Discover生き方研究会|善く生きるために。【虚無編⑥】我々が生きる「快楽主義」の世界
【虚無編⑥】我々が生きる「快楽主義」の世界

【虚無編⑥】我々が生きる「快楽主義」の世界

Update: 2025-09-03
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近代シリーズ6本目です。

神やお天道様、ご先祖様はいなくなり、「個人の人生」が大事になった近現代。個人の人生において大事なのは、「私が気持ちいかどうか」。それが生きる指針、生きる判断軸になっていきました。


「何のために生きてるのか」

「私は生きてて意味あるのか」

暇になってボーっとするとそんな問いが我々を襲ってきます。向き合うと発狂しそうな問い。今すぐ気を紛らわせる必要があるし、そのための手法は腐るほど用意されています。

ネットフリックス、TikTok、ストロングゼロを見て、うやむやにしてまいりましょう。


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--今回の補足--

近代の理性信仰がめざしたのは、本来「神や伝統に縛られず、自分の理性を働かせて自律的に生きること」でした。ところが理性の出発点はどうしても「私」という主体になります。そのため「世界の中心は自分」という感覚が強まり、やがて自己中心主義へと傾いていきました。


さらに近代社会では、自由や合理性が「自分の利益や満足を追求すること」と短絡的に解釈されやすくなります。こうして、理性信仰が意図していた自律の思想は、歴史のなかで自己中心主義へとすり替わり、やがて快楽主義へとつながっていったのです。


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