私のろうそくは両端から燃えるノベーション(1660回)
Description
アメリカの詩人エドナ・セント・ヴィンセント・ミレーさんの詩「第一無題詩(First Fig)」に、感動しました
曰く
「私のろうそくは両端から燃える。
夜までは持たないだろう。
けれど、ああ敵よ、そして友よ、
それはなんと美しい光を放つことか!」
ここから私は思いました
1、強く型破りな情熱
2、敵と友という仲間とともにある
3、短く美しいという大義
1、強く型破りな情熱
この短い詩から迸るような燃えるパッションを感じてしまいました。両端から燃えるろうそくというのは、片方だけではとても抑えきれない情熱の炎が、ものすごい光を発しながら燃え尽きようとする思いの強さを感じました
また、両端から燃えるというのは、普通は片方から燃えるものを、両側から燃えてもいいじゃないか、というような、バイアスを打ち砕くつよい意志を感じます
さらには、両端から燃えることにより、尽きる時間を2倍に早めてまでも、燃え切りたいという、一瞬にかけるパッションも感じます
情熱の源の話をいつもしていますが、その情熱のあり方を問われるような、迫ってくるような迫力を頂きました
2、敵と友という仲間とともにある
この詩の中には、敵と、友との、両方に語りかけているように感じます。それは、自分は決して1人ではなく、敵と友という仲間と共にあるのだ、ということを伝えてくれてるようなきがします
そして、その敵と友の両方に同じように語りかけているのは、あたかも、もはやそれらは同一で出会って、区別すべきものではなくなっているよ、というメッセージのようにも感じます
まるで、ヘーゲルのアウフヘーベンのように、敵対する二つのものを、第3の道を提示してくれているような、最後はみんな仲間なのだ、と言ってくれてるような気もしました
3、短く美しいという大義
敵も友も一つに結びつけてくれてるものは、そこに美しいという、大義があるから、ということなのかなと思いました
自らの命を短くしてまでも、迸るパッションに命をかけるその様のまえには、敵も味方もなく、ただ美しく燃える、その一点の大義に収斂していくようなそんな気がしました
内村鑑三さんの、後世に残すべき最大の遺物として、誰でも残せるものが、生き様である、といわれていとうり、その生き様を見せることこそが、全てを包み込む美しいという大義になる、そんなことを言われているような気がしました
イノベーターズリップルモデルの、パッション、仲間、大義をまるで表したようなこの詩は、イノベーターの生き方そのものも表現している、そんな気がし致しました
一言で言えば
私のろうそくは両端から燃えるノベーション
そんな話をしています
参考: wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/エドナ・ミレイ
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