5時台に起きて8時までには、大体、一日の作業を終わらせます。
それから、朝ごはん、ギター、ピアノの練習。
午前中には、大体の仕事を終わらせ、
昼からは、エッセイ集の編集をしています。
一日が早い、残り時間が少ない。
それも亦愉しからずや。




