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弱肉強食!合従連衡の歴史と関連する中国語を紹介

弱肉強食!合従連衡の歴史と関連する中国語を紹介

Update: 2019-02-01
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紀元前453年に幕を開けた中国の戦国時代は、秦が他国を圧倒していった時代でもあります。





中原から見れば辺境の国家に過ぎなかった秦は、一体どのようにして中華を統一するほどの力を身につけたのでしょうか?





今回は紀元前357年、商鞅の改革によって秦が強国となり、縦横家と呼ばれる人々が活躍した時代の出来事と、 それにまつわる中国語を紹介します。





中国の戦国時代とは?





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中国の戦国時代は、大国の晋が3つの国に分裂した紀元前453年(紀元前403年説もあり)から、秦が中華統一を果たす紀元前221年まで、200年以上続いた戦乱の世です。





弱い国は次々と強国に飲み込まれ、 「戦国七雄」と称される秦・斉・楚・魏・趙・韓・燕が中華の覇権をかけて争いました。





戦国七雄の中国語読みは七雄が並び立った戦国時代をご覧ください。





商鞅の変法によって、秦が強国に





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戦国時代初期に最強を誇った魏が衰退し、代わりに力をつけたのは東方の斉と、西方の秦でした。





特に成長が目覚ましかったのは秦です。孝公こうこうが国内の大改革に着手しました。この時、内政を任されたのは魏から亡命してきた商鞅しょうおうという人物でした。





孝公と商鞅の間で交わされた、有名な話があります。





商鞅は孝公に初めて謁見した際、最高の徳で世を治める「帝の道」を説きました。しかし、孝公は退屈のあまり話も聞かずに眠ってしまいました。





次に会った時、商鞅はひとつレベルを下げて「王の道」について話しました。しかし、これも孝公にとっては面白くもない話でした。





さて、三度目の謁見です。





商鞅はさらに程度を落とし、武と法で世を治める「覇の道」を説きました。すると、この話に孝公は興味津々。身を乗り出して聞き入ったと言います。





こうして孝公の信任を得た商鞅ですが、孝公は周りから批判されるのを恐れて改革を行うことをためらっていました。





そこで商鞅は、こう言いました。





商鞅


王様、改革は自信を持って行わないとだめですよ!「疑行は名なく、疑事は功なし」です。






このセリフは「一度決めたことは、迷いなく実行するべき」という意味の故事「疑事無功」の由来となりました。





こうして秦は、それまでの世で理想とされていた徳治政治ではなく、 法によって国を支配する法治国家へと舵を切ったのでした。





商鞅は「変法」と呼ばれた改革を次々と行いました。





民衆を10家または5家一組にして支配する「什五じゅうごの制」や、軍功を挙げたり犯罪人を告発することで爵位を与える「功爵の制」、治水灌漑の整備などなど。さらには秦の都を雍から咸陽へ移しました。





これにより、秦は他国を圧倒するパワーを身に着けることに成功したのです。





秦の孝公こうこう
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秦孝公
qín xiào gōng
商鞅しょうおう
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商鞅
shāng yāng
疑事無功ぎじむこう
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疑事无功
yí shì wú gōng
変法へんぽう
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变法
biàn fǎ




秦を巡る攻防!張儀・蘇秦の合従連衡





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秦を包囲せよ!蘇秦の合従策





商鞅の変法によって、急激なパワーアップを果たした秦。





日に日に存在感を増していくこの新興国に、どう対応すべきか。周辺国の君主は頭を悩ませていました。





そんな時に活躍したのが、縦横家じゅうおうかと呼ばれる論客たちです。彼らは巧みな弁舌を武器にして、君主に自らが編み出した外交策を献じていきました。





代表的な縦横家に、張儀ちょうぎと蘇秦そしんがいます。





斉で鬼谷子に学んだ蘇秦は、諸国を遊説して燕・趙・韓・魏・楚・斉の6国に同盟を結ばせ、秦に対抗させましたといわれています。





こうした動きは、秦以外の国々が縦(従)に同盟を結ぶことから「合従がっしょう」と呼ばれます。





遊説のさなか、蘇秦は韓の宣恵王せんけいおうに対してこう説得しました。





蘇秦


小国でも一国の王様の方がいいじゃないですか。秦に屈して臣下になりさがっちゃいけませんよ 。






宣恵王


一理ある






このエピソードは後に「鶏口となるも、牛後となるなかれ」の故事になりました。





 故事成語  鸡口牛后(鶏口となるも、牛後となるなかれ)





合従軍は前318年に秦を攻めます。しかし、結果は失敗。秦の入口である要塞・函谷関かんこくかんを突破することができず、撃退されてしまいました。





ちなみに、蘇秦は謎の多い人物で、実際はもう少し後の時代になって活躍した人物だともいわれています。





縦横家じゅうおうか
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纵横家
Zòng héng jiā
蘇秦そしん
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苏秦
Sū Qín
合従がっしょう
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合从
hé cóng
韓の宣恵王せんけいおう
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韩宣惠王
hán xuānhuì wáng
函谷関かんこくかん
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函谷关
hán gǔ guān




張儀の連衡策!同盟を切り崩せ





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こうした合従の動きに対抗して、切り崩しを行ったのが張儀です。この工作は秦と各国が同盟を結び、横軸でつながることから「連衡れんこう」と呼ばれます。





張儀は秦の孝公の跡を継いだ恵文王に仕え、宰相にまで上り詰めました。彼は、






  1. 楚と斉の同盟を崩す
  2. 楚の国力を削ぐ
  3. 楚と和睦する





という3つの難題を一発で成し遂げた、とてつもない外交センスの持ち主でした。





紀元前313年、張儀は楚の懐王かいおうに取引を持ちかけます。





張儀


六百里四方の土地をあげるから、斉との同盟を破棄してくんない?





懐王


マジで?いいよ!





懐王は張儀の提案を喜んで受け入れ、斉との同盟を破棄しました。その後、秦に使いを出して領土を受けとりにいったのですが…





張儀


それでは約束通り、六里の土地を差し上げましょう





懐王


は?六里?六百里の間違いだろ!





なんと、「六百里」の土地をプレゼントする提案が、いつの間にか「六里」に変わっていたのです。





約束を破られた懐王は激怒し、秦に出兵します(丹陽・藍田の戦い)。しかし、楚軍は強力な秦軍を前に大敗を喫してしまいました。





張儀は和睦案として、土地の割譲を持ちかけます。





しかし、懐王の怒りは収まりません。




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