みことばの実現 No.14
Update: 2015-07-12
Description
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。(ローマ6:11)。
もしあなたが自分の人生にみことばの実現を願うならば、聖書が語る霊的な現実を受け入れ、その上に立つ信仰によって生きることが必要である。上のみことばの「思いなさい」は、「数えなさい」の意味。ちょうど、アブラハムが天の星を数えて、「あなたの子孫はこのようになる」という自分に対する霊的現実を受け入れた時に、その信仰が神によって義と数えられたのと同じ。
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです(3-4 節)。
キリストが自分の罪のために死に、三日目によみがえられたことを信じるあなたは、二千年前に起きたキリストの死と復活という事実が、この物質の世界の現実を超え、全く異なった時代に生きるあなたのためであったと信じていることになる。そんなことが可能だろうか。この世界の現実では不可能。しかし、霊の世界では、それが確かな現実。みことばは、あなたがまだ存在する前に、すでに「キリストとともに葬られた」と言う。それは、あなたがキリストを信じることによって、彼の死にあずかるバプテスマを受けたからである。
もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです(5 節)。
彼の死と同じ状態になったあなたは、彼の復活とも同じ状態になった。キリストと全く一体化したからである。それが神の見方であり、霊的な現実である。神様はあなたを、キリストと一体化した、罪と汚れのない完全な者として御覧になる。人の目と神の目は違う。神の目は、霊の世界の現実からあなたを見る。それが本当のあなた。
以上のことが事実であり、真の現実であるならば、その現実の上に立った、それにふさわしい歩み方がある。キリストにあって神の義とされたあなたには、神の敷かれた義の道がある。も しあなたがそれ以外の道を歩むならば、あなたは自分の現実を否定し、自分を欺いて生きることになる。
神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです(17-18 節)。
義とされた者は、義の道を歩む義の奴隷である。以前は、この道に関して自由に生きていた。みことばの語る霊的現実に関して全く無知であったからである。その時の私たちには、肉の目で見るこの世界の現実がすべてであって、その中にどっぷり浸かり、その現実における、地上のさまざまな問題に振舞わされて生きていた。その時、みことばの成就は絶無。
罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です(2 0 - 2 1 節)。
しかし、今は神の義とされたあなたには、みことばの語る霊的現実を 信じる信仰が与えられている。その信仰の上にしっかりと歩むならば、 みことばは必然的に実現する。
もしあなたが自分の人生にみことばの実現を願うならば、聖書が語る霊的な現実を受け入れ、その上に立つ信仰によって生きることが必要である。上のみことばの「思いなさい」は、「数えなさい」の意味。ちょうど、アブラハムが天の星を数えて、「あなたの子孫はこのようになる」という自分に対する霊的現実を受け入れた時に、その信仰が神によって義と数えられたのと同じ。
それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです(3-4 節)。
キリストが自分の罪のために死に、三日目によみがえられたことを信じるあなたは、二千年前に起きたキリストの死と復活という事実が、この物質の世界の現実を超え、全く異なった時代に生きるあなたのためであったと信じていることになる。そんなことが可能だろうか。この世界の現実では不可能。しかし、霊の世界では、それが確かな現実。みことばは、あなたがまだ存在する前に、すでに「キリストとともに葬られた」と言う。それは、あなたがキリストを信じることによって、彼の死にあずかるバプテスマを受けたからである。
もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです(5 節)。
彼の死と同じ状態になったあなたは、彼の復活とも同じ状態になった。キリストと全く一体化したからである。それが神の見方であり、霊的な現実である。神様はあなたを、キリストと一体化した、罪と汚れのない完全な者として御覧になる。人の目と神の目は違う。神の目は、霊の世界の現実からあなたを見る。それが本当のあなた。
以上のことが事実であり、真の現実であるならば、その現実の上に立った、それにふさわしい歩み方がある。キリストにあって神の義とされたあなたには、神の敷かれた義の道がある。も しあなたがそれ以外の道を歩むならば、あなたは自分の現実を否定し、自分を欺いて生きることになる。
神に感謝すべきことには、あなたがたは、もとは罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規準に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となったのです(17-18 節)。
義とされた者は、義の道を歩む義の奴隷である。以前は、この道に関して自由に生きていた。みことばの語る霊的現実に関して全く無知であったからである。その時の私たちには、肉の目で見るこの世界の現実がすべてであって、その中にどっぷり浸かり、その現実における、地上のさまざまな問題に振舞わされて生きていた。その時、みことばの成就は絶無。
罪の奴隷であった時は、あなたがたは義については、自由にふるまっていました。その当時、今ではあなたがたが恥じているそのようなものから、何か良い実を得たでしょうか。それらのものの行き着く所は死です(2 0 - 2 1 節)。
しかし、今は神の義とされたあなたには、みことばの語る霊的現実を 信じる信仰が与えられている。その信仰の上にしっかりと歩むならば、 みことばは必然的に実現する。
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