434.頑張りすぎが当たり前になっていませんか?
Description
気づかないうちに、自分を追い込み続けてしまうことってありますよね。
今回のテーマでは、“適度に力を抜く”ことの大切さなど吉村さんとお話させて頂きました。
感想、ご質問はこちらにお願いします!
https://forms.gle/HhW7cXuA345QYmDZ7
YouTube:
https://www.youtube.com/c/kokoro-me
Web:
https://m-e-science.com
==================
◆文字起こしはこちら↓
三上:はい、皆さんこんにちは。こころメンテナンス、本日のアシスタント三上恵と氣功ヒーラーの
吉村:吉村竜児です。
三上:はい。吉村さん本日もよろしくお願いします。
吉村:よろしくお願いします。
三上:はい。 配信も11月末ということで、今年も残り1ヶ月少しということですが。
吉村:はい。
三上:はい。さあ、今日はですね、テーマというか、自分も頑張りすぎちゃってるなって。
日頃、頑張らないといけない自分を作り出してる自分に気づいてはいるんですけど。
吉村:うん。
三上:だけど動いちゃう自分と、それを例えば人に対して「今日も1日頑張ってね」とか、頑張ってる人にですよ。わかってるのに「頑張ってね」とかって言ってる自分に最近「ハッ!」と思って。
頑張ってる人に「頑張ってね」じゃないなと思って、「今日も1日楽しんでね」とか「やりきったな」とかって言葉に変える自分がいるんですが。
吉村:なるほど。
三上:ね。はい、今日は頑張りすぎが当たり前になっていませんか、皆さんも、っていうことで。
吉村:なるほどね。
三上:はい、話を進めていきたいと思いますが、吉村さんは、ちなみにどうなんですか。お仕事とか日頃のライフスタイルとかでも。
吉村:はい。
三上:頑張らなきゃっていう意欲とかっていうのは、どんな感じなんですか。
吉村:僕は普段からあんまり頑張らなくて済むようなライフスタイルを意図的に目指してるってとこあります。頑張りすぎないで済むように気をつけてるみたいなね。
三上:はい。具体的には。
吉村:そうですね。 ていうのが、でもその「頑張る」って、そのどういうことを頑張るって定義しているのかっていうのも、ここもちょっとね整理しないと、言ってみたら下手すると言葉狩りみたいな話になっちゃうと思うんですよ。
だって自分が、例えばスポーツの試合とかに出るとかね。そんなに真剣なやつじゃなくて、ちょっと友達と遊びでスポーツやったみたいなときに、応援してくれる人とか、例えば僕の順番になったときとかに「頑張ってね」とかって言われたら、「よし頑張ってくる!」みたいな軽い感じでできるものじゃないですか。
三上:うん。確かに。
吉村:ね。だから「頑張ってね」って言葉はあんま使わない方がいいですよ、っていうのは、多分鬱状態の人に「頑張ってね」って言うと、すごく傷つくっていうような話が、ちょっと一時期ネットとかでいっぱい流れていた、そんな記憶があるんですけど。
だから多分、鬱状態の人に「頑張ってね」って言うと、余計に傷つけてしまう。こんなに頑張っているのに、もっと頑張らなきゃいけないのか、みたいなプレッシャーを与えてしまって、そういうのは良くないからカウンセラーの人たちとかは、そういう「頑張ってね」みたいな言葉はすごく気をつけているんですよ、みたいな。
それで、家族で鬱っぽい人に「頑張ってね」とか言っちゃ駄目ですよ、みたいな話が、多分色んな近年、結構似たような記事が繰り返しSNSとかに現れてた時期があったんで、その辺のことなのかなって気がするんですけど。それって要は「頑張ってね」という言葉に問題があるというよりは、その受け取り手がどう受け取るかっていう話だと思うんですよ。
三上:確かに。うん。
吉村:うん。だから心が傷ついている人は言ってみたら、例えば傷口に塩を塗り込むみたいな言葉ってあるじゃないですか。
