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浮世研の考察ラジオ
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浮世研の考察ラジオ

Author: 浮世研究会

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YouTubeでのラジオ活動を通じて繋がった3人が、浮世を取巻く様々な事象について深く考察していきます。
21 Episodes
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たまには肩の力を抜きましょう企画、第1弾はウミガメのスープです。 「アニメをモチーフにする」というスパイスを効かせておりますので、アニメファンの方にもウミガメガチ勢の方にも楽しんで頂けるはず。 ぜひ、我々と一緒にチャレンジしてみてください! 併せてリスナーの皆さまからの出題も募集しています!下記のメールアドレス、またはTwitterのDMまでぜひぜひお願いします!
たまには肩の力を抜きましょう企画、第1弾はウミガメのスープです。 「アニメをモチーフにする」というスパイスを効かせておりますので、アニメファンの方にもウミガメガチ勢の方にも楽しんで頂けるはず。 ぜひ、我々と一緒にチャレンジしてみてください! 併せてリスナーの皆さまからの出題も募集しています!下記のメールアドレス、またはTwitterのDMまでぜひぜひお願いします!
たまには肩の力を抜きましょう企画、第1弾はウミガメのスープです。 「アニメをモチーフにする」というスパイスを効かせておりますので、アニメファンの方にもウミガメガチ勢の方にも楽しんで頂けるはず。 ぜひ、我々と一緒にチャレンジしてみてください! 併せてリスナーの皆さまからの出題も募集しています!下記のメールアドレス、またはTwitterのDMまでぜひぜひお願いします!
『ジョゼと虎と魚たち』の感想です。 一つコンテンツが存在して、触れた人によって切り取るところも、それにより感じることも異なるところが感想の面白いところだと思います。 この”異なる”ということは、私たちが生活していく上で身近でありつつ、まったく離れたところにあったりもして、まあ言葉遊びのような話になるですが。ただ、真面目に言葉遊びをしたからこそ、”お互いに異なる”ということを手繰り寄せる糸口になることも事実。 アニメのフィルターを通して、多くの人に”言葉遊び”をするきっかけを与えてくれるのが、この作品なのかもしれません。(hisashi)
ラジオ形式でアニメ感想をYouTubeに投稿している(していた)3人で、『劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン』の感想を語りました。本来は3人だけで楽しむ予定だった音源なので、普段よりも正直な言葉が漏れているかもしれません。
ラジオ形式でアニメ感想をYouTubeに投稿している(していた)3人で、『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。完』の感想を語りました。 作品に触れたタイミングや思い入れの深さで、各々の感想の色も異なってきそうですが、皆さんにとって”俺ガイル”って何だったでしょうか?
浮世研の収録外では、Vtuber(主に“にじさんじ”)の話をする機会も多いのですが、「あの子が可愛かった」だの「あの配信が面白かった」だの、何でもない会話から始まり、何だかんだで「アバターがもたらす効果って何だろうね」という具合に考察っぽくなることもあって、今回は、そういった雑談をきっかけに生まれたトークテーマとなっています。  “本当の自分”という言葉について言及する時、演じてるか、演じてないか、みたいな切り口があると思うんですけど、今や「演じてない人間なんていない。色んな顔があって当然で、それら全て引っくるめて“本当の自分”なんだ」といった着地が王道だと思います。  そういった議論を再解釈して発展させていく面白みが「アバター及びVtuber」の話にはあると個人的には感じました。  遠くない未来、誰もが自分のアバターを簡単に取得できて、それらを使ったコミュニケーションが増えていった際、ほぼ確実に「本当の○○」や「本物の○○」というキーワードを目にする機会が増える予感がしています。  botと親友になる未来、ヴァーチャル結婚をする未来、AIが親になる未来。 いくらでも想像は膨らみますが、そのような未来に対して、何年か手前にいる僕らのデモンストレーションのような考察だったように思います。(hisashi)
「自分で感想を考える時代は終わった」 などと、僕らにとっては挑戦的とも言える話題が舞い込んできたので、掘り下げてみました。 確かに、コンテンツの盛り上がりに「飲み込まれている」と感じる瞬間はあります。 ぱっと見は同質化された感情のスープ。しかし、掻き混ぜてみたら案外溶け残った自我が浮かんでくるのかもしれません。 良くも悪くもそういう時代ですが、それはそれで、結構面白い方向へ転がっていくのではないでしょうか。(ろめる)
改めまして、今まで“さよなら、厭世観”を聞いてくれていた方々に感謝をしたいと思います。 ありがとうございました。そして、“さよなら、厭世観”をやっていたhisashiとして、浮世研でラジオが出来る巡り合わせの不思議と、浮世研まで足を運んでくれたリスナーさんに、「ありがとう」と。そして、「これからも宜しくお願いします」と。そういった気持ちでございます。(hisashi)
アニメの総集編が如きタイミングで挟んでおりますが、決して納品が間に合わなかった訳ではなく、節目と呼んで差し支えないほどに「積んだな」という自負からの、「あえて」の振り返りでございます。男子三日会わざれば云々と言うくらいなので、それが半年以上ともなれば、「浮世研」としての空気もいよいよ円熟味を増してきたと言っていいでしょう。このラジオはこれからも続いていきます。何故なら、「浮世研」を一番楽しんでいるのは我々だから。さて、ここらでひとつ過去回を網羅して、君も後方古参面をしよう!(お便りもお待ちしております)(鳴海)
