みことばの実現 No.12
Update: 2015-06-28
Description
ある人に息子がふたりあった。弟が父に、「お父さん。私に財産の分け前を下さい」と言った。それで父は、身代をふたりに分けてやった(ルカ15:11-12)。
この弟息子は、自ら父のもとに行き、子として受けるべき自分の財産の分け前を願った。父のもとにいる限り、彼の戒めを守ることが要求されるので、遠い異国の地に行き、自由奔放の生活をしたかったからである。つまり、自分の判断で生きることを願い、善悪の知識の木から取って食べる方を選んだ。
それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった(13 節)。
さて、この息子、この状態で、それまで受けて来た自分の父のことばの成就、つまり、その豊かさと良きみこころの実現は、あるだろうか。
何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった(14-16 節)。
みことばの成就は完全に止まった。父の子として身分から、異国の主人の奴隷となり、豚の世話を強いられた。恵みとあわれみは全部消えている。
しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。「父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください(17-19 節)。』」
これを、子として受けるべき財産の分け前を要求した最初の時と比べると良い。以前は、父に従い、彼に仕えることを嫌ったが、子としての分け前だけは要求した彼が、ついに、父の「雇い人のひとり」になることを決心した。雇い人とは、主人に従い、彼の言うことを行う者。いのちの木から取って食べる生き方をする準備ができたことになる。
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした(20 節)。
これが父の望まれること。それを成し遂げたいと、彼はいつも見張っている。弟息子は、ただそれを受けるだけ。これを恵みという。
息子は言った。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません(21 節)。」
彼が「雇い人のひとりにしてください」と言おうとすると、父はそれを止めるようにして、しもべたちを呼び、彼らに向かって言った。
急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから(22-24 節)。
みことばの実現だ。彼が父のもとに戻った瞬間、みことばの実現も戻った。
この弟息子は、自ら父のもとに行き、子として受けるべき自分の財産の分け前を願った。父のもとにいる限り、彼の戒めを守ることが要求されるので、遠い異国の地に行き、自由奔放の生活をしたかったからである。つまり、自分の判断で生きることを願い、善悪の知識の木から取って食べる方を選んだ。
それから、幾日もたたぬうちに、弟は、何もかもまとめて遠い国に旅立った。そして、そこで放蕩して湯水のように財産を使ってしまった(13 節)。
さて、この息子、この状態で、それまで受けて来た自分の父のことばの成就、つまり、その豊かさと良きみこころの実現は、あるだろうか。
何もかも使い果たしたあとで、その国に大ききんが起こり、彼は食べるにも困り始めた。それで、その国のある人のもとに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって、豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいほどであったが、だれひとり彼に与えようとはしなかった(14-16 節)。
みことばの成就は完全に止まった。父の子として身分から、異国の主人の奴隷となり、豚の世話を強いられた。恵みとあわれみは全部消えている。
しかし、我に返ったとき彼は、こう言った。「父のところには、パンのあり余っている雇い人が大ぜいいるではないか。それなのに、私はここで、飢え死にしそうだ。立って、父のところに行って、こう言おう。『お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。雇い人のひとりにしてください(17-19 節)。』」
これを、子として受けるべき財産の分け前を要求した最初の時と比べると良い。以前は、父に従い、彼に仕えることを嫌ったが、子としての分け前だけは要求した彼が、ついに、父の「雇い人のひとり」になることを決心した。雇い人とは、主人に従い、彼の言うことを行う者。いのちの木から取って食べる生き方をする準備ができたことになる。
こうして彼は立ち上がって、自分の父のもとに行った。ところが、まだ家までは遠かったのに、父親は彼を見つけ、かわいそうに思い、走り寄って彼を抱き、口づけした(20 節)。
これが父の望まれること。それを成し遂げたいと、彼はいつも見張っている。弟息子は、ただそれを受けるだけ。これを恵みという。
息子は言った。「お父さん。私は天に対して罪を犯し、またあなたの前に罪を犯しました。もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません(21 節)。」
彼が「雇い人のひとりにしてください」と言おうとすると、父はそれを止めるようにして、しもべたちを呼び、彼らに向かって言った。
急いで一番良い着物を持って来て、この子に着せなさい。それから、手に指輪をはめさせ、足にくつをはかせなさい。そして肥えた子牛を引いて来てほふりなさい。食べて祝おうではないか。この息子は、死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだから(22-24 節)。
みことばの実現だ。彼が父のもとに戻った瞬間、みことばの実現も戻った。
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