日本の偉人「野口英世」②
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毎月日本の偉人をお届けしています。先月に引き続き「野口英世」です。
野口英世は、小学校卒業を間近に控えた頃、生涯の恩師となる小林栄先生と出会います。
試験官として来校し、英世の才能を見出した小林先生は英世とお母さんを自宅に招き、高等科進学を勧めただけでなく、4年間の面倒をみてその後も英世と家族の世話を続けたのです。
そして高等科4年生の時、先生や級友たちの援助によって、会津若松にある會陽医院のもとで左手の手術を受けることが出来たのです。
医学の素晴らしさに感動した英世は、医師になるべく高等小学校を卒業後、医学書生として會陽医院に勤めながら医学の勉強を始め、時間さえあれば辞書を片手に専門書を読みあさる3年間を過ごしました。
3年後の19歳の時、東京で医術開業試験を受験するために上京します。上京する前日福島の実家に帰りますが、その時小刀で床柱に刻みました。「志を得ざれば、再びこの地を踏まず」。
上京したその年、医術開業前期試験に合格し、翌年後期試験にも合格します。普通は数年かかる医術開業試験を1年で突破し、若干20歳で医師の資格を得たのです。
すごいですよね!
24歳の時、アメリカでの医学研究を決意します。
単身アメリカに渡り、東部フィラデルフィアのペンシルバニア大学に、フレキシナ―教授を訪ね、自分を助手として雇ってくれるように頼みこみました。
職を得た英世は猛烈に働き、短期間で蛇毒・蛇の毒の研究に成果を出し、注目される存在になっていきました。
そして27歳の時、ニューヨークのロックフェラー医学研究所の一等助手になり、注目される論文を次々と発表しました。
10年後の37歳の時、あの梅毒の病原体を確認する研究において画期的な成果を挙げ、研究所の正式メンバーとなりました。
度々ノーベル賞の候補に挙がり、何度か最終候補に残ったと言われています。そして51歳の時、西アフリカ・現在のガーナで黄熱病の研究中に、自らその病気にかかりその生涯を終えました。
勉強に対する姿勢を子どもたちにも学んで欲しいですね。
野口英世を紹介しました。
【昴インフォメーション】
6月は学校の定期テスト対策もガッチリやります。学校テストで自己ベストを実現しましょう。
また、6月28日(土)は鹿児島県三高模試」、宮崎県の「理数文情模試」です。
入試本番さながらたくさんのライバルが競い合います。小学生の皆さんは6月29日(日)は学力判定テストです。
どちらも無料で受験でき、優秀者にはビッグな特典もあります。
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