三上:うん。うん。
吉村:あれって傷口に塩を塗るからすごい痛いわけであって、別に傷ついてない肌に塩を塗っても別に痛くないですよね。
三上:そうですね。
吉村:うん。だから、むしろちょっと垢すりみたいな感じで気持ちいいぐらいかもしれないですよね。だからそれって、塩を塗ることに問題があるんじゃなくて、傷口に塩を塗っているから痛いって話なんで、多分言葉もそんなもんなんですよ。
傷ついてない人だったら、別にそういう受け取り方にはならないような言葉でも、傷ついてる人に投げかけるとすごくプレッシャーになってしまうっていうことになるってなると、あまりその言葉そのものを悪者にするっていうことよりも、どういう状態の人に、どういう意味合いとか、どういう温度感の言葉かけがいいのかとか、そっちの話なんじゃないかなと思ってまして。
だから頑張るってことに関しても、僕、結構好きなことだったら本当に没頭してやるんで、多分そういう様子を傍から見てる人からしたら「吉村さん頑張ってるな」って見えてるんじゃないかなと思うんですよ。
ただ僕の主観としては、全然頑張ってなくて、好きなことやってるから楽しいなって思ってやってるって感じなんですね。
三上:わかります。よく言われます私も。
吉村:ね。だから、好きなことだったら別に時間忘れてやってても、こっちは苦じゃないっていうか、むしろ「やりすぎないようにしてください」って言われる方が、「いや別にやりたいからやってるのに」とか、「そんな時間制限しないでください」ぐらいな勢いなわけですよね。
三上:わかります。
吉村:逆にやりすぎて疲れちゃったなってなったら、多分そこってなにかやりすぎてるんですよきっと。
三上:ああ、ね。
吉村:うん。疲れっていうのも、気持ちいい疲れ方と、げっそりする疲れ方ってあるじゃないですか。
三上:うん。
吉村:だから、疲れること自体が悪いことなんじゃなくて、どういう疲れ方をしてるのかっていうので、実は意味合いとかエネルギーが違うんですよね。
三上:へえ。
吉村:気持ちよく疲れてたら、多分一晩寝たら結構すっきり目が覚めて、それでむしろ以前よりもパワーアップした自分として目覚めるぐらいの感じだと思うんですよね。
三上:うん、うん。
吉村:だけど、疲れてもうしんどい、みたいな、消耗したってなると、ちょっと長めに寝てもどうも疲れが取れてないな、みたいな感じになっちゃって。それを繰り返してると、いわゆる鬱状態とか、病院で診断がついてしまうような状態にだんだんなってしまうわけですよね。
三上:うん。
吉村:なので、頑張ることが良いか悪いかとかっていう話じゃなくて、どういう頑張り方をしてるのか、みたいなね。
でも結局、実際は自分ではそんなに頑張ってるっていう感じはしないんだけど、傍から見てる人からはすごく頑張ってるふうに見えてる、っていうような状態だったら、多分害はないっていうか、むしろプラスの影響があるようなことだと思うんですよ。
三上:うん。
吉村:例えば成長する糧になってたりとかね。なので、だからそこで自分がいくらやってても「いや全然楽しくていくらでもやりたいんですけど」ということだったら、あんまり周りの人が「ちょっと頑張りすぎない方がいいんじゃない?」とかって言ったとしても、「ありがとうね」ぐらいな感じで適当に流して、自分の好きなペースでやってたらいいんじゃないかと思うんですよね。
でも、しんどいなとか、頑張ってるのにどうも成果が得られてないなとか、こんなに頑張ってるのに評価されてないなとか、そういう気持ちになってるとしたら、多分どっかでボタンの掛け違いが起きてるんじゃないかと思うんですよね。
あまり向いてないことを無理してやってるとかかもしれないし、場合によっては自分が頑張ってる割にはそれから得てるものが少ない、みたいな感じになってるんだとしたら、知らないところで人から利用されちゃってるとかっていうことが起きてるかもしれないですよね。
