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少年カクテルマシンPodcast

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Author: 少年カクテルマシン
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© 少年カクテルマシン
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少年カクテルマシンの三浦と申します。
このポッドキャストは私、三浦が高校時代からの友人である山田氏との50代野郎同士で、アニメやマンガ、サブカルを中心とした駄話を対談形式でお送りする番組です。
※不定期更新
尚、万が一関係者各位の心証を損ねた場合、我々は路頭に迷ったあげくいつでも泣いて謝る準備があり、菩薩の如き寛容且つ慈悲深き御心での対処を激しく所望するものであります。
https://twitter.com/sc_machine
https://min.togetter.com/y0BDpJJ
このポッドキャストは私、三浦が高校時代からの友人である山田氏との50代野郎同士で、アニメやマンガ、サブカルを中心とした駄話を対談形式でお送りする番組です。
※不定期更新
尚、万が一関係者各位の心証を損ねた場合、我々は路頭に迷ったあげくいつでも泣いて謝る準備があり、菩薩の如き寛容且つ慈悲深き御心での対処を激しく所望するものであります。
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78 Episodes
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引き続き『機動戦士Gundam GQuuuuuuX (TVシリーズ)』緊急談議、物語はいよいよ佳境へ。主観によるギレン像、センチュリー/センチネル観、前田真宏の内省描写、キャラデザ混在の会談、旧ガイナックスと戦争、ニャアンの動物的本能、RX-78-2とTMネットワークのアレ、シャアとシャリアの破綻すべき関係とアルテイシアについて、赤いヅダと創作姿勢、白い悪魔の呪縛とその解放、言語による過剰釈義、そして自由の代償…鶴巻和哉・榎戸洋司コンビに翻弄されつつ舌戦は尽きず、カラー×サンライズの夢が交わる整合と概念の狭間に、改めてジークアクスの意義と然るべき終局を捕捉する後半戦へ。ガンダムは続くよどこまでも。※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1949679838895468721)
これは劇場先行版に続き、やはり看過できる筈もなく強行された、機動戦士のアレに連なる最新作完結に於いての万感交到る記録である。竹キャラのセクシャリティ、鶴巻和哉監督の聴覚、クランバトルの演出法、旧ガイナックスとエロ、キラキラとオーガズム、NTの優位性、描写不足とSNSの補完、怒りと冷笑、ハンブラビとシロッコ考、分裂するマチュの狂犬性、脱走及び大気圏突破のリアリティライン、エンディミオン・ユニットと鷲星座の聖衣、カバスの館とシャアの来訪動機、シャロンの薔薇と難民問題…最後まで事件であり続けた本作に相応しく可否両論が錯綜した今回、近代的消費活動とガノタ的生存本能の課題が同時に炙り出された混沌と紛糾の渦中に、ソーシャルイシューをも鮮やかに浮かび上がった前半戦へ。※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1949678383513924053)
