5分 de ヒストリー ~歴史・世界史・日本史・学び直し/クロノ

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。2024年からUdemy講師。 公式サイト:れきぞう(歴蔵) https://www.sowhatzone.com/ note https://note.com/simpleple/ X https://x.com/chrono_history Udemy https://www.udemy.com/user/song-yuan-xiu-zhi-2/

#163【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展15:フランスの王権

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第147回目は「フランスの王権」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本フランスのカペー朝は当初、王権が弱かった。しかしフィリップ2世がイングランドのジョン王と争い領土を拡大し、ルイ9世が南フランス一帯を王領に編入すると風向きが変わる。フィリップ4世が1302年に三部会を招集すると国内の結束はかたまり、教皇を屈服させるほど王権を伸長させた。

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#162【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展14:イングランドの王権その2

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第146回目は「イングランドその2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本ジョン王の子、ヘンリ3世は大憲章(マグナカルタ)を無視したため、シモン=ド=モンフォールが貴族を率いて反乱を起こす。その結果、聖職者・貴族・騎士・市民の4つの身分からなる諮問議会を王に認めさせ、これがイギリス議会の起源とされている。続くエドワード1世が1295年に招集した議会は、のちに模範議会と呼ばれ、さらに14世紀半ば、エドワード3世の代には貴族院(上院)と庶民院(下院)の二院制をとるようになった。

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#161 【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展13:イングランドの王権

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第145回目は「イングランド」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本1066年にフランス王の家臣、ノルマンディー公がイングランドを征服してウィリアム1世として王に即位、ノルマン朝を建てた。その後、王位継承をめぐる対立をおさめたアンジュー伯が、1154年にヘンリ2世として即位しプランタジネット朝を建てる。歴代の王は大陸に広大な所領を有していたが、3代目のジョン王のときに大半を失う。フランス王のフィリップ2世との争いに敗れたからだ。彼は教皇インノケンティウス3世に破門されるなど失政を重ねる。戦費負担を押し付けられそうになった貴族は、聖職者・貴族の承認無しの課税禁止などを含む大憲章(マグナ=カルタ)を王に認めさせた。

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#160 【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展12:教皇権の衰退その2

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第144回目は「教皇権の衰退その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本教会大分裂とともに教会の堕落や腐敗を批判する運動が広がる。イギリスでは神学者のウィクリフが信仰のよりどころを聖書のみに求め教皇制度を否定した。それに共鳴したプラハ大学学長のフスは教皇から破門されながらも教会改革を推進する。神聖ローマ皇帝の提唱でコンスタンツ公会議が開かれた。複数の教皇が並立する教会大分裂を収拾し、統一することには成功したが、同時にフスを処刑したことで、後の宗教改革へとつながる火種を残す。その後、ボヘミアではフス派の反乱(フス戦争)が続くなど、教皇権の勢いは戻らなかった。

11-23
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#159【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展11:教皇権の衰退

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第143回目は「教皇権の衰退」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本十字軍の失敗、封建社会の衰退と王権の伸長で教皇の権威が揺らぎ始める。14世紀初頭、教皇ボニファティウス8世は聖職者への課税問題でイギリスとフランスの国王と争い、身柄を捕らえられた。間もなく釈放されるが屈辱のうちに死ぬ。これをアナーニ事件とよぶ。その後、フランス王のフィリップ4世は教皇庁を南フランスの都市アヴィニョンに移し、教皇は監視下におかれ、教皇のバビロン捕囚と呼ばれた。約70年後に教皇がローマに戻ると、今度はアヴィニョンにフランスに支持されている教皇が立ち、両者が正統性を主張した。これを教会大分裂(大シスマ)とよび、教皇の権威は失墜し、教会の堕落・腐敗が進んだ。

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#158【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展10:封建社会の衰退

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第142回目は「封建社会の衰退」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本14世紀に入ると西ヨーロッパでは封建社会の衰退が始まる。要因は3つある。ひとつ目は荘園に基づく経済体制の崩壊。貨幣経済の浸透、黒死病(ペスト)の流行、フランスのジャクリーの乱やイギリスのワット=タイラーの乱に代表される農民一揆が背景にあった。二つ目は諸侯・騎士の没落。経済体制の崩壊や十字軍の戦費負担、火砲の登場による戦術の変化が背景にあった。三つ目は王権の伸長、中央集権化の進展。諸侯・騎士の没落による王領の拡大。そして大商人と提携することで経済的支援を得られたことが背景にあった。

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#157【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展9:中世都市