音楽はCDに入っている。そんな常識が崩れ去った今、改めてCDについて議論してみました。あらゆる現実がパッケージの最期を予感させる中、「らしさ」で抗い続けてきた日本の音楽業界は果たして今後どうなるのか。そして、合理性はエンタメをどこまで支配できるのか。長く暗いトンネルを抜けるヒントは、大波が流し損ねる何かにあるのかもしれません。それを拾い集めるのは、紛れもなくこれからの僕たちです。音楽はどこで鳴っているのか。激動の時代に、今一度問い直す必要がありそうです。(ろめる)
アニメ文化の存続を願う者として、制作会社の労働環境や給与の問題を目にすると、どうしても不安で悲しい気持ちになる。こういったニュースが横を通り過ぎると、僕たちは、“余計なお世話”を言いがちだったりする。部外者には部外者なりの気持ちの問題があって、本当は「少しでも力になれたら」と思うんだけど、消費者としての僕たちは、誰のお客さんなのかが分かりづらい。Netflixの朗報も、根深い業界のスポンジに吸収されて、現場で働く人の環境・待遇は大きく変わらないみたいだし...。「少しでも力になれたら」というのは、どこまで行っても余計なお世話なのかもしれない。部外者には分からない。ただ、アニメに受けた恩は直接返したい。せめて、アニメファンが、アニメを作っている人たちに、直接、感謝を伝えられる場があればと思う。そこで、僕たちがいくらかお金を落としても何も変わらないかもしれない。だから、僕たちから見れば、これは“気持ちの問題”なんだと思う。(hisashi)
最近のアニメ、とりわけSFに近い作品のテーマとして、「他でもない自分が選び取ること」の重要性が問われることがあるかと思います。私はそれに「そうだそうだ」と頷く一方で、「選択しなくていい怠惰」に対して抗い難い魅力を感じていたりもします。インターネットの片隅に音声記録を放流する身としては、「見つからなければ意味がない」ことは痛切に理解しているつもりですが、「未知のものにぶつかっていくハードル」が高く感じるのもまた事実。 さて、あなたは娯楽のひとつであるマンガアプリに、一体何を求めますか?(鳴海)
異世界転生モノ。何かと揶揄されがちなジャンルではあるが、真っ直ぐメスを入れてみたら、案外ユニークな骨格が見えてきた。  時代という選択圧は、作品にも生き方を問い始める。それでもあのピラミッドの輪郭がぼやけないのは、きっと「名前」があるからだ。  誰かの無意識がスクラップ・アンド・ビルドする世界。  明日は、どんな形をしているのだろうか。(ろめる)
僕たちは生きていく上で、多くのことを代わりにやってもらっている。 今こうして文字をタイピングするスマホだって、誰かに作ってもらった物であり、その対価としてお金を払ってる。僕だって、誰かの代わりに働いて、その対価を得ている。この社会構造の中に“ゲーム代行”という新顔が現れて、ちょっとしたニュースになったので、浮世研で語ってみた。ゲーム代行が、新しい価値観として成熟するかどうかは置いといて、現状、常識から逸脱しているように見えるサービスを「けしからん」と捉えるか、人間社会のサイクルとして捉えるか。 スマホゲームのランキングを眺めると、多くのソシャゲがタイル状に並んでいる。 3人で話をしてから、僕はその画面に“時代性”の側面が見えるようになった気がする。 なんとなく、企業を介さずに、個人同士の代行が主流になる時代が来るんだろうな、なんて思っていたが。なるほど、もうスターターピストルは鳴っていたのか(hisashi)。
「ジャンル論争」はしばしばどこの界隈でも発生しがちではありますが、その沼に足を踏み入れようとしている者からすれば、その看板は貴重な道しるべ足りえます。つまるところ、対象を言語化する際の語彙は、サンプルの収集と類型化の繰り返しによって得られるものと言えましょう。そこでようやく「感想」の建築に着手できるわけですが、果たして我々は今までどんな道具を得てきたのでしょうか、という回です。  あまりに持ち球が少ないと、POLYSICSを聴いたときに「マキシマム ザ ホルモンの無軌道さを電子音に置き換えて表現した感じ」という全方位に意味不明な解釈をする羽目になります。(鳴海)(高校生の頃の実話)
SNS時代の「オタク・スタイルウォーズ」、今回の舞台はアニメ感想界ということで。「ラジオ」を選んだ僕らなりの視点で、この問題を紐解いてみました。辛口批評でも定型文でもないけれど。僕たちは、ここにいるよ。(ろめる)  
「最近の若者は...」というフレーズは紀元前から使われていたという話もあります。長期的に継続する人間の普遍性が、そのフレーズには隠れている。私たちは無自覚に物事を分かりやすく理解しようとする。その上で、信じたいものを信じたがる。大きな主語を使って「最近の〇〇は...」と口をつくのは、どうしようもなく人間的な処理なのかもしれない。「最近の若者」と言うところの”若者”とは誰なのか? 考察していくうちに、見えてきた、或る”誰か”。 深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいている。同じように、〇〇を論じている時、〇〇もまたこちらを論じているのだ。(hisashi)
昔に比べて「オタク」が一般化しているなんて話もありますが、アニメやマンガの話をしていると、知らない間に「百合」なる概念もやけに浸透しているなぁ、と感じます。と、素知らぬ顔で言っていますが、実際私もよく使ってます、その概念。これだけ広く使われるということは、それぞれに「百合的」な感覚があるということに他ならず。改めて「百合とは何か」を考察しようじゃありませんか、という回です。  みなさんの「百合論」「参考百合作品」もぜひ教えてください!(鳴海)
風の吹くままに転がっていたら、この二人に出会えました。 桃園の誓いではないけれど、これも一つ、僕の道標になりそうです。 初回は一先ず、僕ら三人の空気感が伝われば幸いです!(ろめる)
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