これは看過できる筈もなく強行された、機動戦士のアレに連なる最新作始動に於いての万感交到る記録である。山下いくとのメカデザイン・竹のキャラデザインへの戸惑い、公開前後の考察合戦と箝口令、仮想戦記としての1年戦争、新装されるモビルスーツと生理的嫌悪、新調されない劇伴と生理的快感、鶴巻和哉・榎戸洋司と庵野秀明の趣向、シン・シリーズとの差異、シャアという男性像、ゼクノヴァとマルチバース、同人と冷笑、マチュの行動原理とカミーユの反復、再説されるニュータイプ論、難民・移民問題、最適解な最終話の提示…最早事件に類した劇場先行版に纏わる騒乱の渦中に身を投じ、世代間の永い軋轢と断絶を経て、この期に及び上がり続ける米津玄師の好感度を尻目にファーストガンダム回帰へと導く刻を見た、悦楽と狼狽のネタバレ上等緊急談議へ。※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1891316065772159021)
引き続き宮崎駿監督談議1989-2013、事態は国民的映画作家の臨界へと。『ハウルの動く城』(2004)とソフィーの視点、サリマン先生と戦争、萌えとユーモア、キムタクの件、『崖の上のポニョ』(2008)の作画、リサの行動原理、開く脳の蓋、老人・幼児の非論理世界、『コクリコ坂から』(2011)と宮崎吾朗監督の悲哀、突然変異の傑作『風立ちぬ』(2013)、青年的自我の発動、庵野秀明の声優起用、美の創造に纏わる罪と罰、快感原則で構築される理想的現実と生命の祝福、そして自己の解放と肯定へ…時をかける老婆少女と荒波を暴走する半魚少女の物語は、最早収束の意義さえ見失い退館する観衆の首をしばしば傾斜させたが、依然として継続されるジブリバブルに歩調を揃え、時代は自慰行為を否認する中学生の如き永い思春期に沈溺、空に憧れたまっかっかの原罪に煉獄少女の物語が浄罪を告げる、爛熟期の終盤戦へ。※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1885489184137523540)
引き続き宮崎駿監督談議1989-2013、事態は国民的映画作家の頂点へと。『もののけ姫』(1997)と夏エヴァの本気、タタリ神の衝撃、日本史と差別構造、非声優の起用、均衡を崩す主人公の突出、ヒロインの野生と恥じらい、定石外しと諦観的予定調和、帰属すべき共同体の再検討、『千と千尋の神隠し』(2001)に於けるバブルの残り香と性風俗産業、ジブリの形骸化と安藤雅司の葛藤、潜在能力の発露と成長、絶望としての大人・希望としての子供、ローカルルール問題、具象化された不安感とアンチクライマックス…怨嗟に満ちた山犬少女と倦怠的児童が説諭に至る労働少女の物語は、混乱する命題の編纂を鮮やかに放棄、需供の立場を問わず思考は迷走するも、同時に歴史的興行成績や権威を獲得、豊潤な発想力と卓越した演出力を以って、曇り無きまなこに映る画面色調の違和感をも赤く染め抜き国内外の制圧を達成した、飽和期の中盤戦へ。※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1885485804862263551)
前回より続く宮崎駿監督談議、下巻は残りの1989-2013、およそ四半世紀に渡る波瀾にして未到のフィルモグラフィーを俎上に載せて、事態は国民的映画作家の具現へと。ジブリブランドの確立、雇われ監督作品『魔女の宅急便』(1989)、近藤勝也のイメージボード、最後の傑作OP、女性の社会進出と宮崎ヒロインの排泄事情、モテ男としてのトンボ論、ニシンのパイとフード理論、発熱と思春期、プロペラ自転車と井上俊之、クライマックスの賛否、『紅の豚』(1992)制作の経緯、顕在化する女性観、バブルとフェミニズム、サボイアS.21運河の滑走、「戦争ごっこ」の功罪とナルシズム、世界情勢に揺れるパラダイム、憤怒の『海がきこえる』(1993)と『耳をすませば』(1995)の受容…空飛ぶ魔法少女と飛行する内柔外剛少女の物語は、監督ごと国内映画産業の中枢に担ぎ上げんとする俗衆との齟齬に教育を孕んだ調律を施し、飛躍的なアニメ鑑賞のリテラシー向上を促進、結果的に就寝時の過度な頭髪の装飾や恐怖を遊泳で洗い流す虚像描写への指摘は掻き消され、新たな時代の指標として紅い閃光の如く飛翔する、全盛期の序盤戦へ。※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1885481421495820630)