三上:はい。
吉村:例えばね、好きなことで楽しくやってるんだけど、なぜか時給が全然上がらないとか、時間長く働いてるのに残業代もつかないとかっていう状態が続いてたら、多分そのうちに疲弊してくんだと思うんですよね。
だからやっぱりそこって、「自分が価値を生み出しました」「それを誰かが受け取りました」「その感謝がエネルギーとしても、物理的なお金としても感謝が返ってくる」という、そこで循環が生まれてると、
これって愛のエネルギーが循環してる状態なわけですよね。貢献があって、感謝があってっていうこの繰り返しが。
ここが、流れがどっかで止まってたりすると、最初は好きで始めたのにだんだんしんどくなってくる、みたいなことが起きるわけですよね。
例えば、誰かに喜んでもらいたいと思ってやってるのに、その相手がさも当たり前みたいな態度しか取らないとか、全然感謝されてる感じがしないとかってなると、「何のためにやってるんだろう」みたいな気分になってくるわけですよね。
だから、そこら辺の見直しが必要なポイントみたいなのは、どっかで見つかると思うんですよね。自分がやってることが、そもそもあまり好きでもないことを無理してやってるってなったら、それはそこから変えた方がいいと思うし。
三上:うん。
吉村:元々好きだと思って始めたのに、どうもしんどいばっかりで自分にプラスになってる気がしない、搾取されてる気がするみたいな感じだったら、そのシステム的なところに問題があるのかもしれないし。
あとは、もしかしたらその方自身が心が傷ついてたりとか、ブロックがあって、人からの感謝とか愛のエネルギーを受け取れない状態になってたりすると、本当はエネルギーを送ってもらってるんだけど、それを受け取れてないために、こっちは枯渇していく一方、みたいな感じになってしまうわけですよね。
そういう場合は、やっぱりクリアリングが必要だと思うんですよ。
三上:はい。
吉村:なので、自分がやっててしんどいなみたいなそれって違和感があるってことじゃないですか。ここの違和感にちゃんと意識を向けていくっていうね。違和感なくやってて楽しくて、いくらでもできるんですけどって言うんだったら、それって向いてることだったり、天職だったりってことなんじゃないかと思うんで、どんどんやってったら多分さらに成長して、パフォーマンス上げてく、すごくいいチャンス、いい循環ができてると思うんで。
ただそのときに、違和感を感じることがあるんだったら、そこを流しちゃわないで、楽しいから、ちょっと違和感感じるけどこのまま突き進んじゃえってやってると、それがどんどん積もり積もって、だんだん「何かが違う…」みたいなことになってしまいかねないわけですよね。
だから、違和感があったときには、やっぱり見直す必要があるポイントはどこかにあるかもしれないから、ちゃんとそこに目を光らせておこう、というのがありつつの、とにかく自分がワクワクすることに邁進していく流れが作れると、とても幸せな、自分は頑張ってる気は全然ないんだけど、周りからは「すごく頑張ってる」ってふうに評価されるような感じになってくんじゃないかな、と思いますね。
三上:はい、ありがとうございます。まずは違和感を大切に。やっぱり自分が好きなものだったらどんどん前進、というかね。やってても苦にならないですもんね。
吉村:そうですね。
三上:ということで、はい。今日はちょっと「頑張りすぎ」が当たり前になっていませんか、という話をお届けしましたけども、今日の話を聞いて、「どんなかな」と思ってた自分が、最初冒頭で話していたんですけど、「あっ私、好きなことやってるか」っていう気持ちにもなってます。
吉村:よかったですね。
三上:はい、ということで、皆さんも違和感、それから自分が好きなことを楽しんでいますでしょうか、ということで、皆さんからもお便りをお待ちしております。吉村さん、本日もありがとうございました。
吉村:ありがとうございました。



