Discover聴くおいしい記憶#2 「魔法の一滴」 山本一力
#2 「魔法の一滴」 山本一力

#2 「魔法の一滴」 山本一力

Update: 2023-03-27
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キッコーマンは、食にまつわる楽しさやうれしさをつづっていただく「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセー、作文コンテストを応援しています。


今回は、第2回「あなたの『おいしい記憶』をおしえてください。」エッセーコンテスト」のために直木賞作家の山本一力さんが書き下ろしたエッセー「魔法の一滴」をお届けします。


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「魔法の一滴」 山本一力


初めての米国西海岸単独の添乗は、1972(昭和47年)9月だった。
訪れるのはサンフランシスコ、バンクーバー、ラスベガス、ロサンゼルス、ホノルル。
空港のあらまし。訪問地の観光名所。ホテル周辺の食事場所。
さらにはチップの渡し方と額まで、丸一日かけて特訓を受けた。
出発便は午後四時半の羽田発。当時はまだ成田は開港していなかった。
旅立ちの朝、午前九時に出社したら先輩に手招きされた。
「話は通しておいたから」
上野の弁当業者・ハツネさんに行けという。
いつも団体旅行の弁当調理をお願いしていたが、今回は国内ではなく米国西海岸行きだ。
「行けば分かる」
納得できる理由を先輩から聞かされぬまま、上野に出向いた。
「これを渡すようにと頼まれていますから」
差し出されたのは弁当に添える、魚の形をした容器に詰まった醤油だった。
一個は小さいが、なんと五十個。割り箸が二十膳。
紙袋がぶわっと膨らんでいた。
「受け取ってきましたけど、どうするんですか、こんなモノを」
ふくれっ面で問いかけるわたしを見て、先輩は目元をゆるめた。
「二日目の朝には、これらが役に立つ」
謎めいた言葉を背中に受けて、わたしは羽田から飛び立った。
旅はサンフランシスコ二泊から始まった。
時差の関係で、出発同日の午前中に到着した。
一泊を過ごした翌朝、ホテルで朝飯を摂った。
目玉焼きにカリカリ焼きのベーコンとポテトが添えられていた。
口に広がったベーコンの塩味を、薄いコーヒーで洗い流して喉を滑らせた。
目玉焼きの黄身は大きく、ぷっくりと盛り上がっている。
しかし慣れないフォークでは食べにくいこと、おびただしい。
それでも米国初の朝食を全員で楽しんだ。
翌朝もまた同じ献立である。
「うまそうな目玉焼きだけど、塩で食うのは味気ない」
「こんなとき、醤油があればなあ」
お客様の不満のつぶやきを聞くなり、わたしは部屋へ走った。
そしてあの醤油と割り箸を手にして駆け戻った。
お客様の顔がいきなり明るくなった。
「あんた、若いのに気が利くなあ」
醤油と割り箸で、朝食の雰囲気が劇的に変わった。
若造のわたしは当時二十四だった。
その後は朝食に限らず、食事のたびに魚容器から醤油をひと垂らしした。
そしてナイフ・フォークの代わりに割り箸を使った。
まだ醤油も割り箸も、西海岸では市民権を得られてない時代である。
レストラン・スタッフは不思議そうに客の振舞いを見ていた。
六十三のいまも、目玉焼きには醤油を垂らす。
ひと垂らしが魔法のごとく美味さを引き出してくれた、あの旅の朝が忘れられなくて。


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「おいしい記憶」が、明日への力になりますように。


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■コンテストの受賞作はこちらからご覧いただけます
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