引き続き宮崎駿監督談議1978-1988、時は遂にスタジオジブリ発足へ。『天空の城ラピュタ』(1986)接触時の追懐、コナンとパズー(とカミーユ)の差異、ライトフルーツソーダとイメージソングの件、オーニソプターと『デューン』、ロボット兵の哀しみとティディス要塞歴史的攻略戦、中年男達の屈託なき美少女信仰、伝声管越しの叙情とシータの胸越しの勇気、矛盾する大地讃歌と文明批判、「普通の少年」なる呪縛、ジブリと都市伝説、『となりのトトロ』(1988)の自然観、「かわいい」への執着、絶賛派の欺瞞的田舎観と否定派の侮蔑的マウント、キャッチコピー問題、ノスタルジーの拒絶と森への扉、ノイズキャンセリングされたオタクメンタルの果て…天空より舞い降りし少女や妖術に愉悦する少女の物語は、未だ糞便の排出に至る管に過ぎなかった僕らの反復鑑賞を助長し、着靴の機会を収奪、森へのパスポートは失効、暗記した飛行石発動の呪文は我を助けず、その快楽原則はミーム化された所作の模倣や玩弄を促すも、決して生きる力を亡失などせず命脈を繋ぐ、成熟期の終盤戦へ。※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1828988818621641158)
引き続き宮崎駿監督談議1978-1988、時はあのターニングポイントへ。『風の谷のナウシカ』(1984)公開、『名探偵ホームズ』(1984)併映の経緯と動物アニメ、金田伊功・なかむらたかし・庵野秀明の起用と個性重視な作画体制、聖母性と残虐性、愛の奇跡とラストシーン、高畑勲の暗躍とキャラ映画、イメージソング・イメージガール問題、暴走する王蟲とナウシカの胸、村上龍の指摘と美少女信仰…蟲愛づる青き衣纏いし少女が風で紡ぐ物語は、未だ糞便の通り道に過ぎなかった哀れな男達の混乱と依存を慈悲深く背負い、強靭と博愛を兼ね備えた抱擁に時代は大きく開進、曲解による露骨な主従関係への憧憬なども挿話に加えつつ、闇の中に瞬く光が腐海の底より胎動する、萌芽期の中盤戦へ。※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1828985306173059537)
宮崎駿監督のフィルモグラフィーと共に生きて来た僕らがこの議題を俎上に載せることは必然的帰結であり、その上巻で取り扱うは主に1978-1988、つまりは創造的最盛期のディケイドであった。
『君たちはどう生きるか』(2023)ドキュメンタリーの作為的編集、東映動画時代の雑感、『未来少年コナン』(1978)の衝撃、NHKアニメ史とその功罪、大塚康生に立ちはだかる美少女信仰、高畑勲からの解放、ハイハーバーと戦争、つるべ打ちの終盤展開、一枚絵としての宮崎キャラとPCエンジン、三角塔と性癖、ギガント翼上に視覚される風圧、原作改変の権化、そして不遇の時代へ…
地を蹴り空を駆ける品行方正な野生児と鳥の如き少女の物語は、まだ糞便の製造機関に過ぎなかった幼年期の我が身に迷宮への招致を示唆する消えない刻印を残したが、生簀の魚に急襲され悶絶する中年男を無感情に見据えたヒロインの瞳が映し出す、全霊を懸けた少年の勇姿に豊穣な道標をも見出した、黎明期の序盤戦へ。
※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1828980552738976253)
引き続き『機動警察パトレイバー』談議、後篇。
田島照久のアートワークとパブリシティ、思ひ出の『機動警察パトレイバー2 the Movie』とその狂騒、正義の戦争と不正義の平和、超絶作画とレイアウト至上主義、押井守・榊原良子の軋轢、南雲しのぶ像を巡る女性観、川井憲次の傑作サントラ、“イクストル”と理詰めのレイバー論、宮崎駿の評価、柘植行人の思想とナルシズム、大人の論理・子供の論理、累積された置き土産を抱えて『PATLABOR EZY(仮)』へ…
あえて議事の後半に配置された劇場版第2作は、縁由ある事象の包括に我々の粗末な国防論も混入され、それは確かに「青春」にも相当する恥辱を禁じ得ないが、寧ろ青というより黒い歴史が戦慄く終盤戦へ。
※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1771817507734614343?s=20)
引き続き『機動警察パトレイバー』談議、中篇。