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第141回目は「中世都市」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本領主からの支配を受けていた中世都市は、11~12世紀以降、自治を獲得するようになる。イタリアでは自治都市(コムーネ)、ドイツでは皇帝から特許状を得た帝国都市が誕生した。これらの有力都市は共通の利害のために都市同盟を結成する。北イタリア都市を中心とするロンバルディア同盟や、北ドイツ都市を中心とするハンザ同盟などがある。都市の自治運営の基礎になったのがギルドとよばれる同業者組合で、初期段階では大商人を中心とした商人ギルドが市政を独占した。これに不満をもった手工業者が同職ギルド(ツンフト)をつくり対抗し、政治に参加していった。

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#156【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展8:商業の復活

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第140回目は「商業の復活」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本農業生産力の上昇で生み出された余剰生産物を交換する場として定期市が開催された。また、ノルマン人やムスリム商人の商業活動により貨幣経済が復活する。十字軍の影響で交通が発達するとヨーロッパ全体を1つの商業圏とする遠隔地商業が成立する。商工業の拠点として都市が成長する。地中海交易圏ではヴェネツィア・ジェノヴァ・ピサなど海港都市が東方貿易を独占し、内陸都市のミラノやフィレンツェは毛織物業や金融業で栄えた。北海・バルト海交易圏ではリューベック・ハンブルク・ブレーメンなどの北ドイツ都市が海産物や木材、穀物などを取引した。南北の商業圏を結ぶ通商路ではシャンパーニュ地方で大規模な市が開かれたり、アウグスブルクなどの南ドイツの諸都市が交易の拠点として発展する。

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#155【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展7:十字軍その7

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第139回目は「十字軍その7」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本十字軍の時代、聖地防衛や巡礼保護を行う宗教騎士団が結成された。時が流れるにつれて規模が拡大し単なる軍事集団ではなく、中世ヨーロッパの宗教、軍事、経済、国際関係の全てに深く関わる、極めて重要な存在となる。中でも「ヨハネ騎士団」「テンプル騎士団」「ドイツ騎士団」は最も有名で、三大宗教騎士団と呼ばれている。ドイツ騎士団は聖地陥落後は活動の場を現在のバルト海沿岸に移し、北方十字軍として異教徒の征服とキリスト教化を推進。後のドイツ国家形成の基盤の一つとなる。テンプル騎士団は大規模な金融業を通じて巨大な財力を持つが、1312年にフランス王フィリップ4世の圧力により解体された。ヨハネ騎士団は聖地陥落後はロードス島、そしてマルタ島に拠点を移した。マルタ騎士団と呼ばれ、現在も活動を継続している。

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#154【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展6:十字軍その6

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第138回目は「十字軍その6」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文1291年にアッコンが陥落し十字軍は失敗に終わる。参加していた諸侯や騎士は没落する者も多く、彼らが所有していた土地を国王が没収して王権を強化した。逆に、運動を呼びかけた教皇は、遠征の失敗で教皇の権威がゆらぎはじめる。聖地解放はならなかったが十字軍による人やモノの流れが地中海交易を再び活性化させヴェネツィアをはじめるとするイタリアの諸都市が繁栄する。ビザンツ帝国やイスラームの文物が流入し、西ヨーロッパ人の視野が拡大した。

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05:01

#153【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展5:十字軍その5

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第137回目は「十字軍その5」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文神聖ローマ帝国の皇帝フリードリヒ2世がアイユーブ朝の内紛に乗じてカイロと交渉してイェルサレムを回復する。しかし、聖地回復は一時的なものとなった。その理由は、和解条件の中に「城壁を修復してはならない」が含まれており、防御力がゼロに近かったこと、そして十字軍国家内の混乱中にホラズム朝の残党勢力が侵入したからだ。その後、フランス王ルイ9世が興した十字軍はアイユーブ朝と戦うが、彼自身が捕虜となる。身柄を解放され月日がたち、晩年になると再び十字軍を興しイスラーム軍と交戦するが病死する。1291年、最後の拠点であるアッコンがマムルーク朝に占領されて、イェルサレム王国は滅亡した。

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#152【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展4:十字軍その4

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第136回目は「十字軍その4」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文教皇インノケンティウス3世の提唱により第4回十字軍の派遣が決定される。当初の目的はエジプトのアイユーブ朝を攻撃し、最終的に聖地イェルサレムを奪還することだった。しかし、資金不足とビザンツ帝国の王位継承争いが原因で当初の目的とは異なる結末を迎える。資金を提供したヴェネツィアの要望によりキリスト教都市のザラを攻撃。さらにコンスタンティノープルを占領してラテン帝国を建てたのだ。同じキリスト教徒を攻撃した十字軍に対し、教皇は激怒したが、東方正教会をカトリックの支配下に置く好機と考えローマ教会の勢力拡大として部分的に容認した。

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#151【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展3:十字軍その3

