Discoverネットラジオ版安心問答(浄土真宗の信心について)#039「弥陀をたのむ」とは、観念的・抽象的な阿弥陀仏をたのみにすることではなく、具体的に、今、口から出ている南無阿弥陀仏をたのむということでしょうか?
#039「弥陀をたのむ」とは、観念的・抽象的な阿弥陀仏をたのみにすることではなく、具体的に、今、口から出ている南無阿弥陀仏をたのむということでしょうか?

#039「弥陀をたのむ」とは、観念的・抽象的な阿弥陀仏をたのみにすることではなく、具体的に、今、口から出ている南無阿弥陀仏をたのむということでしょうか?

Update: 2024-10-04
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#039回は、質問箱の以下の質問について話をしました。


質問:


「弥陀をたのむ」とは、観念的・抽象的な阿弥陀仏をたのみにすることではなく、具体的に、今、口から出ている南無阿弥陀仏をたのむということでしょうか?




質問箱には以下のように回答しています。


はい。口から称名となって称えられている南無阿弥陀仏以外に、何か「概念としての」南無阿弥陀仏を想定しても、それは自分の想像したものです。


「弥陀をたのむ」の弥陀とは、南無阿弥陀仏と称えられているこの南無阿弥陀仏です。 


これに加えて話をしています。


話の中に出てくる根拠


わが弥陀は名をもって物を接したもう。ここをもって、耳に聞き、口に誦するに、无辺の聖徳、識心に攬入す。(教行信証行巻)




「帰命」ともうすは、如来の勅命にしたがいたてまつるなり。(尊号真像銘文)




質問や感想は以下によろしくお願いします。


ブログ安心問答ー浄土真宗の信心について


x:@anjinmondou



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