Discoverダヴァール神の国みことばの実現 No.17
みことばの実現 No.17

みことばの実現 No.17

Update: 2015-08-02
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あなたがたはわたしの証人、-主の御告げ-わたしが選んだわたしの しもべである。これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、わたし がその者であることを悟るためだ(イザヤ43:10)。

10 節から13 節は、全体がchiasmus(交錯配列法)の形をしていて、10 節が12 節に対応して いることが分かる。

このわたしが、告げ、救い、聞かせたのだ。あなたがたのうちに、異なる神はなかっ た。だから、あなたがたはわたしの証人。-主の御告げ-わたしは神だ(12 節)。

注目してほしいのは、「知って」、「信じ」、「悟る」という動詞と、「告げ」、「救い」、 「聞かせた」がそれぞれ、対応していること。最初は、「あたがたがた(イスラエルの民)」 が主語、二つ目は「わたし(主)」が主語。主がことばを「告げ」て啓示することによって、 イスラエルがそれを「知り」、さらにそれを「信じ」ることによって、主は彼らをお「救い」 になる。しかし、それで終わりではなく、その後、主は彼らに、その救いがどのようにして起き たのかを「聞かせる」ことによって、「わたしがその者(みことばを成就するヤーベの神) であること」を「悟る」ことができるようにしてくださる。そして、民がそのように「悟る」 ならば、彼らは、出て行き、全世界に対して「わたしの証人」、つまり、彼らの神が約束を守 られ、語られたことばを成就なさる方であることを伝える者となる。

これは、直接は、神の怒りによってさばきを受け、バビロンに捕囚に連れられて行った、選びの 民に対して語られたことばだが、同じことばが、キリストにある私たちにそのまま当てはまる。

あなたの最初の先祖は罪を犯し、あなたの代言者たちは、わたしにそむいた。それで、 わたしは聖所のつかさたちを汚し、ヤコブが聖絶されるようにし、イスラエルが、の のしられるようにした(27-28 節)。

神の怒りが選びの民にぶつけられた後、怒りは去り、「わたし、このわたしは、わたし自身の ためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り、もうあなたの罪を思い出さない」と言われる。 神は「最初の先祖」からの罪の怒りを耐えて来られたが、それをこの時、彼らにぶつけられた。 同様に、ひとり子の神、キリストが、最初の人から見逃されて来た神の怒りを受けて、なだめの 供え物となって下さった。

神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、 公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今まで に犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです(ローマ3:25)。

「なだめの供え物」とは、神の怒りを抑えるためのいけにえのことで、それによって、神と敵 対関係にあったものが神と和解することができる。

これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちを ご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました(2 コリント5: 18)。

神の怒りはすでに取り除かれた!今は、恵みの時、救いの時である。

私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受け ないようにしてください。神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、 救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です(6:1-2)。
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