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第135回目は「十字軍その3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文十字軍国家の1つエデッサ伯国がイスラーム勢力によって陥落し、奪還のため第2回十字軍の派遣が決定した。主力はフランスと神聖ローマ帝国だったが失敗に終わり、イスラーム勢力が主導権を握った。1187年にアイユーブ朝のサラディンによってイェルサレムが奪還される。これに対して第3回十字軍が結成された。神聖ローマ帝国のフリードリヒ1世は事故死、フランス国王フィリップ2世は途中で帰国、残ったイギリス国王リチャード1世が孤軍奮闘するも聖地回復にはいたらなかった。1192年、休戦条約が結ばれた。

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#150【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展2:十字軍その2

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第134回目は「十字軍その2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文教皇ウルバヌス2世は1095年クレルモン宗教会議を開催し、ムスリムが支配する聖地イェルサレムを解放するために十字軍の派遣を決定した。翌年、数万の諸侯や騎士による第1回十字軍が出発し、1099年にイェルサレムを占領する。シリア・パレスチナ地方には、イェルサレム王国をはじめとする十字軍国家が建設された。

10-30
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#149【通史】世界史⑧中世ヨーロッパの発展1:十字軍

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第133回目は「十字軍」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文11世紀になると西ヨーロッパ世界が外に向かって膨張を始める。イベリア半島の国土回復運動(レコンキスタ)、ドイツ人の東方植民の本格化、シリア・エジプトに向かった十字軍がその例である。これらの膨張は、農業生産力の上昇による人口増加が背景にあった。十字軍は、ビザンツ帝国の皇帝が教皇に援助を求めたことから始まった。イランの大半を征服したセルジューク朝が攻め込んできたのだ。マンジケルトの戦いではビザンツ皇帝が捕らえられ、その後小アジア(アナトリア)の領土を次々に失っていった。そのためローマ教皇に援軍派遣を要請したのだ。

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#148フリートーク 遊牧民族

※金を建国した女真は「狩猟農耕民」です。

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#147【通史】世界史⑦遊牧国家17:アフター・モンゴルその3

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第132回目は「アフター・モンゴルその3」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文第6代皇帝のアウラングゼーブの時代にムガル帝国は最盛期を迎えた。禁欲主義者で厳格なスンナ派イスラーム国家を築こうとした彼は、ジズヤ(人頭税)を復活させシーア派や異教徒を迫害した。南端を除くインドを統一し領土最大を実現したが、領土拡大により官僚の急増と給与地不足を招き財政が悪化する。地方で自立化する官僚が出始め、シク教やヒンドゥー教の反抗も始まった。彼の死後、帝国は急速に解体へと向かった。

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05:14

#146【通史】世界史⑦遊牧国家16:アフター・モンゴルその2

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第131回目は「アフター・モンゴルその2」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文ティムール亡き後、約100年後に王朝は消滅する。1526年ティムールの子孫バーブルは北インドに侵入してデリーを都にムガル帝国を建国した。第3代皇帝のアクバルは北インドを統一し、検地を行い地租を確定させて財政基盤を確立する。官僚制度としてマンサブダール制を定め、世襲化を防ぐため役職や給与は短期間で変更された。非ムスリムとの融和にも努め、従来課されていたジズヤ(人頭税)を廃止する。中央集権化とインドに多いヒンドゥー教勢力との協力関係を構築できたため、帝国統治は安定した。

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#145【通史】世界史⑦遊牧国家15:アフター・モンゴル

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第130回目は「アフター・モンゴル」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文14世紀後半、中央アジアのチャガタイ=ハン国は東西に分裂した。このうち西チャガタイ=ハン国から台頭したティムールが1370年にティムール朝を建国し、サマルカンドを都とした。イル=ハン国滅亡後のイランやイラクを制圧し、南ロシアのキプチャク=ハン国や北インドにも遠征した。さらに1402年、オスマン帝国をアンカラの戦いで破ったが、明への遠征途上で病死した。

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#144【通史】世界史⑦遊牧国家14:モンゴル帝国その7

教科書レベルの世界史(通史)が1日5分、ながら聞きで学べます。第129回目は「モンゴル帝国その7」【オリジナル基本文】⇒【補足解説】の順に進めます。◇オリジナル基本文14世紀の北半球は寒気な気候が続き、不作と飢饉が起きる。ユーラシア規模の巨大な経済圏がモンゴル帝国の強みだったが、ひとたび感染症(ペスト)が発生すると一気に東西に広がった。経済的なつながりが寸断され、各地でモンゴルの支配が揺らぎ政権が衰退する。中国では黄河が決壊して飢饉が起きたので、経済政策としてが交鈔を濫発したり、専売制度を強化したりした。自然災害と経済の混乱で民衆が苦しむ中、宗教結社の白蓮教を中心に紅巾の乱が起こり、元は1368年に明の軍隊に大都を奪われてモンゴル高原へ退いた。

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