#30 ニッポン放送でアルバイト【前編】音楽業界と繋がるきっかけ
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ヤマハ・ミュージック楊華森さんとの出会いから音楽業界に入るきっかけとなったニッポン放送でのアルバイトに繋がるエピソードを紹介します。ラジオ番組『魅惑のリズム』が提供していた友の会への入会からポール・アンカのファンクラブの二代目会長に就任するなど、思い出の曲も交えながら回想します。
【音楽業界と繋がるきっかけ『魅惑のリズム』友の会】
●『魅惑のリズム』:1960年代に月~金曜日の深夜に放送されたニッポン放送のラジオ番組。
●ポール・アンカ(1941/7/30~):カナダ出身のシンガー・ソングライター。ポップスの草創期を代表するアーティスト。
●エドムンド・ロス(1910/12/7 – 2011/10/21):トリニダード・トバゴのミュージシャンで、「アマポーラ」や「ブラジル」などのヒット曲がある。
【『魅惑のリズム』友の会ポピュラー研究会】
【ポール・アンカ ファンクラブ二代目会長に】
【ヤマハ・ミュージック 楊華森との出会い】
●楊華森:ヤマハ~渡辺音楽出版に移り、さまざまな作家に活躍の場を作る役割を担った。
また「加茂亮二」などの変名で、安倍理津子「愛のきずな」をはじめ作詞も手掛けている。
【高崎一郎との出会い】
●高崎一郎(1931/5/13 – 2013/8/10):元ニッポン放送プロデューサー、パシフィック音楽出版(フジパシフィック音楽出版の前身)社長。深夜ラジオ番組の草分け『オールナイトニッポン』を企画立案し、初代パーソナリティも務めた。
【先輩 亀渕昭信】
●亀渕昭信(1942/3/1~):日本のラジオ・ディスクジョッキー、ラジオパーソナリティ、フリーアナウンサー、ポピュラー音楽研究家。ニッポン放送の社員として深夜番組『オールナイトニッポン』に出演し、人気を集めた。
●ヤマハ・エアメール・スペシャル:1950~60年代にかけて冊子とフォノシートを組み合わせた「音の出る雑誌」。各社から書店販売されていたが、これはヤマハミュージックが1961年から販売を始めたもので、エアメールを模した封筒に冊子と最新の洋楽ヒット曲の入ったフォノシート2枚を同封して販売された。
【貴重な情報源『エアメール・スペシャル』】
●ビリー・ヴォーン(1919/4/12 – 1991/9/26):アメリカの歌手、マルチプレイヤー、指揮者。ポピュラー、イージー・リスニング界におけるヒットメーカー。「Melody of Love」をリリース、ビルボードのシングル・チャートに27週間ランキングされるヒットとなった。
●リンダ・スコット(1945/6/1~):アメリカの女性歌手。1950年代から70年代にかけて、ポップシンガーとして活躍。最大のヒットとなったデビューシングル「I’ve Told Every Little Star/星に語れば」は、現在、TBSの番組『マツコの知らない世界』のテーマソングに使われている。
【高崎一郎と亀渕昭信】
【ニッポン放送でのアルバイト】
●ケン田島(1930/10/20 – 2021/4/27):本名・漆原一郎。イギリス生まれの同時通訳者でラジオ関東の番組「ポートジョッキーショー」などディスクジョッキー、アナウンサーとして活躍した。
●三木鮎郎(1924/6/26 – 1997/6/6):ジャズ評論家、司会者、放送作家、エッセイスト、翻訳家。本名は繁田文吾。兄は我が国におけるCM音楽の開祖・三木鶏郎。「スター千一夜」などのテレビ番組の司会・構成作家などとして活躍した。