#28 日本の音楽出版 黎明期①プラーゲ旋風
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日本の音楽著作権ビジネスの黎明期と“プラーゲ旋風”について。楽曲の著作権がレコード会社に帰属していた時代に始まり、昭和初期にヨーロッパの著作権使用料を徴収する代理人となったウィルヘルム・プラーゲというドイツ人とそれに対抗した日本側の動きが日本における音楽著作権に対する認識と著作権利管理というビジネスを欧米とは異なる方向に向けてしまうきっかけとなった“プラーゲ旋風”についてご紹介します。
【日本の音楽ビジネス黎明期】
【プラーゲ旋風のはじまり】
●ウィルヘルム・プラーゲ(1888/10/8- 1969/6/19):ドイツ人外交官で、のちに日本の多くの旧制高等学校でドイツ語を教えた人物。1931年に欧州の楽曲について日本の放送局などに高額の使用料を請求する著作権使用料の取立業を始め、それによって引き起こされた様々な著作権紛争事件を指して”プラーゲ旋風”と呼ばれた。
●BIEM:正式名称「Bureau International des Societes Gerant les Droits d’Enregistrement et de Reproduction Mecanique」。録音権協会国際事務局。音楽著作権のうち録音権と機械的複製権の効果的な管理を目指して、また録音権を管理する団体を結集させることを目的として、1929年にパリで設立。現在は、58カ国・地域から60団体が加盟し、録音権、機械的複製権の国際レベルでの保護および進展に貢献している。
【プラーゲからの破格の要求】
【内務省によるプラーゲ対策】
●ベルヌ条約:正式名称「Berne Convention for the Protection of Literary and Artistic Works」。文学的及び美術的著作物の保護に関するベルヌ条約といい、万国著作権条約と並んで、著作権の国際的保護のための条約のひとつ。
【大日本音楽作家出版者協会の設立】
●山田耕筰(1886/6/9- 1965/12/29):日本の作曲家、指揮者。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、北原白秋と共に数多くの国民的歌謡、校歌等を創作した。代表作として「からたちの花」「この道」(いずれも作詞:北原白秋)、「赤とんぼ」(作詞:三木露風)など。
【大日本音楽著作権協会の設立と仲介業務法】
●社団法人大日本音楽著作権協会:1939年12月28日に設立した日本人による音楽著作権団体で、現在のJASRACの前身。ちなみに、著作権信託契約第一号は島崎春樹(藤村)。
【プラーゲが日本の音楽著作権に与えた影響】