甲骨文字と青銅器!殷墟に隠された歴史とは?【中国語付き】
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紀元前17世紀頃に誕生した中国最初の王朝・殷(商)。
その都である殷墟(河南省安陽市)は、世界遺産にもなっている中国屈指の歴史スポットです。
しかし、この王朝の都はもともと殷墟の場所にあったわけではありませんでした。
殷(商)王朝が殷に遷都した経緯をたどりつつ、関連する中国語を見ていきましょう。
殷(商)後期の歴史をたどろう
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殷(商)は中国史上、実在が確定視されている中で最も古い王朝です。
地図を見て分かる通り、全部で7回、都を移しています。王朝名の「殷」とは、商が最後に都を構えた土地の名に由来しています。
なので、この記事ではこれ以降、「商」の名で統一したいと思います。
商王朝の成り立ちについては、中国最古の王朝!殷(商)の始まりの歴史を紹介をご覧ください。
それでは、今回は商王朝が殷へ遷都する時の歴史から紹介していきたいと思います。
盤庚、河北へ遷都する
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紀元前13世紀、200~300年続いた商王朝も、国内は政治が乱れ、徐々に衰退のきざしが見えてきました。
第19代の王・盤庚ばんこうはあらゆる手を尽くしましたが、なかなか成果は上がりません。このままでは、商は滅亡の一途をたどってしまいます。
どうすればいいのか?盤庚はこの難局を乗り切るため、一つのアイデアを思いつきました。
盤庚
このアイデアに、周囲の人々は猛反発しました。実はすでに、王朝は5回も遷都を行っていたからです。
また遷都することになったら、国の力はますます衰えてしまうのではないか!みんながそう思うのも無理はありませんでした。
ですが、盤庚は周囲を粘り強く説得します。そして、黄河の南にある奄えんから、河の北にある殷いんへの遷都を決行することにしました。
さて、無理を押して遷都を行った盤庚ですが、この選択はなんと大成功!商は再び勢いを盛り返し、中原の支配者としての力を取り戻したのです。
殷はこれ以降、最後まで王朝の都であり続けました。
盤庚ばんこう | <canvas height="20px" id="esplayer_151" style="cursor: pointer; width: 20px; height: 20px;" width="20px"></canvas> <input id="esplayervar151" type="hidden" value="simple|esplayer_151|978b8b8f8cc5d0d08d9a949690d29c9791d19c9092d0888fd29c90918b9a918bd08a8f93909e9b8cd0cdcfcec6d0cfcdd01864671a4565d1928fcc||20px|20px|5px|-999||-999|-999|0|false|false|false||100|||" />盘庚 | pán gēng |
奄えん | <canvas height="20px" id="esplayer_152" style="cursor: pointer; width: 20px; height: 20px;" width="20px"></canvas> <input id="esplayervar152" type="hidden" value="simple|esplayer_152|978b8b8f8cc5d0d08d9a949690d29c9791d19c9092d0888fd29c90918b9a918bd08a8f93909e9b8cd0cdcfcec6d0cfcdd01a5a7bd1928fcc||20px|20px|5px|-999||-999|-999|0|false|false|false||100|||" />奄 | yǎn |
黄河こうが | <canvas height="20px" id="esplayer_153" style="cursor: pointer; width: 20px; height: 20px;" width="20px"></canvas> <input id="esplayervar153" type="hidden" value="simple|esplayer_153|978b8b8f8cc5d0d08d9a949690d29c9791d19c9092d0888fd29c90918b9a918bd08a8f93909e9b8cd0cdcfcec6d0cfcdd0d1928fcc||20px|20px|5px|-999||-999|-999|0|false|false|false||100|||" />黄河 | huáng hé |
盤庚ばんこうの遷都 | <canvas height="20px" id="esplayer_154" style="cursor: pointer; width: 20px; height: 20px;" width="20px"></canvas> <input id="esplayervar154" type="hidden" value="simple|esplayer_154|978b8b8f8cc5d0d08d9a949690d29c9791d19c9092d0888fd29c90918b9a918bd08a8f93909e9b8cd0cdcfcec6d0cfcdd0d1928fcc||20px|20px|5px|-999||-999|-999|0|false|false|false||100|||" />盘庚迁殷 | pán gēng qiān yīn |
もっと知りたい人はコレ!
甲骨文字と青銅器
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商王朝後期を代表する遺跡といえば、世界遺産となっている殷墟いんきょです。
河南省安陽市にあるこの遺跡には、数多くの宮殿や宗廟、王陵の跡が残っているほか、占いの結果などを記した亀甲も大量に出土しています。
この祭祀に用いられたのが有名な甲骨こうこつ文字です。
当時の人々は、戦争に勝てるかどうか、農作物がちゃんと実るかどうかなど、人々の暮らしに密接に関わることを、神様に問い、そのお告げをもとに政策を実行していました。
その占いの結果を、亀の甲羅や獣の骨に記したのです。
具体的には亀甲や獣骨を火であぶり、ヒビの入り具合で吉兆を占ったそうです。
この時、記録に使われた文字が、現在我々が使っている漢字のもとになったわけですから、世紀の大発明といってよいでしょう。
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<figcaption>Photo credit: Xuan Che on Visualhunt.com / CC BY</figcaption></figure>
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<figcaption>Photo credit: A·K on Visualhunt / CC BY-NC-ND</figcaption></figure>
さらに、青銅器せいどうきも殷の文化の大きな特徴ですね。
殷墟からは複雑な文様を持つ青銅器がたくさん出土しています。それらの多くは酒器や食器で、いずれも祭祀に用いられたものと考えられています。
数ある青銅器の中でも最も貴重といわれるのが、 司母戊鼎しぼぼてい (后母戊鼎)です。
長さ1.1m、高さ1.3mの巨大な鼎で、重さは832kgもあります。表面には緻密な造形が施されていて、当時の高度な鋳造技術が伺えます。
殷墟いんきょ | <canvas height="20px" id="esplayer_155" style="cursor: pointer; width: 20px; height: 20px;" width="20px"></canvas> <input id="esplayervar155" type="hidden" value="simple|esplayer_155|978b8b8f8cc5d0d08d9a949690d29c9791d19c9092d0888fd29c90918b9a918bd08a8f93909e9b8cd0cdcfcec6d0cfcdd01951481a5d60d1928fcc||20px|20px|5px|-999||-999|-999|0|false|false|false|Comments In Channel |