アニメ版グリフォン編の違和感、暴走する権力『火の七日間』と謎の挿入歌、『VS』に於いて成熟するキャラと高見明男作監、『二人の軽井沢』と榊原良子の後藤×南雲問題、『あんたの勝ち!』の職人芸、『WXIII』の淡白な興奮、押井守・出渕裕の軋轢、レイバー世代のロボット産業、失われるバランス感覚と『THE NEXT GENERATION -パトレイバー-』、植え込まれるバイアス、巨人の顕現…
実写版や小説版を経て、逡巡の果てに愛と憂いのレイバー是非論を含有し、DV夫の如き激しい詰問に揺れる一輪の花のような自意識を携え、桃色の葛藤震える中盤戦へ。
※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1771813779619381756?s=20)
リアルロボットアニメ史に於ける特異点『機動警察パトレイバー』に関する談議は、80年代末期に於ける記憶の追尾と共に開幕。
98式との邂逅、アーリーデイズの起伏、野明とメカフェチ、犯人と会っていた&恋仲だった問題、進化するコミック版のロボット演出とゆうきまさみのグルーヴ、出渕メカの耽美と別れていく流派、成長物語の強度、『機動警察パトレイバー the Movie』のキャラデザと黄瀬和哉の作画、追い付かない情報処理とリテラシー、レイバーとOS、都市論とバビロンプロジェクト、TVシリーズの浮沈と押井脚本の日常回、歴代OP問題…
メディアミックスが功を奏し好評を博したシリーズ乍ら、アニメやオタクが極めて白眼視されていたこの時代、押し寄せる嗤笑にも果敢なる勇姿を留めた特車二課第二小隊とヘッドギアメンバーに敬意を払いつつ、音楽関連の題目に飛び火的disも忘れない、青き衝動渦巻く序盤戦へ。
※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1771811255373734057?s=20)
引き続き『君たちはどう生きるか』談議、後篇。
映画内ローカルルールの頻発、高二病とアート映画、花の24年組とフェリーニ、貧弱なアイデンティティの子守唄、母親への憧憬、少女とエディプス・コンプレックス、成長と潜在能力、作家主義と組織論、黄金期と若者文化の承認、生きるに値する世界と快楽原則、具象化される脳内宇宙の深度、そして10年に限定された創造的人生の持ち時間とは…
捏造された記憶と円環構造を司り、少年から青年へと進化する大人にならない老人の(可能性としての)最終作同様、激しく迂曲を繰り返すこの駄弁の先に僕たちはどう生きるのか、キムタクはシャアとして生きるのか、然るべき帰着点の探求に迫る後半戦へ。
※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1730842679167344993?s=20)
またしても後塵を拝し、満を持して敢行される宮﨑駿監督最新作『君たちはどう生きるか』談議は、煩雑な所感を隠し切れないまま開幕。
NO宣伝戦略、考察合戦と置き換え論争、『失われたものたちの本』と模倣問題、13個の積み木と大伯父の正体、シン・エヴァより引き抜かれる本田雄の華麗なる経歴、GAINAX入社試験に於ける3つの進路、食い違う鈴木敏夫の証言とその素行、誇張される液体描写とジブリ飯、大平晋也のアバンと作画の統制、老いとデジタル、北野映画や黒澤映画が見失った「普通」…
偉大かつ深遠な遍歴に足がすくみつつ、崇拝故に賛辞だけでは終われない二律背反した愛好者の心情は、ミームに汚染されない無関心層を前に不能感を曝け出す前半戦へ。
※参考資料(https://x.com/sc_machine/status/1730837057017422137?s=20)
引き続き『銀河漂流バイファム』談議本章、第43話から最終回、更にOVA最終作を越えて更なる総括へと。
ミューラァの虚無とスコットのキャラ崩壊、人型兵器の優位性と主役機の活躍、カチュアとジミーのメッセージ、メカファンとロボット立体物の進化、贖罪の二律背反、宮崎アニメやエヴァとの比較、神の所業としてのファーストガンダム、少年期の視座…。
