無我
Description
《無我(むが)》(1897年)


この絵は、横山大観(よこやまたいかん)(1868年〜1958年)の《無我(むが)》です。横山大観(よこやまたいかん)は明治時代(めいじじだい)(1868年〜1912年)から昭和時代(しょうわじだい)(1926年〜1989年)に活躍(かつやく)した日本画家(がか)で、今の茨城県(いばらきけん)で生まれました。1889年、東京美術学校(とうきょうびじゅつがっこう)(現在の東京芸術大学美術学部(とうきょうげいじゅつだいがくびじゅつがくぶ))に入学し、岡倉天心(おかくらてんしん)、橋本雅邦(はしもとがほう)らに学びました。
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《無我(むが)》は、明治30年(1897年)に描かれ、大観(たいかん)の出世作(しゅっせさく)となりました。本来(ほんらい)、無我(むが)とは、自分の気持ちや考え、また、他人のことを考えない自分中心の欲望(よくぼう)などがない禅(ぜん)の悟(さと)り(迷(まよ)いを脱(だっ)して真理(しんり)を知ること)を表すもので、それまでは高僧(こうそう)、老僧(ろうそう)などで表現(ひょうげん)される題材(だいざい)でしたが、対極的(たいきょくてき)にあどけない幼子(おさなご)の姿(すがた)に無我(むが)の境地(きょうち)を託(たく)したところに大観(たいかん)の斬新(ざんしん)な発想(はっそう)が伺(うかが)えます。
目に見えない概(がい)念的(ねんてき)なものを描くというのは、当時は珍(めずら)しいことでしたが、新しく挑戦的(ちょうせんてき)だということで評(ひょう)価(か)が高くなりました。背景(はいけい)には、水が澄(す)んだ川面(かわも)と芽(め)が膨(ふく)らんだ猫柳(ねこやなぎ)の木々(きぎ)、すみれなど、早春(そうしゅん)を感じさせる風景(ふうけい)が描かれ、この無垢(むく)な子供の汚(けが)れのなさに融合(ゆうごう)しています。

《無我(むが)》では、子供のゆったりとした着物(きもの)や緩(ゆる)くまとめた髪(かみ)が緻密(ちみつ)に描かれていますが、輪郭線(りんかくせん)をはっきりと描く日本画のそれまでの技法(ぎほう)とは異(こと)なっています。つまり、墨線(すみせん)ではなく、色線(いろせん)を用(もち)いて色彩(しきさい)の濃淡(のうたん)だけで画面(がめん)を構成(こうせい)し、絵の具(ぐ)をつけない空刷毛(からはけ)を使ってぼかし、空気や光(ひかり)の線(せん)を表現(ひょうげん)しようとしました。この後、大観(たいかん)は色の濃淡(のうたん)によってモチーフの形や構図(こうず)、空気や光(ひかり)を表す、「朦朧体(もうろうたい)」という線描(せんびょう)を抑(おさ)えた描き方を菱田春草(ひしだしゅんそう)と共に確立(かくりつ)させて行きます。
大観(たいかん)は、同時期(どうじき)に3点の《無我(むが)》を描いており、それぞれ東京国立博物館(とうきょうこくりつはくぶつかん)、島根県(しまねけん)の足立(あだち)美術館(びじゅつかん)、長野県(ながのけん)の水野美術館(みずのびじゅつかん)に収蔵(しゅうぞう)されています。また、大観(たいかん)は、富士山(ふじさん)を題材(だいざい)とした作品を2000点以上(てんいじょう)も描いており、桜(さくら)、紅葉(こうよう)などと共に日本の自然(しぜん)を題材(だいざい)にした作品も数多(かずおお)く残しています。
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