#38【音楽出版ビジネスの先達たち①】 草野昌一さん /草野昌一さんの音楽業界への功績
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音楽出版ビジネスの先達たちの中から、日本を代表する訳詞家、漣健児さんとしても有名な草野昌一さんについて回想します。当時、ミュージックライフの編集長だった草野昌一さんとの出会いや「帰って来たヨッパライ」を巡る裏話等、日本における洋楽曲の著作権管理ビジネスの先駆者であり、朝妻の先生的存在でもあった草野昌一さんについてのエピソード。
【草野昌一さんについて】
●漣健児(1931/2/4 –2005/6/6): 本名・草野昌一。日本の音楽出版ビジネスの先駆者。漣健児名義で作詞家・訳詞家として数多くの作品を書いた(「新田宣夫」名義も)。代表作に「ステキなタイミング」「可愛いベイビー」など。
●ミュージックライフ:シンコー・ミュージック(創刊当時は新興音楽出版社)が編集・発行した音楽雑誌。主に洋楽を取り上げた(1998年12月号をもって休刊)。
●「赤鼻のトナカイ」(1948年):原題「Rudolph the Red-Nosed Reindeer」。ジョニー・マークス作詞・作曲のクリスマスソングで、日本語訳詞は、新田宣夫(別名 草野昌一、漣健児)の訳で広く知られている。
【パシフィック音楽出版と草野昌一さんとの関わり】
●高崎一郎(1931/5/13–2013/8/10):元ニッポン放送プロデューサー、パシフィック音楽出版(フジパシフィック音楽出版の前身)社長。深夜ラジオ番組の草分け『オールナイトニッポン』を企画立案し、初代パーソナリティも務めた。
●アラン・フリード(1921/12/15–1965/1/20):本名アルバート・ジェームズ・フリード。1950年代に人気を博したアメリカのラジオDJ。
●ジョニー・ティロットソン(1938/4/20–):「Poetry in Motion」、「Cutie Pie」のヒットをはじめ、浜口庫之助が書いた「涙くんさよなら」を日本語と英語で発表するなどした日本でも知られるヴォーカリスト。高崎一郎がジョニー・ウッドマン名義で作詞し鈴木邦彦がハリー・ウィリアムス名義で書いた「ユー・アンド・ミー」のヒットも。
【「帰って来たヨッパライ」を巡る草野さんとの裏話】
●「帰って来たヨッパライ」(1967年)ザ・フォーク・クルセダーズ→#12を参照
【草野昌一さんから学んだこと~ビートルズの著作権買収構想~】
【草野昌一さんの音楽業界への功績】
●ABBA:ストックホルムで結成されたスウェーデンのポップ・グループ。「ダンシング・クイーン」や「マンマ・ミーア」、「マネー、マネー、マネー」など数々のヒットを出すが1982年に活動を停止。2021年11月に40年ぶりのオリジナルアルバム『ヴォヤージ』を世界同時にリリースした。
●「ビューティフル・サンデー」(1972年):ダニエル・ブーンのシングル曲。世界的には1972年に、日本では1975年11月からテレビ番組『おはよう720』(TBS)の「キャラバンⅡ」のコーナーテーマとして起用され翌年にヒットした。