最早常態化した嗚咽を伴い語られる大人の古いお伽話は、終焉を知らぬ鮮やかな色彩を兼備した在りし日の夕暮れのように、思い出せても二度と感じることはできない、銀河漂流の如きときめきの終盤戦へ。
※参考資料(https://twitter.com/sc_machine/status/1700330881318297828?s=20)
引き続き『銀河漂流バイファム』談議本章、時系列に沿ってOVA3作目や外伝TVシリーズを挟み、3クール目へと。
『消えた12人』の些細ながら山積する違和感、『13』の不評と歴史改竄、トゥランファムの複座、戦闘性の強化、異星に於ける水と贖罪、宿敵・ミューラァとそのテーマ曲、甘くなるサバイバル表現、幻の初潮描写と妄想の胸揉みジャム事件、テコ入れの歪みと政府軍増援部隊問題、類型化する悪役たち…。
強硬な路線変更の憂き目を乗り越え、読解は時に制作側の意図をも凌駕し、それでも愛すべき少年少女が踏み締めた軌跡の彼方から、タイツと下着に纏わる因果に銀河漂流の如き幽玄なフィロソフィーを知覚する中盤戦へ。
※参考資料(https://twitter.com/sc_machine/status/1700327212854243627?s=20)
80’sリアルロボット路線の最高峰『銀河漂流バイファム』に於ける、以前に敢行された序章(#47-#48)から繋がるこの直接的続篇は、各話レビュー第6話より始まる談議の本章へと。
ロディと思春の森、鬱積する重責、搭乗されない主役機、殺生への葛藤、湧き上がる差別感情、荒れるケイト博士とその顛末、神作画の第17話、小さなママへの共鳴、エロ本回とコメディ路線の開花、非戦闘回最強の第22話と打ち切りの危機、大人の事情・子供の事情…。
一度は帰還した筈だった果てしなき談議は否応なく再開され、改めて銀河漂流の如き旅路の深淵なる混沌を前に、暗喩でない落涙さえ禁じ得ない序盤戦へ。
※参考資料(https://twitter.com/sc_machine/status/1700323161865424929?s=20)
引き続き、後塵を拝した『シン・仮面ライダー』談議、その後篇。
シン・シリーズ興行の流れ、庵野秀明・樋口真嗣のシナジー効果、コミュニケーションに纏わる混乱と秩序、泥試合としての『式日』、アマチュアリズムの手段と目的、アニメ監督に拠る実写演出とアレルギー、ノスタルジーとコンテンポラリー、映画そのものと同列視されるドキュメント…。
肥大化する作家主義、エヴァの呪い、果てはアニメ関係者全般にまで飛び火しかねない暴論まで飛び出す惨状に潮時を確認、またしても遁走の如く足早に完結する後半戦へ。
孤高。信頼。継承。そして自愛を。
既発回との内容的重複を避けようと、動向を見守り過ぎて好機を逃した結果、図らずも配信タイミングに近い形でお送りする『シン・仮面ライダー』談議、まずはその前篇。
ライダーシリーズへの薄い関わり、90年代リメイク作品との共通性、肉体性・偶然性の渇望、オタクと改造人間の悲哀、映画に於ける画面構成と運動、天才だらけのアニメ制作現場、前田真宏ワークスとデザインの変遷、ルッソ兄弟、ベイビーわるきゅーれ、そしてハニメーション…。
変わるモノ。変わらないモノ。そして、変えたくなくとも変わっちゃうモノ。分裂する現実性と虚構性の深慮を超えて、気が付けば乳首表現の推移に議論の尺を割く、依然として品位に欠けた前半戦へ。
※参考資料(https://twitter.com/sc_machine/status/1675318069143670786?s=20)
引き続き、お笑い芸人・お笑い番組に関する談議、後篇。
松本人志『遺書』の違和感と波及、担がれる一億総芸人化の神輿、年末国民行事としてのM-1グランプリ、漫才の競技化、NON STYLEの努力、ウエストランドの毒舌、松本上げ浜田下げの恒常化、『一億総ツッコミ時代』といじめの構図、蔓延する『さらば愛しの大統領』的イデオロギー。
露呈する日本とお笑いの相関、真の文化的覇者について、結局は松本人志の話題に舌が纏まるこの談議は、現代に於ける大映テレビの需要性へと帰結する混沌の終盤戦へ。
※参考資料(https://twitter.com/sc_machine/status/1654292194537394176?s=20)